三十八幕 質と量
四月七日。
この日は漢軍が汧城救援のために上洛軍と対峙した最初の日であった。
そしてもちろん、この日に動いたのは、漢軍、上洛軍だけではない。
汧城守備隊も乾坤一擲の攻勢を仕掛けていた。
「いやいや。漢軍が来てくれて助かったものだなぁ」
汧県県長・閻行。字を彦明。
「しかし敵の数に対して、漢軍は少なすぎます。まだ、窮地であることに変わりはありません」
汧県県丞・衛軫。字を文整。
「率いているのは両射手・董仲穎。とはいっても、見たところ一万数千というところ。野戦において数の差は致命的にもなりえます」
汧県県尉・毛洪。字を伯恩。
「上洛軍が董仲穎に兵を割いても、こっちの城を攻める兵は少しも減ってねえんだから参るぜ」
同じく汧県県尉・彭全。字を呑集。
「しかし、兵の数は変わりませんが、指揮官の数は大きく変わりました。この機を逃さず、攻勢に打って出るべきです」
県長・閻行の娘。閻艶。
彼らの言葉を受け、閻行は頷いた。
「いやいや。やはり動くべきか。伯恩。呑集。お前たちは副官に引継ぎを行い、千を率いて南から出陣しろ。敵の包囲を抜き、漢軍に対処している上洛軍の背後を突く。混乱が起これば、漢軍も動きやすいだろう」
「父上」
「なんだ、エン」
「私も、出ます」
閻行は娘からの言葉に顔をしかめる。
先日、閻艶は上洛軍の将のひとり、宋建から求婚された。
女だてらに武を振るわず、女らしく男を支えろと、そんな侮辱のような求婚だった。
あれから数日。
ようやく、閻艶は平静を取り戻していた。逆に言えば、平静を取り戻すまでに数日要したということだ。
己を育み、己に憧れ、己を研鑽した。
そんな上官たちを、仲間を、自身の努力を、踏みにじられた思いだった。
頭に血が上った状態ではまともな部隊指揮などできようはずもない。
故に、あれ以来閻艶は閻行から室内待機を命じられていたのだ。
しかし、それもだいぶ落ち着いた。
乾坤一擲の突撃任務であるならば、毛洪、彭全、閻艶の三将が指揮した部隊が一番強い。
「父上、どうか」
「………………いやいや。参るな。本当なら俺が出たい。しかし、この汧城の総指揮を執る身であれば、そういうわけにもいかない。エン。頭は冷えたか?」
「はい」
閻艶の言葉と、そしてその視線から迷いは見受けられない。必要以上の怒りも同様に。
閻行は頷いた。
「では、エン。お前も行け。改めて命じる。伯恩。呑集。エン。南から兵千でもって、敵陣を貫き、漢軍に相対している上洛軍の後背を突け」
『はっ!』
毛洪。彭全。閻艶。
三者が拱手で応えた。
陽が昇るころには、汧城南門の前に、千の兵と三将が集まっていた。
すでに、各城壁は副官たちに任せている。
三将が率いる兵たちは皆汧城に配属されていた常備兵だ。
今までの突撃で起用していた城民兵は、今回連れて行かない。
構成は全兵騎兵。
汧城南側城壁を攻める一万の上洛軍を騎馬隊の突撃で抜き、五里(約2㎞)先に展開する上洛軍の背後を襲いかかる。
機動力が必要な作戦だった。
上洛軍本陣。
予備兵力と共に本陣に詰めていた宋建は汧城の気が俄かに昂ったのを感じた。
「ふん。当然、動くよなぁ。動くとすれば、今をおいて他あるまい。しかし、他がないからこそ、読みやすくもある。故にこそ、増員も配しておる。『我が友』と『真似者』だ。汧城兵よ。正しき方角から攻めかかれるか?」
宋建はニヤニヤと座興を楽しむように汧城の戦線を眺めた。
汧城南側城壁攻撃部隊。
ここには現在、城壁攻略の指揮を執っていた北宮玉も李文侯もいない。
ここにいるのは、草聖・張芝だけだ。
草書(崩し文字のこと)の達人である張芝は部隊指揮が苦手だった。白兵戦も当然ながらまったくと言っていいほどできない。
しかし。
汧城の南門が開いた時、張芝はニィ、と笑った。
「馳走の準備はできてるぜぇ? 上洛軍様の大盤振る舞いだ。精々、たらふく食っていってくれよ?」
汧城突撃部隊。
老将・毛洪を先頭にして、猛将・彭全と姫将軍・閻艶がその左右に付いている。
上洛軍の側は、汧城兵の突撃を予測していたのか、攻城に加わっていない予備兵たちは既に盾を構え、槍を突き出して迎撃の態勢を取っていた。
「賊軍とはいえ見事な練度。さすがは辺境を生き抜いてきた兵たちは違いますね」
毛洪は馬を駆りながらそう敵を分析する。
しかし、その速度はいささかも緩めない。
「されど」
槍が突き出されるその寸前。
毛洪は持っていた戟を横薙ぎに振るうと、突き出された数本の槍を絡め取り、そのまま戟を捻じるようにして上に振り上げた。
それだけで、数本の槍が宙に舞う。
「経験不足です」
槍の分、僅かに盾同士の隙間が空く。その隙間に乗り入れるようにして馬の脚を進ませた。高度な戟捌きと巧みな馬術で堅牢に思えた上洛軍の迎撃部隊を難なく崩す。
その隙間を広げるようにして、毛洪と閻艶が続き、あっという間に上洛軍は崩されてしまった。
「おーおー。すごい突撃力だ。盾で固めれば少しはもつかと思ったんだがねぇ。鎧袖一触、ってやつかねぇ」
上洛軍南側城壁攻撃部隊の予備部隊。
張芝は予備部隊の前陣が崩されたというのに、余裕そうな表情をしている。むしろ、敵を称賛するようなキラキラとした笑顔を人垣の向こうにいるであろう汧城突撃部隊に向けていた。
「と、ととと、突撃力すさまじく、割られた陣形を修復しようとしてもできない様子です」
