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ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第2章 集結
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2-5 頭脳

その年の秋、穀物の収穫直前という最悪のタイミングで、ガルディニア帝国軍が北部の二箇所の国境警備線を突破し、王国領内になだれ込んできた。

中央軍情報部がその事実を掴んだのは、帝国軍が国境を越えるわずか前日。

いかんせん、密偵がどれほど死に馬を出す勢いで早馬を飛ばそうとも、情報の伝達には絶対的な物理的な時間がかかる。王国首都近郊の駐屯地から北部国境までは、歩兵の足でどれだけ急いでも最低一週間は必要であり、騎馬でも二日は必要だった。


中央軍は即座に北部への援軍を整えて出陣させた。そして出陣から一週間後、つまり援軍が現地に到達する直前に王国軍の援軍部隊に対して最前線からの伝令が入った。そこには、帝国軍は撤退を開始した、という不可解な報告が入ったのである。

中央軍司令部は安堵の息を吐いたが、その直後にはもう、前線の兵たちにいかに恩賞を出さずに済ませるか、いかに昇格を握り潰すかという不毛な政治工作に、高級幹部たちが眉間に皺を寄せて真剣に話し合っていた。


だが、クリスが受けた初期の報告からすれば、これほど簡単に帝国軍が引くはずはなかった。


帝国軍の兵力は、東の北部国境に五千、西の北部国境にも五千。それに対する我が軍の国境警備隊はそれぞれ東西合計で二千、各千である。各国境において五倍の絶望的な兵力差である。

凡庸な指揮官であれば一瞬で圧殺され、全滅を免れない数字だ。しかし結果は、帝国軍の不可解な敗退。クリスはこの時点で胸の高鳴りを抑えきれず、詳細な報告書を心待ちにしていたのだった。

後日、西の国境警備隊から届いた詳細な報告書を王国全軍司令部記録処の若手担当官、リノス・ヤーヴェア准尉が取りまとめ、クリスもその記録を受領した。


クリスは目を見開いて読み進めた。


今回の事変は純粋な武力衝突である。以前から注目していた西の財務担当、シロタ二等兵に出番などないだろう。もしあったとすれば、すでに彼が戦死している時だ。そんな一抹の懸念を抱きながら開いた報告書に、クリスは息を呑んだ。

時計の針を数日前へと戻す。場所は西方北部国境警備隊。

砦は、帝国領から帰還した斥候の報告によって大混迷に陥っていた。五倍の敵軍が三日後に迫っているという事実。そして同時に、帝国軍から奇妙な降伏勧告が届いていたのだ。

その書簡には、一見すると戦況に関係のない、王国内の細かな住所がいくつも並んでいた。末尾には「降伏せずば、この住所の住民を帝国で丁重にお迎えする用意がある」とだけ。

人質だ。前線に立つ警備隊の司令官や指揮官級たちが王国内に残してきた家族の住所を、帝国は調べ上げていたのである。

この裏工作に、貴族出身の司令官は屈服した。西方北部国境警備隊の司令部は全員一致で降伏を受け入れ、中央への確認も取らぬまま降伏に応じる旨の返信を帝国軍へ送ってしまったのだ。


当然、降伏した司令部が王国に帰れば待っているのは反逆罪による刑罰である。自らの命を賭けて戦う気概など微塵もない司令官たちは、一般の兵卒たちを砦に置き去りにし、手引きの案内人と共に荷物をまとめて夜闇に紛れ、北へと逃亡してしまった。

残された国境警備隊は司令部不在の状態となった。戦うための司令部が消え去り、かといって家族を王国に残している一般兵は帝国へ投降することもできない。階級に関係なく誰もが絶望し、職務放棄をして逃亡する下級指揮官まで現れた。


そんな兵たちの醜態をただ一人、冷ややかな目で見つめていたのが財務担当のシロタ二等兵であった。


シロタは平素から同僚に毒を吐くこともなく、淡々と職務をこなしていた。その圧倒的な頭脳明晰さは兵たちの間でも知られており、この絶望的な状況下で、彼はすでに一目置かれる存在となっていたのである。

シロタは砦に残った何名かの少尉のうち、最も首席であろう少尉の元へ歩み寄った。他の貴族出身の将校たちが実家へ逃げ帰る中、職務放棄をして軍法会議にかけられても賄賂すら送れない貧乏貴族出身ゆえ、逃げたくても逃げることができなかった少尉である。

