三十四幕 本陣設営
三輔。
司州東部に存在する三つの郡を総称した呼び名。
歴代皇帝の陵墓があるとして、後漢政権では重要視される地域だ。
右扶風郡。左馮翊郡。京兆郡。
この三つを指す。
京兆郡は京兆尹とも言われる。
尹。
長官を指す漢字だ。地名につく場合は首都のような意味合いを持つ。
後漢政権の首都・洛陽のある河南郡のことを河南尹というのと同じだ。また、河南郡の太守のことも河南尹という。
ではなぜ、京兆郡が京兆尹と呼ばれるのか。首都、と呼ばれるものは国家につきひとつだ。それなのに、なぜ、京兆郡が『尹』と呼称されるのか。
それは、この地に、京兆郡に長安県があるからに相違ない。
現在の首都・洛陽。
洛陽県は統一王朝発足当初からずっと首都だったわけではない。
ここで少し歴史を振り返ろう。
始皇帝が初めて統一王朝を作り出した。
その国家の名前が、秦。
始皇帝が死ぬと、始皇帝に仕えていた宦官・趙高が専横を始める。始皇帝の長子を無実の罪で自害させ、次男を傀儡にして国を大いに傾けた。
春秋戦国時代を戦い抜いた各国の王たち。秦に滅ぼされた国家の貴種たち。彼らはその隙を見逃さなかった。群雄割拠の再来だ。
しかし、今度は、割拠で終わらなかった。
始皇帝が一度大陸を統一したが故に。どの軍閥も、『統一』こそを最大目標に掲げた。
そして勝ち抜いたのが、劉邦という男。
様々な貴種を差し置いて、地方の、ただのごろつきだった男が、国を勝ち取った。
高祖一年(紀元前二〇六年)秦は滅び、漢となった。
二百年余り続く前漢と呼ばれる時代だ。
しかし、前漢末期は皇帝が病弱だったり幼かったりで実権を明け渡すことが多く、外戚である王氏が実質的に国家を運営していた。
そしてついに、居摂三年(西暦八年)。
専横を咎められ官を追われていた王莽は、皇帝の直系が途絶えたことを理由に自身が皇帝を名乗りだした。
新たな国家・新の誕生である。
しかし、王莽は失敗した。
革新的だった漢に反発するかのような懐古的な政治を行い、地名や官職名を古い名前に戻すなど漢の色を塗り潰すかのような政策を次々に展開。
結果として民衆の混乱を招き、各地で反乱が起こると、王莽はそれに対応しきれず、十五年後の地皇四年(西暦二三年)に反乱軍によって首都を落とされ、王莽は殺された。
こうして、一代で新は滅亡し、王莽を討ち取ったその一軍も堕落の一途を辿った。
結果として、首都を占拠した賊軍という扱いになり、別の軍に討ち取られた。その後も混乱が続き、その混乱を収めたのが劉秀という男だ。彼は後に漢を再興するに至る。それが後漢だ。ちなみに、国家を再興して天下を統一。長い中国大陸の歴史を見てもこれを実現させたのは劉秀ただ一人である。
その後、劉秀は各地に散らばる抵抗勢力を撃破し、建武十二年(西暦三六年)に再び天下を統一。それから百五十年が経過して現在の中平二年(西暦一八五年)に至るというわけだ。
さて、秦の首都は咸陽である。咸陽は現在の長安県に建てられた城だ。
それ以降。王莽の新も首都は長安県に置いていた。
王莽を討ち取った劉玄も、劉玄を討ち取った劉盆子も長安に駐屯していた。
しかし、劉秀は洛陽を拠点に動いていた。
天下を統一した後も、劉秀は洛陽を首都として機能させ続けた。
長安を『古都』と呼び、長安の所属する京兆郡を河南郡と同様に京兆尹とも呼称する理由は、古に敬意を払ってのことなのかもしれない。
そんな、古都・長安県の県城に皇甫嵩率いる漢軍が入城したのは、三月三十日の午前中だった。
二万五千の大兵力だ。全兵を入城させようとすれば、一昼夜かかってしまう。故に、皇甫嵩は城外に兵を待機させ、十名ほどの護衛の兵と董卓軍の中核の人間、約三十名で入城しようと考えていた。
しかし。
「こりゃ、参ったな」
長安城を見た皇甫嵩は、顔を引きつらせながらそうごちるしかなかった。
