修学旅行⑥
鼻血も綺麗に止まって、さっきまで血を流していたとは思えないほど綺麗な鼻になった頃、あゆちゃんに手を引かれてすみちゃんが戻ってきた。
「七木さん、大丈夫?」
すみちゃんの額や頬、首筋に触れて、体調が悪くなってないか確認しながら声をかける。
目がぱっちり合うと、すみちゃんは目に涙を溜めて、顔を胸に埋める。
「ごめ──ごめんね、藍川さん」
「もう止まったから大丈夫だよ。ねえ七木さん、少し二人で話さない?」
白葉ちゃんが気を利かせてあゆちゃんと小夏を連れて沙雪さん達の部屋に行ってくれたので、私達は腰を据えて話し始める。
「ねえ、すみちゃん。今日のことあまり責めないでね。すみちゃんのせいだけじゃないから。私が変なこと口走っただけだから」
「でも私、いぶに怪我をさせて……」
「私も今日すみちゃんにぶつかって転ばせた。すみちゃんが今日のこと責め続けるなら、私も責め続けないといけなくなる。それって、お互い疲れるでしょ」
すみちゃんは鼻を啜って、何も言わずに黙りこくる。
「あとねすみちゃん、隣で寝られなくてごめんね。すみちゃんを選べなくてごめんね」
「いぶならああ言うって分かってたから。だって、いぶは優しいもんね」
これは許容の言葉じゃない。むしろ遠回りの責めだ。なんか最近、すみちゃんのこういう棘、分かるようになった気がする。
「……うん。そうだね。誇れる優しさじゃない。私の憧れに沿った、私のエゴの優しさ。この優しさのせいで、私は今後もすみちゃんに辛い思いをさせると思う」
すみちゃんはぎゅっとシーツを握って、足も軽くクロスさせる。
「ねえ、すみちゃん、あゆちゃん達に私達のこと言わない? そしたら今ある悩みは全部解決すると思うんだ。すみちゃんも辛い思いしなくて済むと思う。すみちゃん自己主張苦手でしょ。私も誰かを優先するって苦手なの。だから今のままだと私達ずっと窮屈なままだよ。言ったらお互い楽になれるよ。だからすみちゃん、言おう」
今の状況の解決なんて簡単なこと。ただ、皆に付き合っていることを言えばいい。そしたら別に私がすみちゃんを優先しようと、自ら隣を選ぼうと誰もなにも言わない。
すみちゃんだってもっと気持ちを伝えやすくなる。
だからお願い、いいよって言って。
──私を楽にして。
「──だ」
「え?」
「嫌だ」
目の前が真っ白になった。まるで希望が打ち砕かれたかのよう。聞き間違いと思いたいのに、反芻する声がそれを否定する。
それでも私は、笑顔を浮かべる。そうしないと、顔に出そうだったから。
「ど、どうして? 別にあゆちゃん達なら私達が付き合っててもなんとも思わないよ。そりゃあゆちゃんは多少ショック受けちゃうだろうけど、すぐに立ち直ってくれるよ。それとも私が注目されるから嫌なの? でもほら、私沙雪さんとの噂の件で結構知られちゃったからもうそんな気にする事じゃないと思うけど。それに、全体に公言するわけじゃないから。ただあゆちゃん達に言うだけだから。そしたら今日みたいに怪我させるみたいな事だって無くなるでしょ。お互いの為にも言おうよ」
どうにかいいよと言ってほしくて、とにかく思いつくことを捲し立てる。それでもすみちゃんから返ってくる言葉は同じだった。
「嫌だ」
手の力が抜けて、ゆっくりと下がっていく。
「じゃあ、せめて幼馴染──ううん、中学が同じこと言おう。それだけでも私は動きやすくなるから」
「嫌だ」
「じゃあ──」
「とにかく嫌なの! いぶとの関係、どれもバレたくない……。お願いだから、そんなこと言わないで。ただいぶが上手く私の事優先してくれれば良いの。いぶならできるでしょ。小学生の頃みたいに、私の手を取ってくれればいいだけだから。私はそれだけで満足だから」
「──そっか、ごめんね」
すみちゃんが不安定な時に話したのが失敗だった。
そもそもすみちゃんが隠したがる理由をちゃんと理解するのも怠った。最初に提案じゃなく、それとなく聞き出すのが必要だったのに。
すみちゃんを上手く考えられなかった私が悪い。
「別にいぶは悪くないよ。でも、とにかくごめん。今の私にそれはできないの」
