四十幕 中央からのお手紙
朝議にて、皇甫嵩から要請された烏丸三千の援兵が審議され、却下され、代案として涼州現地にいる羌族の徴兵命令が決定された翌日。
中平二年(西暦一八五年)四月九日。
太中大夫・厳允は勅書を携えて、洛陽の城門を潜った。
太中大夫。
九卿のひとつである光禄勲に所属する高級官僚を指す。
本来の職能は朝廷において政策の進言などを管轄とする役職だ。しかし、太中大夫は大臣ほど重要な人物というわけでもなく、下級官僚でもない微妙な立場であり、皇帝が、勅を預ける勅使として選出するのに都合のいい身分だった。
厳允、字は子寛。齢四十五の男は、緩やかな足取りで洛陽城の内門に止められていた馬車に乗り込んだ。
馬車である。
勅とは、皇帝の命令だ。
あらゆる法の外側に位置しており、どのような物事よりも優先しなければならない。勅を軽んじる場合はそのまま皇帝を軽んじることになり、そのようなことをすれば不敬と断じられて処断されるのが通例だ。
そのような、何物にも代えがたい重さを、勅は持っている。
だからこそ、勅を運ぶ勅使も、相応の行動が求められる。
単騎駆けなどもっての外。軍勢を率いたとしても、勅使が騎乗するなど論外であり、勅使自身の移動はもっぱら馬車を使う。
後漢代では馬車は高価な乗り物だ。ただでさえ高価な乗り物に、勅使を乗せるということでさらに装飾が施される。当然、賊に狙われやすくなるので、護衛の兵も多く引き連れ、勅使自体にも敬意を払って護送される。
そのようにして、威容を保ちながら、勅は現地に運ばれるのだ。
しかし。
しかし、馬車である。
馬一頭が人間一人を運ぶのではなく、馬二頭で、大きな乗り物に乗った人間を運ぶのが馬車だ。さらに、後漢代では道の舗装はされておらず、馬車の車輪は木製で、外周を鉄で補強したものであり、頑丈さは上がっているがそれでも酷使をすれば脱輪の危険性は高くなる。
二馬力には過ぎた大きさの乗り物。乗り物自体に配慮が必要な代物。
これらの理由により、馬車の無理のない運用速度は、徒歩よりも僅かに速い程度のものである。
具体的には。
人間の足の速さが時速十里(4㎞/h)だとするならば、馬車は時速十二里半(5㎞/h)といったところだ。伝令が騎乗して単騎で走った場合、途中の亭(官吏用の国営宿屋。後漢代では十里(4㎞)ごとに建っており、変え馬の準備もされていた)で乗り換えが必要になるが、時速七十五里(30㎞/h)で移動ができたとされている。
洛陽から皇甫嵩が駐屯している長安まで約九百五十里(約380㎞)。休まず移動しても七十六時間もの時間がかかる。
人も、動物も、休まなければ潰れてしまう。
それを避けるために適宜休憩をとるとなると、一日に移動に使えるのは九時間程度。
これは、民間でも、軍隊でも、勅使でも変わらない不文律だ。
昼夜兼行で行軍する董卓の部隊のような、普段から移動に慣れている実戦経験豊富な部隊が異常なだけだ。
当たり前の常識として、厳允は七日間をかけて長安に辿り着いた。
これでも急いだ方だった。
本来ならば八日と少しかかる日程を七日で走破した。
迅速な移動に、護衛部隊を指揮していた部隊長も誇らしげだった。
しかし、その快挙は、現場指揮官である皇甫嵩には伝わらなかった。
四月十六日。
皇甫嵩のもとに勅使が来たとの報告が上がった。
皇甫嵩は長安に駐屯している。
前線である右扶風郡西部に董卓を送り込み、皇甫嵩自身は長安のある京兆郡や左馮翊郡、そして、右扶風郡の北部を調べていた。敵が右扶風郡西部に攻め込んできているのはわかっていたが、別動隊が動いているかもしれないからだ。
そうして、斥候がもたらす情報を地図に書き込みながら、皇甫嵩はだらしなくゴロゴロと寝転がっていた。
というのも。
(どうも、上洛軍とかいう奴らは軍を分けての侵攻はしてないみたいだな。こうなってくると、俺も前線に向かった方がいいかもしれんが、どうだろうな。董殿に任せている以上、辺に出張ると逆に指揮系統が混乱するかもしれんしなぁ)
そう考えていたところに、勅使の来城が知らされたのだった。
とにもかくにも、皇甫嵩は勅使に会うことにした。
「皇帝より勅使を賜りました。太中大夫の厳子寛と申します」
生真面目そうな男が皇甫嵩に拝礼する。
