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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第九章 Essential existence
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約束

 明らかな嫌悪の滲む声。――振り返ってみれば、思ったとおり、そこに居たのは亜梨沙だった。

 「な、なによ……それ……。趣味の悪いコスプレか何か?」

 頬を引きつらせたがら、彼女はこちらを睨んだ。


 ――誤魔化すべきか。……誤魔化すとしたら、どう誤魔化すか。咲月は咄嗟に朔海を振り返った。

 だが、彼の方は焦ることなく、至って落ち着いた様子で頷いた。

 「いや。君の指摘通り、僕は人間じゃない。ある意味、化け物と言われる類の生き物だ」


 不意に、朔海の瞳が緋色に輝いた。こんな暗がりだというのに、その一点だけ、煌々と赤色が灯る。

 「僕は、君たちの言うところの吸血鬼だ」

 にやりと、彼らしくない笑みを浮かべ、朔海は一歩前へと踏み出した。


 「さて、お嬢さん。こんな時間に君は一体何をしに来たのかな? 広間ではまだ君の親類たちが話し合いの真っ最中なんじゃないの?」


 亜梨沙は、気圧されたように一歩後ずさりながら、引きつった笑みを浮かべた。

 「べ、別に……。こんな時間にあてどもなくこんな場所を彷徨い歩くつもりの考え無しを嘲笑わらってやるだけのつもりだったんだけど……」

 だが、それでも彼女の口は止まらなかった。

 「なるほどね、そういう事。……売ったのは身体じゃなく、血だったって事よね?」

 まさか、そんなものが現実に居るはずがない。……そう思いたいのに、説明のしようのない現象が目の前にある。その事に、亜梨沙は動揺しながらも、それでも咲月を扱き下ろす事はやめない。

 「流石の私も同情を禁じえないわね、化け物の餌だなんて。……おかげでお前のせいであの時の彼にフラれた分の溜飲が下がったわ」


 「……言いたいことは、それだけかな?」

 ひやりと、周囲の空気を凍らせるほど冷たい声が、朔海の口から発せられた。

 「僕は、君たちに忠告したはずだ。――今後、彼女を傷つけ、侮辱する行為を働くならば、僕は容赦しないと」


 不意に、風もないのに周囲の空気が揺らいだ。

 ゆらゆらと陽炎が立ち上ったかと思えば、橙色の炎がポッと一つ夜陰に浮かび、風に乗ってつむじを描きながら尾を引いていく。

 ――さながら、炎の龍が朔海を取り巻くようにとぐろを巻いているような……

 その炎の熱が起こす微風が、ふわふわと朔海の前髪を揺らし、服の裾をはためかせる。

 

 咲月には、とても幻想的で美しい様であるように思えるその朔海の姿に、亜梨沙は声を喉の奥に詰まらせた。

 また一歩、亜梨沙の方へ足を踏み出す朔海から距離を取ろうと、亜梨沙は後ずさろうとし……ぴくりと体を痙攣させた。

 その瞬間、亜梨沙の瞳に焦りの色が浮かんだ。

 必死に、足を持ち上げ後ずさろうとしているらしいのに、彼女の足は地面に貼り付いたままびくともしない。

 どんどん青白くなる顔に、冷や汗を浮かべて頬だけ赤く染め、うんうん唸ってみても、やはり足はびくともしないまま。


 しかし、朔海の方は、一歩一歩ゆっくりと確実にアリサへ近づいていく。

 炎の明かりに照らし出された彼女の顔は、恐怖に固まっている。

 このまま近づけば、朔海を取り巻く炎が彼女の肌を焼く。その際訪れるだろう、熱による痛みにおののき、彼女の呼吸が極端に浅くなる。


 「ひとつ、君に大事なことを教えておこう。――彼女は、僕の大切な花嫁だ。……今はまだ、婚約者だけど、間違っても彼女が“餌”だなんて有り得ないよ。確かに、彼女の血から得られるものは他と比べ物にならないくらい素晴らしいものだけど、それ以上に彼女自身から得るものの方が、僕にとっては大切なんだから」

 彼は、咲月の耳が溶け出してしまいそうな台詞を、臆面もなく亜梨沙にぶつける。せっかく夜風で冷えてきていた頬が、再び熱を持ってカッカと火照り出し、思わず両手で頬を隠すように押さえた。

 「君たちが彼女のことをどう思っていようと、僕には関係ない。僕にとって、彼女は失うことのできない大切な存在であることに変わりはない。でもそれは当事者でない僕の見解で、実際に傷ついてきた咲月はきっと違う意見を持っているはずだ。周り中から自分を否定され、見下され、侮辱され続ける事がどういうことか……君に教えてあげよう」


