2-9 反乱
アルカディア王国の北部国境に早い冬が到来し、日々気温が下がり、紅葉が散る頃。
クリスとシロタが「蝋燭伝令」の網を国境沿いに構築すべく躍起になる傍ら、ロランは自らの部隊員にだけ「ロラン・ドラン」という真名を打ち明け、九十七人の部隊を九十人戦闘部隊と七人の連絡班へ再編し、連日、複雑な陣形転換の訓練を重ねていた。
「見事なものだな、ロラン二等兵。九十人の部隊が、まるでひとつの生命体のように陣形を変えていく」
訓練場を見下ろすクリスは、広場で目まぐるしく交錯する騎馬部隊に視線を躍らせていた。隣に立つロランは、手綱を固く握り直しながら淡々と応じた。
「戦闘部隊は三十名ずつの三個部隊に分割し、それぞれに生え抜きの一等兵を配置しました。残る七名は独立した連絡員です。シロタの考案した小型の遮光ランプを馬背に積ませておりますので、夜間なら遠距離でも簡単な意思疎通ができます」
「騎馬隊がひとつの生命体のようだ。頼もしいな。これで我が隊は、いつでも敵の喉元を穿てる一振りの刃となったわけだ」
クリスは満足げに笑みを深めたのだった。
そんな折、前線に激震が走った。
東方北部国境警備隊からおよそ東南二日の距離にある「北方鉱山」において、大規模な奴隷反乱が勃発したのだ。
急報に揺れる警備隊司令室のドアを、クリスは躊躇なく押し開けた。
「鎮圧部隊には、我が直属部隊を当てていただきたい」
突然の申し出に、デスクの奥で丸々と太った司令官が不快そうに眉をひそめた。
「何を言うか、クリス中尉!反乱の規模は二百人未満だ。正規兵を百人も向かわせれば十分だろう。わざわざ貴様らの部隊を動かすまでもない!」
「ほう、左様ですか」
クリスは不気味な笑みを浮かべると、懐からひと掴みの袋を取り出し、司令官の机の上へ静かに置いた。中身は賄賂である。
「まあ司令官閣下、そう言わずに仲良く致しましょう」
袋を目にした瞬間、司令官は間髪入れずにその袋をひったくり、中身も確認しないうちに言った。
「もちろんだとも、我々は信頼し合っているからな」
「では、出撃許可、お願いしますね」
前庭での出陣式も、教会の神父による神聖な祝福すらも、クリスは「無駄な時間だ」と一蹴して出撃を敢行した。その背中に、周囲の貴族将校たちの嘲笑が浴びせられる。
「ハッ、手柄を焦って挨拶もなしに飛び出しおったわ!」
「神父の祝福も受けずに出撃とはな。死んだら真っ直ぐ地獄行きだぞ。クリス隊でなくて本当に良かったわい」
そんな言葉を聞いて、「奴隷たちはその地獄から反乱を起こしたんだろうに」と多くの平民出身兵は思ったのだ。「死んだら地獄行き」と言っていたのは准尉以上の指揮官級の兵士たちだけだった。実際はその下の上等兵以下は全員が平民出身であり、中には元奴隷も大勢いたのだ。そして平民出身者も元奴隷の兵士たちも皆、この反乱奴隷の気持ちが痛いほど分かったのである。
奴隷の中でも特に鉱山奴隷は最悪と言われている。それは一旦鉱山に入れば何日も太陽を見ることが出来ず、当然ながらその間は水浴びもできない。そして食事は粗末だがそれ以上に鉱山内の汚れた空気と頻発する有毒な毒煙の発生により誰もが体調を崩す。そんなところでは長生きできる奴隷などおらず、誰もが体力低下、呼吸困難により倒れ、倒れて地上へ運び出された者の半数は、そのまま息を引き取った。平民や奴隷なら誰でもそんな地獄であれば百万に一つの可能性に賭けたくなる気持ちがわかるのだった。
「中尉、神父の祝福を突っぱねたことで、周囲の噂が酷いことになっていますが?」
