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三十九幕 西からのお手紙



 洛(らく)陽(よう)。

 司(し)州(しゅう)河(か)南(なん)郡(ぐん)に所属する漢(かん)の首都が洛陽だ。

 悲劇も喜劇も、英雄譚も道化話も、戦争も政争も。

 様々な物語が日々この都市を舞台にして展開されていく。

 そんな、業の深い帝都。

 それが洛陽だ。



 そんな洛陽の城内を歩いているひとりの男がいる。

 彼の表情はしかめられており、肩も落ちている。よほど、これから向かう場所が嫌なのだろう。それか、向かう場所にいる相手が嫌なのかもしれない。

 足取り重く、しかしはたから見るとそうは見えないように意識しながら男は目的地に向かった。洛陽に巣食う怪物たちは、僅かな所作から人の弱点や欠点を見抜き、それを武器にして政争を戦うのだ。

 意識していても落ちてしまう肩としかめられる顔はご愛嬌ということで自分を納得させつつ、男は目的地に着いた。

 大(だい)将(しょう)軍(ぐん)府(ふ)。

 漢(かん)の武官最高位・大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の在籍している区画だ。大将軍に雇用された属(ぞっ)官(かん)たちもここで働いている。

 男は周囲を見渡す。

 確か、大将軍府の出入り口では、大将軍の側近である王(おう)匡(きょう)が目を光らせているはずだ。余計な問題を起こさないように、先んじて王匡に声をかけたい。

 そう思った男の思惑は、


 「やあやあ見つけたぞ。北の果ての大盗賊。臥(が)顎(がく)屋(や)殿」


 そんな、大将軍府の奥からもたらされる声に打ち崩された。

 男―――臥顎屋頭領として龍(りゅう)騎(き)団(だん)に所属している郭(かく)は今度こそ、誰の目にもわかるように肩を落とした。

 「君が呼び出したんじゃないか。それなのに、あまりな言い草じゃないかい」

 「なーに、のこのこ呼び出しに応じて、逮捕されに来たんだから正しかろうが」

 そう言うと、郭の前に出てきた男は、郭に手を差し出した。

 郭がその手を取ると、大将軍府の中から出て来た壮年の男は表情を崩した。

 「久しぶりだなぁ。大事は………あったようだが、それでも大きな怪我無く再会できたこと嬉しく思うぞ」

 「ああ、はいはい。僕はできるなら来たくなかったんだけどねぇ。情報屋をやってる僕も、まさか、友人から出頭するよう脅しつけられるとは思ってもなかったよ」

 じぬろり、とねめつけると、男はバツが悪そうに苦笑した。



 郭と親しげに話す男。

 彼は韓(かん)卓(たく)、字(あざな)を子(し)助(じょ)といった。

 大(たい)将(しょう)軍(ぐん)掾(えん)に任命されている。

 掾(えん)とは、部門長のことで、現在は王匡と共に何(か)進(しん)のそば仕えとして雑用を担っている。

 そもそも、大将軍とは外(がい)戚(せき)(皇后の親族)に与えられる名誉職であり、実務が決まっているわけではない。

 現在は昨年の黄(こう)巾(きん)の乱に始まり、年が明けても西方の反乱など国内が乱れており、漢(かん)という国の軍事行動に休みがない。故に、本来であれば名誉職である大将軍・何進にも仕事が発生している状態だ。

 逆に、軍務で活躍することで政治的に有利になれるため、何進は進んで大将軍の仕事を請け負っているようでもある。

 大将軍が本来名誉職である以上、危急の事態が起こっても大将軍は座っていれば周りが勝手に動いてくれる。しかし、何進は自分で資料を漁り、歴史に埋もれようとしていた将を掬い上げて表舞台に上げたのだ。

 結果が悪ければ失脚もあり得た暴挙だった。

 しかし、何進が見出した皇(こう)甫(ほ)嵩(すう)と朱(しゅ)儁(しゅん)は黄巾の乱を鎮圧に導き、董(とう)卓(たく)、盧(ろ)植(しょく)、王(おう)允(いん)など多くの有力な将が何進の指揮下で動いた。

 結果としては満点とは言い難い。

 しかし、何進は確実に、彼らを一歩、何進の政治派閥に近寄らせたのだ。

 そうなると、周囲は何進に期待をする。何進も派閥が成長するという経験を再び味わいたくなる。自分が指名した将が手柄を上げれば、将からは信頼され、将の手柄の一部は将を推挙した何進のものになるのだ。