梯子の上から少年兵がそう言ってくる。
「そりゃそうだろうよ。いいかい坊主。騎馬隊っていうのは、移動する壁だ。馬の機動を止めることができなけりゃ、歩兵は馬に近づくことはできない。遠巻きに槍でチクチクするか、同じく遠巻きに弓でチクチクするか、どっちかしかできないもんさ」
「で、でも、馬は臆病な生き物です。馬の前に立ち塞がれば、馬は足を止めるのでは?」
梯子の上の少年兵が張芝に言葉を返す。
「はっはぁ。そりゃいい案だ。ま、止めに入った奴は十中八九重傷だけどな。シュウ坊、やりたいか?」
そう返されたシュウ坊と呼ばれた少年兵は口ごもる。
「やりたい、わけでは」
「だろぉ? 誰もそんな貧乏くじは引きたくないもんさ。しかも、騎乗している兵だって当然警戒してる。前に飛び出してくる兵を優先的に騎射で排除するし、一流の武人なら馬上で長物の武器を振るって、馬の進路を邪魔する障害物をぶった切るわな」
「………………」
「だから騎馬は強い。機動部隊である騎馬隊は強いんだ。あ、ちなみに、止まってからも騎馬は強いぞ。なんとはいっても、歩兵の頭上から振り下ろしの攻撃ができる。巧い人間の乗る馬は簡易的な移動拠点みたいなもんだ」
「………………」
青い顔をする少年兵に、張芝は脅かしすぎたかと笑う。
「はっはっはっはぁ。心配するなって。そんな強い騎馬部隊。じゃあ最強かって言うとそうでもない。対処法はいくらでもある。そうでなけりゃ、騎兵の数で戦場の勝敗は決まっちまう」
そう言って今度は安心させて来ようとする張芝。その言葉に息をついた少年兵は、汧城突撃部隊がある地点に到達したのを見た。
「伯英様。汧城突撃部隊、作戦地点に到達しました」
「あいよ了解。それじゃ、ここいらで一発かましたりますか。んで、楊秋。お前はどうする? 前線行きたかったら行ってもいいぞ?」
楊秋、と呼ばれた少年兵は(呼ばれるたびに呼び方が変わるなぁ)と思いながらも首を振る。
「いえ。僕はここから見てます。前線に行っても、僕では何もできませんから」
「さっすが『真似者』と呼ばれるだけあるねぇ」
「複雑です。周りがすごい人が多いだけですよ。今は学びの時期です」
そう言う楊秋に、張芝は朗らかに笑いながら頷いた。
「汧城突撃部隊、妨害拠点に侵入。効果、あり、です」
梯子の上から楊秋の声が張芝の耳に届いた。
(なん。なんだ。何が、起こって)
汧城突撃部隊。
先頭集団の中にいた彭全は突然の浮遊感に襲われていた。
何が起こったのかわからない。
馬に乗って部隊の先頭を駆けていたはずだった。
敵陣を突き崩し、馬の足を止めようとする敵兵を槍で妨害していたはずだ。
それが気づけば、空中に投げ出されている。
刹那の自失。
しかし。
「受け身!」
しわがれた、しかしよく通る声が聞こえて彭全は己を取り戻した。
迫りくる地面に対して受け身を取って、落馬の衝撃をできる限り減らす。
そうして立ち上がってみると、突撃部隊の先頭にいた数十人が同じように地面で受け身を取っていた。後続の兵たちは引き返していく。
彭全が頭を振りながら嫌に静かな戦場で周囲を見渡すと、突然誰かに引き寄せられた。
目の前を槍が通過していく。
目を見張っていると、ようやく耳が機能しだしたのかすぐそばで声が聞こえた。
「―――集殿。呑集殿! ご無事ですか!?」
閻艶の声。
どうやら落馬した衝撃で一時的に耳が聞こえていなかったらしい。
同時にうるさいくらいの戦場の音が彭全の世界に戻ってくる。
「―――いったい」
呻くように彭全は足元を見てようやく合点がいった。
戦場のあちこちに木材や布や鍋といった生活用品がばらまかれているのだ。
兵たちが邪魔で見えなかったが、これらの資材に馬が足を取られ、その結果彭全たちは落馬したというわけだ。
「なんつう、はちゃめちゃな」
彭全は唸りながらも状況を確認する。
奇策で突撃部隊の足を止めた上洛軍は、ここでこちらを仕留めようとするはずだ。しかし、残された数十人の突撃部隊。先頭集団にいた者たちはそれぞれ武に秀でた者たちだ。
毛洪の咄嗟の指示にうまく受け身を取り、既に起き上がって敵兵に対処していた。一番影響が大きかったのが彭全だったらしい。
「情けねえところを。お嬢大丈夫か。こっちは何とか回復した」
「それは結構。さて、呑集殿。修羅場ですよ。まずはここから抜けましょう」
そう言いながら、閻艶は斬りかかってくる兵をひとり、ふたりと斬り捨てる。敵兵に目をやりもしない。
毛洪も、負けじと敵兵を切り捨てる。
「呑集。無事か。長生きはしてみるものだ。思ってもみない方法で騎馬隊の突撃が止められた。こうなれば一度上洛軍の突破は諦め、城へ戻る血路を切り開くしかあるまい」
そう言って戟を振るう毛洪。
そこに声がかかった。
「いやいやご老公。そう焦らなくてもよろしいではないですか。若い者のため。死ぬのは年寄りの役目でもありましょう。よろしければ、私がお相手を」
上洛軍の兵の垣根から一人の丸顔の男が歩み出る。
服装こそ鎧をつけて野暮ったく見えるが、その立ち振る舞いは上流階級のそれに見えた。
片手で持っていた細剣を構え、毛洪に剣先を向ける。
「上洛軍が将・任輝光。新しき国の新しき民のため、我が武勲となってもらおう」
彭全は泡を食って毛洪に加勢をしようとする。
しかし、殺気を感じて飛び退った。先ほどまで彭全が足を置いていた場所に重たい鉄の塊が飛来する。
