7.できる範囲で
———それから数日後
その日アデラインは朝から外出していたものの、予定は一つだけだった。
夕方には屋敷へ戻り、夕食もいつも通りに済ませている。
自室に戻ったアデラインは長椅子に横になったが、本は読んでいた。
エマはその様子を見ると
(今日は、そこまでではなさそうね)
先日のように、返事をするのも面倒そうなほどではない。
だが
「アデライン様、湯浴みをいたしますよ」
「嫌よ」
やはり、それは嫌らしい。
「今日は外出されましたよね?」
「ええ」
「たくさん歩かれましたよね?」
「ええ」
「汗もかかれたのでは?」
「かいたでしょうね」
「では」
「嫌よ」
アデラインは本から目も上げない。
エマは少し考えた。
「では、今日は足だけにしましょう」
ページをめくる手が止まった。
「……足だけ?」
「はい」
「何の意味があるの?」
「少なくとも、足は綺麗になります」
「他は?」
「しょうがないですね」
「……」
アデラインが本から顔を上げた。
「湯浴みは?」
「いたしません」
「本当に?」
「はい」
「……そう」
アデラインはしばらく考えていたが、やがて本を閉じた。
「足だけなら」
「承知しました」
エマはすぐに湯を用意した。
長椅子に座ったまま、アデラインの足を温かな湯につける。
「熱くありませんか?」
「大丈夫よ」
「そうですか」
「……」
「……」
「……あたたかいわね」
「はい」
アデラインの肩から、少しだけ力が抜けた。
エマは湯の温度を確かめると、用意していた蒸しタオルを手に取った。
「失礼します」
「何?」
アデラインが顔を上げる。
その顔を、蒸しタオルで包んだ。
「……」
「熱くありませんか?」
「……大丈夫」
額から頬へ、ゆっくりと拭いていく。
「……」
アデラインが目を閉じた。
首元も軽く拭く。
「……はーっ」
思わず漏れたような声に、エマは少し笑った。
「気持ちいいですか?」
「……悪くないわ」
「そうですか」
温かな布を顔に当てたまま、アデラインはすっかり力を抜いている。
エマはその隙に、髪へ手を伸ばした。
一つ、二つ…髪飾りを外していく。
髪をほどき、軽く梳かす。
「……」
「……」
アデラインが目を開けた。
「……エマ」
「はい」
「今、何をしたの?」
「取れちゃいましたね」
「……」
「髪飾りが」
「勝手に?」
「不思議ですね」
「……」
アデラインはエマを見た。
エマも、何食わぬ顔でアデラインを見た。
「足だけって言ったわよね?」
「はい」
「髪飾りも取れてるわ」
「取れちゃいましたからね」
「髪も梳かしたでしょう」
「せっかくでしたからね」
「……ずるくない?」
「何がですか?」
「……」
アデラインはしばらくエマを見ていたが、やがて諦めたように目を閉じた。
「もういいわ」
「ありがとうございます」
「許してないわよ」
「そうですか」
足湯を終えると、エマはアデラインの足を丁寧に拭き、温めた香油を馴染ませた。
「では、今日はこれで」
アデラインが目を開けた。
「…いいの?」
「はい」
「湯浴みは?」
「あら、お望みですか?」
「…いらないわ」
本当に、そこで終わった。
アデラインは部屋着に着替えることもなく、そのまま寝台へ向かった。
足は綺麗になった。
顔もさっぱりした。
髪飾りも外れている。
髪も少しだけ整っている。
だが、それだけだ。
湯浴みはしていない。
着替えてもいない。
全部できていない。
だけど、寝台に横になったアデラインは、スッキリした足を動かした。
「……悪くないわね」
「何がですか?」
「別に」
「そうですか」
「それでは、お休みなさいませ」
エマは灯りを落とした。
———数日後
その日も、アデラインは朝から外出していた。
帰宅したのは夜だった。
自室に戻るなり、いつものように寝台へ倒れ込む。
エマは少し離れたところで、脱ぎ散らかされた服を拾っていた。
小さな音がした。
エマが振り返る。
アデラインは寝台に横になったまま、髪に手を伸ばしていた。
そして、一つだけ髪飾りを外すとそれを寝台の脇へ置く。
エマは何も言わずに見ていた。
アデラインはもう一度、髪に手を伸ばした。
二つ目の髪飾りに触れる。
だが、その手が止まった。
「……全部は無理」
「大丈夫ですよ」
エマはアデラインのそばへ行った。
「怪我だけしないように、こちらは外しておきましょうね」
一つ。
もう一つ。
残っていた髪飾りを手早く外していく。
アデラインは何も言わなかった。
ただ、されるがままになっていた。
「はい。これで大丈夫です」
「……そう」
そして用意していた蒸しタオルで軽く顔と足だけ拭いた。
「おやすみなさいませ」
「ええ」
エマは髪飾りを片づけた。
アデラインは寝台に顔を伏せる。
少しして。
「……エマ」
「はい」
「一つは、自分で外したわ」
エマは振り返った。
「ふふ…ええ。存じております」
「そう」
それだけ言って、アデラインは目を閉じた。