 そうして、何進は西方で起きた上洛軍という反乱軍の鎮圧にも首を突っ込んだのだ。

 軍事を派閥形成の一助にすると決めた何進は、自分の手足となって動く人間をも集め始めた。王匡だけでは足りなくなったのだ。

 韓卓は、そうして、今年に入ってから何進の属官として大将軍掾になった者のひとりだった。

 どうして、大将軍掾である韓卓が、郭と会話をしているのか。

 それには郭という人間がどういう人生を歩んできたのか。そこから話し始めなければならない。



 郭の本名。

 鄒(すう)靖(せい)、字(あざな)を伯(はく)鰐(がく)という。

 幽(ゆう)州(しゅう)広(こう)陽(よう)郡(ぐん)薊(けい)県(けん)。

 幽州の州(しゅう)都(と)。行政の中枢が集まる都市で鄒靖は産まれた。

 特別に官吏を夢見た訳ではなかった。

 しかし、当たり前のように生きていたら、孝(こう)簾(れん)に推挙されてしまった。

 孝廉とは、漢(かん)の各郡が毎年一人挙げる、孝行者で清廉な人間のことだ。

 これに推挙されると、太(たい)学(がく)を合格したのと同じ扱いで官界に入ることができる。

 鄒靖はそうして、いつのまにやら、漢(かん)の政治にかかわる立場になってしまった。

 そうは言っても、下級官吏である。洛陽という政治の中枢に位置していても、鄒靖にできることは多くはない。

 それでも、鄒靖は出世するために考えた。

 何はなくても情報が必要だ、と。

 幽州には九つの賊が割拠しており、広陽郡にも賊団がいた。その名も臥顎。

 鄒靖は地元である強みを生かして、臥顎を秘密裏に制圧。そして、自分の支配下に置いた。洛陽の官吏たちはどうしても地方の情報収集が疎かになる。鄒靖はそこに出世の機会を見出したのだ。

 臥顎屋と名を変えた臥顎は、人や物を奪う代わりに情報を集めた。その情報を鄒靖に送ると、鄒靖から報酬が出る。

 そうして十年ばかりたったころ、鄒靖はひょっこりと地元に顔を出した。

 洛陽で政争に明け暮れるのに疲れたのだ。

 田舎の純朴な空気に浸るため、影武者に後事を任せて秘密裏に帰省し、以降は臥顎屋の頭領として活動を続けた。影武者殿は如才なく鄒靖の代わりを行ってくれているらしい。鄒靖が戻らなくとも、勝手に昇進しているようだ。

 それでも律義に、鄒靖の名前で生活しているという。

 そうして、洛陽と縁を切った鄒靖の前に、劉(りゅう)備(び)が現れ、龍騎団が生まれ、何の因果か洛陽に訪れることになった。龍騎団が洛陽から任地に向かう際に、鄒靖は一時的に離脱を告げた。ついでとばかりに様々な物事の決済を行ってから龍騎団に追いつこうと考えたのだ。作業にもおおよそのめどがついた頃、鄒靖はついに、彼の過去を知る昔馴染みに捕まってしまったのだった。



 「まったく。友達がいがないにも程がある。こっちに顔を出さずに帰るつもりだったのか?」

 「まあ、僕も北(ほく)軍(ぐん)中(ちゅう)候(こう)の身だからね。あまり人前に顔を出したくないのさ」

 「………………影武者くん、優秀すぎないか?」

 北軍中候とは。

 宮殿を警護する五つの部隊を統括する職である。要するに近衛軍の指揮官、のようなものだ。

 「まあ、地方官吏の違反行為や賊の情報をいち早く掴めるんだ。それを利用して出世していくのなんて簡単でしょ。僕が送り込んでる工作班たちも頑張って、影武者くんをいい具合に運用してるって感じだね」

 そう言って、鄒靖はたまたま洛陽で出会った顔のそっくりな名も知らぬ男に同情した。が、すぐに、相応にいい暮らしもできているのだろう、と思うことで気にしないことにした。