皇甫嵩の友人である朱儁と同じ匂いのする男だ。そして、朱儁とは違って皇甫嵩と親しくない。朱儁のような真面目な性質の人間が、皇甫嵩のような型破りな人間と馬が合わないのは皇甫嵩もよく理解している。
なるべくきちんとして接しなければ。
皇甫嵩は自分を律しながら拱手で応えた。
「厳殿。洛陽よりの遠路、お疲れでしょうが、早速勅書の内容を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」
皇甫嵩の言葉に、厳允は皇甫嵩に見えるように書簡の封を外した。
「『皇甫義真より要請のあった烏丸兵三千の援兵について朝議にて協議した結果、烏丸はただいま内紛によって兵を出す余力無く、次善策として隴西郡の太守・李相如に伝令を送り、点在する羌族を徴兵して援軍として指揮を執る様に』とのことでございます」
厳允は勅書を読み上げると、皇甫嵩に勅書を差し出した。
しかし、皇甫嵩はその勅書を受け取ることができず、口をあんぐりと開けて勅書を見つめるだけだ。
しばらくその姿勢で勅書を差し出していた厳允だったが、いつまでも皇甫嵩が受け取らないので、訝しげに顔を上げた。
「皇甫殿? どうなされました?」
「いや、厳殿。烏丸兵三千が却下されたのはわかった。だが、代わりに羌族を使えとは? 洛陽より追加で援軍をもらうことはできないのだろうか」
「………昨年の黄巾の乱において漢は大軍を動員しております。皇甫殿たちを西に派遣したことで軍費が少なくなっているのです。更に今年は南宮火災もありました。二月に徴税を行ったばかり。更に徴兵を行うのが難しくなっております」
「マジかぁ」
皇甫嵩は天を仰ぐ。
いち武官である皇甫嵩は国の財政状況にまで意識が回っていなかった。これが辺境の防衛線であれば、辺境の州に分配されている軍費で賄うことができる。辺境では異民族に攻め込まれれば滅びるのは自分たちだ。だからこそ、民も必死になって金を絞り出すし、徴兵にも参加する。
しかし、今回の戦は、辺境のいち地域が対応するには敵の勢力が巨大すぎた。
故に、国に援軍を頼んだのだが、最初の時点で国軍が動いている。地方軍が対応できず、国軍が援軍に駆けつけている構図だ。さらに増援を要請するのは無理があった。
その構造に、皇甫嵩は初めて気づき舌打ちをする。
援軍に追加の増援をよこせというのは無理があるのだ。そこに加えて折悪く洛陽で火災があった。その復興にも費用や人手が必要。
要するにダブルブッキングだ。
しかも、南宮火災の対処は既に始まっている。そこに、国土が侵されているからと言って、宮殿の復興を取りやめてでも、汧城戦線に注力してほしいといっても、国家というのはそこまで柔軟な対応を取ることはできない。
というか普通に、皇帝の居住区画が焼け落ちたままなのはまずい。
着陣してみれば敵は三倍強。数で劣るなら質で勝ろうと烏丸に援軍を頼むことを提案したら現地の羌族を使えと言われる。
つまり、無理な状況に対して無理筋の要望を洛陽に投げたら、さらに無理筋な提案で返されたというのがこの返答の実情だ。
(だにしても羌族かぁ)
皇甫嵩は重いため息をついて厳允に向き直る。
「あー、よくわかった。しかし、厳殿。羌族を使うことはできない。難しいだろうと思う」
皇甫嵩の言葉に厳允の目が鋭くなる。
「詳しく伺っても?」
「まずひとつ。隴西に伝令を送るには上洛軍が展開している汧城を通る必要がある。当然、戦地に漢の伝令が走っていれば上洛軍もただでは通さないだろう。かといって汧城を迂回するには、険しい山々を超えていかなければならない。当然危険も多い」
「なるほど。しかし、戦時の伝令というのは決死の役目であることもままあります」
「ああ。確かにそれはそうだ。俺もこれだけだったら勅書に異を唱えるつもりはない。だが、もう一つ難点がある。上洛軍は既に涼州のいくつかの地域を手に入れているはずだ。でなければ、汧城が上洛軍を足止めしている間に、涼州の軍が上洛軍の背後を突いている。その事実がない以上、涼州は上洛軍の手中に落ちているか、全てでなくても一部は上洛軍の動きに賛同している可能性が高い。さらに、上洛軍には湟中義従胡の部隊もある。涼州内の羌族が上洛軍についているかもしれない。つまり、隴西の羌族は敵かもしれないんだ。敵に援軍を頼んでいい返事をもらったとして、信用に値するとは思えない」
皇甫嵩の強い言葉に、厳允も皇甫嵩の目をじっと見つめながら、皇甫嵩の言葉を咀嚼する。そして頷いた。