 朔海は少し腰を落として彼女と目の高さを合わせ、彼女の視線を捕らえて緋色に輝く瞳で彼女の黒い瞳を射抜いた。


 ふと、亜里沙の身体から力が抜け、目の焦点が合わなくなる。

 それまで必死に逃げようと足掻いていたのもぴたりとやめ、一気に大人しくなった。


 それを確認した朔海も、周囲を取り巻く炎を消し、瞳の色も緋色から濃紺へ戻す。

 「……何を、したの?」

 「彼女に、夢を見せている」

 咲月の問いに、朔海は簡潔に答えを返した。

 「夢?」

 「そう、夢。正確には、幻術に近いけれどね。……僕の、昔の記憶を一部切り取って、彼女自身の体験として見せる夢だよ」

 少し寂しそうな笑みを浮かべて、朔海は咲月の目を覗き込んだ。

 「面白くもなんともない、つまらない夢さ」

 不意に、目に映る景色がダブった。

 暗い、ぽつぽつと頼りない街灯の明かりがあるばかりの駐車場の景色に、見慣れない煌びやかな景色が重なる。


 まるで、映画の中の中世ヨーロッパの城のような、豪奢な内装の広い部屋の中にひしめく、煌びやかな衣装を身にまとった美しい人々。

 背景に良く馴染む古風な出で立ちながら、その綺羅綺羅しさに目がちかちかしてしまいそうなのに、その一方で目はどんどん曇っていく。

 こちらへ向けられる視線の種類が、どれもこれも気分の良いものではない事が容易に知れるからだ。


 ――あまりに見慣れた光景。……だが一方で、咲月はこんな酷い光景はこれまで見たことがなかった。

 向けられる、嘲りの眼差し。それ自体は珍しいものでも何でもないのに、その質がまったくもって違う。


 価値のないものを見るような眼差しを向けられることには慣れていても、こんな眼差しを向けられた覚えはかつてない。

 まるで、マムシにでもなったかのような気分。

 ある人にとって、自分はまったくもって邪魔な存在、どころか毒にしかならない存在でありながら、人によってはそれを欲してやまない、欲に満ち満ちた目を向けてくる。

 少しでも気を抜けば、取って食われる。そんな空気が満ち満ちた空間に、たった一人で立たされて――。


 この光景が何だか、たった今朔海自身が言っていた。――これは、朔海の記憶。朔海の過去。朔海が実際に見てきた光景だ。

 ぞっと、背筋が凍り、肝が冷える。

 こんな場所で、一人の味方もなく、一体どれほどの時を彼はこんな気持ちを抱えたまま生きてきたのだろう? 


 気づいたときには、咲月は朔海にひしと抱きついていた。

 「ねえ、朔海。私は、もう大丈夫だよ。だって、あの暗く澱んだ世界から、朔海が引き上げてくれたから。あの人たちが、朔海をどう思っていようと、私には関係ない。私にとって、朔海が失うことのできない大切な存在だってことは変わらない。何より、朔海が、私を必要としてくれたから。もう、あの人たちが私をどう思っていようと、私は何とも思わないから」


