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三十三幕 華と王



 三月二十七日の激闘が明け、翌二十八日。

 (けん)(じょう)を包囲する(じょう)(らく)(ぐん)は新たに(そう)(けん)から指揮官を送られていた。

 各城壁攻撃部隊は、いつまた汧城から突撃部隊が打って出るかわからず、及び腰になりながら汧城の攻囲を続けた。

 しかし、二十八日の日暮れに至るまで、結局、汧城の城門は、どこも開かれず、上洛軍は、ホッと一息を吐きながら野営の準備を始めるのであった。



 汧城東城壁攻撃部隊にて。

 「おいおいおいおいおい! せっかくこの俺が出張ってきてやったってのに、城に籠って出てこないなんて、随分な慎重策ですなぁ!!」

 暗くなった城壁に向かって大声で汧城守備兵を揶揄う男がいる。

 しかし、帰ってくるのは沈黙。

 男は頭をガシガシと掻きながら、野営の地に戻った。

 「(えい)殿。慎まれませい。彼らも命を賭して国のために戦っているのだ。そんな彼らを悪し様に言うものではない」

 東城壁攻撃部隊の指揮を執っている()(ぎん)がそう言うと、英、と呼ばれた男はバツが悪そうに顔を歪めた。

 「わかってますって。そうは言っても、これで挑発に乗って出てきてくれりゃあ御の字ってもんじゃないですか。城攻めなんてのは、早期に終われば終わるだけ兵にも民にも負担がかからない」

 そう言ってバツが悪そうな顔をニヤニヤとした笑みに変える。

 (えい)(ろう)(あざな)(げい)()という男は、宋建から『猛禽』と呼ばれていた。

 「そうは言うがね。もしそれで挑発に乗って昨日の突撃部隊が出てきたらどうするというのだ。あれは並大抵の武技ではなかった」

 李垠は閻艶の突撃を間近で見ている。

 それ故、城門が開くことに恐ろしさを感じていた。

 しかし。

 「並大抵じゃない。大いに結構じゃないか。この(えい)(げい)()も並大抵じゃあない。なんとはいっても、『黥布』を名乗っているんですぜ?」

 獰猛な笑みに李垠は呆れる。

 「『黥布』、ね。(しん)末期、(こう)()に仕えたと言われる猛将の名前か。確か彼も英姓だったか。もしや縁者か?」

 「さすがは(けん)(ちょう)殿。よくご存じで。そうその通り。(えい)()。またの名を、黥布。俺の(あざな)はご先祖である彼にあやかったものですよ」


 英布。またの名を、黥布。

 (しゅん)(じゅう)(せん)(ごく)()(だい)を勝ち抜いた秦。しかし、()(こう)(てい)が病にて崩御するとひとりの(かん)(がん)によって専横が行われた。優秀な始皇帝の長男は幽閉の後に自害させ、年若い始皇帝の次男を擁立して傀儡にすると、その宦官は重税をかけ国を疲弊させた。

 これを好機と見たのは秦によって滅ぼされた戦国時代の忘れ形見たちだ。

 彼らは旧国を取り戻すため秦に反旗を翻すとそれぞれが亡国の王を名乗って秦に攻め寄せた。

 (えん)()()(せい)

 これらの勢力はしのぎを削って秦に抗いながら、時に手を取り合い、時に反目しあって動乱の時代を駆けた。

 その中の楚軍。

 楚王をたて、楚軍の指揮官として実力を上げていったのが(こう)(りょう)という男だ。この男、有名な項羽の父である。

 そして、項羽の副将として活躍した名前の中に黥布はあった。

 元の名前を英布という。

 若い頃。占い師にこう言われたそうだ。

 「あんたはいずれ刑罰を受ける。しかし、その後に王となるだろう」

 しばらくして、英布は本当に刑罰を受けた。その顔に犯罪者であることを示す刺青も彫られた。

 しかし、英布はそれをむしろ喜んだという。

 「刑罰を受けたってことは、俺が後に王になるのも確定したってことだ」

 そう言って、英布は、黥布と名乗り始めたという。

 『黥』とは、『刺青』を指す言葉だ。

 犯罪者を指し示し、恥でもある刺青を自慢げに誇張して戦場に立った。

 後に、本当に(わい)(なん)(おう)へと封じられたというからとんでもない話である。


 そんな英布の子孫が英狼だった。

 先祖が使っていた名前というのは、先祖のものであり、基本的にその漢字を避ける傾向にある。というのに、英狼は自身の(あざな)に、先祖の通り名をそのまま付けた変わり者だ。

 そんな英狼に、李垠はため息を吐く。

 「まあ、英殿であれば、遅れは取らないだろうがな。しかし、戦場では万が一もある。避けられる強敵は避けるべきだ」

 李垠は宋建が暴れ回っていた()(かん)(けん)(けん)(れい)だ。

 当然、何度も宋建軍とは干戈を交えている。

 だからこそ、英狼の強さも身に沁みている。

 猪武者のような身なりに喋り方ではあるが、英狼はどちらかというと知将に近いタイプの猛将だ。激戦に身を置きながら策を弄して敵軍を手玉に取る。

 宋建が集めた将の中で、李垠は、もっとも英狼に苦しめられたといっても過言ではない。

 それでも。

 李垠は、(えん)(えん)が英狼に止められるとは思えなかった。



 汧城西城壁攻撃部隊にて。

 「ううむ。結局敵は出てきませんでしたな」

 (へん)(しょう)は傍らに立つ男に声をかけられて視線をそちらに向ける。

 「わざわざ来ていただいたのにすみませんね」

 そう言う辺章に、丸顔の男はにこやかに笑った。

 「はっはっは。(へん)殿。今はあなたが上官だ。そのように(へりくだ)られては困ってしまう。どうか部下に接するのと同じように」

 「ああ。そうだな」

 やりにくい。

 辺章は内心でため息を吐いた。

 宋建から送り込まれた男。

 (じん)耀(よう)(あざな)()(こう)という。

 (りょう)(しゅう)(かん)(よう)(ぐん)の名家の出だ。

 『(てん)(すい)()(せい)』という四つの名家が漢陽郡には存在する。この地が過去に(てん)(すい)(ぐん)と呼ばれていたことからついた名前だ。

 (きょう)()(えん)()(ちょう)()、そして(にん)()の四家からなる。

 閻氏といえば、汧城(けん)(ちょう)(えん)(こう)を思い浮かべるが、彼は(きん)(じょう)(ぐん)出身であり、天水四姓には数えられていない。

 任耀は任家の跡取りとして生を受けた。

 地方豪族の一員として育った彼は、当然のことながら(かん)の国民として地方の窮状を嘆いていた。

 暮らしが貧しいのは仕方がない。

 涼州は寒冷地帯であり乾燥地帯だ。作物の実りは当然よくない。しかしそれでも、貧しいながらに民は生活ができる。

 しかし、異民族による襲撃は別だった。

 民の力ではどうにもできない異国の軍が攻め込んでくるのだ。当然、国土を侵されるわけにはいかない(かん)は討伐の軍を差し向けなければならない。

 民は税を支払い、国は民を守るべきなのだ。

 けれども現状は、国が対処するのは大規模な攻勢においてのみで、小規模な襲撃に対しては対処が遅れることも少なくない。

 地方豪族が力をつけたのはこれが理由でもある。

 自分たちで金を支払い、自警組織を作り上げ、異民族に対抗するのだ。こうなってくると国に守られているとは思えなくなる。自然と国への忠誠心は低下し、豪族たちは半ば国から独立したような存在になっていくのだ。

