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三十一幕 汧城の華



 (ちゅう)(へい)二年(西暦一八五年)三月二十七日。

 日の出と共に(じょう)(らく)(ぐん)(けん)(じょう)の包囲を開始した。

 汧城は要害だ。

 (けん)(すい)によって北と東は大軍が展開しづらく、攻めかかるには南と西の二面から行うしかない。

 かといって、無視できる城でもない。

 汧水を渡河している最中に背後を取られでもしたらいくら寡兵といえど損害は免れない。寡兵。汧城には二千ほどの常備兵しかいない。対する上洛軍は十万を超す大軍だ。

 ならば、力攻めを行ったとしても遠からず攻略することができる。

 それが、上洛軍の中枢が出した答えだった。



 今回の主攻となるのは汧城の南の城壁を攻める(ほく)(きゅう)(ぎょく)率いる(きょう)(ぞく)部隊と西の城壁を攻める(へん)(しょう)率いる官吏部隊だ。

 それぞれ一万。

 辺章の背後には上洛軍本陣が置かれている。

 また、北と東にも攻城兵を小部隊ながら配置している。それぞれ(かん)(すい)()(ぎん)が率いている。

 この配置にも意味があった。

 羌族の地位向上を願う北宮玉と、上洛軍の総大将を担っている辺章は手柄を上げやすい位置に配する心配りだ。そして、韓遂と李垠がそれぞれ隣の城壁を補佐できるように位置に付き、(そう)(けん)は本陣で予備兵力として待機する。これも、宋建が欲しているのが名声であり、武功でないことも影響している。

 宋建に限っていえば、この上洛軍が洛陽に到着しさえすれば、道中の戦闘などついでの駄賃にしかならない。

 だから、せめて、初撃は譲ってやってほしい。

 韓遂からそう説得されて、宋建は上機嫌に頷いたのだった。

 もっとも、その代わりの駄賃はもらっている。

 「号令を下す」

 宋建が手で指示をすると、大剣を持った青年が大きな銅鑼を持ってきた。

 「十万の兵が、この新しき王の号令によって戦を始める。ふ。二流役者め。痛快な演出を用意したものだ」

 戦場を見回しながら、宋建は声を上げた。

 「我らが上洛を阻む不届き者。上洛の誘いを断った不忠の者。今の世に(じょう)(そう)すべきものがないと宣う不義なる者。この戦は不届きな不義不忠を討つ戦である。気炎を上げよ! いざ、攻めかかれぃ!!」

 宋建の言葉の終わりと共に、青年が大きく銅鑼を鳴らした。

 銅鑼の音と共に、四方の兵が一気に走り出す。

 汧城攻防戦は、こうして戦端が切って落とされた。



 汧城内政(せい)(ちょう)にて。

 (けん)(けん)(ちょう)(えん)(こう)は政庁に取り付けられた(やぐら)にいた。

 遠いが、ここからなら各城壁を見渡せる。

 南には(けん)()(もう)(こう)。西には県尉の(ほう)(ぜん)

 主戦場になるであろう南と西には戦慣れしている二人を配置した。

 そして、北には(けん)(じょう)(えい)(しん)。東には閻行の娘である(えん)(えん)

 北と東は恐らく大きく動くことはない。あるとすれば、敵が何らかの策を弄する時だろう。ならば北と東の守将の役割は敵の動き出しを察知することが肝要だ。いわば見張りのための配置だった。その程度であれば戦慣れしていない県丞の衛軫でもこなすだろう。閻艶を東に配したことに関しては完全に親の欲目だ。上洛軍は本陣を西に置いている。その真逆である東の城壁が修羅場になりづらいと考えたのだ。

