三十幕 汧城包囲
司州右扶風郡汧県。
現在、この県の県城を襲っている賊軍。
涼州で集結した彼らは自らを『上洛軍』と呼称し、とある目的を遂行するために、首都・洛陽に向けて進軍をしている。
そんな上洛軍の実態はいわゆる『三派連合軍』である。
上洛軍には三つの派閥があるのだ。
上洛軍に所属する将兵は濃淡の違いこそあれ、みな、どれかの派閥に属する者たちで構成されていた。
第一の派閥。
宋建率いる新王朝樹立を目指す勢力だ。
宋建は涼州隴西郡河関県を根城にしており、長く河関県を荒らしまわっていた賊だ。
河関県の県令・李垠は小勢ながらに指揮能力の高い宋建に苦しめられていた。
部隊指揮、情報処理、咄嗟の判断に勘所。
全てが李垠よりも遥かに格上で、幾度兵を差し向けてもあしらわれる様に逃げられていた。
そんな宋建。
大きな、巨大な、強大で絶大な、野望があった。
市井に下りればすぐに聞こえてくる。
漢王朝の腐敗。
皇帝は官職を金で売り、得た金を使って宮殿を華美にすることに精を出す。
皇帝側近の宦官は臣下の権利である上奏を握りつぶし、自身の都合のいい世界を造り上げている。
高官は財を蓄えることに腐心しだし、賄賂を贈り合い、民からの陳情も金がなければ聞き入れない。
地方に行けば地方高官と豪族の癒着は当然のように行われており、一部の権力者が権勢を恣にしている。
無能な男が欲の限りを尽くし、有能な女がその被害にあっている。
細かな反論は数あれど、これが、この時代の雑な総括だ。
そんな世情を見て、宋建は思ったのだ。
この国は手遅れだ、と。
枝葉が腐っているのならば、まだいくらでも回復の見込みはある。
しかし、皇帝に近侍する宦官や三公・九卿といった大臣職。これらは、幹だ。そして、皇帝はそれら全てを支える根だ。それが売官と汚職の温床となっている。
だから宋建は見限った。
こんな下卑た国にいつまでも里心を抱く必要などない、と。
そして、ならば造ろうと思ったのだ。
汚職も、老若男女さらに言えば民族の別もなく。
ただ、才あるものが才を発揮する。それだけの国を。
長く歴史が続けば様々な利権が生まれ、それに固執しようとする者も後を絶たない。
単純に国としての寿命なのだ。新たな国が生まれる時期なのだ。
そうして、宋建は声高に表明を上げた。
漢を表す蒼天でもなく。
新生を表す黄天でもなく。
ただ、無垢に。
ただ、懸命に。
汚れも、欲も、乗り越えた、誰も見たことのない、誰も例えようのない、そんな国。
無色の国。
それを治める新しき王になると。
長い年月をかけて準備を進めてきた。
そして、中平二年(西暦一八五年)。
ようようやっと、巡り巡ってきたその機会に、宋建は満を辞して動き出したのだった。
第二の派閥。
辺章率いる王朝是正を目指す元正規軍の勢力だ。
中央の悪政は、地方に行けば行くほど苛烈な結果として地方官吏たちを襲っていた。
汚職に手を染める官吏たちも、何も進んでそれを行っているわけではない。
県令や県長、太守や刺史といった地方官吏の中でも高位の官吏たちは、その任地の政治に携わっている。農業や治水、商業や裁判、警察に至るまで、様々な物事を処理しなければならない。
そんな中で、高位の官吏が頻繁に変わってしまえばどうなるか。民政は混乱し、多くの弱者がその被害にあうことは想像に難くない。
そんな事態を、少しの付け届けで回避できるのであれば、それはやらない方が悪だ。そう考える者も多くいた。
自身が潔白であることを優先した結果、民を混乱させるのであれば、自身が汚れ役になろうとも、多くの民が安心して暮らせるように力を注ぐ。
清濁を併せ呑む。
それでも、唯々諾々と従っていたわけではない。
漢という国は、国政が腐敗しないようにするため、全ての官吏に与えられた権利がある。
上奏、という。
上表や上疏、ともいう。形式がわずかに違うだけだ。
漢に所属する官吏は、地方の最下級の官吏であろうと、皇帝に直談判をする権利がある。
漢は法治国家だが、皇帝の存在は国法よりもさらに尊いものとして扱われる。法よりも、皇帝の言葉が優先されるのだ。
そんな存在に対して、地方の窮状を救うように直談判をしようと考えた者も数多くいた。
しかし、そのシステムに待ったをかける存在がいる。