シロタは少尉を冷たく見据えて口を開いた。


「少尉、現在この砦の最高位は数名残った少尉殿たちです。司令部は降伏したとはいえ、まだこの砦には九百五十名を優に超える兵士と食料、装備品が残っています。最高位である少尉殿たちに、この砦の指揮を行っていただきたいのですが」

「わ、私たちがか?私はろくに戦闘経験もないただの少尉だぞ!それに私以外の少尉も似たようなものだ!」

「少尉、そんなに謙遜なさる必要はありませんよ。砦の誰もが口に出さないだけで、最初から知っていますから」


シロタの言葉には危険な毒が仕込まれており、少尉もあからさまに不快感を露わにした。


「シロタ二等兵、少し口が過ぎるのではないか!平時であれば軍法会議ものだぞ!」

「そうですね、では軍法会議でお願いいたします。帝国軍が押し寄せてこの部屋になだれ込んでくるまで、平和を信じて裁判ごっこでもやりますか?」

「そ、その言い方は上官に対して無礼であろう!」


何とか震える膝を押さえ、上官の威圧を言葉にしてみた少尉であったが、全くの無駄であった。直後に窓の外から聞こえてきた、兵士たちが装備を整える金属音に肩を跳ね上がらせたことすら、シロタの鋭い眼光に見抜かれていた。


「では、やはり軍法会議ですね。私はその裁判において現在の砦の状況を詳細に報告し、最高位である少尉が指揮を執る意思もなく、部下のわずかな言葉尻を捕まえて裁判ごっこに興じていたと証言いたしましょう」

「そ、そんなことはない!だがな、まともな戦闘経験もなく、部隊を率いたと言っても敵の襲撃もない平地で行軍した程度なのだ。とても戦闘の指揮を執れる自信などない!逆に聞くが、どうすればよいか進言してくれないか!」

「分かりました。では恐れながら申し上げます。今この瞬間、この砦のすべての指揮権を一時的に私にお譲りください」

「なんだと!?」

「もちろん、私が不当な行為に及んだと少尉が判断されたなら、その後に軍法会議にかけていただいて構いませんし、何なら後ろから矢を放って私を射殺していただいても構いません」

「ば、馬鹿を言うな!」

「馬鹿ではありません。刻限は迫っております。即刻砦の指揮系統を回復させ、迎撃体制を整えねばすべてが終わります。今すぐご決断を」


そのただならぬ威圧感と、周囲の平民兵たちの「シロタなら何とかしてくれる」という必死の視線に少尉は膝を屈しかけたが、最後のプライドを振り絞って食い下がった。


「な、なぜ指揮官が二等兵であるお前なのだ!他に一等兵もいれば上等兵もいるだろう!」

「それがお分かりにならないようでは少尉、あなたの今後は相当に暗いでしょうね。では帝国軍がこの部屋になだれ込むまで、誰に指揮権を譲るのか皆さんで話し合われますか?少尉」

「分かった」


少尉はついに完全に折れた。残された数名の少尉を集めて打ち合わせを済ませると、震える声で告げたのである。


「現在の砦における少尉全員の総意において命ずる。シロタ・カンタ二等兵、本日現時点以降、帝国軍の撤退までの期間、お前にこの砦の指揮権を移譲し、司令官としての職務を全うすることを命じる!私を含め、すべての西方国境警備隊員はシロタ二等兵を司令官と認め、その指揮に従うものとする!」


ここまで読み進めたクリスは、思わず口元を歪めた。


「シロタ二等兵、なんて奴だ。俺より遥かに怖いもの知らずじゃないか」


こうして、一介の二等兵に砦の全軍指揮権が委ねられるという、王国軍始まって以来の異例の事態がこの国境の地で勃発したのだった。その瞬間より、シロタの頭脳は猛烈な勢いで計算を開始した。だが外部にはそのような素振りを見せず、テキパキと指示を飛ばしていく。


「まずは倉庫だ。おい、お前たちは今すぐ走れ!備蓄されている乾草と、眠っているすべての火矢をかき集めるんだ。帝国軍を歓迎する準備をするぞ!」


臨時司令官となったシロタの策は、徹底して冷酷であった。

帝国軍が到達するまでの三日間、シロタは近隣の村々から男たちを徴用し、さらに教会に対して事情を説明して一時的に聖導騎士団を部隊へ組み入れた。もちろん渋る教会には脅しと更なる予算削減をちらつかせて屈服させたのはシロタらしい悪辣さであった。