長安周辺は古代王朝である殷の時代から都市が作られており、先に述べた秦の首都・咸陽などは、現在の長安城の北を流れる渭水の対岸にあったほどに近い。秦が滅んだ後に項羽を破って漢を建国した劉邦は咸陽の郊外に長安城を建てた。それが今もなお使われている。
劉邦がこの地に長安城を建てた実際の理由は今となってはわからない。
しかしそれでも、まさしく、正解といえるような場所に長安城は建てられていた。
長安城は南に伏牛山、北に邙山という峻険なる山が聳えている地に建っている。山と山の間の窪地。谷底のような地を利用した天然の要害だ。
東西南北それぞれに三つずつの城門があり、それぞれの城門から道がまっすぐに伸びて中央部で交差している。三本ある中で中央の道は皇帝専用の道路となっており、民衆は両脇に伸びる二本の道路を使う。
南北から城門の外に伸びた道は、途中で折れ曲がり、長安城内から東西に伸びる道に合流している。そして、南北の道のすぐそこまで、伏牛山・邙山が迫っているのだ。率直に言うと、長安城の南北には大軍が駐屯するスペースがない。
かといって、東西に駐屯しようとすると、長安城に出入りする物流を止めてしまいかねない。
もし仮に、長安城を敵が攻めようとした場合、長く、真っすぐ伸びる東西を貫く道路を進軍するほかなく、完全に包囲するということすら難しい城だ。
まさに、守るに易く、攻めるに難い、堅城だ。
この地が本拠であれば、どれほど心強いことだろうか。
しかし今回は、進軍に際しての中継拠点以上の何物でもない。こと、軍勢が通過しようとするには、難儀な城でもあった。
城の東西に分かれて軍を駐屯させるか。そもそも、長安の政務官たちは二万五千もの軍を突然見て混乱に陥ってはいないだろうか。
もちろんのこと、皇甫嵩は道中で各県城に伝令を飛ばして軍が通過する旨を通達している。目の前の長安城にも伝令は到着しているはずだ。
しかし、それでも実際に軍勢を目の当たりにすれば、長安城に住まう民衆は恐怖するだろう。その混乱を避けて、無事に通過できるだろうか。
皇甫嵩がどんよりと思案を巡らせていると、董卓が声をかけてきた。
「皇甫殿。あれを」
董卓の指さす方を見れば、ひとりの男が馬を駆けさせながらこちらに向かっているのが見えるところだった。
「お初にお目にかかります。此度は討伐軍の任、ご活躍をお祈り申し上げております。微力ながら我々も尽くさせていただきたく、皆様にご不便をかけないよう短慮を巡らせております。何か至らない点があれば、お気軽にお申し付けください」
そう言って拝礼をする男。
司馬防。字を建公という。京兆尹だ。
洛陽のある河南郡。長安のある京兆郡。
この二つの郡はそれぞれ、河南尹、京兆尹と呼ぶのは既に述べた。
そして、郡の長官。太守。
それも、この二つの郡では呼び名を変える。
それぞれ、河南尹、京兆尹、と。
つまり、郡の名前と郡の長官の呼び名。この二つが同じ名前なのだ。
混同を避けるため、本作では地の文において地名の方を河南郡、京兆郡と。職名の方を河南尹、京兆尹と、便宜上呼ぶことにする。
京兆郡京兆尹の司馬防。
京兆郡の郡治である長安城に赴任している男だ。
皇甫嵩よりもわずかに年上。背の丸まった皇甫嵩とは対照的に、どこまでもまっすぐ、その地に立っている。
そして、そんな彼が治めているのが納得できるほどに、長安城も整然とした空気感が満ち満ちていた。
「すでに城外の人払いは終わらせてあります。城内の民にも、通達は行っており、皇甫様方が駐屯なさったとしても、混乱は起こりますまい」
そんな司馬防の言葉に皇甫嵩は感謝の意を示し、ありがたく全軍に休息を命じた。
城内に入ることができるのはごく一部であるものの、城外とはいえ、安心して野営ができるのはありがたい。
さらに、司馬防は城内の民に命じて討伐軍に対する炊き出しまで行ってくれた。