「おー。避ける。やるじゃないか。さて、僕も『友』からこの場を託された。名乗るよ。僕は李天縫。『友』であるケン、今は宋建か。彼の夢のため、君を破壊する」
李天縫と名乗った男。
宋建を友と呼び、宋建から我が友と呼ばれる男。
名を堪という。
隴西郡の豪族の跡取り息子で、宋建の新王朝樹立の構想を聞かされて彼に協力をしだした最初の人間でもある。
李堪は鎖の先に鉄の塊が付いた武器・鎖分銅を持っている。鎖部分を持ってこぶし大の鉄の塊を頭上で振り回していた。
彭全は舌打ちをして槍を構えながら閻艶の方に目をやり、目を剥いた。
いつぞやの大剣使いの男が、閻艶に斬りかかっていたからだ。
「先日は我が王が無礼をした。大変申し訳ない」
「蒸し返さないでいいです。私の中では消えた記憶なので」
「では、今度こそひとりの武人として。区盛忠」
「女なので名乗る字がない。小閻とでも名乗らせてもらう」
「なるほど。小閻殿。事前に言っておきます。俺があなたを打ち負かした場合、王のもとに連れてくるよう命じられています。ですが、そうなったとしても、王に無体を働かせないと、それだけは誓います」
宋建の懐刀・区貂の言葉に閻艶は顔を引きつらせる。
「まるでもう勝ったかのように言いますね。そのような気遣いは無用です。なぜなら負けませんから」
閻艶が構え、区貂が構えた。
そんな様子を見て、毛洪はため息を吐く。
「やれやれ。仕方ない。任輝光と申したか。いいでしょう。毛伯恩。老いた身なれど、老練の境地、その一端をお見せしましょう」
毛洪は、戟を構えると、任耀に相対した。
それを見て、彭全も覚悟を決める。
「しゃあねえ。彭呑集、相手になるぜ」
彭全も槍を構えて李堪に向き直った。
「さて、昨日新しい武器をもらったんだ。実験台になってくれると助かるよ」
李堪はそう言うと、鎖に繋がれた鉄の塊を頭上で回す。
対する彭全は周囲に気を配りながら苛立ちをその表情に乗せた。
(使い慣れてない武器で戦場に立つだと? はったりか?)
李堪の手から鉄の塊が投げ出される。ジャラジャラと鎖の音を響かせながら彭全の頭蓋を砕かんと一直線に飛び来る鉄の塊を、彭全は槍で弾いた。
彭全の槍は閻艶のそれとは違い、長さと重さが自慢のものだ。
素早い動きで翻弄するのではなく、一突き、一撃に特化した武器である。
そんな武器に、李堪の投げた鉄塊が弾かれ、地に落ちる―――。
「な!?」
―――ことなく、彭全の槍に、鎖が巻き付いた。
「ふむふむ。なるほどね。こうやってうまく使ってやれば、敵の武器を封じることもできるのか」
呟く李堪は、彭全と繋がったまま、鎖を両手で持って引っ張った。彭全は武器を絡め取られないように握りを強くする。
「おいおい。本当にその武器昨日もらったばかりなのか? 随分と手馴れてんな」
「それはありがとう。僕はどんな武器でも自在に使いこなすことができるのが自慢なんだ」
「そりゃ羨ましい才能で」
彭全はそう言うと、李堪に向かって駆けよる。それによって鎖はたわみ、李堪は彭全の動きを止めることができなくなる。
彭全の渾身の突き。
しかしそれを、李堪は危なげなく躱すと、手元で遊ばせていた鎖を彭全の槍に手早く巻き付けた。
「君の武器も、見ただけではあるけどある程度は使い方がわかる。手数よりも一撃に重きを置いた武器だね。下手に受けようとすると生半な武器じゃ壊れてしまいそうだ。けど繰り出させた後なら、それは明確な隙だ」
李堪は喋りながら巻き付けた鎖を引っ張りながらしゃがみ込む。そのまま前転して彭全の背後に回ると、体勢を崩している彭全の首に鎖を巻き付けた。
「さらに重い武器は、下方向の力に弱い。体勢は簡単に崩れる」
言うと、李堪は彭全の首を絞めつけ始めた。鎖が喉に食い込み、外せなくなる。
彭全の視界が白み始めた。
(間合いはこちらが上)
毛洪は細剣を構えた任耀を前に油断なく戟を構えている。
「ご老公。あまり老人を甚振りたくない。降参してはいただけまいか」
「汧城の県長は賊に抗う意気をお示しになられた。だというのに、その配下が、命惜しさに投降しようものですか」
「では仕方がない。ご老公の経験に胸をお借りすることとしましょう」
任耀はそう言うと、身体の力を抜いて一気に毛洪との距離を詰める。
脱力からの前傾姿勢に加えて、その力の全てを細剣に収束した一撃。
瞬きの間に一足で距離を詰めた任耀に、毛洪は瞠目する。
毛洪は素早く戟を持っていた持ち手を逆にし、自分の身体を軸にして戟を回転させ戟の石突を任耀のこめかみに向けて放つ。毛洪の身体を軸に回転している戟は、たとえ毛洪の身体が細剣に貫かれたとしても止まることはなく、任耀のこめかみを穿つだろう。
任耀は毛洪に攻撃をするのを諦め、戟の石突を回避することに専念する。
「驚いた。随分とお速い」
「そちらも。まさかその身を犠牲にしてこちらに痛打を浴びせようとは」
「上洛軍の規模を考えれば」
毛洪は戟を再び構え直し、言葉を続ける。
「汧城という小城。落とすことは容易でしょう。漢軍の援軍にしても、被害を考えなければ負けはありえまい。そうなるとどういう考えになるか、わかりますか?」
「ご教示いただきたい」
「勝ちは決まっている。ならば、将兵は、自分に怪我無く勝ちたいと考えるようになります。例えば今の一撃が、同規模もしくは格上の相手だったら、あなたは自身の負傷を押してもこの身を貫いたはず。勝ちの驕りがあなたの攻め気を挫きました」