村人に対しては「家族を帝国軍に凌辱されたくなければ、知恵と力を貸せ」と半ば脅迫に近い形で巻き込み、周辺に自生する特定の毒草を大量に集めさせたのだ。

その毒草は、燻すと強烈な毒煙を吐く。命に別状はないものの、吸い込めば手足が麻痺し、二時間ほど手足を動かせなくなる。シロタは三日後の天候、気圧、風向きを考え、幾つかの天候の状態ごとに帝国軍の侵攻ルートの変化とそれに対する最適な毒草の配置を考え、準備をさせた。

そして侵攻当日早朝。風向きと天候はシロタの予想とは異なり、いつ雨が降り始めるか分からないような天候だった。この作戦は雨が降ったら台無しである。天候は人間が左右できないためここは祈る気持ちであった。そしてシロタは伝令を使い至急、帝国軍の進行してくる街道に敷設した毒草に火をつけられるよう、万全の準備を行った。そして進軍してくる帝国軍。

遮蔽物の裏で一斉に毒草が燻され、白い煙が谷底を這うように帝国軍へと流れていく。その煙は無臭に近く、ただの川霧のように見えたため、帝国軍の先遣隊がただの霧と誤認したのも致命的であった。多くの将兵が煙を吸い込み、手足のしびれとともに動けなくなり、次々と地面に倒れた。

だが、毒煙だけで五千の大軍を潰すことはできない。煙に気づいた敵がどう動くか、シロタの頭脳にはいくつかの行動予測が組み上がっていた。

帝国軍の指揮官は勇猛であった。煙の出どころである低い地点へ向け、馬を駆って一気に駆け下り、風上を叩いて交戦することを選んだのだ。

だが、それこそがシロタの張った幾つかの予測のなかでの帝国軍にとっての最悪であった。


「火矢を放て!」


斜面を駆け下りる帝国軍に向け、草陰に伏せていた聖導騎士団から一斉に火矢が放たれた。

周囲は乾燥しきった秋草の草原である。一瞬にして猛烈な火炎と煙が広がり、敵の密集地帯を焼き尽くしていった。ただ運悪く雲の色が更に黒くなり、最近ずっと降っていなかった雨が急に降り始めた。その結果、火計はある程度成功したものの火計から逃れた帝国軍は一旦後退し、再編を始める余裕が生まれていた。

そして最初に煙を吸い込んで麻痺した敵兵の前には、地元の村人たちが現れた。彼らは動けなくなった敵から、次々と武器や防具、資金を剥ぎ取っていったのである。

しかし火計から逃れた帝国軍が再編を図るため後退すると、毒煙で倒れた帝国兵に群がる村人がいた。それを見て激怒した帝国兵は逃げ遅れた村人に襲いかかり、数十名の犠牲を出していた。村人の死を聞いたシロタは表情を変えなかった。ただ、次の命令からは略奪役にも護衛兵を付けた。

シロタは村人たちに一言「軽く傷をつけろ。だが絶対殺すな。殺せばお前たちを殺す」と厳命していた。慈悲ではない。死体よりも、生きたまま動けない大量の重傷者を抱え込ませる方が、敵軍の補給と撤退に途方もない負荷を与えられると知っていたからだ。その結果として多くの帝国兵が足に傷を負い、一人で歩くことが困難な兵が続出していた。

この初戦で敵軍の約五分の一が戦闘不能となったが、未だ兵力差は圧倒的であった。だが、シロタの本領はここからであった。

その日の夜、シロタは徴用した村人たちに帝国軍の野営地の周囲で一晩中、大音量で銅鑼を鳴らし、鬨の声を上げさせた。夜襲の偽装である。

帝国軍は王国軍の夜襲を警戒し、更に周辺で一晩中騒がれたために一睡もできず、かといって暗雲の立ち込める深夜、足元も見えない状態では攻め込むこともできない。朝を迎えれば村人たちは霧のように消え去っており、王国軍は本戦を仕掛けてこない。

帝国軍は村人がいないなら村を襲え、とばかりに近くの村落を襲撃した。しかしその村落には帝国軍の野営地から近かったため事前にシロタの命令によって村人全員が避難していた。そのため誰もおらず、防壁の門も開け放たれていた。