中常侍と呼ばれる、皇帝に近侍する者たちだ。彼らは宦官で構成されており、毎日湯水のように提出される上奏の訴えを検分して、真に皇帝が裁断するべきものか、事前により分けるのが仕事だった。
皇帝が至尊の存在であり殿上人、現人神といわれていても、人間である限り、この星に生きている限り、一日の時間は常人と変わらない。全ての訴えを聞き届けることは事実上不可能なのだ。
それ故に、何人もの、何十人もの中常侍が皇帝の補佐を務める、はずだった。
よりにもよって、この部分が腐敗すると、誰が予想できただろうか。
中常侍と繋がっている者が不利になるような訴えは握りつぶした。
中常侍の利権を損なうような内容の訴えは黙殺した。
中常侍を責めるような内容の訴えは破り捨てた。
そうして、今の世は、中常侍に都合のいい世界へとなってしまったのだ。
もはや、上奏を行っても止めることができないほどの腐臭が国から漂っている。
悪臭の原因は明らかだ。
中常侍の排除。
宦官を政治に関与させることの廃止。
一人や二人では握り潰されるからこそ、前代未聞の軍勢を率いた上奏。
宋建が煽った炎は、正義の心となって、今、轟々と燃え盛っている。
第三の派閥。
北宮玉率いる羌族の地位向上を目指す羌族の勢力だ。
羌族とは。
漢の西北に位置する地域に割拠している騎馬遊牧民族の総称である。
民族全体としてはかなり古く、その起源は中国神話に登場する三苗が該当するという説もある。
長い歴史を持ち多くの氏族を抱えるが、漢代に入ると北方の漢を取り巻く異民族の情勢に翻弄され、多くの羌族が漢に臣従を表明した。
漢も羌族を受け入れ、以後、羌族は漢民族の一員として百年以上もの間生活を続けている。
しかし、漢に従うを良しとしなかった氏族もおり、叛いては鎮圧をされるという歴史を繰り返している。
漢に従属した羌族の氏族は、漢の国土内に住むことを許されたが、その暮らしぶりはお世辞にも良いとは言えなかった。
漢民族のものよりも安い賃金で働かされ、戦があれば優先的に徴兵され、そこまで尽くしても、漢は彼ら臣従した羌族のことを湟中義従胡と呼んだ。湟水と呼ばれる河の中流域周辺に固まって暮らしている異民族、という意味合いだ。
漢の国土内に住むことによって北方異民族の脅威に晒されることは少なくなったが、既に世代をいくつも跨いだというのに未だに漢民族として受け入れられないという問題を抱えている。
北宮玉は漢の国土の外に割拠して、漢に従うことを良しとしなかった氏族の末裔だ。
数年前までは并州を攻めていたが、并州刺史・董卓によって阻まれ続け、手応えを感じなくなって、戦場を移すことにした。
先祖代々、漢に敵対していた北宮玉は当然のように漢と戦い続けた。
しかし、戦場を移し、涼州に足を運んだ。
そこで初めて、湟中義従胡を目の当たりにしたのだ。
知識としては知っていた。
しかし、自分と同じ民族がこれほどまでに虐げられているのかと思うと、怒りが沸いた。
彼らのために動くことが、義だと感じた。
その折、宋建が戦場を移した北宮玉に接触を図ってきた。
洛陽へと軍で向かい、皇帝に直訴する機会を掴む、と。
北宮玉はその話に乗った。
皇帝に羌族の地位向上を訴え出ることができるかもしれなかった。
これは義戦だ、そう北宮玉は思っている。
上洛軍は義の軍だ。
涼州を騒がせた刺史・左昌を討つため漢陽郡冀県の県城に攻め寄せた。
冀県県令の鮑俊の策略により決死の兵と化した城民を攻めるに攻められず、膠着状態に陥った。その膠着状態を打ち破ったのは、左昌から援軍を要請されていた蓋勲だった。
蓋勲は前年の黄巾の乱において皇甫嵩の指揮下で戦った猛将だ。
しかしその猛将をもってしても、五千の兵力で三万の上洛軍を打ち崩すのは容易ではない。
この時行われた蓋勲と上洛軍の総大将に座っている辺章の問答は、今では涼州内で語り草となるほどのものだった。
上洛軍は悪徳刺史・左昌の処罰を行うことを条件に冀県の包囲を解き、蓋勲も上洛軍との約束通り、左昌の汚職を調べ厳正なる処分を下した。
ここにおいて、涼州各地に蓋勲の高潔さと、上洛軍がただの悪賊でないことが知れ渡った。
上洛軍の進軍はとある理由で遅々としたものだったが、それが幸いして我も我もと上洛軍に参加を表明する者が後を絶たず、漢陽郡の郡治にして司州への玄関口である隴県に至ったころには倍の人数に膨らんでいた。