 「ま、どうせ、今回も影武者くんが立つことになるんだと諦めてたんだがな。本物がいるなら、話は別だ」

 「なんのことさ」

 鄒靖はわかっていながら尋ねる。

 「朝議だよ。西方の反乱が大問題になってるらしい。皇甫将軍から援軍の要請が来てる。ただ、要請内容がな。どうも異民族が絡んでるらしい。伯鰐の情報が必要だ」

 そう言われて、鄒靖は俯く。

 どうやら、龍騎団に戻る日が遠のいたようだった。



 朝議の間。

 謁見の際にも使われる一室ではあるが、ただいまは文武百官が集まっている。ここで毎朝重要事項の話し合いが行われるのだ。その場には皇帝も同席しており、皇帝の一存が最も重要視される。しかし、だからこそ、皇帝は基本的に口を挟まず、官僚たちの議論に耳を傾け、そして物事が決まっていくのを見守るのが常だ。

 内政ひとつとっても、灌漑事業、街道整備、城普請など様々な議題があり、軍事においても同様だ。

 とはいっても、それらの議題が多く重なることもまた少ない。毎日のように物事を決めているので、本当に決めなければならないことは日に一つか二つ。その程度だった。

 そして、この日、何進からもたらされた議題は、まさにその、決めなければならない難事だった。



 皇帝・劉(りゅう)宏(こう)が階段の上に置かれた玉座に座る。

 これで全員が集まった。

 立ち並ぶ群臣たちを、玉座から見下ろしながら、劉宏は口を開いた。

 「皆、おはよう。今日はなにやら、重大な話があると、何進が言っていたね」

 劉宏の言葉に群臣がざわつく。

 ほとんどの群臣は既に、何進が抱えている問題を知っていた。そういった情報収集も、群臣たちには必要な技能となってくる。

 「ほとんど」といったのは、自分にかかわりのない部署の問題ごとであると認識して深く調べるのを辞めた者もいるからだ。

 劉宏の視線を受けて、何進が前に進み出る。

 「はい。先日、涼(りょう)州(しゅう)に送りました、皇(こう)甫(ほ)左(さ)車(しゃ)騎(き)将(しょう)軍(ぐん)より、伝令が参りました。中(ちゅう)常(じょう)侍(じ)にも内容は確認してもらっております」

 そこで、何進は張(ちょう)譲(じょう)に視線を送る。張譲は進み出ると書簡を開いた。

 甲高い声で話し始める。

 「『涼州より来たる賊軍。上(じょう)洛(らく)軍(ぐん)と自称しております。上洛軍の規模が予想より大きく、侵攻も予想より早く、こちらの想定を上回っております。上洛軍の規模は十万に及び、上洛軍は既に右(ゆう)扶(ふ)風(ふう)郡(ぐん)の汧(けん)県(けん)に侵入し、汧(けん)城(じょう)を包囲しております。私、皇(こう)甫(ほ)は長(ちょう)安(あん)に駐屯し、京(けい)兆(ちょう)郡(ぐん)、左(さ)馮(ひょう)翊(よく)郡(ぐん)の調査を行いながら、董(とう)中(ちゅう)郎(ろう)将(じょう)に一万五千の兵を預けて汧城救援に向かってもらいましたが、敵の士気はすさまじく、練度も並大抵ではありません。董中郎将は大きな被害こそ出しませんでしたが、上洛軍を抜くこと能わず、汧城への救援も果たせていない状態です。つきましては、烏(う)丸(がん)兵(へい)三千の援軍を要請したくお願い仕ります』」

 張譲が書簡を畳むと、群臣はいっせいにざわついた。

 「十万とな!?」「既に右扶風に入られているではないか!」「董中郎将と互角に戦う将だと?」「皇甫殿はなぜ動かん!?」「右扶風の太(たい)守(しゅ)は何をしていたんだ!?」