反乱の地へ向かう強行軍の最中、並走するシロタが馬上で淡々と問いかけた。クリスは鼻で笑い飛ばす。
「教会のことか。言いたい奴には言わせておけ。神の加護などいうものにすがるのは無能者か自信の無いものだけだ。それよりシロタ、ロラン。鉱山周辺の地形と村落の配置は頭に入ったか?」
「はい。完全に把握済みです」
シロタが即答し、ロランとタチバナも深く頷く。四人の頭脳は、疾走する馬の上で休むことなく回転していた。
その行軍中、ロランが険しい面持ちで口を開いた。
「中尉、反乱軍の多くは過酷な運命に耐えかねた奴隷たちです。壊滅は当然としても・・・・・・可能な限り、命まで奪う必要はないのではと考えております。また多くの平民兵も奴隷に同情的です」
その言葉に、シロタが馬上から冷たい視線を向けた。
「首謀者の命を救うことは不可能です。その場では殺さなくても最終的には必ず責任を取ってもらうことになるでしょう。ですがそれ以外の反乱奴隷を救うための策があります。ロラン二等兵、それがどれほど卑劣で、卑怯で、人の道に外れた策であっても、あなたは受け入れますか?」
ロランは手綱を握る手に血がにじむほど力を込め、低く絞り出した。
「命さえ救われれば、奴隷たちにとって微かな光は残る。生きてさえいればだ。頼む、シロタ」
「分かりました。では、人道は計算から外します」
シロタは一度だけ目を伏せ、それから策を語り始めた。まさに身も凍るほど凶悪なものであった。そしてクリスは表情ひとつ変えずに頷いた。
「面白い。採用だ。タチバナ、行け!」
タチバナに指令が飛んだのだった。
シロタの作戦は、徹底して「人間の負の感情」を計算に入れたものであった。
今回の反乱の本質は、過酷な労働と不当な処罰による奴隷たちの怒りである。中には貴族の目の前で、最愛の女性を捕らえられ、凌辱される様を見せつけられた者までいた。
「理屈で動いていない彼らに、理屈の説得は通じません」
シロタは言った。であれば、膨れ上がった呪詛の熱量を相殺する生贄を与えればいい。
対象者は、この鉱山を実質的に管理して暴利を私物化していた地元貴族の子弟たちであった。彼らを拉致して反乱軍の砦に放り込み、奴隷たちに好きに与えてやればいい。
憎悪と欲望を貴族の子息と令嬢へ集中させ、感情を限界まで消費させる。激情が尽きれば、組織的な抵抗力も低下する。その上で、牙の抜けた首謀者を捕縛して処分すればいいという、極めて醜悪な筋書きであった。
ロランはその作戦の酷悪さに激しく眉をひそめ、声を荒げた。
「奴隷を管理する貴族には責任があるが、その子弟や子女には罪は無い!もっと別の方法はないのか!」
それを聞いたクリスの表情が、一瞬にして冷たく氷結した。
「貴族の子弟、子女には罪がない?本当か、ロラン。お前はその貴族の連中のこと、どこまで知っているんだ?貴族家に流れている血は無実か?万が一直接的な犯罪行為がなかったとしても、貴族というだけで生まれながらに、そして間接的に平民から搾取し、奴隷には血を流させているんだぞ。そんな連中、この俺が放置すると思うのか?貴族も教会も、俺のこの手で潰してやる。今日はその第一歩だ!」
それを呆然と聞いていた二人であったが、シロタが思わず問いかけた。
「中尉。昔、貴族と何かあったのですか?」
その問いにハッと我に返ったクリスは肩の力を抜いたが、瞳の奥のギラついた光は消えなかった。
「ああ。俺の身内が三人も、貴族になぶり殺された。だから俺はお礼をしなくちゃならないんだ、貴族全員にな」