任耀はその言葉を聞いて、唇を噛んだ。ここで怪我をして戦線を離脱してしまえば、この後に控えている上洛戦に参加できなくなってしまう。
そんな思いがあったことに気づかされたのだ。
「恥じることはありません。それは普通のことだ。対する我々は、後がない。だからこそ、少しでも優秀な指揮官を削るために身命を惜しむことはありませんな。この老いた身で交換できるのならば、なおさらのことでしょう」
「教訓、身に沁みさせていただきます。次は、止めることなく、御身の身体を貫きましょう」
「その意気やよし。来ませい。老境の意地、見せましょうぞ」
任耀は再び脱力してからの体重を乗せた一突きを放つ。
しかし、毛洪はその技を一度見ている。
戟を今度は短く持ち、任耀の進行方向に穂先を合わせ、そして突き出した。
任耀は戟が頭をかち割る寸前で身を翻して避ける。
「まさかもう対応なさるとは」
「一度見た技。それに合わせられぬようでは、長生きなどとてもとても」
「では次は手数でどうでしょうか」
任耀は、今度は斜め前方に脱力して進むと、足を踏み出して真逆の方向に飛んだ。
毛洪からすると左から来ると見せかけて、右に身体を動かしたように見える。戟を構えて任耀の身体を追うが、任耀は既にその間合いの内側に入っていた。
毛洪は再び戟を短く持ち帰ると、任耀の繰り出す突きに合わせて戟で防いでいく。
任耀の持つ細剣は攻撃に特化した武器だ。細剣で敵の攻撃を受けると簡単に折れてしまう。故に、敵の攻撃を躱し、敵にその刀身を突き立てることこそがその戦い方だ。
それに対して、戟は槍と剣が融合したような特殊な武器だ。槍の穂先の根元に刃が取り付けられた形状をしており、突くことも斬ることもできる用途の広い武器である。それを短く持てば剣を持っているのと変わらない白兵戦が可能となる。
とはいってもそれは理論上の話だ。
実際は後方に長く突き出た柄の部分が邪魔をし、取り回しは難しいものになる。はずだったが。
十を超える突きを繰り出しても、毛洪は危なげなくそれを防ぎ、あまつさえ後ろに長く伸び出た柄を使って任耀の死角に攻撃を加えてくる始末だった。
任耀は持ち手の部分で柄の襲来を受け流しながら、突きを繰り出し続ける。
任耀の集中力が途切れるか、毛洪の体力が途切れるか。
両者はギリギリの綱渡りをすることになっていた。
閻艶の繰り出す槍は区貂に危なげなく防がれる。閻艶が槍を引いた隙を狙って区貂の大剣が閻艶に迫るが、閻艶は槍を引きながらその大剣を受け流す。そして、槍を引き終わった閻艶が突きを繰り出し、区貂が大剣を引き戻して防いだ。
この繰り返し。
この繰り返しが、目にもとまらぬ速さで行われている。周りの上洛軍の兵たちはとてもではないがこの剣舞に割って入ることができない。
閻艶、区貂共に足捌きも駆使しての攻防だ。変に外野が攻撃を仕掛ければ、それが区貂の邪魔になりかねなかった。
故に固唾を飲んで見守るしかない。
そんな状況に終わりが来たのは閻艶の視界に彭全が映ったからだった。李堪による攻撃で、彭全の首に鎖が巻きつけられており、彭全は既に意識が落ちそうになっている。
閻艶は区貂の攻撃を見極め、ここぞという時に、槍を防御に回すのではなく、彭全の方に突き出した。突然の閻艶の暴挙に、区貂、李堪が目を丸くする。閻艶の槍は李堪の持っていた鎖を断ち切り、彭全が解放されて咳込みながら崩れ落ちる。
その代償に、閻艶の横腹に区貂の大剣が叩きこまれた。
大剣とは、切り裂くのではなく、その重量によって叩き切る武器だ。故に兜割りが最も攻撃力が高く、逆袈裟切りや横薙ぎなどではその真価を発揮しない。
区貂が横薙ぎを選択したのは、閻艶を崩すための前準備の一環だった。故に威力は閻艶の身体を両断するほどのものではない。それでも、彼女の着ている鎧を破壊し、横腹をざっくりと切りつける結果になった。
それを、閻艶は致命に至らないと判断して、仲間の救出に利用してみせたのだ。
「さあ。余所見をして済まなかった。続きをしよう」
閻艶は再度構える。
驚嘆すべきことに、大怪我を負ったにもかかわらず、その構えには一分のぶれもない。
「見事な武士だ」
賞賛の言葉を送ると、区貂も構えた。
そこからは先の焼き直しだ。
閻艶が突き、区貂が防ぎ、区貂が斬りかかり、閻艶が受け流す。
怪我をしていると感じさせないほどの演舞が展開された。
状況が動いたのはそれからすぐであった。
後方に一度引いた汧城の騎馬隊が、再度上洛軍の防御陣を破って突入してきたのだ。
しかし、あたりには資材が転がっており、また騎馬が足を取られるだけ。
区貂はそう思った。
しかし。
騎馬隊は危なげなくその場に乗り入ってくると、彭全、毛洪、閻艶を拾い上げて、再び後方に戻っていった。
「な、なぜ。騎馬はどうして」
区貂が呆然としながら辺りを見渡すと、足元に転がっていたはずの様々な資材が姿を消していた。
「やられたねぇ。彼女。姫将軍ちゃんにしてやられたよ」
「してやられた、とは」
「いや、こちらもです。というか、天縫殿もでしょう。一騎打ちに邪魔になるから足場を均しているだけかと思っていましたが」
任耀も苦虫を噛み潰したような表情でそう言う。
「あはは。まあね。虚を突かれたよ。足場を悪くするために設置した資材を蹴り飛ばしていた。なんだったら僕も邪魔だったからいくらか蹴っちゃったよ。それがまさか、敵騎馬隊による救出劇の一助になってしまうとはね。ケンに怒られちゃうなぁ」