「うん……」
「私も頑張るから。だからいぶも昔みたいにしてほしい」
うんとは言えなかった。小学生の頃の私は失敗だったから。積極的に関わって、関わった子達同士で喧嘩して、でも私の前では取り繕って。
もう二度と人の気持ちを抑え込ませるなんてしたくない。
でも、それだとすみちゃんに我慢させるようになって……。
結局、今の私も昔の私も失敗している。
「すみちゃん、おいで」
膝を叩いて、座ってきたすみちゃんを抱きしめる。
皆といる時失敗しか取れないなら、二人きりの時くらい正解でありたい。
じゃないと私が耐えられなくなる。
ぎゅっと抱きしめて、包み込むように身体を丸めれば丸めるほど、すみちゃんの表情は和らいでいく。
きっとすみちゃんは、私に近ければ近いほど安心してくれる。だから逆に、近づけないのが不安になる。
正直、私にその感覚は理解できない。
私はたとえ離れていても、思ってくれるだけで安心できるから。だから、触れるよりも言葉をかけてほしい。そうしている方が私も安心できる。
「すみちゃん」
「どうしたの、いぶ」
側にいなくてもちゃんと好きだよ。
そう声をかけたかった。でもきっと、すみちゃんの心には響かない。
すみちゃんの求めていることは分かっている。だからこそ、その言葉を掛けてはいけないことが分かる。
「修学旅行終わったらデートしようね。お出かけでも、お泊まりでも、とにかく一緒に過ごそうね」
すみちゃんは私の肩に頭を乗せて、小さく笑った。
「うん。楽しみにしてる」
可愛いと思える。顔を覆いたくなる。すみちゃんの胸に顔を押し付ける。視界が暗くなる。早い心音を感じる。私も心臓が早くなっているのに気付く。
──誰か助けて。
◇◆◇◆◇
小夏達も戻ってきて、消灯時間もあるので皆各々のベッドに腰掛けた。寝る寝ないにしろ、起きてることが先生にバレたら注意される。
「じゃあ電気消すよ〜。小夏テレビ消して」
「え、いや、付けたまま寝てもいいんじゃないか? 電気も別に消さなくていいだろ」
「やだよ。寝落ちしてたとしてもテレビとかついてたら先生怒るじゃん。わたし後から注意されるの嫌だもん」
「じゃあテレビ消すから、せめて電気つけといてくれ」
「それもやだ。先生に起きてるって思われるかもじゃん。それにわたし明るいと寝れないもん。いいから電気消すよ」
小夏は納得いかない表情を浮かべ、そこに不安も滲んでいた。
「小夏暗いの怖い?」
「いや、その……そういうわけじゃないんだけどな……」
「じゃあ消してもいいじゃん」
小夏は気まずそうに下を向いて、ずっと指を弄っている。
「完全に消さないでちょっとだけつけとくだけならいいんじゃないかな? あゆちゃんもそれなら平気?」
「まあ、依吹ちゃんがそれでいいならいいよ」
「白葉ちゃんと七木さんもそれでいい?」
「あたしは別に明るくてもいいから」
「私も大丈夫」
「じゃあそうしよう。小夏、それで大丈夫?」
小夏はワンテンポ遅れて顔を上げ、ぎこちない笑みを見せる。
「平気だ。ありがとな」
電気を暗くして、布団に入って話していると、いつの間にかうとうとして、皆少しずつ寝に入り、私もいつの間にか眠っていた。
夢に驚き、夜中に目が覚める。
皆を起こさないようにそっとベッドから降りると、小夏が起き上がってきた。
「ごめん、起こしちゃったか?」
小夏は小声でぱっちりと開いた目を向けてそう聞いてきた。
「ううん。たまたま起きただけ。小夏眠れないの?」
小夏は何も言わずに布団に潜っていく。
トイレを済ませて戻ってきても、小夏は何度も寝返りを打って落ち着かない様子だった。
「小夏」
声をかけてこちらを向いた小夏に、私の横を叩いてみせる。
「おいで」
小夏は何も言わず、枕だけ持って私のベッドに入り、頭を私の身体に触れさせる。
「おやすみ、小夏」
小夏の頭に腕を回すと、すぐに寝息を立てる。
少し体勢を整えようと動くと、小夏は私の服を強く掴む。
「ママ……いかないで」
そう小さく、弱々しく零し、目頭にほんのり涙を浮かべていた。
その涙を拭うとまた、力が抜けたように、穏やかな寝顔になる。