帝国軍は慎重にその村落を占拠した。そして多くの帝国兵が防壁の内側に入り、入りきれない帝国兵が防壁の外側で村を囲むように陣を組んだ。

帝国軍は周囲への警戒を続けながらではあるがようやく昨夜眠れなかった分の休息を取ることとした。多くの兵があらためて喉を潤し、糧食を口にした。そして食事が終わる頃に悲鳴が湧き上がった。


「ど、毒です。井戸水が毒で汚染されています!」


シロタは村落の井戸に腹を壊す効果のある毒草を投げ込ませていた。その結果、帝国軍の多くが腹を下し、所構わず軍服のズボンを下ろした。当然、周囲はものすごい臭いを放ち始めていた。


そこへシロタが率いる王国軍が姿を現し、村落の脇にある林の中から遠距離による矢を射掛けた。もちろん遠距離ゆえ外れた矢も多かったが、それでも多くの帝国兵がズボンを下ろしてしゃがんだまま、盾もなく、ろくな回避行動ができずに自ら排出した汚物に身をまみれさせることとなった。

こうして帝国軍は一つの村を陥落させたが手痛い損害を出した。しかしその村落を放棄せず、休養を取った上で更に他の村落も襲撃するようだったのだ。そのためシロタは事前に村民を別の村落へ避難させ、徹底的に抵抗することとした。

帝国軍は井戸水を沸かして使うこととした。そうなのだ、シロタが投げ込んだ毒草は煮沸することで毒の効果が消える。同じ手は二度と使えないのだ。そのため数に勝る帝国軍は余裕すら持っていたことだろう。

その夜、帝国軍は昨夜取れなかった睡眠を交代で取ることになった。

しかし、ゆっくり帝国軍を休ませるほど寛容なシロタではなかった。またもや暗闇から大音量の銅鑼が響き、大声が響き渡り、帝国軍はその音により全員まったく休むことができなかったのである。

二晩連続の睡眠妨害である。さすがに帝国軍も疲れる頃だろう。三日目も続けるようにシロタは指示したがさすがに止められた。


「臨時司令、さすがに村人も二日間の徹夜でもう動けません」

「なに?俺は三日間くらいの徹夜は平気だぞ」

「・・・・・それはシロタ様だからでしょう。村人には一晩だって無理です」

「そうなのか。それは知らなかった。では三日が駄目なら村民を二つに分けて二日ずつやってもらおうか」

「一日交代にすればいいと思います」

「そうか、ならそうしてくれ」

「ところで帝国軍の輜重部隊の方はどうだ?」

「はい。計画通り、裏街道の出口に山火事を引き起こす細工までは済んでいます。あとは輜重部隊が通過する直前に火を放つだけです」

「よし、そっちも引き続き頼む」

「は!」


ここまで読み進めたクリスは、再び思った。


「シロタは頭がキレ、計算も予測もできるが人心は分からないのかも知れない。面白い!」


だが、交代制へ切り替えた策が実行されることはなかった。帝国軍は寝不足が二日続いた三日目の朝、夜間の睡眠がなかなか取れなかったため中天までは軍を動かさず、ひたすら体力の回復に努めさせ、同時に諜報員を放って状況確認を急いだ。

重要なことは食料である。何故かここまで帝国本国から来るはずの輜重部隊が追いついていない。恐らく王国軍に襲撃され、撤退したのかもしれない。しかし撤退するならするで伝達が入るはずだ。このまま輜重部隊が追いつかなければ早晩にも食料が無くなり、王国の村落で調達するか、撤退するしか無くなる。

司令官はここまで三度に渡って伝令を出して輜重部隊の行動を確認させたが、誰も戻ってきてはいなかった。しかしこの村落で迎えた翌日、ようやく伝令の一人が戻り、輜重部隊の状況を伝えた。


帝国軍の輜重部隊は帝国軍侵攻部隊司令官の予想通り、シロタによって撃退されていた。シロタは帝国軍の輜重部隊発見に力を入れており、帝国軍襲撃の翌日、西方北部山岳地帯の人があまり使わない裏街道のひとつを静かに進軍する輜重部隊を発見した。

そして工作兵はシロタの指示通り、帝国軍の輜重部隊が山火事の細工を施した場所に差し掛かると、次々に火矢を放って山火事を引き起こした。

山火事を見た輜重部隊はそのまま進むことを断念。街道としての路面が整備されていない山道は荷車が通れず、更にこの瞬間を王国軍に襲われたら大変なことになるため、撤退を開始した。