 任耀も例外ではなかった。

 任家の跡取りとして人を雇い、数百人規模の戦に自ら参加して戦場で指揮を執った。

 それでも、守れるのは僅かな範囲だ。

 天水四姓。

 そう呼ばれながらも、漢陽郡全域を守ることはできず、四分の一すら守れていない。

 忸怩たる思いを抱え、それでもどうにか守れる民を、地域を増やそうと、官途を目指した時期もあった。位が上がれば、守れる民も地域も増える。

 しかし、地方政権の実情は、任耀にとって醜く腐れ落ちた果実に映った。

 腐った果実が強い香りを放つように、一見すると華やかな、そして強烈な力を持っているように見える。しかしその実態は賄賂が飛び交い軽犯罪が横行する政治の社交場だ。

 腐った果実が柔らかく潰れやすいように、任耀にはその社交場が、脆く儚いもののように感じたのだ。

 それを感じ取った任耀は、もはや官途に就きたいとは思えなくなってしまった。

 燻っていた任耀を宋建のもとに誘ったのは、幾度か戦場を共にした将のひとりだった。

 拘りの強い男で知られ、書の達人であると噂されている男だった。

 宋建という男は(かん)に頼らず、新たな秩序を作り出そうとしている。

 腐敗した政治を嫌い、独自の勢力を築き、要職に就くものを実力によって選定しようと考えているという。

 それを聞いた時、任耀には天啓が舞い降りたように感じた。

 既存の国家で、腐臭を身に纏いながら上を目指すことにやりがいを感じることはできなかったが、新しい国家で、地位を上げていけば、それは必然的に任耀の手が届く範囲が増えるということだ。

 建国の臣として宋建に協力すれば、成果を上げれば、自分の理想は叶うのではないか。

 その思いと共に、任耀は友人となった書の達人と共に宋建の軍門に入った。

 地元で徴兵を行い、五千の兵と共に宋建への協力を申し出たという。

 その経緯を知っていた辺章は、だからこそやりにくさを感じていた。

 任耀の志にはもちろん完全に同意できる。

 人柄も名家の人間らしく多少気取ったところはあるものの、他者を見下すような傍若無人さは見られない。

 単純な話。

 辺章は名家の出というわけではない。

 戦場で名をあげ、功を立て、気づけば(とく)(ぐん)(じゅう)()という役職にまで上り詰めてはいた。いわば、辺章は成り上がり者だ。だから単純に名家ということに気後れしてしまうのだ。

 しかも、辺章は任耀が見限った(かん)に仕えている身だ。

 上洛軍などと反乱を起こしているが、それでも辺章の心中は(かん)に忠誠を誓っている。(かん)のためを思い、(かん)に直訴するために、兵を起こしたのだ。辺章からすれば、この戦は反乱ですらないと思っている。

 しかし、任耀は(かん)を見限っているのだ。

 そんな男と戦陣を共にする。

 やりにくい、と思った。



 汧城南側城壁攻撃部隊にて。

 「………………………………」

 (ほく)(きゅう)(ぎょく)は黙って宋建から送り込まれた男を見ていた。

 彼は、着陣すると、懐から突然紙と硯と筆と墨を取り出し、その場に座り込んで何やらものを書き始めた。

 何を意図したものかわからない。

 北宮玉が視線を巡らせると、李文侯が困ったような表情で書き物に集中している男を見ていた。

 その様が少し愉快で、北宮玉は少し胸が晴れる。

 ―――と。

 「よーし、できたぁ。えーと、北宮玉殿、で良かったですかね? 確認してもらっていいですか?」

 不意に書き物をしていた男は背筋を伸ばすと北宮玉に紙を差し出してくる。

 (かん)語で何やら書き込まれているが、わかるのはそれだけだ。かろうじて、書かれているのが陣立てだと感じられる。

 「………これは、汧城包囲の陣か? すまんが、俺は(かん)語が読めん。何が書かれているかわからんから確認のしようがない」

 そう言うと、男は「あちゃー」と頭に手をやった。

 「あー、そうかそうか。(かん)語読めんか。えーと、(きょう)(ぞく)の文字はどんなもんだ? 教えてもらってもいいだろうか?」

 「教えること自体はやぶさかではないが、それでも今は戦時だ。書き物など、陣中で行うべきことではないだろう」

 そう言うと、男は顔をしかめる。

 「あいやいや。人生はどこまで行ってもどんな時でも学びと共にあるもんですぜ。羌族の文字。習得できるならそれはどんな時だろうとしなけりゃならない。ま、もちろん、今すぐとは言いませんや。夜にでもどうか教えてやっちゃくれませんかね」

 そう言いながら手を合わせて拝んでくる。

 北宮玉は相手をするのが面倒になってきた。

 「夜に手が空いていたらな。それで、これには何と書いてある?」

 「いやあ、ありがとうございます。で、これなんですけど、さっき北宮玉殿が言った通りですよ。この城の部分には『汧城』。北には『(かん)(ぶん)(やく)』『語り部』。東には『()()(おう)』『猛禽』。南には『(へん)()(いん)』『偽善者』と。で、ここ、南には『北宮玉』『()(ぶん)(こう)』んで、俺、『頑固者』って書いてあります。後はそれぞれの兵力がここに」

 男の指を追いながら書かれている内容を確認し、頷く。

 「間違いはないようだ」

 「ですかー。さて、えー、次の確認ですけど」

 そう言って、男は新たな紙を取り出した。

 「ここ。汧城の南側の陣にどれだけの物資があるか、教えてもらっても? (はし)()の数、木材の数。布の数。管理してるのは北宮玉殿ですよね?」

 そう言ってくる男に、北宮玉はいい加減イラついてきた。

 「今は戦時中だ。見てわからんか? 今も、兵たちは城壁を攻めている。書記官の真似事であれば、今でなくてもよかろうが」

 「いやいやいやいやー。今でこそ、でしょうよ。見た感じ、兵は及び腰になっています。あれは、件の突撃部隊に植え付けられた恐怖からでしょう。今日明日でどうにかなるものでもない」

