修学旅行④
ちょっと遅かったか、浴場に入るとシャワーは全部誰かしらに使われていた。
小夏は髪を洗っていた白葉ちゃんを見つけると、転ばない程度の早歩きで側に駆け寄っていく。
「なーなー白葉っち、今使ってないならシャワー借りていいか?」
「いいよ」
小夏は膝立ちになって、白葉ちゃんの横でシャワーを使い始めた。
そんな小夏を見てなるほどと思って、私も今別のことをしていてシャワーが空いている人を探す。
何人か候補はいたけど、せっかくだしで、すみちゃんの側にいった。
「七木さん、シャワー一緒に使ってもいいかな?」
すみちゃんは顔を洗う手を止めて、泡でいっぱいの顔で、ほんの少しだけ目を開けてこちらを見てきた。
「え、あ、その、い、いいけど……」
「ありがとう」
シャワーを共有するということは、すぐ側にいるということ。
たびたび肌同士が接触して、その度にお互い変な緊張感を漂わせながら、全身を洗っていく。
先に終わったのはすみちゃんで、何も言わずに胸を隠すように立ち上がって、まっすぐに温泉に向かった。
私も片付けて髪を縛り、後を追うようにすみちゃんと同じお風呂に入る。
「依吹っちも来たな!」
「小夏早いね」
「髪短いからな!」
小夏は楽しそうに話していたのに、視線が下の方に移った瞬間、声も表情も一気に静かになった。
「おっぱいって、浮くんだな」
確実に声は響いていたのに、訪れたのは静だった。まるで、感情が音を持って出てきたかのように、その言葉自体に意味は与えられていなかった。
「小夏?」
「分かってはいたんだ。いつもふよふよした感触はあったし、水着も見たからな。でもな、何かの隔たりがあって実感するのと、なんの隔たりもなく実感するのは違うんだ」
「こ、小夏?」
「何かに覆われている時、そこに真の大きさなんて存在しないんだ。だからこその希望があったんだ」
どうしよう、小夏がなんか哲学みたいなことを言い始めている⁉︎
とりあえずその原因を手で隠してみたけれど、それでも小夏は変わらなかった。
むしろ小夏も胸に手を当てて余計にガッカリした様子を見せている。
「でもな、本来の姿を見て思うんだ。世の中は理不尽だなと。浮かないおっぱいもあるように、浮くおっぱいも存在するんだ。浮く権利すら持てないおっぱいはなんて惨めなんだろうな」
「こなっちゃんどうしたの?」
「いやなんか、おっぱいがどうたらこうたら言ってきて」
白葉ちゃんはチラッと私の胸を見ると自分の胸と見比べる。
「肩凝りそうだね」
「え、あ、まあそれなりに」
「あたしは凝りないよ」
瞬時に白葉ちゃんも小夏側に行ってしまったことを察する。でも、小夏からすれば白葉ちゃんもある種敵になるんだろうなと思った。
「なあ依吹っち」
「な、何?」
「持ってみてもいいか?」
「……え?」
「一度でいいからおっぱいの重さ感じてみたいんだ」
「いや、いやいやいやいや」
「このままじゃあたしはおっぱいを知らずに死んでしまう」
「いやいやいや、自前の可愛いのがあるでしょ」
「これは胸であっておっぱいではない」
小夏は一歩距離を詰めて、手で隠されている胸に視線を注ぐ。
「白葉ちゃん助けて!」
「なんかさ、エロとかそういうのじゃなくて、単純な好奇心でデカいおっぱいって触りたくなるよね」
その気持ちには激しく同意するけどそれはそれとしてこの状況で、ただでさえあまり修学旅行一緒に行動できていないすみちゃんの目に入る可能性のある場所ではいどうぞは流石に……。また不安定になられても困るし。あと素肌もちょっと……。生々しいし……。
「ご自身のもので勘弁してください」
「ちょっとだけダメ?」
「ダメです」
口元を白葉ちゃんの耳元に近づけて、囁く。
「彼女いる前でそんなことしないよ」
「いなければいいの?」
「え、いや、そういう単純な話では……」
そう言うと、白葉ちゃんは興味から面白がる方針に転換したのか、少し距離を取って、笑みを見せる。
「ちょっとだけ。先っちょだけでいいから」
「先っちょ一番ダメですけど⁉︎」
「何考えてるの。エッチ」
「確信犯でしょ!」