クリスのこの言葉を聞き、ロランは腑に落ちた。クリスの心の中には、途方もない闇がある。自分もそうだが、クリスの闇も深い。そしてどうやら貴族が共通の敵のようだ。自分は貴族の子息と令嬢を助けたいと思う分、まだマシなのかもしれない。
そう思っていたのだが、その鉱山を管理している貴族家が男爵家である「シータ家」だと耳にした瞬間、ロランの中から、シータ家の子息と令嬢を救いたいという思いも、先ほどまでの迷いも、音もなく消えた。
その家名は忘れたくても忘れられない、ロラン自身が復讐すべき対象そのものであった。偶然にしては凄まじい、奇縁であった。
ロランは自分でも少し驚いた。罪のない者に対して、自分はこれほど冷たい人間だっただろうか。いや、違う。自分は今まで心の中で何度、シータ家の面々を己の剣で切り刻んできたことだろう。夢の中でも苦しめられてきた。それがただ単に現実になるだけじゃないか。
クリスは、貴族の子息と令嬢を犠牲にすることにロランが口を閉ざし、冷徹に頷いた事実から、やはりロランの過去にも貴族に対する決定的な憎悪があるのだと確信したのだった。
だがシロタの策は何もシータ家子息と令嬢を生贄として差し出すだけ、ではなかった。貴族家の子息と令嬢を差し出すと同時に密告を促し、首謀者を特定し、降伏した順番に罰を軽減、更には最も有益な情報を提供した密告者には褒美を与える提案などが盛り込まれていた。クリスは検討し、採用した。
タチバナ配下の工作員たちは、鮮やかな手際で鉱山管理を行ってきた貴族のシータ家の子息と令嬢三人を拉致してきた。
王国貴族の多くは年末に近づく寒さが厳しくなる直前、年一回行われる聖導教会主宰の開祖ヒュービック生誕祭参加のため、十日間ほど霊峰マウント・ヒュービック中腹にある高級貴族御用達の別荘へと出かけて過ごす。これは教会行事の一環であり、国王陛下をはじめ主要な貴族が毎年この時期に国王に付き添い、生誕祭のため霊峰の中腹で過ごす初冬の定番であった。
運悪くその貴族子息と令嬢も鉱山から一日ほどの高級別荘地にあるシータ家の別宅に滞在していた。
シータ家の子息と令嬢は拘束され、無言でクリスの前へ引きだされた。豪華な衣服を剥ぎ取られて粗末な平民服を着せられた。そして恐怖に身を震わせる若者たちを、クリスは氷のような視線で見下ろし、冷然と言い放った。
「お前たち自身に罪があるかどうかは関係ない。だがお前たちの血は、親が積み上げた罪の重さで等しく汚れている。家名の特権を享受してきたのだ、少しはその身で罪を償ってくるといい」
悲鳴と命乞いを一切無視し、クリスはロランに命じて反乱軍の籠る砦へと子息と令嬢たちを放り込ませた。
同時に伝令員に書面を持たせて砦へ投げ込ませた。そこには「お前たちに屈辱を与えた貴族の子息と令嬢を引き渡す。子息と令嬢がどうなろうと構わない。それによる罪も問わない。代わりに明日の夕刻までに無条件降伏せよ。応じれば首謀者以外の命は保証する。拒めば皆殺しだ」と通告したのだった。
その後、鉱山の奥で何が起きたのか、詳細な記録は残されていない。ただ、子息と令嬢たちが再び地上へ戻ることはなかった。その報告が届いた時も、クリスは完全に無表情のままであった。
翌日の夕刻前。シロタの計算通り、大半の奴隷たちは牙を抜かれ、戦意を喪失してクリス部隊へと降伏してきた。
その後クリスは人間の醜さに内心で冷笑を浮かべつつも、ロランとの約束通り降伏した一般奴隷たちの助命を受け入れた。