 そう言って男が指さす方を見ると、確かに、兵たちは初日の攻勢が嘘のように、城壁を攻めあぐねていた。兵たちの視線は城門に向けられている。いつ城門が開き、中から騎馬隊が飛び出してくるかと怯えているのだ。

 「ま、かといって、一気呵成に攻勢に出れば、まーた城門が開くでしょう。だからあれでいい。それよりも、いざ攻めかかる時、最大限に効率的に攻めかかるべきでしょう。だから今なんです。今の内に、物資を確認して、数日後に起こるであろう攻勢時に、物資を最大限に使えるようにしなけりゃいけない。それが、俺、(ちょう)(はく)(えい)がここにいる意味ってやつでしょう」

 そう言って、筆をぺろりと舐めた。

 (ちょう)()(あざな)(はく)(えい)

 書を学び、(そう)(しょ)と呼ばれる崩し文字を書く書家だ。

 とにかく文字を書き続ける男で、墨を溶かす水が足りず、家の庭にあった池を使って書を書き続けていたところ、池の水が真っ黒になってしまったというほどに書に狂った男だ。

 有識人の間では『(そう)(せい)』と呼ばれるほどに卓越した文字を書く。

 しかし、そうやって評価されながらも、張芝は己の限界を感じていた。

 どれだけ芸術的な文字を書こうが、人を救うことはできない。腹を満たすことも、戦に勝つこともできない。

 そうやって腐りながら庭の池を黒く染めていたのだ。

 転機は、異民族を撃退するために、と徴兵された戦場にあった。


 『一芸も極めれば強固な矛にも盾にもなる。君の文字が美しければ、(らく)(よう)(じょう)(しょ)を送っても田舎者と馬鹿にされず地方の窮状が正しく伝わるだろう。戦場において、君が物資の貯蔵量を記録してくれたものがあったおかげで作戦がどれほどたてやすかったか。君の陣配置図のおかげで、正確な作戦行動がとれた。この勝利は君がもたらしたものだ。君の文字が、もたらしたものだ』


 戦を指揮していた任耀の言葉だ。

 それで張芝は自分の書の使い道を考え始めた。

 文字を書くことしか能がないが、文字を書くことを極めた自負はある。

 それを使えば、口頭で伝えられた作戦を目に見える形で共有することができ、将兵が作戦を理解しやすくなる。それは、文字が軍を精強にすることだ。

 張芝はそう思えるようになった。

 「例えば、ですな」

 張芝は作り上げた陣配置図に筆で線を引いていく。

 「これが、敵の突撃部隊の進路でした。合ってますかな?」

 北宮玉、李文侯が覗き込む。

 「合ってる、な」

 「東の方にも聞きました。城門が開き」

 改めて、張芝が陣配置図に筆を走らせながら言葉を紡ぐ。

 「半ばまで行ったところで右に折れ、そのまま走って、この部隊の真横まで来たところで横から突撃。今度は一直線にこの陣を横断し、そして西に向かった。さてここで疑問ですが、なぜ敵部隊はこのような進路を取ったのか。そうです。東の後ろには(けん)(すい)が流れている。東の部隊を最後まで貫けば、敵部隊は逆に背水の陣になってしまうところだった」

 その言葉に北宮玉はハッとする。

 精強無比な、圧倒的武力による突撃だと思っていた。こちらを嘲笑うかのような挑発だと思っていた。

 しかし。

 騎馬隊は騎馬隊だ。動きが止まりそこを敵に包囲されれば当然死地となる。

 理の埒外のように思えていた敵将が、そこまででもないように思えてきた。

 「どうですかね。こんな感じで」

 張芝は陣配置図に、今度は短い線を書き足していく。

 それは、北宮玉たちの部隊の中に描かれた。

 「兵に紛れるようにして馬防柵を作ってしまえば。敵城からは見えないような大きさのものでいい。それだけで、相手の突撃部隊はその機動力を失う。そう思いません?」

 陣配置図に描かれた柵は、北宮玉にも李文侯にも、とてもわかりやすかった。



 汧城北側城壁攻撃部隊にて。

 「今のところ動きはなさそうですね」

 (かん)(すい)の前にいる少女が各城壁の様子を確認してそう言った。

 「………まあ、どうやら昨日大立ち回りをしたそうだしな。宋建殿の言う通り、今日は大きな動きはないだろ」

 「………気にせずいつものようでいいですよ? (かん)殿は王のことを呼び捨てにしていましたよね?」

 「『我らが王に対して不遜であるぅ』とか言わない?」

 「言いませんよ。韓殿はあくまで我が王の盟友。私たちはその辺り弁えておりますので」

 そう言う少女は小柄で幼い体形に似つかず、鋭く老成した視線を韓遂に向けてきていた。

 宋建から『語り部』と呼ばれる少女。

 名を(とう)()といった。

 幼い容姿に見合わず、成人しているらしい、ということだけはわかる。

 しかし、どうにも謎が多い少女だ。

 「小城が予想以上の粘りを見せるのはよくあることといえばよくあることです。かの(りゅう)(ほう)殿ですら、(よう)()殿が守る故郷・(ほう)の地を攻めた際3、十分な兵力がありながら落とすことはできませんでした。長丁場になるかもしれませんね」

 そんなことを言っている。

 何かにつけ、故事に詳しいのだ。

 しかも、その故事の逸話を、まるで見てきたかのように語る。劉邦や雍歯に対して、まるで知り合いのように『殿』をつけるのだ。

 どちらも、約四百年は昔の人間なのに。

 明らかな異質ではない。

 しかし、どこか引っかかるようなそんな気持ちにさせる。

 「………まるで見てきたかのように語るな」

 そうやって軽口を叩こうとした韓遂だったが、桃里の言葉に口を噤む羽目になった。

 「信じられないかもしれませんが、見てきたのです。韓殿は、(じょ)(ふく)殿をご存じですか?」

 「徐福、っていうと」

 秦の時代にいたとされる(ほう)()だ。

 当時の皇帝・始皇帝は中華を初めて統一した皇帝である。それまで各地にいた王を降し、王よりも尊い存在として『皇帝』を自称した初めての人間だ。

 そんな彼には悩みがあった。

 どんなに尊い皇帝であっても、所詮は人間だ。

 いつか、寿命は尽きる。

 それを、始皇帝は恐れた。

 そして、彼は、国の政治を行う傍ら、不老不死の霊薬を様々な者に探し求めさせた。そのひとりが、徐福である。

 彼は東の果てに不老不死の霊薬があると進言し、三千人の若い男女と多くの技術者と共に東の果てを目指して船に乗り込み海を渡った。

 しかし、彼は戻らなかった。

 そんな人間だ。

 「徐福の不老不死の探索に同行した三千人の男女。私はその一人です」

 「――――――は?」

 「とはいっても、徐福様の旅に、最後まで同行することは叶いませんでした。なので、彼がどうなったか、私には知る由もないのですが。それはそれとして。とにかくすごい大冒険でした。その途上で、これこそが不老不死の霊薬だ、とされるものを手に入れたのです」