言われて区貂は絶句する。
まさか、あの凄絶なる演舞の最中に、そのようなことまでやっていたとは。
(まさしく武の頂にいる姫だ)
区貂はそう、閻艶を評した。
(願わくば、また再戦を)
そんな心中の願いは、誰の耳にも入らなかった。
結局その日、汧城突撃部隊が城内に引き上げた後、大きく事態が動くことはなかった。
城内に引き上げた突撃部隊の指揮官たちは各々各城壁に散って守城戦の指揮を再開した。
驚くべきことに、閻艶まで城壁守備の指揮に姿を現したことで、汧城守備兵の士気は上がり、汧城東側城壁攻撃部隊は閻艶の不死身ぶりに士気が下がる結果となった。
他の城壁も、突撃失敗を取り戻すかのように奮戦し、上洛軍はその日も攻城を諦め、日暮れと共に距離を取って野営を始めた。
上洛軍本陣。
そこには重苦しい空気が流れていた。
「つまり、数で勝るにもかかわらず、漢軍を撃滅することも、新しき王の后を誘致することも、小城を落とすこともできなかったと、そういうことか」
宋建の言葉に、諸将が俯く。
「いやあ、汧城の指揮官は、軍団指揮もさることながら個々の武でもこちらに引けを取りませんわ。まさか、資材投棄の策が破られるとは」
張芝が頭を掻きながらバツが悪そうにそう言った。
「新しき后なれば当然のことでもあるが、他の将もなかなかどうして、このような小城を任せているには惜しい逸材のようだな。それよりも、忠犬。貴様、新しき王の新しき后に、手傷を負わせたとか」
話を向けられた区貂が唇を噛む。
「は。どうにか無傷で制圧しようとしていたのですが、こちらの予想外の行動をとられまして。そもそも、その予想外が無かったとしても、彼女を無傷で捕らえるのは至難に思えます」
「ふむ。よほどのじゃじゃ馬と見える。仕方あるまい。あれほどの美貌だ、手足の一本ぐらいならば、失ったとしても愛でようはある」
「我が王。あまりに無体なことをなさいますと、心を開いてくれなくなりますよ」
宋建の物言いに上洛軍の諸将が嫌悪感を示す中、唯一の女性指揮官である桃里が宋建をたしなめる。
「異なことを言うではないか語り部。手足を失い、戦場という生きがいを無くし、失意の底に沈んだ女。むしろ心を開かせやすくなるではないか」
「………………」
宋建の言うことはある意味正しい。だからこそ、同じ女性として、桃里は反論をしたかった。しかし、どんな反論も、宋建に言い返されてしまいそうで、口を噤むしかない。
その状態でも、助け舟を出すのが根暗な男だった。
「いやいやいやいや。宋建。あんた、もう少し物を考えろ。王の座から物を見るんじゃなく、俺たち下々の者に視座を合わせる時も必要だと思うがね」
「ほう? 二流役者。言ってみろ」
韓遂はため息を吐いて頭を掻く。
「妻となる女に無体を働く。そんな王に誰がついていきたいと思うよ。王という立場なら、政略上の婚姻も時には必要だろうさ。ただ、今回の件に関しては政略上の理由は薄く、あんたの好みに合った女に、あんたが求婚した形だ。あんたが求め、欲した。そんな対象に無体を働く。それを、あんたの配下はどう思う。周辺の豪族はどう思う。愛した女にすら無体を働くのなら、臣下や同盟相手にも同じように無体を働くかもな。そう思われちまえば、あんたは新王朝樹立どころか、いち勢力を築くことすら難しくなる。それならば、愛した女に優しさをかけて、慈悲深い王なんだと周りに知らしめたほうがよほどいいだろ」
韓遂の言葉に、桃里が韓遂を仰ぎ見る。韓遂は桃里とは目を合わせず、見られていることにも気づいていない。なんだったら宋建からも目を逸らしている。
だから気づかない。
宋建が興味深げに韓遂を見ていることを。
「ふむ。諫言、心に留めよう。よくぞ申した二流役者よ」
「へーへーどうも」
韓遂は終始誰とも視線を合わせないようにしながら肩を竦めた。
そこに。
「随分口が回るではないか。女を愛でることに余念がないな」
北宮玉が口を開いた。
また、幕舎(将に割り当てられたテント)の中の空気が張り詰める。
「いやいや。余念ありまくりだから。俺、どれだけ奥さんとかその友達とかから気が利かないって怒られてると思うんだ」
「妻に怒られる? そのように、女に立場を与えているから、戦場で腑抜けるのではないのか?」
「あのさー。女性蔑視って言うんだぞそれ。羌族がどういう風習か知らんけど、漢では女性にもちゃんと立場がある。女性を雑に扱うことは百害あって一利ないぞ。あと、今回の戦いでは、俺、そこまで腑抜けた指揮、した覚えないんだけど?」
「あれが腑抜けでなくて何だというんだ。お前がしっかりと、漢軍左翼を押さえていれば、俺の背後からの突撃で左翼は崩れた。俺が抜いた後の右翼が中央に襲いかかる前に、左翼を潰せば、この戦場の趨勢は決していた。なのに、俺が背後から攻め寄せた際、左翼の将は随分と余裕をもって陣形を整えていたぞ」
「いやまず、なんで貫いた右翼をそのまま放置するんだよ。それこそ右翼を潰す好機だったんじゃないか? それに、右翼を抜いたあんたが中央を迂回して左翼を背後から攻めるなんて、そんな取り決め聞いてないけど。俺聞き逃したか?」
「数で勝っているのだぞ。それなのに、お前は敵部隊に取り付いてすらいなかった。これは本気で戦っていなかったとみられてもおかしくないと思うのだが」