 皆、大まかには情報として掴んでいた。

 対反乱軍戦線から援軍要請が来た。そこまでは掴んでいた。

 しかし、その正確な規模も、どこまで侵攻されているかも、さすがに知っている者はいなかった。

 まだ、群臣たちの認識では、涼州内での反乱で、規模も数万といったところのはずだった。民衆の賊の連合軍であり、練度も大したことがないはずだった。

 それが蓋を開けてみればどうだ。

 既に司州の入り口を超えてきており、規模は十万、練度も漢(かん)が誇る対異民族戦に秀でた将である董卓が勝てない相手だという。

 その事実は、着実に群臣たちの心胆を寒からしめた。

 「皇甫左車騎将軍は援軍を要請している。しかもご丁寧に烏丸兵三千と、そう注文をつけてきた。これに関して、何か異論がある者はいるか?」

 「よろしいですかな」

 何進の言葉に一人の男が進み出た。

 何進が視線で促すと、その男は拱手をして名乗る。

 「大(だい)司(し)農(のう)・曹(そう)巨(きょ)高(こう)と申します」

 彼の名は、曹(そう)嵩(すう)。昨年黄巾の乱で朱(しゅ)儁(しゅん)に付き従った曹(そう)操(そう)の父親だ。

 曹嵩の地位は大司農。金銭や穀物を管理する農政財務大臣である。民から納められた税の管理も彼の仕事だ。

 「我が国はつい先月も民衆に対して税の徴収を行ったばかりでございます。時を置かずに税の徴収を連続で行えば、民衆の不満は増大し、地方で反乱が連鎖しないとも限りません。烏丸に援兵を要請するにしても、それに見合うだけの報酬を約束せねばなりませんが、その報酬自体、出すのが難しいのではないかと愚考いたします」

 そう言って、曹嵩は頭を下げながら下がった。

 「南(なん)宮(ぐう)火災か………」

 誰かの忌々し気な呟きが聞こえた。



 南宮火災。

 そもそも、洛陽の城には政務を中心に行う区画である北(ほく)宮(ぐう)と皇帝の居住スペースや祭祀の祭場となる区画である南宮の二つに分かれている。

 南宮では、皇帝の居住区や皇后たちの居住区、祭祀の祭場などそれぞれが別の建物で作られており、それぞれに名前が付けられていた。

 その、まさに皇帝が暮らす居住空間である南宮に失火があったのだ。

 何が原因なのか、誰が原因なのか。もはやわからない。

 皇帝である劉宏が、捜査を辞めさせたのだ。

 「しばらくの間は警戒を厳に。これがもし、皇后や僕を狙ったものであれば、再発の可能性がある。逆に言えば、再発さえ防げれば、犯人を見つける必要はないよ」

 そんな劉宏の言葉に、群臣はこぞって反対意見を述べた。弑(しい)逆(ぎゃく)を狙う輩がいるかもしれない。そんな状況を放置していいはずがない。

 しかし、劉宏は自分の命を大したものでもないように扱う。

 (これで今度こそ、現行犯で下手人を捕まえられれば、後ろに控えている存在も一気に検挙できるかもなぁ。うまくいけば、ベンに跡を継がせた時に多少はいい環境が作れるかもしれない)

 この皇帝、国に対して火種を残しながらも、国を壊そうとしながらも、その動乱の時代で子供たちも無事に生き延びてほしいと、本気でそう願っているのだ。

 もちろん、彼の心中を知る者は誰もいない。

 閑話休題。

 とにもかくにも、南宮に失火があった。

 その炎の勢いはすさまじく、半月もの間、炎は消える気配を見せなかった。

 ようやく火が消えて、失われたものに呆然となる。

 多くの人命が失われたのは言わずもがなだ。逆に貴人や高級官吏の命が失われなかったのは奇跡のようだった。大きな声では言えないが、この事実があるからこそ、陰謀だったのではないかと囁かれるのだが、火事の規模に対して人的被害が驚くほど少ないのは幸運だった。とはいっても、下働きや下級官吏、侍女など、合わせて百人ほどは犠牲になったという。

 更に、文化的な損失も大きかった。

 南宮の宮殿である霊(れい)台(だい)殿(でん)、楽(がく)成(せい)殿(でん)。皇帝や皇后の生活空間である禁(きん)裏(り)への通路・北(ほっ)闕(けつ)。さらに、北闕を渡って禁裏に入った後の西の空間に建てられた宮殿である嘉(か)徳(とく)殿(でん)や和(か)驩(かん)殿(でん)すら燃えた。