 いざ、城が陥落でもした時、一番逃げやすいのも東だろうと考えてのことでもある。

 そんな親の気持ちを知ってか知らずか、閻艶は命じられたことに素直に従って城壁に向かった。

 その様子を見て、閻行の心中は頼もしさと申し訳なさとそして拭いきれない心配が渦巻いた。

 この胸を覆う曇天はこの戦が終わるまで晴れないのだと思うと、重いため息が出るのであった。



 汧城西城壁にて。

 「おう。落ち着いて対処しろ。焦んなくていい。まずは石を落とせ。湯をかけろ。で、最後に梯子を外せ」

 彭全の言葉に指揮下の兵たちは「おお!」と雄叫びのような返事を返す。

 そして一拍遅れたように返事をするのはまだ初々しさの残る城民兵たちだ。

 主戦場になる汧城の西側と南側の城壁には七百ずつの常備兵と千三百の城民兵が配置されている。

 彭全はまず、常備兵に手本として実演させてみせてから城民兵も参加させた。

 汧城の城壁は高さ二(じょう)(約4m)。そんな城壁を超えるため、敵はまず梯子をかけようとする。

 梯子をかける際には二人一組前後で梯子を持ち、前の人間は梯子を持ちながら城壁を駆け上る。後ろの人間は前の人間が城壁を駆け上れるように梯子ごと前の人間を押し上げる。

 特殊な兵器を使わない場合、城壁の攻略法はこれが基本だ。

 城壁を駆け上った梯子兵は後続の者が来るまで城壁の上で剣を振るい、城壁の上での拠点構築の足掛かりを作るのだ。

 防御側は城壁に上って来た梯子兵を排除し、城壁にかけられた梯子を外さなければならない。

 しかし、そもそもの話、梯子を立てかけられる前に梯子兵を撃退できればいいのだ。

 だから、城壁を駆け上ってくる梯子兵に対して石を投げたり、湯をかけたりする。

 垂直の壁を駆け上っている最中の梯子兵は、少しでも体勢を崩すと転がり落ちる。そうすればまた一からやり直しだ。助走をつけるために少し下がり、また駆け上ろうとする。そこを邪魔する。

 二丈(約4m)の高さから落ちれば打ちどころが悪ければ命を落とすし、体勢を崩して落ちればどこかの骨を折るかもしれない。

 このことから、城攻めにおいて、守備側は有利であり、守城戦では兵士だけでなく民も参加できるのだ。

 しかし。



 汧城南城壁にて。

 古来より守城戦においては民も共に戦ったとされる。

 そう主張した毛洪だったが、しかし、現状は予想通りの展開でもあった。

 そもそもが無理があるのだ。

 「う、ひ、ひいいいいい!?」

 城民兵が登ってくる敵兵に対して石を投げる。しかしその石は見当違いの方に飛んでいった。

 「どけ!」

 そんな城民兵を押し退けて、常備兵が石を登ってくる梯子兵に投げつける。それで敵の梯子兵はバランスを崩して落下していった。打ち所が悪かったのか、落ちたその場所からピクリとも動かない。