帝国軍とすれば食料がなければ戦えない。陣取った村落の備蓄食料もほんの僅かだった。それはそうだろう、二十戸程度の住宅しか無い小さな村落である。

ここまでの戦闘状況を考えて撤退を決めた。毒煙、火計、夜襲偽装、腹下しの井戸。この後どんな罠があるともしれず、恐らく村人を動員したであろう夜襲偽装も続く。

帝国軍侵攻部隊司令官は様々な事を考慮した結果、この地に勝機なしと悟り、整然と撤退を開始した。


シロタはその引き際の鮮やかさを見て「敵軍にも、撤退時期を見誤らない優秀な指揮官がいるのだな」と、淡々と感心していたという。


報告書を読み終えたクリスは、確信に震えていた。

シロタ・カンタは貴族に対して凄まじい冷徹さを持ち、かつ数字だけでなく戦場をも支配できる異能の持ち主だと。

続いて、クリスは東方北部国境警備隊の報告書に目を移した。


東では、帝国軍が放った暗殺者によって司令部が突如襲撃されるという最悪の事態が発生していた。だが、そこではディック・シャドウ准尉が、タチバナの評した通り「極めて貴族然とした王者のごとき采配」で帝国軍に致命傷を与え、撤退に追い込んでいた。

しかし、クリスの目を釘付けにしたのは、ディックの元、右翼部隊を指揮して戦い抜いた名もしれぬ「黒人兵」の存在であった。


その戦いぶりの報告を過剰ではないかと考えたが、後日、砦で直接話を聞いてきた部下からの報告によると、報告書の戦いぶりはその黒人兵の戦功の半分しか記録されていないとのこと。誰に聞いても恐ろしいほどの戦果を挙げていたことが判明したのだ。

クリスはシロタと黒人兵には強い関心を示したが、ディックだけは手元へ引き入れる対象からこの時点では外していた。理由は、身元の知れなさである。


ディックからは、なぜか生粋の貴族を思わせる気配が漂っていた。だが、ディック・シャドウという貴族も、シャドウ家という家名も王国には存在しない。

クリスの勘違いなのか。それとも、ディックが偽名を使っているのか。

判断する材料がない以上、素性の知れぬ人物を懐へ入れるわけにはいかなかった。まずは様子を見る。それがクリスの下した結論であった。


そして情報部の権限を使い、クリスはついにその黒人兵の名を特定した。


「ロラン・ドラン・・・・・・」


これほどの異能たちが、ただの国境警備隊に埋もれている。暗い執務室で、クリスの中にひとつの不敵な閃きが生まれた。

この二人を、私の手元に集めたらどうなる?

力のロラン、知のシロタ。そこに私とタチバナが加われば、王国の行く末すら、この手で選べる。


クリスは自らの介入だと悟られぬよう、タチバナを裏で動かした。目的は軍の人事に介入し、クリスとシロタ、ロランの三人を同じ東方北部国境警備隊へ集めるためである。黒人兵の扱いに関する軍の不愉快さを考えれば自分が東方へ移動する方が遥かに容易だったからだ。

そして人事権を握る後方部隊人事部長の少佐を屈服させることなど、今のタチバナにとっては赤子の手をひねるより容易かった。


後方部隊人事部長は「周囲にも実家にも内緒の男色家」だったのだ。タチバナは人事部長の恋人の名前を書いた紙片をすれ違いざまに忍ばせた。その紙を見た人事部長は青ざめた顔でタチバナの後を追いかけたのだった。

こうして人事部長を意のままに操り、帝国軍を退けた翌年の春。軍から幾つかの人事異動が発表された。


東方北部国境警備隊の新たな財務官として西からシロタ・カンタ二等兵が、そして中央軍から情報参謀としてクリスティ・ギャロット中尉が最前線へと赴任することとなった。

そして、帝国軍を完膚なきまでに破った巨漢の黒人兵ロラン・ドラン二等兵は、引き続き東方国境警備隊の右翼部隊の一員として、その任を全うしていた。


「タチバナ、いよいよシロタとロランに会ってくるぞ」

「良かったですわね、クリス様」

「ああ、良い知らせを期待していてくれ。あとな、人事部長へお礼としていい男を紹介してやってくれ」

「わかりましたわ。クリス様」


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