 まさか、皇帝に対して得体のしれないものを飲ませるわけにもいかない。そのための三千人の若い子女だった。三千人の若い子女は高位の貴族の子供たちで、人類の限界に挑戦するために、戸籍を消され旅に同行することになったのだ。

 旅に失敗すれば、元からそんな子供はいなかったのだと、そう処理され、万万が一、旅に成功すれば、高位の貴族が人間を超越した存在となって皇帝を守り続けることになる。

 栄光の旅であり、博打の旅だった。

 桃里は霊薬とされるものを飲んだ。飲んだ後に刃物で指を切る。不死であるならば傷も治ってほしいところだ。死ねず、傷に苛まれ続けるのは、地獄であろうと、想像に難くない。

 しかし、桃里の指につけられた切り傷は治らなかった。

 霊薬を一度飲んだものは船から降ろされた。

 複数の効果によって不死になってしまった場合、判断が難しくなるからだ。

 桃里は海のど真ん中で小舟に乗せられて流された。

 それでも、桃里はまだましな方だった。

 不老不死の霊薬。そう言われる物は多くある。しかし、たいていの場合、飲んだ直後に苦しんで死ぬものが多かった。

 けれど桃里は、死ぬことはなく、そのまま奇跡的に大陸に流れ着いた。

 そうして数年後、桃里は自身の身体の異変に気付く。

 成長しない。

 十年、二十年と経っても身体が変わらない。

 老いない。

 ケガを負うことはあっても、病を患うことがなくなった。

 桃里は、不死ではなかったが、不老となったのだ。


 「とまあそんな感じで、私は人より長生きなんです。老いて死ぬことや病で死ぬことはないでしょう。ただ、怪我をして死ぬことはあるでしょうね」

 「………………」

 韓遂はその話を聞いて、まるで脳が思考を停止したかのように感じた。

 とんでもない話をされたのはわかる。

 しかし、それに対してどういう反応を返せばいいのかわからない。

 ただ。

 ひとつ言えることは。

 「それは、しんどそうだな」

 それだけだ。

 常人である韓遂にとって、桃里の境遇は想像することすらできない地獄の道だ。

 人が当然に持っている『終わり』。

 彼女にはそれがない。

 終わらせるには、自分で動かなければならない。

 自分で死ぬか。誰かに殺されるか。

 どちらにしても、自分の判断で危険に向かう必要がある。

 普通の人間はどんなに危険を避けていても寿命で死ぬ。

 しかし、彼女にはそれがないのだ。

 自分の命を終わらせるには、危険に飛び込まなければならない。

 それはどんなに辛いことだろう。

 彼女が、少女の身でありながら戦場に身を置いている理由がわかった気がした。

 そんな沈痛な面持ちの韓遂を見て、桃里はくすりと笑う。

 「ああ、やはり。王の言った通りです。韓殿なら私の事情を信じてくれると、王は仰っていました。あなたは、私の言葉を信じてくれる」

 「そりゃ本人がそう言ってんだし」

 韓遂の言葉に桃里はゆるゆると首を振る。

 「普通の人間であれば、私の言葉を信じることはないでしょう。韓殿は器の大きな方です。それこそ、我が王に匹敵するかもしれません」

 「やめてくれよ。あいつに匹敵するって言われても嬉しくないよ。だいたい、(とう)(じょう)のその話が妄言だったとしても、あんたがそのことを事実としてとらえているんだったら、どちらにせよしんどいのは変わらんだろ」

 そう言うと、韓遂は戦場に視線を向ける。

 そろそろ夕刻だった。

 「とりあえず、今日のところはこれでおしまいかね。ま、俺には難しい話はわからんが、歴戦の古強者ってことでいいんだろ? なら、桃嬢には期待したいところだ。………って、あー、じゃあ、『嬢』って呼ぶのも失礼になるのか?」

 「ふふふ。この見た目です。その呼ばれ方は慣れてますよ。構いません。では、兵を収容しましょうか。この様子だと明日も動きはなさそうですね」

 「そう思うか?」

 「ええ。兵たちの意識が門から離れるにはまだもう少しかかりそうです。あちらは時間を稼げばそれで勝ちなのですから。無理はしないでしょう。城門や城壁より、自軍の兵の様子を意識した方がいいかもしれませんね」

 「なるほどねぇ」

 そんな話をしながら韓遂と桃里は太鼓を打たせて兵を退かせ始めた。

 こうして二日目は何事もなく終わったのだった。



 三日目も何事もなく過ぎ、事態が動いたのは四日目のことだった。

 三月三十日。

 汧城包囲から四日目。


 「あー、こりゃマズいかもですなぁ」

 南側城壁攻撃部隊の張芝がそう呟き。


 「………………」

 東側城壁攻撃部隊の英狼が獰猛な笑みを浮かべながら武器を握り。


 「城門を警戒しろ! 開いたら手筈通りに!」

 西側城壁攻撃部隊の任耀が兵たちに指示を出し。


 「韓殿。下がってください」

 北側城壁攻撃部隊の桃里が何かに気づいたように韓遂に声をかけた。


 二日目、三日目と城門が開かれることなく過ぎていた。

 それによって、兵たちの心に慣れが生まれ、城門への注意力がわずかに減衰した。

 各城壁に送られた宋建配下はその緩みを敏感に察知した。

 そして。

 同じく、汧城守備軍の将。姫将軍・閻艶。彼女もまた、城内からその緩みを感じ取った。

 「さあ、名を呼ばれた三百名。ついてこい!!!」

 汧城北側城門が開かれ、閻艶率いる三百名の騎馬隊が突撃を敢行した。



 汧城北側城壁攻撃部隊にて。

 この部隊は前回の閻艶の突撃に、唯一晒されていない部隊だ。

 故に、その突撃力の本当の脅威に怯える心を、韓遂、そして彼の率いる三千の部隊は実感として持っていない。

 しかし、それでも、貧乏くじを引いた、と韓遂は感じた。

 東西南北四つの城門がある。そのどこから出てくるか。四つに一つを引いてしまった思いだ。

 「は~~~~~~~。だっるいなあ。こっちに来るかよぉ」

 韓遂は頭をぼりぼりと掻きながら、猫背に隈のできたどんよりとした眼で、視線を騎馬隊に向ける。

 「はあ。しょうがない。とりあえず、桃嬢。頼んます」

 「お任せください、韓殿。それで、部隊はどう動かしますか?」

 「あーーー。そっすねぇ。じゃ、こんな感じにしましょうか」

 そう言って、韓遂は桃里に自分の考えを話した。

 「―――――――――は?」

 桃里は、韓遂の言葉を聞いて、信じられないものを見るような視線を向けた。



 籠城戦において。

 一番の敵は、城を攻囲する敵軍、とは限らない。

 もちろんのこと、敵軍に対して敵と認識しなければお話にならないので、それは大前提として。つまり、敵軍以外の敵とは。敵軍以外に一番意識を向けなければいけないのは何かと聞かれれば、それは自軍の士気である。