 大きな宮殿が四つ。小さな宮殿も含めれば数えきれないほど。

 特に、嘉徳殿は旧都・長安の王城に建てられていたものを模して造られた文化的・歴史的意義の大きな宮殿だった。

 それすら影も形も無くなってしまったのは、南宮で暮らしていた皇帝たちのみならず、遠目に宮殿の一部が見えていた北宮に勤める官吏たちからも惜しまれた。

 漢(かん)は急遽、復興費用として国民に臨時徴税を行った。民が持つ田んぼの敷地面積当たりの税だ。

 宮殿を複数建て直す金額。

 バカにならない量の税が、中平二年(西暦一八五年)早々に民に覆い被さったのである。

 宮殿の補修費用を民から徴収したひと月後に、今度は賊の討伐の費用を徴収する。

 これでは、民が生きていくのが苦しすぎる。

 曹嵩はそう言っているのだ。



 しかし、困ったのも曹嵩だ。

 税を集めるその職務故、曹嵩は漢(かん)の金の回りをよく理解していた。

 皇甫嵩と董卓に預けた兵一万八千は上半期で使える国家の軍事予算をほぼ全額使って整えた威容だった。それが、涼州という田舎の、辺境の賊軍の二割にも満たないとは。

 もちろん、追加できる予算はある。あるが、それを使えば、今度は下半期の軍事行動に問題が起こる。他の異民族が動かない保証はないのだ。

 ただでさえ、昨年は黄巾の乱という大規模な、国家規模の大反乱が起こった。

 その鎮圧のための兵を動員するのだって、当然無償ではない。

 ここ数年、軍事的な行動を起こさないですんだために繰り越されていた軍事予算を全て放出した一年だった。

 その翌年のすっからかんの状態で涼州の問題だ。

 無い袖は振れない。かといって無い袖を振らなければ、国が蹂躙される。無理に袖を縫い足せば、昨年のように民衆反乱が起こるかもしれない。昨年と同規模、いや、昨年の半分の規模の蜂起であろうと、それが起こってしまえば、国は将たちに金以外の報酬を与えるしかなくなる。領地を将に与えていけば、国に納められる税が少なくなる。