有難く好意を受け取った討伐軍は、人心地ついた状態だ。
そして、皇甫嵩、董卓、そして参謀の李儒は司馬防について長安県の政庁に足を運んでいた。
長安県政庁太守府の一室にて。
皇甫嵩は司馬防に詳しい現地の情報を聞こうと考えていた。
しかし、司馬防は暗い表情で頭を振った。
「申し訳ありません、皇甫様。皇甫様が、そして、董様が欲しているのは上洛軍と自称する賊軍の詳報でしょう。しかし、私は京兆尹。京兆郡の内情であればすぐさま開示できるのですが、右扶風郡の情報となると、たとえ隣の郡であろうと私の職能の及ぶところではありません。右扶風郡ではすでに厳戒態勢が敷かれております。そこから鑑みれば賊軍が右扶風郡に近づいている、あるいは、既に右扶風郡に入り込んでいる可能性はあります」
難しい顔でそう言う司馬防に、皇甫嵩は天を仰ぎ、董卓は顔をしかめる。
「俺たちが陛下から命じられたのは、賊軍の三輔侵入を阻止することだ。長安から向かうにしても一昼夜じゃ辿り着かない。すでに手遅れの可能性があるのか」
重苦しい空気が室内を支配する。
しかし。
総指揮官とは。
軍の進退を決める重要な役割を持つ。
情報を集め、様々な視点から物事を見て、現状を認識するのが総指揮官の役割だ。
そして。
頭脳労働をする参謀の役割はまた違う。
現状を確認し、現状に合った策を提示する。
指揮官は提示された策の中で目的遂行に足るものを選ぶのだ。
だからこそ、皇甫嵩と董卓は現状のマズさに表情を曇らせ。
李儒は、選択肢を生み出すために前へ進む。
「まずは~。右扶風郡の、わかっている範囲での情報を求めます~。我々はこの地方に明るくありません~。少しでも情報がもらえると助かるのですが~」
李儒の言葉に董卓と皇甫嵩の表情が持ちなおる。
董卓は付き合いの長さ故。李儒の間延びした喋り方は、彼女の平常心を表している。彼女が平常であると、そう示すのであれば、それが作られたものであっても董卓は前を向く。
皇甫嵩は諦めたが故。簡単に終わるとは思わなかったが、それでも前年の黄巾の乱ほどにはならないだろうと考えていた。その楽観を諦めたのだ。面倒くさいが、またもや、切所なのだと、思考を切り替えた。
李儒の言葉に皇甫嵩と董卓が持ち直したのを見て、司馬防は頷く。
―――どうやら、漢は、この異常事態に優秀な手札を切ったようだ。
「すぐに地図を持ってこさせます。少々お待ちください」
少々、とは言ったものの、既に用意させてあったのだろう。
司馬防の言葉からほとんど間を置かずに、司馬防の部下が地図を持ってきた。
「敵は涼州で発足した賊軍。涼州からの侵攻経路は大きく分けて二通りです」
卓上に置かれた右扶風郡の地図に視線が集中する。
「漢陽郡から右扶風郡西部に侵攻する経路と、安定郡から右扶風郡北部に侵攻する経路です」
その発言を受けて、皇甫嵩が待ったをかける。
「地図の上からじゃ、北地郡や武都郡からも侵攻できるように見えるが」
皇甫嵩の言葉に司馬防は頷く。
「地図上では確かにそうです。しかし、敵の目的が上洛、つまり洛陽であるならばなるべく最短距離を動きたいはず。北地郡から東進すると并州に入り、并州を経由しての司州入りとなります。ただでさえ、并州は異民族の脅威に晒されて軍勢が精強です。積極的に取りたい進路ではないはず。また、右扶風郡を経由すれば、仮に上洛を達成できなくても、陵墓を荒らすことで漢の威信を貶めることができます。右扶風を経由するのはほぼ確実だと考えていいですし、仮に経由しないのであれば、こちらに時間的余裕ができます」
「北地から、右扶風に入る経路は?」
董卓の言葉に司馬防は笑みで返す。