 城民兵は当然、人を殺したことがなく。

 また、人に殺されそうになったこともない。

 全くの経験のない状態で、人の殺意に晒されるのだ。

 身体は竦み、思考は鈍化し、通常では考えられないようなミスが起こる。

 彭全はそれを前提として、常備兵に先に行動させ、城民兵は後からその行為に混ぜる予定で動いている。

 毛洪はその逆で、最初から城民兵と常備兵を混ぜて配置し、常備兵に城民兵の補佐も言いつけてある。

 結果として。

 西でも南でも。

 城民兵の恐慌は抑えられていなかった。



 汧城北城壁にて。

 衛軫は上洛軍の将のひとり、韓遂が率いる攻城部隊と相対していた。

 とはいっても、動きがない。

 大軍が展開できない以上、搦手で城を攻略しないといけない。

 しかし、搦手は準備を行わずしてできるものでもないのだ。

 衛軫としても、韓遂としても。

 初日は様子見に徹するつもりだった。

 それでも、衛軫としては忸怩たる思いである。

 汧城には常備兵が二千、城民兵が八千の計一万がいる。

 初日である今日は常備兵を各城壁に全投入している。

 主戦場である南と西には常備兵を七百、城民兵を千三百。

 残った北と東にも常備兵を三百、城民兵を七百配置している。

 汧城防衛にあたって、常備兵は貴重な戦力だ。それを、警戒が必要とはいえ主戦場ではない場所に三百も配置しているのは、汧城守備軍にとって手痛い損失だ。

 南と西に常備兵を千配置できれば、どれだけ取れる手段が増えただろうか。

 その点で考えてみれば、韓遂の役割は布陣するだけ終了している。

 実際に動かなくても、少数でも、敵が姿を現す。

 それだけで、警戒をしないわけにはいかないのだから。

 韓遂は動く気がない。

 それが、城壁の上で指揮をしている衛軫にも伝わっている。伝わっているが、そんな韓遂を捨て置けば、それこそその時点から韓遂は動き出すだろう。

 韓遂を止めておくためにも。

 衛軫は無駄な、浪費とも思える時間を過ごすしかなかった。



 汧城東城壁攻撃部隊にて。

 上洛軍の将のひとりである李垠は鬱々とした表情で汧城の東城壁に攻めかかる指示を出していた。

 李垠からしてみれば、今戦っているのは自分と同じ官吏だ。自分と同じ、国に忠誠を誓った仲間だ。

 もちろん、李垠の行いが彼らからしてみれば賊であるというのは理解している。上洛軍の行いが、どれだけ綺麗に見せようとも、国家に対する反逆であることもわかっている。

 それでも。

 李垠は李垠の理屈の中で、国のために動いている。

 それを理解してほしいとは言えない。

 ある意味で李垠は国に唯々諾々と従うことに耐えられなくなった、という気持ちもあるからだ。国に不満をもった。それをうまく宋建に利用された形だった。利用されたとわかっていても、己の不満を解消するためには宋建に乗るしかなかった。

 汧城の官吏たちも、まったく不満がないわけではないだろう。

 それでも、こちらに従うを良しとしなかった。

 そんな心の強さが、李垠には羨ましく映っている。美しい宝石のように無垢な光を発しているこの小城を、暴力で蹂躙することに抵抗があるのだ。

 だから、李垠は鬱々とした表情で気の抜けた指示を出していた。

 不意に、城の方で鬨の声が上がる。

 その声につられるようにして李垠は顔を上げた。そして唖然とした。

 城門が、開いていた。

 鬱々として気の抜けた指揮。それで落ちるほどに、汧城は追い詰められていたのか。

 そう思うと早期決着がついたことに救われたような気持ちになる。

 同時に、やはり、汧城の官吏たちも、自分と同じように己の不満に抗えなかったのだ。そう思うと、捻くれたような、安心したような、不思議な気分に見舞われ、そんな自分にまた嫌気がさす。

 とにかく、城内制圧の指示を出そう。

 そう、李垠が切り替えた時。

 「()隊長! お逃げ下さい!!」

 そんな声が聞こえた。

 ………………。

 オニゲクダサイ?



