第6話 混沌☆バスタイム
やがて夜の帷が降りて、辺りが濃紺の宵闇に包まれる頃、私は浴室で入浴の準備をしていた。
浴槽にお湯を張り、入浴剤を入れる。今夜はお疲れの魔王様の為に炭酸がシュワシュワするちょっといい入浴剤を使おう。実家の入浴剤ストックから1回分にパッケージングされた物を選び、浴槽にポチャンと投げ入れる。
「さて…」
浴槽に蓋をして、浴室を後にする。リビングに戻ると、ベルさんはまるとおもちゃで遊んでいた。
「フハハハ!中々良い動きをする…ならばコレはどうだ?!まるよ、お前に我を止められるか?!」
ノリノリで猫じゃらしを振る姿はなんだか楽しそうだ。しかしこの人、語彙はちゃんと魔王なんだよな…疲れてるけど。
「ベルさ〜ん、お風呂入りましょ〜?」
私がそう声をかけると、彼は猫じゃらしを振る手を止めて振り返った。急に動きが止まった猫じゃらしに、まるがお尻を振って狙いを定めている。
「…風呂か」
飛びかかるまるをヒラリと躱し、ベルさんは面倒くさそうに呟いた。
「…いや、遠慮する」
「風呂キャンセル界隈の方ですかぁ?良くないですよ?魔王様ともあろう方が」
「む…、別に風呂に入らずとも魔法で…」
そう言ってベルさんはパチンと指を鳴らした。
…が、何も起きない。彼は思い出したようにハッとする。
「使えないじゃん」
「ぐぬぬ…」
私はベルさんの側へしゃがみ、彼の目をじっと見て言った。
「ベルさん、お風呂はバカに出来ない効果があるんですよ?体の疲れが取れるし、清潔は大事です。それに、何より気持ちいいですから。寝つきも違うと思いますよ?」
「む…しかし…」
「まぁまぁ、試しに入ってみましょ?魔王様だって、いい匂いがしたほうがかっこいいですよ?」
ね!と半ば強引に彼の腕を引っ張る。ベルさんはまだなんとなく嫌そうだった。…ならば仕方あるまい…奥の手を使うか。
「お風呂上がりには、冷たいアイスが待ってるのにな~、◯ーゲン◯ッツ抹茶味にあんこを添えてきな粉と黒蜜もかけちゃうやつなのになぁ〜?」
「浴室はどこだ」
ベルさんはスン…とした顔で立ち上がった。どうやら奥の手は効果抜群だった様子。…フフフ、さよなら私のハー◯ンダッ◯抹茶味…
ベルさんを浴室に呼び、簡単にシャワーや石鹸類の説明をした。取り敢えず、今教えたものが分かれば頭と体は洗えよう。後は、不慮の事故が起きない事を祈るしかない。さすがに妙齢の(?)男女が一緒に浴室に入るのは…ねぇ?
「…じゃあ、ベルさん脱いだ服は取り敢えずここに置いて、下着はコレ使ってね。お父さんのだけど新品だから」
私は両親のクローゼットから拝借した父親のトランクス(新品)をバスタオルの上にのせ、脱衣所の中でキョロキョロしているベルさんを振り返った。
「じゃあ、なんかあったら呼んで下さいね!1時間経っても出てこなかったら様子見に来ますから!覗きじゃないですから!」
「む…わかった…」
「は~い、ごゆっくり〜」
そう言って、脱衣所の扉を閉めた。
リビングからまるがトコトコやってきて私の足に頭突きする。
「はぁ…やれやれ、ちょっとお茶でも淹れるか。さ、まるもこっちおいで」
「なぁーん」
「まるはベルさん好きなんだね、ベルさんはお風呂入ってるから、上がるまで私と一緒に待ってようね?」
そう言ってまるの額を撫でる。すると、理解したのか、しぶしぶリビングの方に歩いていった。まるは賢い猫ちゃんだ。
マグカップにカモミールのティーバッグをいれお湯を注ぎ、蓋をして3〜5分蒸らす。そこから更に人肌程度まで冷ましたものに蜂蜜をティースプーン1杯加える。
入浴前のリラックスブレンドだ。使う蜂蜜は、お気に入りの藤の花の蜂蜜。薬膳的に、精神安定作用や胃腸の保護、入浴によって失われる肌や粘膜の水分の保護が期待できる。
蜂蜜を加え良く混ぜて、フワリと立ちのぼる香りをゆっくりと吸い込む。蜂蜜とカモミールの花の香りがホッコリと気分を緩めてくれる気がした。口に含むと、ほんのり甘くて美味しい。
「はぁ~…、うまぁ…」
リビングの座椅子に持たれて、もう一口と口に含んだ、直後。
ガラリ!と勢いよく開け放たれるリビングの引き戸。反射的にその方向に視線を動かすと、そこには全裸でお湯と全身泡まみれのベルさんが仁王立ちしていた。
「イチエ!これは…これは一体どうなっている?!」
「?!!」
ぶっは!!と口に含んだカモミールティーを吹き出し盛大にむせる私に、泡と自身の長髪で前が見えてないのか、ベルさんはその姿のまま畳に足を踏み入れようとする。