「なるほど。皇甫殿のお言葉、理がありますね」
「ああ。だから、せっかくで悪いんだが」
「しかし」
皇甫嵩の言葉を遮って厳允が続ける。
「これは勅でございます。洛陽におわす百官が論議し、そして決めた物事を、車騎将軍とはいえ、あなたの独断で反故にすることは難しいのではないでしょうか。そも、あなたのお言葉には確証はございません。まずは隴西太守である李相如殿に伝令を送り、援兵の是非を問うことから始めるべきと愚考いたします。勅に逆らうというのは陛下に逆らうのと同義です。中央の官吏たちもいい顔をしないでしょう」
皇甫嵩は厳允が自分に助言をしてくれていると察する。
政治的な動きが苦手な皇甫嵩にとってありがたい言葉だ。
「ちなみに、今の俺の意見を先に陛下たちに知らせてくれることって」
「私は勅使であるので、あなたの上表を陛下にお伝えすることはできません。それにどちらにせよ、李相如殿に送った伝令が帰らなければ事態を動かすことはできないでしょう。その際にまとめて伝えるべきだと考えます」
厳允が頭を下げながらそう言う。
皇甫嵩に、否定の言葉を発することは、できなかった。
勅使が帰った後、皇甫嵩のもとに京兆尹(京兆郡の太守の呼び名)である司馬防が顔を出した。
「いやはや。皇甫様はどうにも、政治慣れしている人を絆す魅力をお持ちのようですな」
「どゆことですか?」
「太中大夫殿から随分と助言を受けていたではないですか」
「聞いてたんですかい」
皇甫嵩が半眼になって司馬防に突っ込むと、司馬防はふふふと朗らかに笑う。
「私は聞いていませんよ。しかし、この城は私の任地でもあります。当然、耳はそこかしこに」
そう言って指さす方を見るが、皇甫嵩には何も見えない。
「こっわ。洛陽で出仕してる友人も似たようなこと言ってたなそういえば。そん時は噂話ばかりしてる中枢なんてヤダ、って思ったけど」
「そういったところから物事は始まりますからね。しかし本来は自身の立ち回りに関わってくるので政治的な助言はあまり人に行いません。けれど、皇甫様にはなぜか助言したくなるのですよね。人徳、というものですかねぇ」
「いやそれ、子供が手習いに必死な時に助言するのと同じですよ。俺があまりにも政治向きじゃないから口出さずにいられなくなるんでしょ」
「そこも含めて人徳です。それに、時の運も持っているようだ」
「?」
「右扶風郡太守の遣いの者が来ています。報告があるとか」
「なーるーほーどー?」
皇甫嵩はその人物をどう使うか、頭を回し始めた。
右扶風郡太守・鮑鴻、字を伯和。
彼はまだ若いながらも太学を卒業し、太守となった期待の新星だ。
齢二十八と若年だが、太守としての任を卒なくこなしていた。
しかし、それは事務職としての太守である。事務を疎漏無くこなすだけで十全に職務を遂行しているといえるほど、太守は単純な役職ではない。事務以外にも大きな役割が、太守にはある。そちらに関しては、鮑鴻はまだまだ経験不足であった。
太守のもうひとつの役割。
それが、地方武官としての顔である。
任地となった郡の内部で県が対応しきれない大規模な賊団や反乱軍が興った際にそれを鎮圧するための軍権を太守は持っている。
しかし、劉宏が皇帝に即位してから、太守が対応しなければならないほどの事件は片手で数えられるほど。それらも、漢国内の数十の郡に分散して起きており、右扶風郡では太守が動かなければならない事態など数十年起きていなかった。
そこに起きたのが、今回の上洛軍来襲だ。
鮑鴻は自身の武官としての経験が浅いことを自覚しており、汧城が上洛軍に包囲された時、ひとつの決断を下した。
汧城への援軍拒否である。
籠城している汧城にとって、他の県からの援軍が勝利の種だった。
しかし、鮑鴻は考えた。
遠からず、洛陽より討伐軍が編成される。
その時に右扶風郡内の保有戦力を減らしてしまっては討伐軍に協力することができなくなってしまう。
戦力の逐次投入は下策。ただでさえ、上洛軍は大軍だ。右扶風郡の動員兵力一万六千を上洛軍にぶつけても汧城の包囲は揺るがず、ただただ兵を損ねるだけだと考えた。それよりも、討伐軍に二万の兵が合流する方が上洛軍に対抗する手段が増える。そんな判断から下した結論だった。
経験の浅い自分が指揮を執っても上洛軍には勝てない。