 時はほんの少し遡り、汧城東城壁にて。

 閻艶は城壁から敵兵を見下ろした。

 そして、敵の勢いを確認すると隣に立つ男に言う。

 「(あん)殿。ここは任せても?」

 「? ええ。平気ですよ。敵も動きそうにありませんからね」

 晏、と呼ばれた古参の常備兵のひとりが閻艶に答える。

 晏の言った通り、東側の城壁を攻める敵将は積極的に動こうとしていない。

 もっとも、常識で考えれば東と北で大きな攻防が起こるとは考えにくいのだ。

 だからこそ、閻艶はここを任せても大丈夫だと判断した。

 「傾注! 今から呼ぶ者、私についてくるように」

 そう言って、閻艶は一人ずつ名前を呼んでいく。

 その名前は、常備兵の中から経験の豊富な者二百名と城民兵の中で若い者百名の計三百名。

 「………………姫将軍? 何をなさるおつもりで?」

 晏がとてつもない嫌な予感と共にそう尋ねる。それに対して、閻艶は何でもないことのように答えた。

 「なに、勝ってくるだけです」



 閻行は、政庁の物見櫓にて信じられない光景を見た。

 東の城門に、数百の騎馬隊が整列しているのだ。

 そして、騎馬隊の先頭にいた小柄な人影が、槍を掲げると城門がゆっくりと開いた。

 「な」

 開くと同時に、騎馬隊は城壁の外に躍り出る。

 「な」

 遠く微かに、鬨の声が聞こえた。

 「なにいいいぃぃぃぃぃ!?」



 汧城東城門内部にて。

 「私の後を送れずについてこい。恐怖に足を止めれば命を落とすことになるだろう。しかし、勇気を振り絞って足を進めるのであれば、必ず私が皆を守る。出るぞ!!」

 閻艶の言葉と共に、三百の騎馬隊が雷光のように李垠の攻城部隊に襲いかかる。

 激突寸前で陣形を僅かに(ほう)()の形に変更し敵陣への破壊力を増やす。

 そうでなくても、気の抜けた陣形だった。

 正面から襲い掛かっても簡単に人の隙間を通れるように。

 陣形とは、人と人が隙間を作らないようにして動くのが基本だ。

 これが部隊同士のぶつかり合いであれば、敵の陣形ももう少し硬かっただろう。

 しかし、攻城戦で陣形に気を配ることは滅多にない。敵と衝突することはまずないからだ。その気の緩みを、閻艶は突いたのだった。



 汧城東城壁を攻める上洛軍の将・李垠は予想だにしない展開にパニックとなった。

 李垠は部隊の中ほどにいて、城攻めの先発隊を動かしたところだった。

 李垠に割り当てられた兵は二千。その内の千を城壁に向かわせた。現在、彼らは絶賛城壁攻略中である。

 部隊の全員で攻めかからなかったのはひとえにそのスペースがなかったからだ。怪我人が出た際や攻城が長引いた際、もしくは、攻城がうまくいき、城壁に拠点を作れた際に送り込む予備兵力として残しておいたに過ぎない。

 城壁にとりついている兵たちは、急な開門に反応できず、彼らがその事実に気づいた時には、既に汧城騎馬隊は汧城東城壁を攻囲する部隊の予備兵力とぶつかっていたし、城門は閉じられた後だった。

 慌てて李垠は兵に指示を出そうとする。

 しかし、兵たちは突然の事態に完全に混乱状態に陥り、誰も李垠の声を聴いてくれなかった。



 「………………ふむ」

 閻艶は敵の攻囲部隊の恐らくは予備部隊に割って入る。そしてその手応えの無さに頷いた。予想通りだ。

 持っている槍でひとり、ふたりと叩き伏せた。

 ひとりは胸を打って吹き飛ばし、もうひとりは足を掬うように槍を打ち付けた。

 どちらも恐らく死にはしないだろうが、骨の何本かは折れたはずだ。

 騎乗しながら槍を振り回すのは騎馬に熟練した者でないとうまくいかない。武器の重さに振り回されて落馬するのがオチだ。

 そのはずなのに、閻艶は何でもないことのように槍を振り回す。それだけでなく、騎乗しているのにも関わらず、彼女の攻撃は地にいる兵の足元にまで届くのだ。並大抵の体幹ではないし、並大抵の腕でもない。

 まだ少女とも呼べるような年齢の娘が、武人の頂に手をかけるような、そんなもの凄い演武だ。

 それがわからない兵たちではない。

 だから、ひとり、ふたりと閻艶が突き飛ばした後は、兵たちは道を空けるように二つに割れた。

 突撃部隊の先頭は閻艶を中心に左右二人ずつ、汧城の常備兵が並んでおり、その者らも閻艶に劣らない武器捌きで動揺する予備部隊に攻撃を仕掛ける。

 この五人が作った道を、残りの兵たちは馬に乗って走りながら通っている。その際、左右に弓を放つのを忘れない。騎射であれば、常備兵は皆出来る。城民兵は騎射はできないが、ただ走るだけで二つに割れた部隊が合流するのを阻止できる。

 閻艶が「ふむ」と呟いたのは、敵の部隊を半ばまで貫いたところだった。

 (………予想以上に城民兵も頑張っている。ならもう少し無茶ができるか)