「いやそれはお前の理論だろ。数で勝ってるからこそ、無理攻めせずに攻めるのが得意な二人に任せたんだ。ていうか、任せるとかどうとかよりも、打ち合わせもなく動いただろお前ら。打ち合わせもしてないのに、お前の思い通りに動かなかったことを責められる謂れはねえよ」
「戦場での部隊の動きを見ていればわかるだろうが!」
「すいませんね。俺、ほぼ初陣なんですわ。野戦の部隊指揮とか初めてやるし。そもそも、人の気持ちとか空気とか目に見えないものは読めないのに、それを期待されましても。それなら逆に、俺が無理攻めしてないのを見て、空気とやらを読んで攻め気を押さえたらよかったんじゃね?」
北宮玉が立ち上がる。
無言で韓遂のもとに立ち寄ると、胸倉を掴んで無理矢理立たせた。
「おい!」「よせ!」
辺章、英狼が北宮玉を抑えにかかる。
「二流役者」
宋建が声を上げた。
「北宮玉の毒を、お前が抜いてやる必要はない。北宮玉。戦場では将それぞれが動く。その結果思いもしない事態が起こるものだ。今までの戦では、部族の長として戦っていたから周りが合わせたかもしれんが、今のお前はいち指揮官だ。二流役者と同位。なればこそ、お前の想定通りに戦が進まなかったからと言って、お前に怒る資格はない。その資格を持っているのは、まがりなりにも、この軍の総大将である道化よ」
そう言われて視線を向けられるのは辺章だ。
「とりあえず、落ち着いてくれ、北宮玉殿。文約から手を放して、座るんだ」
北宮玉は舌打ちをして辺章に言われた通りにする。
「どちらにも利があると感じた。その場の判断が重要故、情報共有を行わなかったのも理解できる。特にこの件に関して、どちらをどう罰するということもない。味方同士、手を取り合って目的を遂行しよう」
辺章の言葉に、宋建がハッと笑った。
「目的。そうよな。上洛軍の目的は洛陽に辿り着き上奏を行うこと。であれば、漢軍を撃滅する必要もない。汧城を餌に、漢軍と和睦交渉を行い、隴と同じように無血で進むのも一つの手かもな」
そんな宋建に、北宮玉は奥歯を鳴らす。
董卓に一矢を報いる。
言葉戦で潰された面目を取り戻す。并州を荒らしきれなかった鬱憤を晴らす。
上洛軍のもとにいては、せっかく巡ってきた機会を逃しかねなかった。
さらに。
「あー。そのことなんですけど、ちょっといいです?」
また、空気を読まない軟弱根暗女たらし男が手を上げた。
「俺たちの当初の目標って、あ、もちろん、大目標としては上奏ですけども。それは何年かかってもいいって判断でした。まず三輔侵入。歴代皇帝の陵墓を暴き、資金源として、第二第三の上洛軍を興し、最終的に洛陽に辿り着ければいい。そういう長期計画でしたよね?」
「そうだな」
宋建が頷いたのを聞いて、韓遂は周囲を見渡す。目が合うたびに隣、隣と視線は動き、最後にはまた下を向くことで落ち着いた。
「汧城を攻めたのは、汧水を渡っている無防備な時に背後を取られかねないから。汧水を渡りたかったのは、漢軍が到来する前に少しでも洛陽に近づきたかったから。つまりそもそも、漢軍が来ちゃった時点で、汧城に固執する理由もなくなったってわけです」
「カンハク? 何が言いたいんだ?」
「誰だよカンハク。いい加減にしろよお前。今真面目な時間だろうがよ」
韓遂は辺章を睨みつけると、息を大きく吐いて吸った。
そして。
「あー、つまりだ。切り替えて、涼州に帰らないか?」
韓遂の放った言葉に、幕舎内の空気は最悪になった。
汧城城内。
上洛軍への対策本部が置かれている政庁は、静かな焦燥感で満たされていた。
「エンの容体は、どうだぁ」
汧城県長の閻行が娘の名前を出して心配げに尋ねる。
その相手は、閻行の妻だ。
「………なんとか落ち着きを取り戻しました。このまま二、三日休めば、意識も戻るでしょう」
彼女は沈痛な面持ちでそう言った。
美しい顔立ち。年齢を感じさせる顔の皺さえその美しさを引き立てる要素となっている。
彼女の名前は炉樺。閻行とは古い馴染みであり、そしてそのまま自然の成り行きで閻行の妻になった。汧県でも有名なおしどり夫婦である。
そんな炉樺の美しい顔が心配げに歪んでいる理由は、一人娘である閻艶が倒れたからであった。
「本来であれば重態です。そんな状態で、城壁守備の指揮をするなど、命を縮めているようなものです」
突撃部隊の指揮官として汧城を包囲する上洛軍に攻撃を仕掛け、手痛い返り討ちにあった閻艶。わき腹を深く切られた閻艶は、しかしそのまま休むことはせずに、自身が受け持っていた東側城壁の指揮に戻ったのだ。
日が暮れ、上洛軍が攻勢を緩めた後に、閻艶は政庁に戻ってくるとそこで意識を手放した。
「強い娘だぁ。俺が代わりに、前線に出てやれば、こんなことにはならなかったのになぁ」
そう言いながら、閻行は床几に寝かされている閻艶の頭を撫でる。
閻艶は汧城でも人気の娘だ。
彼女が敵に斬られて意識不明となれば、城内の民や兵の衝撃は計り知れない。
それを閻艶も自覚していた。
だからこそ、無理を押して城壁に立ってみせ、指揮を行い、そして、人目に付きにくい政庁まで戻ってから意識を手放したのだ。
至急、薬師を呼んで、閻艶の治療に当たらせた。幸いなことに、大剣の斬撃は内臓まで届いておらず、閻艶のわき腹は、洗って縫ってやれば何とかはなった。しかし、ろくな治療もせずに指揮を行ったせいで止血が十分ではなく、血が足りなくなっているらしい。