 包囲を受けている間、目減りする食料や物資。そして、城外に出ることもできない閉塞感。夜間にもかかわらず響き続ける(とき)の声。それらは簡単に人の心を蝕む。

 包囲戦から解放されたいと願うようになる。

 解放されるには簡単だ。

 城門を開けばいい。

 直接抗戦をする指揮官や正規兵たちはダメでも、民間人は助かる公算が高い。だからこそ、自軍の、特に民兵の士気は籠城戦の勝敗に密接に関わるのだ。

 それに対して、閻艶は至極簡単な解決策を提示した。

 城門の外に出て憂さ晴らしをすればいいのだ。

 それが、閻艶が常備兵だけでなく城民兵も連れて突撃を敢行する一つ目の理由だった。

 もう一つは単純に、城民兵を鍛えるためだ。長引けば長引くほど、序盤で得た自信が、城民兵の戦意に繋がる。

 故に今回も、閻艶は出撃予定地点の北側城壁に向かうと、常備兵二百名と城民兵百名を選出して城門の前に立った。

 「お嬢様。お気を付けください」

 北側城壁を守備している(えい)(しん)が閻艶にそう言ってくる。

 「ああ。任せてください。前回のように、彼らに一泡吹かせてやります」

 「さすがは『姫将軍』。頼もしいですな」

 「(ぶん)(せい)殿にその名で呼ばれると、揶揄われているように感じます」

 「そうですなぁ。汧城の副官としては、お嬢様には『姫将軍』ではなく『姫』として過ごしていただきたいと、常日頃から思っておりますが」

 「わかっています。文整殿の言いたいことも十分にわかっています。ですが、私もまだ十五です。婚姻は早いのではないでしょうか?」

 「そんなことは。あなたは引く手数多なのです。県長のご息女。それを差し引いたとしても、あなたの美しさに心惹かれぬ男はいないでしょう」

 閻艶は首をこてんと傾ける。

 「それは、文整殿もですか?」

 「私は妻一筋なので」

 「ふ。心惹かれぬ男がここにいますね。文整殿の言葉はいつも大げさです」

 「これは一本取られましたな。ですがお嬢様。どうかお気をつけて。嫁入り前の身体に傷が残れば大変です」

 「商品価値が下がりますものね」

 そう言って、閻艶は馬に乗った。衛軫と話している間に、招集をかけた兵たちの集合が終わったようだ。

 「お嬢様。お嬢様の身体に傷がつくことで不快に思う男など、こちらから願い下げです。言葉の綾というものです。嫁入り前だろうと嫁入り後だろうと。あなたが傷つくのを見るのはしのびありません。あなたの痛みに歪む顔は見たくないのですよ」

 「ふふふ。意地悪を言ってしまいましたね。わかっていますよ、文整殿。あなたを心配させないためにも、今日も無事に帰ってきます」

 そう言うと、閻艶は城門に声をかける。

 「開門!!」

 門が開くと同時、閻艶は駆けだした。



 城門を潜って戦場に躍り出た閻艶は、すぐに武器を構えた。槍の穂先を、顔の前に持ってくる。

 その直後。

 ―――キィン。

 金属がぶつかり合う音が聞こえ、軽い衝撃を感じた。

 矢だ。

 狙撃されている。

 すぐさま、閻艶は隣を走っていた常備兵の前にも槍を出した。

 そこにも矢が。

 (弓部隊に対応された?)

 そう感じるが、すぐに否定する。

 速射ではあるが、同時ではない。

 これは一人の弓兵のものだ。

 弓の出所を目で探る。すぐに見つかった。

 小柄な少女が資材を積み上げて作ったのであろう高台に乗ってこちらを狙っている。

 今度は反対の兵に。それも槍で落とす。

 精密な射撃だ。

 それ故、捌きやすい。

 とはいえ、閻艶以外に捌くのは難しいだろう。それほどの速射力。

 それでも、閻艶にとっては捌くのに専念すれば何も問題が無かった。

 「構わず進むぞ」

 また一矢を捌いて、閻艶は馬を前に進めた。



 「………………とんでもない人ですね」

 桃里は、閻艶の部隊に速射を続けながらそうごちる。

 その隣で、桃里に矢を渡し続けながら、韓遂は少し異なることを思った。

 (いや、あんたもあんたでとんでもねえよ。何その速射力。秒間何発()ってんの? 矢を受け取って、引き絞って、狙いをつけて、放つ。え、この動作、普通に数秒かかるよね? なんかの(特殊)(能力)?)

 そして、相手にも視線を向ける。

 (あいつもあいつでなんだ? 秒間何射みたいな状況で、馬の速度を緩めずに、自分と部下を守り切ってやがる。あわわ。人間じゃないよぉ。あいつもこいつも化物だよぉ)

 そんな韓遂の心中は知らずに、桃里は弓を放ち続けるが、ついぞ閻艶を仕留めきることはできなかった。

 「………申し訳ありません。討ち取れませんでした」

 「あー、まあ、いいんじゃないですか? 桃嬢の攻撃はおまけの駄賃ですし。おまけはもらえませんでしたが、本命はもらえると嬉しいですね」

 「………………あなたも、とんでもない人ですね」

 「心外極まるんですけど!?」



 閻艶は敵の予備部隊に近づいた。

 一日目と同じだ。

 敵の攻撃部隊は先陣が城壁にとりかかっている。城壁にとりかかっているのは千人ほどか。残りの二千は予備部隊として待機している。

 一日目は、その予備部隊に割って入り、半ばで方向転換をした。理由は単純で予備部隊の背後は汧水であり、背水の陣の覚悟で抵抗されれば時間がかかると思ったからだ。

 急襲に時間をかけてはいけない。

 今回の突撃も同じように行う予定だった。そのまま、再び敵の本陣がある西側に向かうつもりだ。出発地点を北にしたのは、単純に、初日に攻撃を仕掛けていない方面だからというだけだった。

 東は惰弱。南は猪。西は冷静。では、北はどんな将が率いているのか。それを確かめたい気持ちもあった。

 そして、閻艶は予備部隊に突撃しようとして、目を丸くした。

 予備部隊二千。

 急な襲撃に対応できていないと、そう思っていた。

 しかし。

 部隊の前面に整列している兵たちが、盾を構え、盾を重ね、整列していた。

 隙間なくぎっしりと。

 通常であれば、盾の間に僅かな隙間を作り、その隙間から槍を繰り出す。そうすることで騎馬を止める。しかし、盾と盾の間に隙間があるのは事実で、騎馬隊の方はその隙間を広げようとする。

