第5話「11月20日」
11月20日。
予定通りに大学の授業が終わったあと、ちはると二人で食事をすることになった。
「今日、このあと時間あるかな?」
ちはるが聞いてくる。
「一応、あるけど....」
というのも空けておくべきものであり、過去では空いてあった日なのだ。
ちはるがにやっと笑い、早速ご飯を食べることになった。
「どこに行こうか?」
大学を出てから、ちはるが尋ねてくる。
「どこでもいいよ」
「それ、一番困るやつじゃん」
「じゃあ、ちはるさんの好きなところで」
「私も特に決めてないんだけどな」
二人で表参道を歩きながら、いくつかの店を見て回った。
大学生の頃の僕なら、女性と二人で食事をするだけでもかなり緊張していたと思う。
けれど今は、少し違う。
目の前にいるのは、僕が何年も一緒に暮らした妻だからだ。
もちろん、今のちはるとはほとんど話したことがない。
それでも、笑ったときの表情や、外の看板メニューを眺めながら悩む姿をまじまじと見ていると、どうしても懐かしさが込み上げてくる。
「新山くんって、なんか変だよね」
「何が?」
「私のこと、時々すごく見てるじゃん」
「……そう?」
ちはるに凝視していたことをばれたかと思い、焦り、平然を装う。
「そうだよ」
ちはるがまたにやっと笑う。
「ごめん。ちょっと考え事してた」
「私のこと?」
「……」
「やっぱり変なの」
「そうかな....」
「うん。でも、嫌じゃないけどね」
そう言って、ちはるは前を向いた。
僕は少しだけ安心した。
「じゃあ、ここにしようか」
ちはるが指差した店に入る。
店内は大学生らしい人たちで賑わっていた。
席に座り、料理を注文する。
しばらくすると、ちはるが僕に尋ねてきた。
「新山くんって、彼女いるの?」
「え?」
「だから、新山くんって、彼女いないの?」
「うん」
「なんか意外だね」
「なんで?」
「彼女いそうだからさ」
「それ、よく言われる」
「じゃあ、モテるんだ」
「全然」
「嘘つき」
ちはるがゲラゲラと笑う。
僕もつられて笑ってしまった。
こんな会話をしていると、少しずつ昔の記憶が戻ってくる。
確か、僕たちが付き合う前も、最初は何気ない話をして、こんな感じだった。
気がつけば、毎日のように連絡を取り合うようになり、それが当たり前になって。
いつの間にか、お付き合いする関係に。
「ちはるさんは?」
「私?」
「彼氏」
「いないよ」
「そうなんだ」
「何、その反応」
「いや、いると思ってた」
「いないよ」
ちはるは少し笑ってから、グラスの水を飲んだ。
「……去年まではいたけどね」
「去年?」
「うん」
一瞬、空気が変わった気がした。
僕は昨日聞いた話を思い出す。
ちはるには、過去に付き合っていた男性がいる。
しかし、周囲は何かを知っているらしく、ましては先輩は僕に忠告までしてきた。
「そうなんだ。」
僕はどうしても尋ねることができない。
「優しい人だったの」
「....どうして別れることになったの?」
「……」
ちはるはすぐには答えなかった。
「色々あってね」
「そっか」
僕は、それ以上は聞かなかった。
いや、聞きたくない気持ちもあった。
すると、ちはるが少し驚いたような顔をした。
「聞かないの?」
「え?」
「普通、もう少し聞くでしょ」
「話したくないなら、無理に聞く必要はないかなって」
「……新山くんって、本当にそういうところだよね」
「悪い意味?」
「ううん」
ちはるは少し笑った。
その言葉を聞いて、僕も笑った。
料理が運ばれてきて、話題は自然と別のものへ移った。
大学の話。
就職活動の話。
好きな映画の話。
海介の話。
他愛のない話ばかりだった。
それでも、僕にとっては久しぶりに心地よい時間だった。
病院では、いつもちはるの体調ばかり気にしていた。
今日は何を食べたか。
ちゃんと眠れたか。
薬は飲んだか。
そんなことばかりを確認していた。
それなのに今は、そうした心配をしなくていい。
目の前のちはるは健康で、よく食べ、よく笑っている。
僕はその姿を見ているだけで嬉しかった。
食事を終え、店を出る。
外は少し寒くなっていた。
「寒いね」
「うん」
ちはるが腕をさする。
「大丈夫?」
「大丈夫」
そう言いながら、ちはるは僕の隣を歩いている。
しばらくすると、ちはるが突然立ち止まった。
「新山くん」
「ん?」
「今日、楽しかった」
「僕も」
「またご飯行こうよ」
「うん」
その瞬間、僕は思い出した。
11月20日。
ちはると昔、初めて2人で食事をした日のことを。
そのあと、僕たちは何度も2人で食事をするようになった。
そして、11月25日にはドライブに行く。
ここまでは、僕の記憶通りだった。
「じゃあ、また連絡するね」
「うん」
ちはるが手を振る。
僕も手を振り返した。