隴城に攻めかかろうとした上洛軍だったが、攻めかかる前に城門が開いた。中から隴県の県令が出てくると、なんと、上洛軍への参加を表明した。
これにより、隴県を無血で落とした上洛軍はさらに加わってくる志願兵を収容し、三月に入ると十万の軍勢を東に進軍させた。
上洛軍の司州入りである。
中平二年(西暦一八五年)三月二十六日。
上洛軍は汧城をその視界に入れた。
「ふん。小城よな。一思いに踏みつぶし、この新しき王が三舖侵入を果たした狼煙としてくれよう!」
総髪に漆黒の鎧、深紅の外套。
煌びやかなまでの装飾に彩られた男が、鼻を鳴らしながら汧城を眺める。
宋建。
新しき王を自称する、この上洛軍結成の立役者だ。
「いや物騒。ホント物騒。やめて? 俺たちは上洛軍。不必要な殺しは避けるべきですよ」
そんな宋建に物申すのは陰鬱な風体の男だ。
目つきは悪く、寝不足なのか目の下に隈ができており、それ故にただでさえ悪い目つきがさらに悪く見える。背筋は曲がっており、姿勢からもその卑屈さが滲み出ているようだ。
「しかしな二流役者。あの城を見ろ。あの城が、我が軍に降る城に見えるか?」
宋建が顎で汧城を指し示す。
二流役者と呼ばれた男―――韓遂は汧城を見やるが、ただの城にしか見えない。
「いやー。交渉もしてないのに降るかどうかなんてわからないでしょう。俺も司州は管轄外なんで、どんな人間がいるかわかりませんし。それとも、新しき王様におかれましては、もしかして事前調査なんかしちゃったりなんだったりします?」
「わからんか。気が違う」
「気?」
「こればかりは経験則がものを言う。二流役者程度ではまだわからぬやもしれんな。戦うと決めた兵は、気が違う。戦うと決めた兵たちによって構成される陣や、城は、見ればそれだけで、戦意があるかどうかわかるというもの。貴様も早くその域に達せるとよいな」
宋建の言葉に、韓遂は改めて汧城を見るが、戦う気があるかどうか全くわからない。
「声とか、炊飯の煙とか、灯とかで判断するんスかね?」
「そう言った目に見えるものだけではない。目に見えぬものこそ、貴様のような奴には必要なのだろうがな。見えぬものを感じるまで、精進を続けるがよい」
そう言うと、宋建は踵を返して幕舎に戻っていく。
韓遂はそれを見送ると、汧城に視線を戻した。
宋建の言う通り、小城だ。
城兵は恐らく二千ほど。攻城戦となれば民も防衛に参加するであろうから一万ほどの兵力になろうか。
しかし、こちらは十万の兵力だ。
城攻めに向かない羌族の軍を丸々使わないとしても七万の兵力になる。
落とすこと自体は造作もない。
出来れば犠牲を極力少なくしたい。そんなことを考える余裕すら、韓遂にはあった。
「け、県長様。敵からの書状です」
震える手で閻行に差し出された紙。
それを横合いからひったくったのは県丞の衛軫であった。
「文整。俺が読もうとしたのだが」
そんな閻行の不満に応えず、衛軫は書状を開く。
しばし黙読して、肩を震わせ始めた。
「文整。何と書いてある?」
「っ、っ、っ」
閻行が問いかけても、衛軫は歯を食いしばり、顔を真っ赤にして言葉も出ないようだった。
「………………はぁ。呑集」
閻行はため息を吐くと彭全に声をかける。
横に侍っていた彭全が、衛軫の手から書状をむしり取った。
「え~。なになに? 『我らは皇帝に上奏することを目的とした上洛軍である。その進路を妨げるのであれば、それは、国法によって定められている意見具申制度を否定することになる。貴殿らも皇帝に具申したき議があれば、上洛軍に参加し、共に皇帝に会いに行こうではないか』だとさ」
「………なるほど」
彭全の読み上げた内容に、閻行は顎を撫でる。
これを拒絶すれば、地方官の上奏制度の使用を阻止しているような構図にも見えてしまう。
「――――――な、なにが、なにが、国法の否定か! 痴れ者共が! 国に叛旗を翻したただの賊の癖に!!!」
衛軫が歯を食いしばりながら呻くように言う。
それに対して、閻行は衛軫の肩を撫でて落ち着かせながら一言言った。
「………いやいや。うまいな」
「っっっ、何がうまいというのですか!?」
落ち着かせるつもりで言った閻行の言葉は衛軫の神経を逆なでした。