 しかしこうも、隙間なく埋められては。


 「さぁ、破るってんなら破ってみな。破らないなら、素通りどおぞ」


 時間をかけるわけにはいかない。

 閻艶の逡巡は一瞬のことだった。敵の部隊直前で進路を西に取る。横腹を見せているのに攻撃してこない。弱腰に見えるその姿勢に、しかし閻艶は言い知れぬ不穏さを感じた。



 少し前。

 「韓殿。部隊はどう動かしますか?」

 閻艶への狙撃を任された桃里はそれを請け負うと、他の兵をどう動かすのか、韓遂に尋ねた。

 「あーーー。そっすねぇ。じゃ、こんな感じにしましょうか」

 韓遂はそう言うと、桃里に詳細を話し始める。とはいっても、城門は既に開かれ始めている。時間はない。だから簡潔に。

 「兵たちが持ってる盾で、敵の進路を塞ぎます。あいつらはどうせ、西に向かうんだ。なら、こっちの部隊に分け入ってくる前に、西に向かってもらいましょ。そしたら、あの騎馬隊率いてる将が抜けた分、どっかの城壁は手薄でしょ。俺たちの本命は城の攻略であって、騎馬隊の撃破じゃない。あの騎馬隊は無視しましょ。どうせ深入りできないから、宋建まで届くこともないし」

 韓遂の言葉を咀嚼しきれないまま、城門が開き切った。桃里は、騎馬隊に狙いをつけて弓を()つ。

 数発()っている内に、韓遂の言葉が脳裏に浸透し、その非凡さに舌を巻いたのだった。



 (やはり対策を練られているか)

 閻艶は疾駆しながら心中で歯噛みをする。

 このまま、あわよくば、敵軍を翻弄し、援軍到着までの時間を稼ぎ切りたかった。

 しかし、そううまくはいかない。

 上洛軍。

 賊・羌族・官吏の連合軍だと聞いている。

 野戦であれば。もっといえば、騎馬の生きる広域の戦場であれば羌族が怖い。

 広大な地を、()(村のこと)を守りながら敵大将を討伐しなければならないというのであれば賊が怖い。

 拠点を構えられ、その拠点を攻略しなければならないとしたら、官吏たちが怖い。

 しかし、城攻めである。

 機動力も失われ、敵本陣も目前にあり、守勢ではなく攻勢に入った敵。

 賊も、羌族も、官吏も、城を攻めるという経験は少ないはずだ。兵法書には記載があるし、知識としては知っていても。兵練の過程で攻城訓練を行ったことがあったとしても。

 実戦での攻城戦は経験が少ないはず。

 そこを突こうとした。そして、初日は突けたはずだ。

 しばらくは。

 少なくともあと数回は、対策が練られないと思っていた。

 しかし。

 場の雰囲気に流されず、最適を追い求める韓遂。

 彼が想定外だった。

 まさか、北を攻囲している敵兵を全く削れないとは思わなかった。

 そして、西に向かう。



 結論から言うと、閻艶はこの時点で西に向かうべきではなかった。

 ではどこへ向かえばよかったのかというと、それは結局のところ、どこに向かおうと。つまり、北から東に向かおうと、なんなら、異なる方角の城門から出陣しようと、大きな変化はなかっただろう。

 新たな国を興すことを目的として、(かん)を仮想敵と見ていた宋建の配下たち。

 彼らが各城壁の攻囲部隊に紛れ込んでいる時点で。

 閻艶の予想を超える戦力が各城壁に紛れ込んでいる時点で。

 閻艶の敗北は決していた。

 強いて言うならば、そのまま戦場を離脱し、汧県を抜けて陳倉県まで援軍の催促に向かうのが、もしかしたら最適だったかもしれない。

 しかし、当然のことながら、閻艶はその択を選ばない。

 北の攻囲部隊が想定と違う動きをしたが、閻艶は初日に北を攻めていないが故に。

 北だけが手強かったと、そういう可能性がまだあるために。

 北で兵を削れなかった以上、西で兵を損耗させ、汧城の士気を上げるために。

 閻艶は西に向かう。

 結果として、この上ない恥辱を、その身に受けることを、閻艶は知らずに走った。



 汧城西側。

 攻撃部隊の横腹を目掛けて、閻艶は切り込んだ。

 初日と陣形は同じだ。

 閻艶の左右には二人ずつ、常備兵がいる。初日とは違う四人だが、初日の四人に劣らない練度の持ち主だ。

 そして、故に、五人は違和感を覚えた。

 横腹に切り込んだはずなのに、動揺が少ない。

 動揺が少ないのに、敵陣を切り裂けている。

 (………誘導されている?)

 閻艶が悟ると同時に、他の四人も同じことに思い至ったようだ。瞬間、武器を振るう速度が乱れたようだった。しかしすぐに立て直す。

 (………ここはまだ勝負時ではないな。何か考えがあるのであれば確認したい気持ちもあるが、それで城民兵が減るのは避けたいな)