「実のところ、その経路で侵入されるのが、右扶風にとっては一番守りやすい形です。話が前後してしまいますが、右扶風郡には、涼州から迫る軍勢に対する防衛策が張り巡らされています。西方防衛策と北方防衛策。詳しくはわかりませんが、一城が敵と相対する間に他の城に伝令を飛ばし救援を仰ぐという連絡網が構築されているとのことです。北地から右扶風に入れば、右扶風の中央部に出るまでに栒邑、漆、杜陽と三県を打ち破らないといけません。対して、安定から侵攻すれば、杜陽をいきなり襲いかかれます。栒邑、漆の援軍が来るまでに杜陽を抜いて右扶風郡中央部に出てしまえば長安までは一直線で進めます」
「武都からの経路は?」
「それに関しては単純に地形の問題です。武都から右扶風郡南部に侵攻しようとすると急峻な山を進まなければなりません。万単位の軍が自在に動けるほどの道はない。無傷で右扶風に入ることはまずできないと考えていいでしょう」
「なるほど~。地形も合わせてうまく城が配置されていますね~。まるで~、涼州が敵地、のように捉えているみたいですね」
李儒の目が暗く光る。
涼州は異民族からもたびたび攻撃を受けている僻地だ。
そして、異民族から攻撃を受けているという点では、董卓が赴任している并州も同様だ。
中央集権が進んだ結果、辺境の地を、まるで、敵に奪われることを前提にして策を練っているようで不快な思いだ。
司馬坊にも李儒の不機嫌な感情は伝わった。
「并州刺史である董様ならびに、その片腕でもあらせられる李様には申し訳ありませんが、首都の周りを最も厚く防備しなければなりません。もちろん、優先順位の問題であって、いずれは、漢の領土内を堅く防備する未来が訪れるでしょうが、そこまでの手は回っていないのが現状です」
「ジュジュ」
董卓の短い呼びかけに、李儒は肩を竦める。
「いえいえ~。思うところがないわけではありませんが、吞み込むだけの器量は持っているつもりです~。話の腰を折って申し訳ありません~」
皇甫嵩は李儒が何に苛ついているのかいまいち呑み込めない。
国防、という観点であれば、辺境を二の次にするのは仕方がない。
国とはすなわち、皇帝であり、首都だ。
皇帝を蔑ろにして民を守っては本末転倒だ。
中枢を万全に守れるようになってからでないと、地方には手を出せない。
そして、地方では定期的に異民族が攻めてきている。
防衛策を練り上げたり防衛網を構築するだけの余裕が、辺境にはないのだ。
(………まあ、董殿みたいにあの手この手で防衛網を構築するってのもあるにはあるが、あのとんでもないやり方を全官吏に求めるってのも酷な話だしなぁ)
「で、漢陽からの経路は?」
皇甫嵩は董卓と李儒の心中には構わず話を続ける。
あの二人であれば、どうせ割り切るだろうと、そう投げうって。
「漢陽からの経路において前線となる地は汧です。汧を抜いても、上洛軍は汧水を渡る必要があり、経路としてはあまりうまいものではありません。ただ、上洛軍は金城で蜂起した後、漢陽で涼州刺史を討伐しようと動きました。涼州内での進路を見るに、そのまま漢陽から右扶風郡に進軍しようとしてもおかしくありません。現状、最も確率の高い経路かと」
「となると、汧が上洛軍と接敵しているかどうか、だな。これ以上の情報はここにはない、か」
司馬坊が頷くのを見て、皇甫嵩がため息を吐く。
「では、右扶風にて詳しい情報を集める必要があるな。右扶風の郡治は? 太守はどんな男だ?」
董卓の言葉に、なぜか、皇甫嵩ががっくりと項垂れる。
司馬防はそんな皇甫嵩を不思議そうに見ながら、董卓に答えた。
「右扶風の郡治は槐里県です」
董卓と李儒の視線が皇甫嵩に集まった。
皇甫嵩。字は義真。
先年起きた民衆の反乱・黄巾の乱において漢の討伐軍を率いた将だ。
彼はその功績を称えられ、列侯に封じられている。
漢の国民は、一部の例外を除いてほぼすべての人間が貴族階級を持っている。
ニ(に)十等爵と呼ばれる二十段階の爵位のどれかを国民は与えられて生活している。爵位など、罪人でないことの証のようなものだ。罪人になると爵位を没収されるからだ。