 閻艶は槍を持った右手を大きく掲げた。

 「右折!」

 閻艶の高い声が戦場に響く。

 その声にギョッとしたのは閻艶の左右にいた常備兵たちだ。しかし、その表情も一瞬のこと。すぐに仕方がないと諦めたように苦笑し、閻艶に続くように「右折!」と復唱した。

 そして閻艶率いる突撃部隊は、なんとあろうことか敵中ど真ん中で方向転換を開始した。六時の方向から入って、半ばで三時の方向に転換したことになる。

 もちろん、危険は大きい。

 騎馬で突撃する際は、まっすぐ敵陣の後ろまで突き抜けることが多い。

 敵陣を真っ二つに分断することで指揮系統の混乱を狙える上に、敵の背後に陣取ることができる。けれどそれだけではなく、まっすぐであれば敵からの攻撃を受けづらいのだ。

 曲がれば、馬の速度は落ちるし、敵兵との距離も近くなる。部隊が曲がった箇所がそのまま弱点になりかねない。

 だからこそ、まっすぐ直線を描くように騎馬は走る。

 しかし、閻艶は敵の士気の低さに注目した。

 わざわざ汧城という小城を落とすために命を懸ける心意気が、敵兵たちからは感じられなかったのだ。

 突然の強襲に晒されて、浮足立っているのも閻艶の格好の判断材料になった。

 当初の予定では、敵の背後に出るつもりだったが、敵の背後には汧水が流れており、十分な空間はない。背後に出るより、敵中を突破した方が、当初の目標を達成しやすいと、そう判断したのだ。豪胆にも。

 そうして、閻艶は李垠の部隊に正面からぶつかり、そして李垠の部隊の左方から抜け出ることに成功した。

 李垠の部隊に死者は出なかったが、十余名の重傷者と、数十名の軽傷者が生み出されてしまった。



 汧城南城壁攻撃部隊にて。

 「だらっはっはっはっはっは!!」

 上半身裸の男が、馬に乗りながら城壁に兵と共に近づいた。

 「おっしゃ、下馬しろ下馬ぁ! 梯子用意! 登れ登れぃ!!」

 そんな風に城壁の真下で元気に声を上げる上裸の男。羌族の武将・()(ぶん)(こう)である。

 そんな彼に向かって湯が、石が、矢が飛んでくる。当然だ。どう見たって、否、どう見ても指揮官には見えないがやっていることは指揮官だ。ならば潰さない理由がない。

 しかし。

 李文侯はそれらを一顧だにせず、持っている矛で石を、矢を弾き落とした。湯はかぶった。

 「うーーーーん。城壁の上からかけられりゃ、途中でぬるくなるかと思ったが、普通に熱いな!? まあ、火傷するほどじゃねえけど」

 そう言う李文侯は湯をかぶってどこかさっぱりしたようにすら見える。

 城壁の上から「あの者には油をかぶせなさい」と老人の声が聞こえた。油は一度熱すると、なかなか冷めない。さすがの李文侯も火傷では済まないだろう。

 「おいおい、せっかくさっぱりしたのに油ぶかっけるとかひでえ話だ。勘弁してくれよ」

 そう言いながら、李文侯は城壁から距離を取る。

 李文侯。

 もちろん、(かん)(じん)ではない。羌族としての名前はリィウン・ホウという。それをそのまま近い漢字に当て直した。今では(かん)(じん)と会話する際はリブンコウと名乗っている。(かん)(じん)は勝手に李家の文侯だと思っているようだが、実際は違う。違うが、どうしても訂正しなければならない問題にも思えなかった。