白葉ちゃんと言い合っていると、お湯が大きく揺れ、私の背中に若干の張りつきを感じる。
「本当にダメなのか?」
「流石に今回は勘弁してください」
「ダメか〜」
「ダメだよー」
小夏は少し残念そうにして、私の肩から手を離す。
「こなっちゃん、おいで」
白葉ちゃんが小夏を寄せ付けた間に、念の為私は避難して、すみちゃんの横に座って肩に触れる。
流石に小夏も皆の前でハメは外さないだろうから。
でもそれはそれとして、予防線を張っとく。
「ごめん七木さん。ちょっと壁になって」
「え? え?」
すみちゃんの後ろに無理やり入り込んで、足の間にすみちゃんが座るような体制になる。
「ど、どうしたの?」
「白葉ちゃんと小夏に胸持たせてほしいって言われちゃって。ちょっと避難させてもらってます」
「なるほどね〜。たしかに純蓮は立派な壁──」
すみちゃんは思いっきり掬った水をあゆちゃんの顔に掛けて黙らせる。
「純蓮酷い〜」
「何のこと? すごい濡れてるね。潜ったりしたの?」
悪戯に笑うすみちゃんに、あゆちゃんは少し膨れ面をする。
「とぼけるなんて酷い!」
あゆちゃんは口に入ったお湯をペッペッと吐き出している。
それほど思い切り掛けたから、他にも被害者はいたようで、今すみちゃんと私の目の前に睨んでいる沙雪さんがいる。
「私にも掛かったわよ」
「ごめんごめん」
「気分最悪だわ」
「ごめんって。次からは気をつけるよ」
「当たり前よ。そもそも依吹が純蓮を壁とか言うのが悪いのよ」
「ええ……私?」
「そうよ」
沙雪さんは横に座ると、手を伸ばして、下から一瞬私の胸を持ち上げた。
すみちゃんの腰に手を回して、水の中だったのもあって、動くのが遅かった。
「な⁉︎ 沙雪さん⁉︎」
「何やってるの沙雪⁉︎」
「沙雪ずるい! わたしもどうせなら触りたいのに!」
三人からの抗議があるというのに、沙雪さんは何とも思っていないのか、ケロッとしている。むしろ呆れる始末だ。それはこっちの表情のものだと言いたい。
「こんなくだらない物のために私はお湯を掛けられたのね」
「酷い! くだらなくないよ!」
「なんで触られるの嫌なのよ。別に何か問題があるわけでもないのに」
「私の尊厳の問題があるよ!」
「あなたに尊厳なんてあったのね」
「あるよ! 沙雪さんは私を何だと思っているの⁉︎」
「そう聞かれると困るわね」
「ずるい答え方」
「なら元カノとだけ言っておくわ」
「そういう関係性を聞いているわけではないんだけど。沙雪さんは胸触られても何とも思わないわけ?」
「私はそういう行為に価値を感じないもの。けれど、もし私の胸に価値を見出すのなら、タダで差し出す気はないわ。吊り上げられるだけ吊り上げる。私は安い女じゃないのだから」
「私のには価値がないって言い方みたいですけど」
「少なくとも私は価値を感じなかったわ」
なんて酷くて都合の良い言葉なんだろうか。
「ならもう勝手に触らないでよ」
「ええ分かったわ。勝手には触らないわ」
なんか言い方ミスった気がするけど、まあ沙雪さんの場合はこれで本当にしなくなるからいいや。
「藍川さん言い方優しすぎるよ! もっとちゃんと言わないと! 沙雪! 嫌がっていることはやらない! 言わない! ちょっと離れなよ! 藍川さん警戒してるでしょ!」
「そうだそうだ! 沙雪はずるい!」
あゆちゃんの後押しを受けながら、すみちゃんは沙雪さんの身体を押し返しているけど、その動きで私の胸にすみちゃんの腕がふよふよ当たる。
まあすみちゃんは彼女だし、特に何も言わなくていいかな。
「私に触られたら文句を言うくせに、純蓮に触られるのは問題ないのに」
「え? あ、うん。だってかの──」
思考停止しすぎてうっかり言いそうになってしまった。そして、すみちゃんもそれを感じたのか、手ではなく頭で私の口を塞ごうとした。
反射的にいち早く口を手で塞ごうと下に傾いた顔と後ろに反ったすみちゃんの頭がぶつかった。
ポタっと、雫が落ちた。赤い赤い雫が落ちて、透明な湯の中に消えていく。
口元を触れると、ねちゃっとした、湿っぽい感触が指に付いた。──鼻血だ。