 閻艶は冷静にそう考えると、深入りを避けるために、初日と同じように直角に曲がって城に帰ろうとした。

 しかし。


 「おやおや、お帰りかな?」


 閻艶は眼前の光景にギョッとする。

 敵兵が、こちらを向いていた。

 敵陣に割って入り、直角に城に向かおうとするのであれば、敵兵の背後を突けるはずだ。

 もちろん、騒ぎになっているので敵も振り返ってはいるだろう。

 しかし、閻艶の目に映ったのは、こちらに向かって既に陣形を整えている敵兵だった。

 「―――まさか」

 考え得るのは。

 最初から、反転させた部隊を仕込んでいたとしか思えない。

 しかもご丁寧に、中ほどまで入り込まねば気づけないような隠蔽の仕方をしている。

 閻艶を狩る陣形だ。


 「さあ、諸君。こちらの横腹ばかり突かれて痛かっただろう。正面戦闘。しかも、待ち構えての正面戦闘だ。存分に励もうではないか」

 汧城西側城壁攻撃部隊の予備部隊。

 そこで、城を攻めずに、将を攻めることを選択した任耀が、閻艶の突撃部隊に正面から襲い掛かった。



 「ほう。偽善者め。良い動きをするな。さて、忠犬よ。ついて参れ。恐らくだが、あれでは足りん。新しき王が戦場に赴けば、貴様もついてくるであろう?」

 「はい。お守りします。我が王よ」

 汧城西側城壁攻撃部隊の後方。

 上洛軍本陣で動く影があった。



 「(ちょう)(もう)。右を。()(てい)、左を」

 『おお!!』

 閻艶の短い号令で、閻艶の左右を固めていた四人の兵が気勢を上げる。

 閻艶が、こちらに向けて、盾と槍を構えている敵兵に割って入る。

 槍を突いて隙間を穿ち、右に、左にと槍を振るうことで、敵の陣形に隙間を作る。そこに閻艶に名を呼ばれた四人の兵が入り込み、左右に敵兵を押し込んで隙間を広げた。

 「二列目!」

 閻艶が叫ぶと、閻艶のすぐ後ろを走っていた兵たちが飛び出し、また、閻艶が作った隙間を広げる。

 「な、無茶苦茶だ」

 その光景を、任耀は信じられないものを見るような気持ちで眺めた。

 待ち構え、防御の構えを見せているのにも関わらず、閻艶は速度を緩めることもなく、どんどんと反転している部隊を切り進んでいく。

 「ち。それならば、先頭ではなく、押し広げている兵を狙え! 敵の半数は、戦の経験がない民兵だ!」

 任耀の指揮に、反転部隊たちも応える。

 押し広げている閻艶の兵たちに圧力がかかり、徐々に突撃部隊の通り道が狭められていった。後方にいた城民兵は、その事実に恐怖を感じ、死を覚悟した。

 閻艶は任耀の指揮の意図を悟り、しかし、慌てない。

 方針が変わったことで、突撃部隊の先頭に受ける圧が減った。

 予備部隊の先頭まで出てしまえば、今度は反転している予備部隊の背後を突ける。敵将は突撃部隊の兵を消耗させることにしたようだ。閻艶たちが汧城に逃げ帰るのであれば止めない。そういう采配だ。

 閻艶は、予備部隊を抜けた。

 着いてきているのは、常備兵が五十ほどと、城民兵が三十ほど。二百人以上が敵陣の中に取り残されている。

 大きく息を吸い、吐いた。それで上がっていた息が整う。まだやれる。

 「背後を突くぞ! 味方を救いに行く!!」

 閻艶の号令に、八十人の兵が気炎を上げた。



 「無茶苦茶だ! こんな!?」

 任耀は、想定外のことに叫ぶしかなかった。

 敵をうまくハメた、はずだった。

 しかし、敵将は危地を脱した。

 半数以上の兵を代償に。

 ならば、その兵だけでも掃討する。

 そのつもりだったのに、逃げたと思った敵将が戻ってきたのだ。任耀の指示によって反転している部隊の背後を突く形で。

 あっという間に包囲陣形が崩された。

 そして崩れた陣形は、すぐに立て直せない。

 それは相手も同じはず。同じはずなのに。

 後方から、攻撃してきた敵のせいで、反転部隊は十列ほどの広範囲が崩された。

 包囲していた突撃部隊たちも救い出され、崩れた陣形を修復する暇もなく、敵将は撤退を開始する。

 「逃がすな!」

 任耀の指示に、兵が閻艶を止めようと向かうが、散発的な攻撃は閻艶に捌かれてしまう。任耀も、負けじと閻艶に斬りかかったが、逆に閻艶の槍に押し返された。僅かなしのぎ合い。

 「まったくもって、不本意だ。この、(にん)()(こう)が、足止め役か」

 任耀が稼いだ僅かな時間。

 その僅かな時間で、援軍が追い付いた。

 援軍というか。


 「!?」


 援兵が。

 任耀を弾き飛ばした閻艶に、男が斬りかかる。

 咄嗟に防いだ閻艶だったが、男の大剣は、閻艶の槍をしっかりと打ち、閻艶は馬ごと弾き飛ばされる。

 「よくやった忠犬。偽善者。貴様も大儀である」

 忠犬と呼ばれた青年。

 そして、それを従える宋建が、閻艶と向かい合った。



 一目見て、閻艶は感じ取った。

 その存在感。その物言い。その態度。

 全てが、目の前の男こそが、上洛軍の中核なのだと。

 その瞬間、閻艶の頭から『退却』の文字が消えた。

 馬で駆けよっては遅すぎる。

 そう感じた閻艶は、馬の背から飛び出した。槍を両手に構え、自身すらも槍として、宋建へ致命の一撃を与えんと、全身の全霊を振り絞ったひと突きを。

 完全に虚を突いた攻撃。

 避けようのない一撃。

 しかし。

 「王!!」

 年若い青年が、閻艶の進路上に大剣を突き出した。

 閻艶の槍先が逸れ、それでも止まらない突撃が、馬上の宋建を襲う。

 閻艶と宋建。

 二人はもつれあうようにして、地上に転がった。

 衝撃に揺れる視界を無視して、閻艶はすぐさま立ち上がり、まだ地に転がっている宋建に槍を突き付ける。

 ―――仕留める。

 その一心で、閻艶が槍を繰り出そうとするその刹那。

 信じられない言葉を聞いた。

 「美しい」

 閻艶の脳にその言葉が届く前に槍が繰り出され。

 「娘よ。この新しき王の后とならんか」

 場にそぐわない不可思議な言葉に、閻艶の槍はぴたりと止まった。

 「………………なに?」

 「我が軍が翻弄されたと聞いて、どのような剛の者かと思えば、麗しき戦乙女であったか。美しい。この新しき王はお前を気に入った。王の輿に入れ。これは王命である」

 ――――――――――――。

 ―――――――――。

 ――――――。

 しばし、戦場から全ての音が消えたように感じた。

 宋建は未だ地に倒れている。しかし、上体を起こして、地に腰を下ろしたまま、慇懃な態度で閻艶に手を差し伸べた。

 「お前のような小娘が戦場に出ねばならない。嘆かわしいことよ。この新しき王のもとへ参れ。決して不自由はさせん。その白百合のような美貌は、戦場で咲かせるには惜しい花よ」


 『はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?』


 敵味方。上洛軍も汧城軍も、静まり返ったがためにいやに響いたその求婚は、汧城の城壁を守護していた諸将にも聞こえた。

 そして全員が愕然と叫ぶ。

 その叫びに、宋建は不愉快そうに顔を歪めながら、ゆっくりと立ち上がった。

 「(かまびす)しいぞ、愚鈍めらが。新しき王の求婚だ。娘の答え以外の雑音を鳴らすでない」

 そう言って、視線を再び閻艶に向ける。

 「どうだ、娘。この新しき王の寵愛を有難く受け取るがよい。この城に関しても、()(こぼ)しを考えてやっても良いぞ?」

 閻艶は俯いて震えている。

 「感動しているのか、娘。許す。何か申してみよ」

 宋建の言葉に、閻艶が顔を上げた。

 その顔色は赤ではなく、青を通り越して白くなっており、眼には爛々と殺意が宿っている。

 槍が振るわれる。

 それを大剣の青年が再び止めた。

 「こ、こ、このような、ぶ、ぶじょ、侮辱、はじ、初めて、受け、」

 閻艶は怒りのあまり、まともに喋れていない。

 口の端を嚙み千切りながら、憎悪の表情で宋建を睨みつけ、槍を突き立てようと振るう。

 しかし、皮肉なことにその怒りのために、槍先は乱れに乱れ、宋建に届かず、青年によって叩き落とされている。

 「邪魔を、邪魔をしてくれるな! こんな、こんな!!」

 「王! 謝罪を! 戦場に命を賭す武人に対してこの上ない侮辱です!!」

 「戯けが。何を謝ることがある。その美しさに、この新しき王が惚れた。それ以外の何物でもないわ。武人であろうと、女は女。男は女に惚れるものだ。そして、それが今この時だっただけだ。それを侮辱などと言われるのは、それこそこちらの想いを侮辱していよう」