 (こう)(ちゅう)()(じゅう)()として燻っている家名など、ことさらに強調して使いたいとも思っていない。

 李文侯を指揮する羌族の(たい)(じん)(羌族の部族の長のこと)・北宮玉も羌族の名前だとベーゴン・クゥという。

 李文侯は尚もその身を狙ってくる矢を払いながら予備部隊の方に顔を向けた。

 顔を向けて、あんぐりと口を開けてしまった。

 李文侯の目に映ったのは、所属不明の少数の部隊が、南城壁攻撃部隊の予備部隊に側面から突っ込んでいったところだったからだ。

 「な、はぁ!?」

 あまりの事態に李文侯は声を上げると、咄嗟に口笛を鳴らしながら走り出した。何歩も走らないうちに、李文侯の馬が、追走してくるので、李文侯は馬に飛び乗った。

 (おいおいおいおい! 籠ってばかりかと思ったら、おもしれーことしてくれるじゃねえか!!)

 李文侯は瞳をギラつかせながら、馬を駆けさせた。



 この時、南城壁攻撃部隊の兵たちはかつてないほどの混乱に見舞われていた。

 当然だ。

 先陣が城壁にとりつき始めたちょうどその頃。

 右方から所属不明の部隊に攻撃され、それに対処しようとしたのだろう、李文侯が所属不明の部隊にかち合うために前方から割って入ったのだ。更に、後陣にいる北宮玉も事態の解決を行うために前進したからたまらない。