他にも、奴隷、商人、そして女性は爵位を持てない。持つには並々ならぬ努力が必要になる。
しかしそれ以外の国民は、ただ、まっとうに生活しているだけで、爵位が渡される。吉日だから爵位を配る、というような皇帝もいたほどだ。それぐらい、低位の爵位はありふれている。
列侯はそんなニ十等爵の最上位に位置する爵位だ。厳密に言うと、列侯の上に番外となる諸侯王がいる。これは、皇帝の一族に与えられる爵位だ。
故に。
人臣が与えられる最上級の爵位が列侯なのだ。
特徴としては、十九位と二十位だけ他の爵位とは違って明確な差異がある。
十九位・関内候。
二十位・列侯。
この二つの爵位は、領地を持ち、領内の税を手中に収めることができる。いわゆる、『領主さま』になれるのだ。
黄巾の乱の功績としてそんな列侯に、皇甫嵩は封じられた。
封じられた地は、槐里県。
封じられた爵位は、槐里郷候。
槐里県の県城の外に広がる里(村のこと)から納められる税を手にする権利を得たのだ。
ちなみに、郷とは、里を複数個まとめた行政上の呼び名である。県城の中にある郷を都郷、県城の外にある郷を離郷と呼んで区別する。皇甫嵩が手に入れた郷侯という立ち位置は、離郷の税をもらえるということだ。
しかし皇甫嵩。
昨年は年末ギリギリまで奔走しており、年が明けてからは嫁を取るための準備として洛陽から動かなかった。(嫁を取るための準備と言っているが、実際にやっていたのは新妻のひとりである郭典が寿退社をするにあたり後任に引継ぎを済ませるのを待っているだけで、この男が何か動いていたわけではないことを明記する。付け加えるなら、彼の従者であり新妻のひとりである紀孔は黄巾の乱での連戦が堪えたのか、皇甫嵩が安全に過ごしているだけで幸せを感じていた。今回の戦に紀孔がついてきていないのは、郭典を家で迎える家族がいなくなるのを紀孔が気にしたからだ。生来の暢気者なシゴデキ従者は、皇甫嵩から結婚の確約を受けたことで人生ご満悦である。この点もまた、郭典が帰ってきたらぼろくそに怒られるのだろう。『落ち着いたら結婚しよう』『戦地から帰ってきたら結ばれよう』こんなわかりやすいフラグもないのにそれを見過ごすのは紀孔の失態であり、皇甫嵩の運命力であるのだから)
閑話休題。
ようするに、皇甫嵩は年が明けても洛陽から動かず、その結果、領地である槐里県も今、これから、初めて向かうことになるのだ。
なんだったら、槐里県が郡治であることも初めて知った。
郡治ということは、太守が赴任しているはずだ。
そして、県令も赴任しているはずだが、もしかしたらもう、国相に名前を変えているかもしれない。なんだったら、槐里県、ではなく、槐里国と名前が変わっていてもおかしくない。民衆の意識がどっちなのか。
何もわからない。本来であれば、それくらい、下調べをしておいて然るべきなのに。
皇甫嵩という男。
戦場では執拗なまでの情報収集を行うくせに、戦場から離れると様々な情報に対して途端に興味を失う。
政争に向かなすぎる男だ。
バツが悪そうに顔を歪めるという、ある意味正直すぎる反応を見た董卓は、皇甫嵩をそう評した。
「かーーーーーーーー、い里県、ですかぁ。なーるーほーどー?」
皇甫嵩の言葉に、反応に、司馬防はきょとんとした顔をして、すぐに得心が言ったように頷いた。
「皇甫様は槐里郷侯となられましたな。いわば領地ということで」
「な、なんで、司馬さん、俺が槐里郷候って知ってるんです?」
「風の噂で」
「出た風の噂! なに!? どこで聞くの!? 俺には風さん教えてくれないんだけど!!」
「………………」
突然叫ぶ皇甫嵩に、司馬防はしばし目を丸くし、そして微笑みながら頷く。
「なるほど。皇甫様はそういったお方ですか。それはそれは」
「いやな、なんですか? 何を納得したのです?」