国が選んだ将軍に右扶風の兵権を預ける方がよほど勝ちの目が見える。
それはある一面では正しかったかもしれない。
しかし、その決断のせいで、汧城は小城ながら独力で十万もの上洛軍に当たらざるを得なくなった。
派遣されてきた前線指揮官である董卓は、鮑鴻の動きを咎めた。咎めたというか殴り飛ばした。
いざいざという時に援軍を送ってもらえないのならば、県城は抵抗を諦めてすぐに降伏するだろう。汧城が未だ保っているのが奇跡だった。
上官たるもの、所属する官吏の信を失うような行動を取るべきではない。勝てないまでも、布陣をして上洛軍に圧を与えることはできたはずだ。上洛軍が攻めかかってくれば被害が出ないように引き、上洛軍が汧城包囲に戻ればまた攻め寄せて城攻めに集中させない。そういった運用が求められる場面だった。
しかし、鮑鴻は、経験が浅い故に、そこに思い至れなかった。
今は、右扶風郡内の動員可能兵力を集めて、董卓の援軍に向かおうとしている。
その前に。
董卓の上官である皇甫嵩にも話を通しておくべき。
そう思った鮑鴻は皇甫嵩に伝令を飛ばしたというわけだ。
「右扶風郡太守より皇甫将軍に伝書を預かっております。ご確認ください」
右扶風よりやってきた伝令はそう言ってうやうやしく書簡を皇甫嵩に差し出した。
皇甫嵩が封を切って書簡を広げる。
まずは印綬。太守印が押されている。
次に署名。鮑伯和の名前が記されていた。
それを確認して間違いなく鮑鴻からの伝書だと確信し、皇甫嵩は本文に目を通し始めた。
右扶風郡太守としての本来の動き。
そして、実際に鮑鴻が選択した動き。
その結果、董卓より申し渡された内容。
全て過不足なく、その書簡に記されている。
皇甫嵩はため息を吐いた。
経験の浅い将校は、時に思いもよらぬ行動を取る。道理にも、軍令にも合わない行動を、自分が正しいと、間違っているとは露とも思わずに、選択してしまうことは、ままあることだった。
皇甫嵩は頭の中で計算する。
董卓が連れて行った兵が一万五千。右扶風郡内の動員できる兵が一万六千。
しめて三万と少し。
対する上洛軍は十万。汧城は北と東が崖に近く大軍が展開できないようなので、上洛軍が汧城に使う兵力は、二万から三万といったところ。討伐軍に対して同数の三万を当てたとしても上洛軍にはまだ四万もの兵が予備兵として存在することになる。
国が国庫を傾ける覚悟で討伐軍を派遣し、現地でも出し惜しみせずに兵を繰り出しても、上洛軍の余力を僅かに削る程度にしかならない。
(これはいよいよ考え方を変えるべきだな。勝利条件の再設定が必要だ………)
皇甫嵩は渋面を作りながらそう考える。
上洛軍を討伐することが前提の軍だった。
しかし、蓋を開けてみれば、勝つどころか、押し留めるので手一杯だ。
(しかし、丁寧な戦をする奴らだ。乾坤一擲、遮二無二の反乱じゃぁない。数年がかりで三輔に足がかりを作ろうとしている。そんな動き方だな。汧城を無視しないあたりが、余計にそんな感じだ。そんな奴らが、汧城戦線で膠着になったらどういう判断をするか。涼州が無事では済まない。だろうけど、俺たちにできることは多くない)
皇甫嵩は深く息を吸って、吐いた。
黄巾の乱の時と同じだ。
できることを、順番にやっていくしかない。
まずは、伝令に尋ねることから始めるしか、ないのだ。
「伝令殿」
「は」
「太守殿は右扶風の地理には当然詳しいな?」
「それは、はい。恐らく」
伝令は皇甫嵩の問いが何を意味しているのかわからない。
わからないながらに答えれば、皇甫嵩は伝令が目を剥くような命令を発した。
「では、右扶風郡太守、鮑伯和に命ずる。汧・隴の道を通らずに、山中を強行踏破し、隴西郡太守、李相如に書簡を届けてほしい。現地の地勢に詳しい太守殿にしか頼めない命だ。右扶風郡内の兵力を董仲穎に預けた後、健脚の者五十名を選別して鮑伯和直々に指揮し、山中行軍を成し遂げてほしい」
皇甫嵩の命令書を受け取った伝令は、何度も命令書と皇甫嵩の顔を見比べ、しばしの内に、拱手して拝命の意を示したのであった。
太中大夫の厳允が登場です。
ちょくちょく顔を出してきますが、重要キャラというわけではないのですが、チラチラ出てくるモブキャラですね。
とはいえ、このシーズンの後に出てくるかはわかりませんが、でも、せっかくですし、この年の間は出てきてもらいましょうか。