 どの選択肢を選んでも、国が傾きかねない難題だった。



 そんな、空気の中、劉宏が静かに声を上げた。

 「とりあえず、予算の件はなんとかできる。捻出するさ。皆にはその続きの話をしてもらいたい」

 「陛下? 何とかする、とは?」

 嫌な予感がした張譲が劉宏に尋ねる。

 「ああ、簡単なことさ。南宮復興のために民から徴収した税を一部使わせてもらおう。これならば二重取りにはならないだろう?」

 朝議は、紛糾する。



 「陛下! あなたのお住まいである南宮は、今や焼け野原ですぞ!?」

 「大げさだよ張譲。焼け野原というほどではないさ。現に僕は雨露はしのげているからね」

 「昨夜はどちらにお泊りに?」

 「レイの寝室だけど」

 「皇后の部屋に泊まる皇帝がどこにおりますか!?」

 「夫婦なんだしいいじゃないか。むしろ、夫婦の情を確かめるいい機会だよ。レイもここしばらく機嫌がいいんだ。当分はこのままでも構わないよ」

 そんなことを笑顔で言う劉宏に、張譲は眩暈がしたかのように頭を押さえた。

 「………………巨高殿」

 「………は」

 「異民族に三千の援兵を頼むとして、どれほどの金が必要だ?」

 「頼む民族にもよりますので一概には言えませんが、往復と戦中の兵糧をこちらで持つことを前提にした上で、一万から二万銭の間であれば、承知するでしょう」

 「一万、二万………」

 「国内の民を再度徴兵するのは、難しいでしょうな。皇甫左車騎将軍もそれをわかっているからこそ、烏丸兵を、と注文しているのもあるでしょう」

 「宮殿復旧のために集められた金も数十万。一万、二万は決して小さな額ではないぞ」

 「よし。とりあえず、出せそうだね。では、烏丸に三千の援兵を求める方針でいいのかな?」

 未だにぐちぐちと文句や意見を言う群臣たちに、劉宏は決を下す。

 こうして、洛陽は、烏丸兵三千を、涼州に送ることに決ま―――。

 「お待ちください」

 ―――らなかった。

 ここは洛陽。

 様々な思惑が入り乱れる政争の最激戦地区。

 皇帝の決定に待ったをかけた男・鄒靖も、もちろん、胸に秘めた思いがあった。



 「君は………?」

 劉宏の言葉に、鄒靖が拱手をする。

 「は。わたくし、北軍中候の任に就いております、鄒(すう)伯(はく)鰐(がく)と申します」

 そう答える鄒靖に、しかし、劉宏は眉をしかめる。他の群臣も同様だ。理由は単純。見覚えがないからだ。

 「すまない、鄒伯鰐。僕は君に見覚えがない。申し訳ないが、名を教えてもらえるだろうか」

 漢(かん)では、名は父母からもらったものであり、余人に教えてはならないとされる。これは儒教の教えによるもので、父母を敬う気持ちから来ている考え方だ。

 しかし、例外は存在する。

 皇帝だ。

 皇帝はすべからく国民の父である、という認識があるため、皇帝だけは他者を名前で呼ぶ慣例があった。

 本来は名だけで呼ぶが、劉宏は呼びにくいからという理由で姓名両方で人を呼ぶ。

 「私の名は靖と申します」

 「ふむ。鄒靖か」

 「なかなか朝議に出ず申し訳ありません。北軍中候という任をいただいているので、あまり人前に立たないようにしているのです」

 北軍中候は宮殿を護衛する兵の指揮官だ。

 誰かが漢(かん)に叛(はん)旗(き)を翻した時、もっとも狙われやすい立場ともいえる。それ故、人前に出ないようにしていた、と鄒靖は言ってみせた。

 もちろん方便で、実際は幽州に引き籠り、臥顎屋の運営に勤しんでいたため、洛陽に詰めていなかっただけであるのだが。

 「なるほど。そんな防犯意識の高い鄒靖が、この朝議の場に出てきたというのはどういうわけかな?」

 劉宏の言葉に鄒靖が頭を下げながら発言する。

 「は。異民族の援軍を送るということで進言したき議があり、馳せ参じました。異民族問題は国家の重要事なれば、私は頻繁に情勢を探らせておりました。その結果ですが、烏丸はただいま、烏丸同士の内紛が勃発しており、とてもではありませんがこちらに兵を供出できる状態ではないかと」

 その言葉に、群臣がざわめく。

 「そういえばそういう報告があった」

 「しかし、そこまで酷い内紛なのか?」

 「なんでも、黄巾の乱で疲弊した漢(かん)に対して、反漢(かん)の烏丸と親漢(かん)の烏丸で争っているらしい」

 鄒靖と同じように烏丸を探っていた者がそう説明する。それを聞いて、劉宏は表情を曇らせた。

 「それでは、本来であればむしろこちらから烏丸に援軍を出さなければならない状態ではないか。しかし、こちらもその余力がない。それどころか、涼州への援軍をどこに依頼するか、改めて考えねばならなくなったな」

 そんな劉宏が視線を向けるのは鄒靖だ。

 代案無く、軍議を遮るような人間でないことは、今まで隠れていたのにわざわざ朝議に姿を現したことから予想できた。

 「はい。鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)を使うのはいかがでしょうか」

 鄒靖の言葉にまたも群臣がざわつく。

 その中のひとりが声を上げた。

 「鮮卑とは。奴らは野蛮で統率が取れぬだろう。事前の取り決め通りに金を支払っても、いざ戦場に出れば追加の要求をしてきてそれが通るまで動かぬような奴らだ。それにそもそも、奴らは頻繁に漢(かん)に対して攻勢に出ている」

 そう言う官吏に、鄒靖は頷く。

 「はい。平時であればそうでしょう。しかし、現在、鮮卑を長年率いてきた檀(だん)石(せき)槐(かい)が死に、現在は若き後継者が鮮卑を統率しています。次世代の鮮卑が漢(かん)に恭順するか否か。その判断をするためにも、鮮卑に要請を行うのはどうでしょう。鮮卑がこちらと友誼を結びたいのであれば、決して無法な行いは致しますまい」

 「こちらに対して敵意を持っていて従軍すると見せかけて戦場で暴れ回ったら収拾がつかなくなるぞ」

 「檀石槐は硬軟併せ持った方針で漢(かん)と時に結び、時に争ってきました。次期党首である和(わ)連(れん)が檀石槐の才覚を継いでいるのであれば、漢(かん)に協力することが自らを利するとわかるはずです。継いだばかりの次世代というのは後ろ盾も儚く、少しでも自分を有利にしたいと考えるはずですから」