 そういうことじゃなくってぇ!! と青年は頭を抱えたくなる。実際は頭を抱えている余裕はない。間断なく打ち付けられる槍は、本来の力量のものに到底及ばないとはいえ、それでも受け損なえば致命傷になる勢いだ。

 宋建に忠犬と呼ばれる青年。(おう)(てん)(あざな)(せい)(ちゅう)。宋建に忠誠を誓ってはいるものの、たまに発揮される宋建の無神経な言動に、その度諫言をするが、聞き入れてもらえたことは未だない。それでも、王を守る剣とならん。その一心で、閻艶の攻撃を必死に受け止めていたが、遂に、埒が明かないと判断し、閻艶が槍を引いたタイミングで、思い切り閻艶の槍の柄を打った。

 閻艶が槍を取り零すのを見て、区貂は閻艶に蹴りを入れる。

 「ぐ」

 「こちらの王が礼を失した。そちらも目的は達しただろう。今のところは退いてもらいたい」

 蹴り飛ばされ、距離が開いたことで、閻艶はようやく周囲の状況を確認できた。

 城民兵・常備兵共にすでに敵軍から抜け出ている。

 確かに、これ以上ここに留まる意味はない。上洛軍の柱石である不愉快な男を倒すという目的は、しかし、今の閻艶の精神状態では、大剣使いを打ち倒すことすら難しい。

 侮辱され、恥辱に塗れ、目の端に涙を浮かべながら、閻艶は馬に飛び乗ってその場を逃げるように去った。

 逃げる閻艶を攻撃する兵は、誰もいなかった。



 上洛軍本陣にて。

 その夜も、軍議が開かれた。

 議題は、新王の暴挙についてだった。



 「いったい何を考えているのか!? 本陣を勝手に離れ前線に来たばかりか、敵将を愚弄したと!?」

 李垠の言葉に、宋建がうるさそうに顔を歪める。

 「新しき王に后が必要だと、常日頃から思っていたのだ。そこにあの可憐な花。声をかけずに済ませようものか」

 全く反省していない宋建に、諸将が頭を抱える。

 その中で、別視点で物事を見ている男がいた。

 「あー、つまり、婚姻同盟を結ぶと? 確かにそれがうまくいけば、汧城はこちらに味方する。この戦の早期決着としては、かなりいい案にも思えます、が」

 韓遂だ。

 韓遂は宋建をちらりと見て言葉を続ける。

 「うまくいきますか? 話を聞くだに、第一印象、最悪みたいですけども」

 そんな韓遂を、宋建は鼻で笑う。

 「これだから二流役者はいつまでも一流になれんのだ。女が一朝一夕で落ちるものか。腰を据えて対話を続けるほかあるまい」

 「いやだから。この城にかかりきりになるのマズいんですって。(かん)軍が向かってるって言ってんでしょうが」

 短期的に見れば、むしろ、汧城軍をより強固にしてしまったかもしれない。

 韓遂は任地の外である右扶風郡のことについては詳しくない。

 しかし、かの女将軍(そもそも、あの突撃部隊を率いていたのが、十代も半ばの少女だということにもまだ納得がいっていないのだが)は兵たちにもかなり慕われているようだった。そうでなければ、籠城中の敵中突撃など、成功するはずもない。

 あの突撃は少女の武の練度もさることながら、少女についていこうと気勢を上げる兵たちもまた、脅威であったのだ。馬の乗り方から、常備兵だけでなく、民兵も少なからず参加しているようだった。そこまで慕われている少女への求婚だ。城側の敵愾心は如何ほどのものか。

 元より堅い城が、余計に堅くなった予感に、韓遂は重いため息を吐くのだった。



 汧城に戻った閻艶は、(せい)(ちょう)に割り当てられた臨時の部屋に籠って、その日は出てこなかった。

 部屋の中では、閻艶は声を押し殺して泣いていた。

 閻艶。十五歳。

 武人として立つ者たちに憧れ、幼少の頃から鍛錬を行い、そしてその憧れを手に入れた少女だった。

 自身の武は、誰にも負けないものであるという自負もある。

 それを、ただ、女であるというそれだけで、何の価値もないかのように扱われた。

 今までの自分。今の自分を認めてくれる仲間たち。困ったように笑いながら許してくれる両親。

 閻艶を形作る全てのものを、閻艶が愛するすべての者を、侮辱され、愚弄され、嘲笑われたように感じ、それが悔しくて、悔しくて、悔しくて悔しくて悔しくて。

 侮辱し、愚弄し、嘲笑ったあの男を、決して許さないと、そう、心に誓ったのだった。



 そして、それは、汧城の主、閻行も、(けん)(じょう)・衛軫も、(けん)()(もう)(こう)(ほう)(ぜん)も、常備兵も、城民兵も。

 全てが。

 閻艶を侮辱されたと。

 閻艶を育んだ我らを愚弄されたと。

 我らが誇りを嘲笑われたと。

 上洛軍に対して、闘志を新たにしていた。

 韓遂の懸念通り、汧城が、より厄介な城へと様変わりしていた。

いっぱい新キャラが出ました。

宋建は後に『独立勢力を作り、河首平漢王を名乗り、部下に百官を置いて政治を行った』とあるのでその百官に名を連ねる予定のキャラたちです。


任耀:天水四姓にその苗字は出てきますが、実際の三国志では姜家の姜維くらいしか出てきません。

   故に、名前、字、経歴がオリジナルです。

   キャラモデルは鋼の錬金術師のロイ・マスタングです。


張芝:彼は史実を出典にしたキャラで、姓名字は全て史実通りです。

   書聖として書道では知られた人らしいです。庭の池を墨で真っ黒にしたという逸話も本当の話だそうで。

   ただ、もちろん、戦争に関与した話はありませんし、宋建配下としたのはオリジナルです。


英狼:彼は、本文中でも言ってますが、史実の武将である英布の子孫という設定のオリジナルキャラです。

   キャラモデルはハレタカさんという方がpixivで描いている【不死の騎士と死にたがりの姫】に登場するリェールを勝手にイメージしています。


桃里:これもハレタカさんという方がpixivで描いている【不死の騎士と死にたがりの姫】に登場するトキを勝手にイメージしています。

   原作ではエルフということで、その設定を三国志に組み込むために徐福に同行した子女のひとりという要素を付け足して不老であることにしました。さすがは歴史ファンタジー!


区貂:これもハレタカさんという方がpixivで描いている【不死の騎士と死にたがりの姫】に登場するクロウを勝手にイメージしています。

   傷の直りが早いという性質がありますが、これは原作とは異なり、普通の人より少し早い程度です。

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