「今更、もう、戦うなとは言いません。けれど、しばらくの間、この子は休ませなければ」
炉樺は開戦してから何度も閻艶を戦場に立たせないよう主張した。それに反対していたのは他でもない閻艶その人だ。
閻行も、閻艶を戦わせるのは反対だったのだ。それでも、閻艶に説得されてしまった。閻艶ならば、大きな怪我もなく乗り切れるかもしれない。そんな親の欲目もあった。
しかし。
閻行は青白い顔で寝息を立てている閻艶を見ると、そんな確証は全くなかったのだと気づかされた。
閻艶がこれまで無傷だったのはただ幸運だっただけだ。上洛軍にも、閻艶と同等に渡り合う猛者が少なくとも一人はいるのだ。
失ってしまったかもしれなかった。
その恐怖と。
失わずに済んだ。
その安心に。
夫婦は夜遅くまで閻艶について侍っていた。
「それぞれ所感を述べよ」
漢軍本陣。
董卓が指揮官たちを集めて軍議を行っていた。
「申し訳ない。徴兵組を狙われてしまった。あの練度じゃあ、羌族の騎馬隊は止められない」
臧覇が口火を切る。
「私の部隊では、私兵団組を外周において二重の円陣を作ったので敵騎馬隊の突撃を止めることができました。しかし、円陣の内側から奇襲を仕掛けた徴兵組は、やはりまだまだ火力不足を感じますね。よく動いてはいるのですが………」
臧覇の言葉に段煨も同意する。
「練度の差、か。これはすぐに埋まるものではあるまい。次は」
「英黥布っちゅう強い男がおったわ。俺の槌を受け止められる男なんざ初めておうたで。おるところにはおるもんやな」
華雄がそう朗らかに言った。
今回、華雄の指揮する中央部隊は大きく動いていない。
戦端が開かれるや否や、華雄と敵将が一騎打ちを始めたからだ。
「まったくお前は。相も変わらず、指揮官らしからぬ行動をとる。指揮官たるもの、軽率に一騎打ちをするなどもっての外だ」
そうは言うが、董卓は華雄にそこまで怒りを抱いていない。
それでこそ華雄。そう言いたくなってしまうほどに清々しい武人だ。
それに付け加えるならば、敵の中央が華雄によって完全に足止めされていたからこそ、壊滅的な被害に至らなかったともいえる。
勘だけで生きている男だけあって、彼の行動はなんだかんだで理に適わずとも戦局を好転させることが多い。
「敵もさすがに引き際の判断が早かったですね。捕まえるどころか止めることすらできませんでした」
「それに関して付け加えますと、やはり兵力の差が大きいです。敵騎馬隊一万。分断したとしても数の圧で分断を突破されてしまいました」
董卓私兵団の中級指揮官、胡軫と楊定が続けてそう言う。
「ふむ。練度では大きく負けていない。徴兵組もすぐに壊滅するほどではない。ただ、数だけがこちらの三倍以上いるということだ。あの小僧太守が右扶風の兵を引き連れてくれば数だけでは同数になり得るか」
「いえいえ~。お考え下さい、タク様~。上洛軍はまだ本陣に予備兵力を残しております~。数的優位は覆らぬと思った方が良いかと~」
その言葉に、董卓は天を仰ぐ。
「ふむ。ではやはり、仕方がないか」
「そうですね~。仕方がありませんね~」
「ジュジュ。希望はあるか?」
「ふぅむ。騎馬民族には騎馬民族をぶつけたいですね。羌族部隊の相手を別の異民族にお願いできれば、数的同数の上で相手の意表を突くことができそうです。こちらは国軍。相手はあくまで賊軍。補給も、援軍も、こちらは呼び放題です~」
「羌族の相手、となれば、烏丸か。そうだな。烏丸兵三千。どうだ」
「それだけあれば、そして、それだけしかなければ、敵の意表も突けようものです」
右扶風郡から集められる兵に紛れて烏丸兵三千を組み込む。上洛軍からしてみれば内情がわからないため、単純に右扶風郡の援兵が来たと思うことだろう。そこで蓋を開ければ、羌族と同じく騎馬遊牧民族として名を馳せている烏丸族の部隊が戦線に加わる。この展開は上洛軍は想定していないだろう。巧く使えば上洛軍を突き崩す好機となる。
「まずは、皇甫殿にこの提案をするところから始めようか」
董卓はそう言うと、伝令の準備を行い始めた。
董卓から発せられた伝令は危険な夜道を馬で駆け、その夜の内に皇甫嵩のいる長安まで辿り着いた。
長安県の尹府(太守府のこと)に滞在していた皇甫嵩は、董卓からの伝令を受けて顔を覆った。
「どうかいたしましたか?」
京兆尹(京兆郡の太守のこと)の司馬坊が皇甫嵩に尋ねる。
皇甫嵩は唸りながら司馬防に答えた。
「上洛軍。規模は十万だそうで。今日の日中、董殿が攻撃を仕掛けたところ、練度もこちらと同程度。数だけこちらの五倍以上。なす術がないようで、援軍の要請が来てますね」
「どうするのです」
「そりゃすぐさま洛陽に早馬を飛ばしますよ。現場の判断は大事です。しかも相手はあの董仲穎。現場判断をしくじるような人じゃないでしょ」
皇甫嵩の言葉に、司馬防は僅かに瞠目する。
「それは随分と。董様を買っておられるのですね」
「いや買わない理由がないでしょう。董殿は俺の叔父と同時代に辺境で活躍した人間。最近は戦から離れていたとしても、去年の黄巾の乱で戦の勘所も取り戻しているでしょうしね」
「なるほど。それは確かに」
皇甫嵩は話しながら、伝令に持たせる書簡を作成していく。
できあがった書簡はすぐに伝令に手渡され、洛陽へ向けて進発した。
洛陽。