「どうした?!くっ…おのれ、前が見えぬ…!」
「ゲホッゴホ…、お…おわぁあああ?!あああそのまま来ちゃダメぇ!!」
「なに?!」
かろうじて泡で奇跡的に隠れていた大事な部分が、ベルさんが動く事で泡が少しずつズリ落ちている。このままでは危ない。色んな意味で。
「ぎゃあああ!み…見えちゃうからー!とにかく、早くお風呂場に戻れーーー!!!」
私はなりふり構わず渾身の力で叫んだ。
田舎って隣家との間隔が広いから、ちょっと大声出しても平気なのが良いよね☆(白目)
なんとかベルさんを浴室に連れ戻し、腰にタオルを纏わせた私は、ふぅーと安堵の溜め息をもらした。あ~…焦った、びっくりした…。
そんな中、私に背を向けた状態で浴室の椅子に座らせられたベルさんが苦しそうに呻いた。
「イチエ…この泡が垂れてきて目に染みるのだが…!これはどうすれば…くっ…」
「あ~、ハイハイ。いま流してあげるから、手で擦ったり目を開けたりしないで下さいね?」
「すまない…」
そう言うとベルさんは、目をギュッと瞑って緊張した様に体を強張らせた。なんか、かわいい。
「…じゃあ、流していきますよ〜?お湯の温度は大丈夫ですか?熱くない?」
「あぁ、大丈夫だ」
シャワーの温度を確認してもらい、手で顔の方にお湯がいかないように押さえながら、頭頂部からお湯をかけていく。次に、お湯で濡らしたタオルを軽く絞って彼に手渡す。
「はい、ベルさんこのタオルで顔の方拭いて下さいな」
「あぁ」
彼に顔の方を任せ、私は更にベルさんの長い黒髪の洗浄を続ける。コシのある真っ直ぐで美しい黒髪だから、本人のコンディションが良ければもっとツヤツヤに輝く筈だ。スペシャルケア用のヘアパックが手元にないのが悔やまれる。
「ベルさん、トリートメントもつけときますね?」
「む?…なんだか分からないが、お前に任せる」
「ハイハイ」
手にトリートメントを出し、毛先を中心に丁寧に髪全体に纏わせていく。が、いかんせんロングロングヘアーなせいで、使う量が私の3倍は必要だった。
トリートメントの塗布が終わったら次は頭皮のマッサージだ。
「ちょっとマッサージしますよ〜」
私はベルさんの髪の中に指を滑り込ませ、耳の上辺りでグッと力を込める。思っていた以上にベルさんの頭皮は硬い。かなり凝り固まっている。
トリートメントが浸透する間に出来る、5分位の頭皮のマッサージは血流を促すのに有効だ。美髪にも繋がるし、フェイスラインのリフトアップや眼精疲労、肩こり解消も期待できる。
まずは、側頭部から。耳の上辺りに手のひらを密着させ、円を描くように上に引き上げる。
「んっ?!なっ…、なんだ?!」
「ちょっと力入れるんで、少し我慢ですよ〜」
それを5〜6回繰り返し、フッと手を離す。
「…ほら、ちょっと頭スッキリしません?」
私が尋ねると、ベルさんは不思議そうに頷いた。
「確かに…ジンとする感覚はあるが、不思議と頭が軽い…?」
「でしょ?こういう感じのマッサージを、もう少しさせて下さいね?眼精疲労とか肩こりに効くやつなんで!」
そう言うと、ベルさんは穏やかに目を閉じて頷いた。
「あぁ、頼む」
次は、両手で頭をつつみ込み親指が、首の後ろのくぼみに来るように手を置く。頭を後ろにゆっくり倒しながら、親指で斜め上にジワーッと5秒押して、フッと緩める。これを数回繰り返す。押す強さは、強過ぎず弱過ぎす…心地良いと感じる程度にすること。
ここは、『天柱・風池』というツボで、首や肩周りの血流に関わる。何度か押して緩めるを繰り返していると、ベルさんの肩から徐々に力が抜けていくのを感じた。
「ベルさん、痛くない?」
「あぁ…問題ない…」
だいぶ声がうっとりしてきたぞ…しめしめ…
次は、額の生え際に五指の腹を押し当てて、ジグザグに動かしながら引き上げる。これを1分間続けているとカチコチだったベルさんの頭皮が少しだけ軟らかくなってきた気がする。
焦ってやりすぎると、頭痛になったりするから無理にやり過ぎない事も大事だ。私はベルさんの頭から手を離して、シャワーを手に取る。
「さーて、流しますよ〜」
「ハッ…!なんだ…もう終わりか…」
私の声にベルさんはハッとして姿勢を直しながら、名残惜しそうに呟いた。どうやらご満足頂けたみたいだ。
私はやり遂げた達成感に、上がる口角を隠しきれずにいた。
第7話は10月17日、8時20分に更新します




