1-11 退任
五倍の帝国軍を退けた興奮もまだ冷めきらぬ中だったがディック・シャドウを初めとした国境警備隊の各兵員は戦後処理に奮闘していた。しかしそれも一段落した頃、中央から新たな司令官と司令部要員が到着した。
ディックは准尉という立場で臨時司令官として権力を振るったことはその結果において不問とされたが、本来はありうべからざることであるため、昇格や一時金などはすべて見送られた。
そして臨時司令官としての任務を正式に終えたディックは、新たな司令官へ指揮権と残務を引き継ぎ、元の准尉としての日常に戻った。
しかし、ディックの心は以前のように平静ではなかった。王国軍は、今のままでは立ち行かなくなる。
腐敗した貴族将校。有能であっても昇格を阻まれる平民兵。読み書きさえ十分に教えられないまま、剣だけを持たされて前線へ送られる者たち。身分によって人材を選別する軍では、いつか必ず国を守れなくなる。
そして、遊撃部隊の壊滅は、紛れもなくディック自身の読み違いによるものだった。
王国軍の制度も、自分自身の能力も、今のままではまったく足りない。ディック一人が最前線で奮闘したところで、できることには限りがある。五倍の帝国軍を退けても、勝利を積み重ねるだけでは国も軍も変わらない。
才覚と経験だけでは足りない。このままでは、いつか全滅した遊撃部隊以上の犠牲を出す。ディックには、自分の知らない軍事、特に集団戦闘の指揮官としてのすべてを学び直す必要があった。
「ドギー、ドギーはいるか?」
「何でしょう、坊っちゃん」
「坊っちゃんはやめろと何度言えば分かる? それよりもだ、中央へ戻るぞ」
「そろそろかと思っておりました」
ドギーは静かに頷いた。
ディック・シャドウという平民兵の軍籍を残したまま、貴族子弟を対象とする王立軍幹部候補生養成学校へ入ることはできない。王立軍幹部候補生養成学校はそもそも貴族しか入学が許可されていないのであった。そのためディックは一度平民兵としての軍籍を離れ、本名のディック・ブライトンとして貴族将校の道へ入り直す必要があった。
ディックは強く決意していた。己が軍の中心となり、綱紀を粛正し、徹底した訓練を施して精強な軍隊を作り上げねば、無念にも村落を自らの手で焼く愚行が繰り返される。そしてその結果、王国は徐々に国を守る力を失っていき、最終的には滅びる、と。
一旦決まれば、その後の動きは素早かった。ディックは急ぎ軍を辞するための書面を整えて中央へ送り、同時に身の回りを速やかに整理した。
同時に残留となる一等兵のテインに言った。
「テイン殿、大変申し訳ないが貴殿に燃やした村落の再建を託したい」
「ディック殿はお貴族様でしょう?」
「な、なぜそう思う?」
「いえ、何となくです。燃やした村落の再建についてはお引き受けしました。私の力が及ぶ限り、尽力します。私の力が不足したときは・・・連絡しますのでお貴族様の力でお助けください」
「任せろ!」
思わず貴族であることを否定し忘れたディックに対して間髪入れずにドギーが突っ込んできた。
「ぼ、坊っちゃん!」
「あ!」
そうしてテインに託したディックはその後、中央から新しく派遣されてきた司令官に対し静かに敬礼を捧げて告げた。
「新司令官殿、私の除隊届は中央で受理されております。そのため小官は本日をもって除隊し、王都へ戻ることとなりました。ここに残る将兵たちをどうかよろしくお願いいたします 」
短く事実だけを述べたディックは完璧な敬礼を終えると、執務室をあとにしたのである。
東方国境警備隊を出発し、王都へと戻るその日。警備隊の陣営では涙の別れが待っていた。
「ディック様、どうかお元気で!」
「あなた様のおかげで命が助かりました!」
「准尉殿、俺の子供が大きくなったら、あなたの話を聞かせます!」
「また、この国境へ戻ってきてください!」
「俺たちは、あなたに教わったことを忘れません!」
そしてディックを見送る人垣の外では、あの黒人兵が何も言わず、胸に拳を当てていた。ディックもまた、無言で同じ礼を返した。
国境を離れた瞬間から、「ディック・シャドウ」という兵士は存在しなくなった。だが、その名で共に戦った者たちの声も、その名で積み重ねた戦いも消えるわけではない。ディックは胸の内にその名を残したまま、本来のディック・ブライトンへ戻った。
王都の実家へと戻り、近衛兵団長である実父への挨拶をした。
「ディック、国境で随分と勝手をしたそうだな」
「必要なことをしたまでです」
「幹部候補生養成学校ではブライトン家の名を汚すな」
「心得ております、父上」
ディック・ブライトンは改めて書類を整え、王立軍幹部候補生養成学校の門を叩いた。
ちょうど翌月に新学期を控え、新規入学生を募集する時期であり、彼は速やかに入学願書を提出したのだった。
通常は厳しい入学試験が行われるのだが、男爵家以上の家門であれば無条件に入学が許可される決まりとなっていた。なお、準男爵家の子弟については別途試験が行われていたが、ディックは伯爵家出身のため試験を免除された。ディックとしては己の実力で試験を受けたい思いもあったが、貴族子弟が試験を受けることは、家門の資格を自ら疑う行為と見なされていた。ディックは実力で門をくぐることを望んだが、父と学校側の双方から退けられた。
もしディックが平民の名であるシャドウとして入学を希望するなら、どれほどの戦功を立てていてもこの幹部候補生養成学校には入れない。だがディック・ブライトンという貴族として入学を願えば、試験すら必要ないのだ。
そして翌月から三年間の学生生活を送ることとなったのである。
「坊っちゃん、私は学校にお供できませんので泣かんでくださいな」
「あ、当たり前だろドギー!あとな坊っちゃんはそろそろ本当にやめてくれないか」
「わかりましたよ、坊っちゃん!」
王立軍幹部候補生養成学校は全寮制であり、在学中の従者同伴は固く禁じられていた。そのためドギーも三年間だけはディックと離れなければならなかった。
ディックが目指すのは、ただ敵を多く殺す将軍ではない。戦争そのものを短く終わらせ、味方の兵を一人でも多く生きて帰す将軍である。そして王国防衛のための軍を引き締め直し、今後千年生き続ける軍組織を作る。そのために軍略を学び、兵站を学び、人を率いる術を学ぶ。王国軍幹部候補生養成学校の門の向こうには、三年間の新たな戦いが待っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第1章では、主要キャラクターであるディックの物語を描きました。
次章はもう一人の主要キャラクターの活躍を描きます。どうぞご期待ください。
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引き続き『ヒュービック大陸興亡記』をよろしくお願いいたします。