司州河南郡に属し、大陸に君臨する後漢の首都だ。
将軍職最高峰の位に位置する大将軍に任命された何進は今、国都の資料庫に詰めていた。
昨日。
皇甫嵩から伝令が届いた。
皇甫嵩は長安にて進軍を停止し、京兆郡、左馮翊郡に異変がないか確認をしているようだ。右扶風郡へは董卓を一万五千の兵と共に向かわせたという。
涼州の騒乱から端を発した今回の戦。上洛軍の規模がどれほどか不鮮明ではあるが、一万五千の兵を董卓が率いるということで洛陽城に敷設された参謀本部も胸を撫で下ろしたところだった。
しかし、万が一は起こりうる。特に、敵軍の規模がいまだ不鮮明というのが何進を資料庫に籠らせている一因だった。
兵力不鮮明。
これは、昨年の黄巾の乱を思い起こさせる。
昨年と違うのは、少なくとも安全圏が確保されているということだ。皇甫嵩が長安に駐屯しているということは、長安より東は未だこちらの勢力圏ということだ。
もう一つの相違は、昨年は大陸中で民兵が蜂起したためその規模の類推が困難だった点だ。しかし、今回は涼州のみの反乱だ。涼州は辺境であり、人口も中央に比べると僅かである。
それ故に、規模も類推できようものだった。
しかし、あくまでそれは想像の域でしかない。何かが起こった時のために、何進は資料庫で抜擢できそうな指揮官はいないかと探っていたのだ。
それでも、日付を跨ぎ、頭の回転も鈍くなってきた。
そう感じた何進は、資料漁りを中断し、仮眠をとることにした。
どれだけ眠ったのだろうか。資料庫の外から声が聞こえて何進は目を覚ます。
あたりを見渡すとまだ暗い。体感では半刻(約一時間)ほど眠ったのだろうか。
そこまで考えて、何進の覚醒した脳に、先ほどから聞こえている声が意味を持った言葉として届き始めた。
主人。主人。そう呼び続ける声は何進の部下である王匡のものだ。
「どうした」
「主人。お休みのところ失礼します。危急です」
そう言われて何進は今度こそ目が覚める。
「危急? どうした」
「皇甫殿から伝令が来てます。援軍要請です」
その言葉に、何進は内心でやはり、と思った。
ひったくるように王匡から書簡を受け取ると、封を切って書簡を広げた。
そこには、眩暈がするような情報が記されていた。
すでに深夜である。董卓が皇甫嵩に伝令を送ったのが四月七日の夜。その夜の内に、皇甫嵩のもとに伝令は着到し、現在は四月八日の未明だ。まだ陽が登る前。汧城を舞台とした戦場の様子が、迅速に首都に届けられていた。
「伯正。お前は張譲殿に『危急の議出立。至急陛下にお取次ぎを』と伝えてくれ。俺は準備をする」
「わかりました」
王匡が退室するのを見届けて何進も動き始める。
まずは、動揺から立ち直るために、顔を洗わなければいけない。
「危急の議とか言ったな。何が起きた?」
張譲が目をしばたかせながら現れた。宦官特有の甲高い声が何進の鋭敏になった神経に突き刺さるように響く。
「陛下に取り次いでもらいたい」
「まずは内容を言え。このような夜分に陛下を起こしてまでお話しなければならないのか、その判断は、中常侍である私に委ねられている」
その言葉に、何進はため息を吐く。
万事がこうだった。
皇帝への上奏。つまりは意見具申。
これは漢に生きる官吏たちの権利だった。
しかし、それを一から十まですべて皇帝に聞かせるわけにはいかない。だからこそ、中常侍というクッションを挟むことで、皇帝の耳に入れるべき情報かどうかの判断を行うのだ。
そうは言っても、何進は大将軍である。
その立場にある人間が下らない内容を皇帝の耳に入れるわけがない。大将軍が危急だと言ったら即座に皇帝への謁見を用意してほしかった。
それでも、何進は自分を落ち着かせるように深呼吸する。
張譲の言葉は、少なくとも今に限っていえば間違ってはいない。
中常侍の職務を果たそうとしているだけだ。
何進は書簡を張譲に手渡した。
同時に口頭でも説明をする。
「皇甫からの書簡だ。上洛軍は既に右扶風に入り込み汧城を包囲している。董が汧城を救うために汧水を渡河して上洛軍とさっそく相対したそうだ」
「それはけっこうなこと」
張譲は何進の顔を見ながら訝しげに眉をひそめた。
確かに、右扶風に入り込まれているのは想定外だった。それでも、危急というほどのことだろうか。
「問題は上洛軍の規模だ。その兵力は十万に及ぶらしい」
「な!?」
「さらに、汧城を救援するために布陣した董を、包囲を解かずに予備兵力だけで相手したとか。汧に向かった董の率いる一万五千に対し、敵は約三万。寄せ集めの兵かと思ったが、董と互角に戦うらしい。董から援軍要請が来ている」
張譲の顔色が薄暗い室内でもわかるほどに青くなった。
「と、董仲穎がかなわないのか?」
「そのようだ。至急陛下の耳に入れ、明日の朝議にて話し合わなくてはならない」
「す、す、すぐに、陛下のお耳に入れてまいる。貴殿も来られよ」
「わかった。よろしく頼む」
口角から泡を飛ばしながらそう言う張譲に、何進は頭を下げると張譲の後をついていった。
洛陽の四月八日は、慌ただしく始まった。
名前にミスがあったのでさすがに修正。(2026/8/28)
あっちこっちそっちどっちで状況が同時に動きすぎ問題!!
宋建陣営にも新キャラがちょこんと出てますが、ぶっちゃけ、遠い未来の伏線なので別に無視してオッケー。
この時からいたんだなー、って思う日がきっとくる。
そんな楊秋。