だが、およそ二十名ほどの血気盛んな一団だけは、血の味を覚えた獣のように狂い、降伏を断固拒否して奥の山岳地帯へと立てこもった。降伏した奴隷の取りまとめ役が、クリスに膝づいて告げた。
「あいつらは最初から気性が荒くて、あっしたちの手にも負えねえ狂犬です。あっしたちとは別枠だと思って、どうぞ容赦なく潰してください。そのために必要な情報なら何でも吐きます。あっしたちも、あいつらには散々酷い目に遭わされてきたんです」
その時、顔を真っ赤に染め、全身から凄まじい闘気を放ったロランが前に出た。
「クリス中尉。ここは、私に任せていただきたい」
「いいだろう。ただし、首領だけは殺すな。拘束しろ。いいか、これは命令だ」
「は!」
首領は子息と令嬢を失った地元貴族へ高値で引き渡すための商品だ。クリスがタダで命を救うようなお人好しではないことは、部隊の誰もが理解していた。
山岳地帯の岩場に立てこもる二十人の狂暴な奴隷たちの前に、ロランはただ一人、抜き身の長剣を下げて現れた。そして、地鳴りのような咆哮を轟かせた。
「俺はロラン!黒人の兵士であり、お前たちを地獄へ送る悪魔だ!命が惜しくないなら、まとめてかかってこい、この哀れな臆病者どもが!」
気性の荒い奴隷の若者たちは、ロランが本当にたった一人で立っているのを見るや、怒号を上げて暴風のごとく殺到した。その手には木の棒、鋭利な石、そして先頭の男の手には警備兵から奪ったであろう歪んだ鉄剣が握られていた。
先頭の男が振り下ろした錆びた鉄剣を、ロランは半歩引いてかわした。
刃がすれ違う刹那、ロランの踏み込んだ右脚が地を噛み、大剣が斜め下から跳ね上がる。
「ザンッ!」
鈍い衝撃とともに、男の右腕が斬り飛ばされた。
そこから先は、戦いではなかった。ロランが一歩進むたびに一人が倒れ、剣が一度閃くたびに怒号が悲鳴へ変わった。
後方で見守るクリスとシロタは、さすがに二十対一の状況に手を伸ばしかけたが、あまりのロランの力に圧倒され、息を飲んでその武を信じることにした。
一同が目撃したのは、人間の域を超越したロランの圧倒的な「武」の顕現であった。
わずか十五分後。倒れた奴隷たちが岩場を埋める中、ロランの前にはたった一人だけ生き残った大柄な奴隷の男が立っていた。男は恐怖と怒りに顔を歪め、絶叫した。
「お前だって黒人だろう!恐らく、俺たちと同じ奴隷身分だったはずだ!なら・・・なら、なぜ貴族の犬になって俺たちを殺す!俺たちの気持ちが、分からないのか!」
ロランは、血に濡れた大剣をだらりと下げ、冷たく見つめ返した。
「ああ、分かる。痛いほど分かるさ。だがな、それ以上に分かるのはお前たちが救いようのない大馬鹿野郎だということだ!」
「な、何が大馬鹿だと言うんだ!言ってみろ!」
「そんな事も分からんのか!逆らって暴れるくらいの元気があるならな、反乱じゃなくて軍隊に入ればいいんだ!幾らでも強い男がいて戦えるんだぞ!」
「な、何を言ってるんだ?奴隷は軍に入れないんだぞ!」
「だからお前は大馬鹿だ。奴隷が入隊するときには軍が奴隷身分の買取り資金を出してくれるんだ」
「う、嘘を言うな!」
「俺を見ろ!」
多くの王国人はロランを見ると奴隷だと思うだろう。それだけ黒人のほとんどは奴隷階級に落ちたままなのである。
そしてそんなロランの戦いを見ていた降伏奴隷がクリスに言った。「あいつが首領です」
「ロラン、そいつが首領だ。殺すな」
「は!」
それが聞こえた大柄な奴隷は、顔を真っ赤に染めて最後の突進を試みた。ロランの腕が視認できない速度で一閃した。奴隷の右腕が斬られ、男は悲鳴を上げて崩れ落ちた。