 南城壁攻撃部隊の陣形は、しっちゃかめっちゃかに掻き乱された。

 しかし、この後、戦場に更なる混乱が巻き起こるのだ。



 閻艶は南城壁を攻める部隊の予備部隊に突撃を敢行した。

 当然、城を攻めることに皆が集中している。横からの急襲に対応できた者はいなかった。

 柔らかなチーズを分割するように、敵陣が横一文字に分断される。無警戒なところに突っ込んだため、敵はまともな反応を見せることなくあっという間に恐慌状態に陥った。

 そこに。

 「っしゃおら! そこのお前! とんでもねえ度胸してんな。俺が相手になってやるぜ!!」

 閻艶はそちらに視線をやる。

 そして、進行方向に向き直り、もう一度声のした方に顔を向けた。

 見間違いではなかった。

 上半身裸の男が、馬に乗っている。

 鎧も、兜も付けていない。

 閻艶はそんな李文侯を訝しげに見た後、また視線を前に移した。

 楽しそうに、嬉しそうに構える李文侯の前方を横切るような形で、閻艶指揮する突撃部隊は通過していった。

 しばらく固まる李文侯。

 そこに、閻艶の言葉が聞こえてきた。

 決して聞かせるつもりのなかったであろう言葉。


 「い、いいんですか、隊長。あの男、指揮官のひとりですよ?」

 「いい。武具をつけずに戦場に立つ人間は戦士ではない。私の槍は、戦士ではない者に振るうつもりはない」


 そんな言葉が。

 いやにはっきりと、李文侯の耳に入った。

 「………………………………はぁ?」


 その直後に取った李文侯の行動に、北宮玉は頭を抱えることになる。


 「てめえら! あの舐めたイカレ野郎共を追い討つぞ!!」


 馬上で矛を天に届けとばかりに掲げ、周りの兵を激励する。

 「白昼堂々奇襲とか、舐めすぎだろアイツら! 痛い目に合わせてやろうぜ!!」

 李文侯の言葉に、南城壁攻撃部隊は鬨の声を上げた。

 李文侯は手早く部隊を纏めると、混乱している兵たちの中から閻艶追撃部隊を編成して、彼女の後を追い始めた。



 「(えん)将軍。奴ら追ってきますよ!?」

 「正気か? そうか。まあ、正気でないからあのような格好をしているのか。まあいい。ついてきてくれるのなら、ついてきてもらおう。助かる話だ」

 閻艶は左右からもたらされる少々できすぎの情報に、むしろ気を引き締めながら次の目標に向けて馬首を向けた。

 次なる目標は、西城壁攻撃部隊である。



 西城壁を攻める辺章は、正攻法で城攻めを行いながら他の城壁の進捗を知るために斥候を絶えず放っていた。

 その斥候から驚くべき情報がもたらされた。

 「東を攻めている()殿より報告です。少数の部隊が城門を開け李殿の部隊に突撃を敢行。そのまま南城壁の方に向かったとのこと。というよりも!」

 単独で走る斥候兵と比べれば、如何に騎馬隊であろうとも、敵とぶつかっている閻艶たちはどうしても速度が落ちる。

 結果として、陣形をめちゃくちゃにされた李垠を見た斥候が南側攻撃部隊を迂回しても、閻艶より早く辺章のもとに辿り着けた。

 とはいってもわずかな差である。

 斥候が指さす方を見れば、閻艶の部隊が城壁の角から姿を現したところだった。

 (あと数分もしないうちに激突する!? 陣形を整えている時間が―――!!)

 そして、辺章は続いて視界に入った情報に、更に眩暈を感じた。

 閻艶の後方から李文侯の部隊が追走をしている。辺章から見れば、どこからが敵でどこからが味方なのかわからない有様だ。

 (おいおいおいおいおい!?)

 兵たちを一斉に右に向かせることはできない。

 伝令がちょうど命令を伝える頃に接敵するだろう。

 また、仮に間に合ったとしても、厄介なのは李文侯の部隊だ。

 旗から閻艶の後ろに李文侯の部隊がいるのはわかる。

 しかし具体的にどこから李文侯の部隊で、どこまでが閻艶の部隊なのか。それを判断する術は辺章にはない。

 同士討ちを覚悟で敵強襲部隊を止めるか。

 同士討ちを避けるために敵強襲部隊を通すか。

 「~~~~~~~っ。太鼓を鳴らせ! 二陣、三陣を前進。急げ!」

 辺章は自軍に被害が出ないことを選んだ。



 「ふは。ふはーっはっはっはっはっは!」

 上洛軍本陣。

 汧城の西。辺章の部隊の更に後方に上洛軍は本陣を布いていた。

 上洛軍の主な柱石たちは皆戦場に出ている。

 故に、その場にいるのは新しき王・宋建だった。

 小高く、丘のようになった地点を本陣に選んでおり、西の戦場を俯瞰して眺めることができる。

 「よもや、緒戦がこのような結果になろうとはな!」

 宋建は腹を抱えて呵々大笑している。

 「これは存外、厄介以上の城かもしれんな」

 見れば、辺章はうまく閻艶をいなしたようだ。李文侯との激突も回避できたようではある。しかし、戦場は大混乱の様相だ。

 そんな中、三百ほどの強襲部隊は汧城の西城門を開門させ、悠々と城内に入っていった。

 それを追撃することは、混乱状態にある李文侯・辺章の部隊にはできない。

 「仕方あるまい。『(ちゅう)(けん)』。伝令の用意をせよ」

 それまで宋建の傍に侍っていた大剣を携えた青年が(きょう)(しゅ)をする。

 「どちらに」

 「各城壁攻撃部隊にだ。いったん攻撃を取りやめ、各指揮官は本陣に集まれ、と」

 「わかりました」

 宋建の言葉に短く答えると、青年はきびきびと動き出した。



 「ふ。おかしな軍だ」

 汧城城内に戻った閻艶は、馬から降りると自分についてきていた兵たちを確認する。

 軽傷者はいるが、重傷者はいない。死人もいなかった。

 「ですな。南側のように血の気が多い将もいれば、西側のように冷静に対処する将もいる」

 部下の言葉に閻艶は頷く。

 「ああ。もう少し崩せるかと思ったのだが、どうやら上洛軍。思った以上の難敵だ」

 「そのようで。しかし、姫将軍」

 「なんだ?」

 「外の難敵の前に、内の難敵と対峙する羽目になりそうですよ」

 そう言いながら部下は閻艶に顎で何かを示す。

 閻艶はそちらに目をやり、

 「………………ああ、難敵だ」

 薄く微笑んだ。

 彼女の敬愛する父が、のっそのっそとこちらに歩み寄ってくるのが見えた。

韓遂 「え? 攻撃中止? 指揮官呼び出し? なして?」

韓遂 「何があったの? 俺、戦場でもぼっちになるの? 報連相してくんないの?」


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