「いえ、ですが、今の時代に珍しい方だと。皇甫様の戦い方は存じております。戦場で情報を集めるでしょう。それと同じことを私どもは日常の、政治を舞台に行っているのです。誰が出世し、誰が落ちぶれ、誰それの所属している派閥はどういう意見を持っているか。そういった情報を常に集め、自分の立ち回りを誤らないよう努めるのです。それが、政治の舞台、ということです」
「あーーーー。公偉。友達も同じようなことを言ってた。けど俺は、どうにも常に気を張るってのが無理だ。俺は陛下に忠誠を誓ってるけど、陛下が用済みって言うんなら俺みたいなのはそれで終わりだろ、って思ってるからなー。政治に関与してる皆々様は、本当に尊敬してるんだぜ。そうなりたいとは思わないけど」
「これはこれは。しかし、皇甫様は望外の出世を遂げられた身。ついてくる部下も多くなるでしょう。その部下のために、自身の身を守るのは大切なことでは」
「それは俺と考え方が違います。俺の部下になるって言うんだったら、誰の下についても大丈夫なように、自分自身で保身をしっかりしてもらわないと。俺は保身をしないから。司馬殿。ここだけの話なんですけどね。俺、陛下に無理矢理引っ張り出されてるんですよ。仕事とかしたくないし、昼寝だけして生きていきたいんです。嫁さん優秀だし、嫁に働いてもらって、俺、養ってもらいたいんですよね。むしろ、クビになりたい!!!」
「なるほど………」
「戦場に出てさ。命かけるとか嫌ですよ。嫌って程やりました。だからまあ、失脚するならそれはそれで。というわけで、俺、槐里の情報全然ないんですけど、何か教えてくれたりとかします?」
董卓は顔を覆い、李儒は頭を抱えた。
情報とは、地方政務官にとっても、生命線だ。
戦場で過ごしてきた皇甫嵩にもわかるように司馬防は説明した。
そして、皇甫嵩は理解したはずだ。理解した上でもっと情報が欲しいと言っている。
「いやー、味方に司馬殿みたいな人がいて助かります。上洛軍に対するのに有効そうな情報でいいんで」
「………………」
司馬防は皇甫嵩をまじまじと見る。
楽がしたい。
そう顔に書いてある。
しかし、この情報提供を断れば、漢軍対上洛軍の争いにおいて漢軍に対抗したと捉えられてもおかしくない。
上洛軍に対抗するための情報。
太守の情報や軍備の話になる。武装している豪族の有無も関係性はあろう。
これを機に、司馬坊から情報を絞れるだけ絞ろうとしている。
戦を中心とした、政治への関与。
これを理解してやっているのだとすれば。いや、理解せずにやっているのだとしても、皇甫嵩は漢政権において鬼札になるかもしれない。
(ここは、縁を結んでおきましょうか)
司馬防はそう考えると、皇甫嵩に情報を開示し始めた。
「さて、董殿。とりあえず、洛陽で立てた戦略通りに動く。今のところ予定外はないからな」
「儂が右扶風に入り、皇甫殿が京兆・左馮翊の治安を確認する」
「そう。期せずして司馬殿にも助力を取り付けられたし、董殿は一万五千で向かってくれていい。けど、もしもう少し欲しかったら二万でもいいぞ」
「いえ。あまり軍を大きくしても動きが鈍くなる。一万五千で構いません」
「伝令は密に送ってくれ。最低でも一日に一度は。『異常なし』だけでもいいから」
「わかりました」
董卓は拱手をして皇甫嵩の前から辞す。
そして。
翌日。
四月一日。
董卓が率いる一万五千の漢軍が、右扶風郡が郡治、槐里県に向かって進軍を再開した。
さて新キャラ登場です。
司馬防。
彼はあの司馬懿のお父さんです。
謹厳実直を絵に描いたような人で、休日もその威儀を崩すことはしなかったとされています。
ぶっちゃけそんな人が家庭にいると息が詰まりすぎるよな………。
そんな司馬家の防さんですが、皇甫嵩に対する印象は『困った人』『ほっておけない』みたいな感じです。
これも人徳ですな。