 鄒靖のもっともらしい物言いに反論していた官吏たちが黙る。

 そこに。

 「鄒伯鰐は幽州の出です。異民族の事情には確かに詳しいでしょうなぁ」

 韓卓がとどめとばかりに、言葉が途切れた瞬間を狙いすませて発言する。これで、鄒靖の意見が取り入れられる。

 そう誰もが思った時、これまで静かに話の推移を聞いていた男が歩み出た。

 「陛下。よろしいでしょうか」

 「うん?」

 「大将軍様の弟であらせられる何(か)叔(しゅく)達(たっ)様の下で丞(じょう)としての任を受けております、応(おう)仲(ちゅう)遠(えん)と申します」

 大将軍・何進。

 その弟である何(か)苗(びょう)は現在、河(か)南(なん)尹(いん)として首都・洛陽のある河(か)南(なん)郡(ぐん)の太(たい)守(しゅ)を担っていた。

 そんな何苗に仕える尹(いん)丞(じょう)(郡(ぐん)丞(じょう)のこと)。名を、応(おう)劭(しょう)、字(あざな)を仲(ちゅう)遠(えん)という男だった。

 「応劭か。なんだい?」

 劉宏の言葉に拱手で返すと、応劭は鄒靖に向き直る。

 「鮮卑の利用が政治的に可能な範疇であることは理解しました。しかし、北軍中候殿。鮮卑の民族性は野卑野蛮。戦場で略奪をはたらき、先ほども言われていたように恩賞で手懐けようとしても増長するばかり。新しき族長がそれをいくら宥めようとも、鮮卑の民族性は変わらず、確実に大小の揉め事が起こるでしょう。檀石槐の後を若いものが継いだというのであれば、まだ、掌握が十全に行き渡るほどに時間は経っておらず、そのようなごたついている時期にこちらから援兵を要求すれば、むしろ、こちらに対して不満を持つ可能性すらあります」

 応劭の言葉に、鄒靖は顔をしかめる。

 確かに、自分の知識欲にかまけ、鮮卑の内情を知る好機と、鮮卑を半ば強引に話題に乗せたことについては自覚があっただけに、そこを突かれて気まずさから反論が出なくなる。

 「さらに加えて言わせてもらいますれば、涼州の反乱に加担しているのは羌(きょう)族(ぞく)です。羌族の問題に対して他の異民族を当たらせて、仮にその民族すらも羌族に乗せられて叛いてしまえば、漢(かん)は同時多発的な異民族侵攻を受ける羽目になりかねません。こうなれば泥沼であり、いかな大国・漢(かん)といえど、大損害は免れません」

 応劭は周囲を見渡して、群臣たちが自分の言葉を理解し、青ざめているのを見て頷く。

 「涼州の羌族は、全てが反乱軍に加わったわけではないはずです。むしろ、同族が引き起こした大事件に肩身を狭くしていることでしょう。こちらから涼州の反乱軍に加担していない羌族に連絡を取り、彼ら自身に身内の咎を雪がせる機会を与えてやるべきではないでしょうか」

 「うーむ。一理は、あるのかな?」

 劉宏は周囲に居並ぶ群臣たちに視線を向ける。

 群臣たちも、宦官たちも、何進も、不安そうにしながらも頷いている。

 (確実ではないだろうな。けれど、応劭の言も確かにもっともだ。漢(かん)が避けるべきは、羌族に加えて鮮卑もこの戦線に敵として加わること、か)

 「では、応劭。その意見を採用することにする。羌族に対して交渉ができる人材に当てはあるのかい?」

 「は。隴(ろう)西(せい)郡(ぐん)太守・李(り)相(そう)如(じょ)は『沈(ちん)静(せい)有(ゆう)謀(ぼう)』と謳われる賢人であります。彼ならば、公明正大な評価によって参戦した羌族を正しく労うことができるでしょう。高名な彼が間に立つのならば、羌族も安心して従軍できるはずです」

 「ではそのようにしよう。皇甫嵩には勅(ちょく)使(し)を送る。李相如、確か名は李(り)参(さん)、だったか。彼を介して羌族の協力を得るように、とな」

 劉宏の言葉に群臣一同が頭を下げ、その日の朝議は幕を閉じた。

なんと面白いことに、ここの会話は半分くらい史実なのだー!

鄒靖と韓卓と応劭の言い合いは史書にも残されているのです。

これを佐久彦なりに翻訳して味付けしたものがこちらです。

そして、南宮火災を国家の財政に絡めて考察するのも新説部分!

あと、鄒靖をどうしようか考えていましたが、ついに、無理矢理、郭だったことにしちゃいました。めんご☆

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