第12話 満ちる時、最後の夜
静かに更ける夜。誰もが寝静まる深い時間に、一人縁側に立つ人影がある。長い黒髪が夜風に揺れる。
異世界『ルフェルディア』の魔王、ベルンシュタイン・セレネ・ルフェルシュリリィは灰色のスウェットともこもこレッグウォーマーを身に着け、月を見上げている。
「…もうそろそろ、か…」
彼は自身の手指を何度か握っては伸ばし、握っては伸ばしと繰り返し、何かを確認している様だった。
座敷に敷かれた客用の布団には、飼い猫のまるが香箱座りの姿勢で眠っていて、ふすま1枚を隔てた隣のリビングからはイチエの規則正しい寝息が聞こえ、この家で起きているのは彼一人きりだとわかる。
晩秋の夜は虫の声も落ち着き、サワサワと夜風に葉を落とし始めた木々が揺れる音が聴こえる。この世界の夜は静かだ。
彼はスウェットのポケットから何かを取り出し、月の光に照らす様に掌を広げる。そこには彼のコートから外された楕円型の石が付いたブローチがあった。ツルリとした質感の紫色の石はなぜかひび割れている。
それを月の光に当て、指先で数回撫でた。すると、ひび割れた石がぼんやりと内側に光を宿す。
「…アインホルン」
彼は低く呼びかけた。やや間を置いて石が…いや、石から何者かの声が応えた。
『……魔王様!』
「あぁ、我だ」
魔王はフッと涼やかに微笑む。
『オイオイあんた、こんな時間までどこほっつき歩いてるんですか?!2日も行方をくらませて!!『フッ…あぁ、我だ』じゃないですよ!何なんですかあの女!!今どこにいるんです?!』
しかし、怒号のような勢いでまくし立てられ、今までの『ミステリアス』がどこかに吹き飛んでいった。
魔王は眉間にしわを寄せ、はぁ~とため息をついた。コイツはいつもこうだ。口煩いし声もデカい。ツッコミ時は特に。まぁ、もっとデカい声のもいるが。
「…帰りたくとも帰れなかったのだ…!もう良いだろう」
『良くはねぇよ?!この2日間、本当に大変だったんですからね?!あんたが居なかったから書類仕事が止まってるんですよぉ!』
「はぁ…わかった、わかったからもう少し声を落とせ。家の者が起きてしまう」
魔王はげんなりした表情で、ブローチを覆う様に片手で蓋をした。魔王とて、気持ちよく眠っている人間を起こしてしまうのは偲びない。しかし、猫のまるはその騒がしさに気がついてしまったようで、魔王の足元にトテトテとやって来た。
「うなぁ〜…」
「あぁ、すまないまるよ、我が部下の声で起きてしまったか?」
「んん~ぅ」
魔王はまるの額を撫で、縁側に腰を降ろした。まるもその膝の上にノシノシと上がり座り込む。
『んっ?!いま何か変な鳴き声が…』
「うるさい、お前には関係ない」
『うっ?!……御意に。それで、いつ頃お戻りになられますか?』
魔王にピシャリと拒否られ、アインホルンは大人しく引き下がった。
「…今日中に戻る。座標を特定し、ゲートを開く手筈を整えておけ」
魔王は月を見上げて石に告げた。
『承知致しました』
石はそれだけ伝えると光を失って、ただの物言わぬ飾りに戻った。魔王はそれを再びポケットに戻す。
彼は膝の上のまるを暫く撫でてから、そっと抱き上げて自身の膝から下ろした。そして縁側のガラス戸を閉め、静かにリビングへと向かった。
座敷とリビングを隔てるふすまを開けると、この家の主であるイチエが炬燵に足を入れ横になって眠っていた。寝苦しいのか眉間にしわを寄せている。
「…そう言えば、普段は別の所に住んでいる、と言っていたな。我がお前の寝床を奪ってしまったか…すまなかった」
魔王は彼女の傍にしゃがむと、困ったように笑った。そして、そっと彼女の膝裏と背中に腕を差し込みゆっくりと抱き上げる。
「…う、」
抱き上げる際の振動でうっすらと意識を浮上させたのか、ぼんやりと目を開けたイチエは彼の顔を見ると安心したように微笑んで、その胸に自ら体を預けた。
魔王はその様子を暫く見つめた後、フフッと微笑み、彼女を横抱きにしたまま座敷にある自分の寝床へと戻っていった。その後ろをまるがトコトコとついて行く。
…なぁ〜ん…んあ〜ん…
(…ん?まる…?)
意識の片隅で猫の鳴き声がする。あぁ、朝ご飯の催促かな、と察するが体が覚醒する事を拒否している。温かくて気持ちよくて、まだ寝ていたい。この甘やかな微睡みから抜け出したくない。
(…ごめんね、まる…あと、ちょっとだけ…)
私はほんの少し浮上しかけた意識を、自ら再び深く沈めた。
すぅ…と息を吸い込むと、なぜかいい匂いがした。そして、耳元で自分以外の誰かの息づかいも。
(……ん?)
違和感にパチリ、と瞼が上がる。その瞬間、私の目に飛び込んでくる整った顔面と、艶めかしい首筋…。そして、私の腰に回された力強い腕。
状況を理解するのに暫く時間がかかる。きっと今、私の上には『Now Loading』の文字が浮かんでいるだろう。
「え…えっと……ベル…さん?」
暫くボケっと見つめていると、至近距離にある整った顔面の瞼がゆっくりと上がり、琥珀色の瞳が私を捉えた。その薄い唇が、甘く掠れた低い声で囁く。
「…イチエ…、おはよう」
「ヒュッ」
私は瞬間湯沸かし器の様に顔を沸騰させて、声にならない叫びを上げた。
「なっ?!なななな、なんでぇ?!え?あれ?炬燵で寝た筈なのに!」
私はガバリと起きあがり、布団から転がり出た。ボサボサ頭のベルさんもゆっくりと起き上がる。
「我がここに運んだのだ…まだ起きるのには早いだろう、ほらこっちへ来い」
寝起きで説明するのも面倒くさいのか、ベルさんは私の腕を掴んで捕まえると、子供を抱き上げる様に私の両脇に手を入れてヒョイと持ち上げた。
「うひゃ?!」
ぽすん!と布団に戻される。戻された時の衝撃で敷布団にひっくり返った私の上に、のし…と重い物が覆い被さった。
はた、と見上げると、まるで私を組み敷く様にベルさんが覆い被さっている。
「もう少し…ここにいろ。よいな?」
そして、蕩けるような美声が至近距離から囁く。ベルさんの琥珀色の瞳が仄暗い部屋で光っているように見えた。
「ひえ…」
有無を言わせぬ迫力と、暴力的なまでの色香に打ちのめされた私は、最早目を閉じて首を縦に振る事に徹する他なかった。
「フッ…、それでよい」
ベルさんは満足気に微笑むと、そのまま私のすぐ横に身体を沈めた。いつの間にか抱きしめるように拘束され、身動きが取れなくなる。やがて、耳元でスゥスゥと寝息が聞こえ出した。
(ね…寝たーーー!!うおおお、ここから一体どうすれば…)
ダメだ。びくともしないどころか、動く度にベルさんに近付いていく…!
(オワタ…)
温かな布団とベルさんの体温に絆され、いつの間にか私もウトウトしてきてしまった。寝てはいけないと思いつつも、意識が遠くなっていき、遂には私も瞼を閉じていた。
第13話は10月24日、8時20分に更新します