他の三人はいつもの県長と県丞の様子に、逆に落ち着きを取り戻している。
食ってかかられている県長は慌てた様子で衛軫をなだめているが。それもいつもの光景だ。
「いやいや。落ち着け文整。軍を動かすのだ。それぞれの軍に大義名分は必要だ。その落としどころとしては嫌味なくらいにうまい表現だ。これを考えたのは誰であろうなぁ」
「またあなたは、どうでもよろしいことに気を回して!!」
よろしくないなのだがなぁ、と困ったように顎を撫でながら、閻行は四人を見た。
「さて。我々は上洛軍に抵抗することにした。敵は十万の大軍。対するこちらは、民を戦力に加えて総力を挙げても一万の小勢。まずは各城壁で守備隊を指揮する将を任命する」
室内の人間が頷く。
汧城にいる二人の県尉。
経験豊富で慎重な毛洪と勇猛で決断力に富む彭全。
定石通りであれば、まず、この二人が城壁守備の中核を担うことになる。しかし、城壁は四面ある。
ここで、汧城という城の特殊な立地が役に立つことになる。
汧城は汧水のほとりに立っている城だ。汧水は汧城の北西から流れてきて、汧城の北を通って湾曲し、汧城の東を流れていく。
要するに、汧城は、北と東を汧水が守ってくれているのだ。
河と城壁の距離は五里(約2㎞)ほどか。
数千規模の軍の展開は可能であろうが、万を超す兵を整列させる空間的余裕はない。
さらに、汧水の水源は汧県北西部にある呉嶽山という山であり、水源に近い汧城周辺は切り立った崖になっている。落ちれば命は助からない。
必然。
上洛軍は西と南に兵を割くしかなくなる。
ならばこちらも、二人の県尉をそこに配置するのが最善手だ。
残る二つは、敵が奇策を弄してこないか、見張る役割もある。
「文整。北を頼めるか。俺は東に出る」
「県長様! あなたが前線に出て、もしものことがあったらどうするのです!? 絶対に許可できません。呑集殿。伯恩殿。部隊指揮ができる将校は他にいないのですか!?」
「いやあ、いるには、いるんですが」
「………………」
彭全は困ったように頭を掻き、毛洪は視線を逸らした。
「誰です? 出来れば連れてきてもらいたい」
「いや、連れて来いって言うなら、もういるっていうか」
「? 歯切れが悪いですよ。あなたらしくもない」
困ったように唸りだす彭全。
そこに一人、歩み出た者がいた。
「父上。私が出ます」
閻行の娘、閻艶だ。
軍事を好み、幼い頃から武を習い、最近では賊討伐などの功績も上げている。誰が呼び始めたか。『姫将軍』などというあだ名まである始末だ。
しかし、それを馬鹿正直に信じ、喜ぶほど、衛軫も閻行も、甘くはない。
「………できるのか?」
閻行は彭全と毛洪に問いかける。最近の娘の力量はすぐ近くで見ている二人の県尉の方がわかるだろう。
「まあ、姫様なら大丈夫でしょう」
「城壁で守る程度ならば、造作もないでしょう」
そう、歴戦の士から太鼓判を押されてしまう。
「………ふむ」
閻行は顎を撫でると、次は閻艶に向き直った。
「できるのか?」
その言葉に、閻艶ははっきりと頷いた。
上洛軍が汧城に着いた時、既に夕刻だった。
なので、実際に汧城に攻めかかるのは翌日になった。それよりも前に降伏勧告を送ることにした。
文面は韓遂が考えた。推薦者は宋建だ。
その宋建は、現在、薄暗くなっていく背景を背負った汧城を眺めながら酒を飲んでいた。
「見事よな。降伏勧告に対しても一切の揺らぎなしか」
宋建の傍には大剣を地に突き立てた青年がいるだけだった。
篝火に照らされながら、床几に腰かけ、宋建は酒をあおる。
―――と、不意に青年が動いた。
地に突き立てていた大剣を、思い切り振り上げたのだ。
硬質な物体同士がぶつかる冷たい音が辺りに響く。
青年は自分が今しがた弾いた物を、視界の端に収める。
矢だ。
鏃の根元に、紙が括りつけられている。
「随分な挨拶ではないか。新しき王の忠犬がいなければ危なかったぞ」
全く動じた風でない宋建が、闇の中に向かって声をかける。
「いやいや。それは、残念だ。若いのに粒があるなぁ。さ、やろうか」
どん臭そうな、間延びした、緊張感のない声が、宋建のもとに帰ってきた。
これにてメインの登場人物が一揃い!
洛陽から派遣された討伐軍。
汧城に籠城する汧城軍。
漢に上奏するために進軍する上洛軍。
みっつの派閥の局地戦だぁ!!!!