 朔海について、吸血鬼になり、彼と共に生きるということは、いつかきっとああいう場へ臨まねばならなくなる事もあるに違いない。

 それは、怖いけれど。

 朔海は、咲月のためにあの人たちと闘ってくれた。そのおかげで今、咲月は何か吹っ切れたように思える。

 だから、今度は咲月が、朔海のために戦わなければならない番だ。


 「あ、あ……」

 夢から醒めた亜梨沙が、吐息を漏らした。本当は叫び、悲鳴をあげたいのに、恐怖で喉が凍り、気の抜けたような空気だけが喉をすり抜け口から溢れ落ちたらしい。

 それはそうだろう、咲月でさえ恐ろしいと感じたあの視線を、なんの免疫もない彼女が突然突きつけられればそれはそれは恐ろしかろう。

 何よりあれは人の目ではない。――獣の、魔物の目だ。

 「さすがに少し、やりすぎたんじゃ……」

 ぺたりと腰を抜かし、地面にへたり込んだ亜梨沙を、だが朔海は無表情に見下ろした。

 「そうかな? 一度、きちんと忠告はしたんだ。当たり前の薬が効かないなら、少しばかり毒の効いた薬も必要だと、僕は思うよ」

 朔海はそう言い切り、咲月の腕を取った。

 咲月の体を、片腕ですっぽりと抱き返しながら、その手首にそっと口付ける。

 「何しろ、僕自身がそうだったからね。……君の血を欲しいと思う心に、どうしても素直になれなかった僕の目を醒ましてくれたのは、他でもない咲月自身だったんだから」

 ツプリと、手首に朔海の牙が埋まった。


 「あっ……、」

 肌が破れ、肉を穿つ痛みと共に、神経を伝って全身を怒涛のように駆け巡る、甘い疼き。思わず声を出さずにはいられない感覚に、咲月は全身の力が抜けていくのを感じた。

 これまでも、牙を穿たれた傷口付近に、じんわりとしびれに似た奇妙な感覚を覚えた事はあったけれど、これはその比ではない。

 体の内側の全てが、心地よい酔いに制圧され、その他全ての感覚が意識の外へ押し出されていく。

 それは、前に朔海が魔力を使って咲月の腕を痺れさせた時の感覚に近い。だが、あの時痺れを流し込んだのとはまるで桁違いの魔力が全身を溶かしていく。


 いったい、どれほどそうしていたのだろうか。

 ふと気づけば、身体を支える朔海の腕がなければ、立っていられないほどふにゃけた身体で、ぼんやりと彼の顔を眺めていた。

 「い、今……何をしたの……?」

 咲月は掠れた声で尋ねた。

 だが、朔海の方は不思議そうに首を傾げた。

 「うん……? いや、特には何も……」

 どう考えても、何もないなどということはないはずだと咲月は思うが、朔海の眼差しに嘘はなさそうだ。


 ……だが、そういえば彼には色気ダダ漏れ事件の前科がある。彼が、自覚なしに何かやらかした可能性はある。

 世間一般のに知れ渡る吸血鬼のアレコレは、当たっている部分と的はずれな部分がそれぞれある。

 そしてその、世間一般に知れ渡る吸血鬼のあれこれの中の一つが、先ほど咲月が感じた感覚に当てはまるように思うのだ。


 とめどなく、際限なく赤く火照る頬を持て余しながら、咲月は未だに力の入らない身体ごと、朔海に預けた。

 朔海は、咲月の身体を軽々と抱き上げ横抱きに抱える。


 と、ぱたぱたと靴音を響かせ、硬直が解けたらしい亜梨沙が悔しげな顔をこちらへ向けながら駆け去っていった。

 そういえば、彼氏と別れたといった彼女に、朔海との仲を見せつけるような格好である。

 非常識なシーンの中で脅かされた上に、こんな風に見せつけられては、自尊心の高い彼女のプライドはズタズタだろう。


 わずかに同情しつつも、やはり溜飲が下がる。


 「――で、どうするの? このまま、行くの? ……その、次元の狭間に?」

 咲月は尋ねた。

 「いや。一回、咲月の新しい家へ行こう。荷物をまとめたりとか、色々あるだろう?」

 朔海は、翼を広げながら答える。

 「……と、いうか。今、君を僕の家へ連れてはいけない」

 「それは、私がまだ人間だから、ってこと? ……そう言えば、私、未だにどうすれば吸血鬼になれるのか、正確なところ聞いていないんだけど」

 「いや、前にも言った通り、世界を渡るには“鍵”が必要で、それを持たない者に世界を渡ることはできないけど、“鍵”を持つ者と一緒に行けば、それは不可能じゃなくなる。君を向こうの世界へ連れて行くだけなら、僕は今すぐにでも、君を次元の狭間へ招くことができる」

 朔海は首を横へ振りながら、咲月の懸念を否定した後で、だけど、と、少し目をそらしながらぽそぽそとバツが悪そうに呟いた。

 「春先からこっち、君も知っての通り、ほとんどの時間をこっちで過ごして、家へはほとんど帰ってなくて。……特にこの数ヶ月は一度も帰ってなくて。つまり、当たり前だけど掃除だとか全くしてないから、その……人を――ましてや女の子を招ける状態じゃないっていうか……」

 ふわりと身体を中に浮かせながら、朔海は申し訳なさそうに言った。

 「これまで散々待たせた身で、本当に申し訳ないんだけど。ほんの少しでいいんだ。もう少し、もうしばらくの間だけ待っていてくれないかな? 全部、しっかり準備を万全に整えたら、もう一度、君を迎えに来る。……大丈夫、今度こそすぐに戻ってくるから」


 朔海の翼が空を切り、夜空がぐんと近づき、逆に街の灯りが一気に遠ざかった。

 秋の夜の上空はさぞや冷えるはずが、火照った今の咲月の体にはその冷たさがかえって心地よいくらいだ。

 ちかちかと間近で瞬く星が賑やかな夜空に浮かぶのは、まん丸な月。――そう言えば今夜は満月、だった。


 「……本当に?」

 「約束する。どんなに遅くとも、あの月が欠けて、再び満ちるその時までには必ず戻ってくる」


 そうして、戻ってきたその時は――。


 「咲月、君を僕らの同胞に迎え――僕の伴侶として、あちらの世界へ正式に招くよ」

 朔海の瞳が、真摯な光を宿し、咲月の瞳を見据える。

 

 「君に、僕の心血を捧げると、誓う」

 呟かれた言葉が、夜陰に流れて消えた。

 

 「うん。……ありがとう」

 咲月は、湧いて溢れる感情の一つを言葉にして彼に贈る。

 「待ってるから。本当に、今度こそすぐに戻ってきてよ? ……遅刻してきたら、稲穂様直伝の必殺技をお見舞いするから」

 「そ……それは是が非でも早く帰ってこないと……怖いな」

 朔海は苦笑しつつ口の端を引きつらせた。


 あの月が、欠けて再び満ちる時。――その時が、咲月にとって人間でいる最後の時になるのだろう。

 そして、その次にあの真ん丸な月を見上げるときは、彼と同じ生物に生まれ変わっているはずだ。


 眼下に遠ざかる、街の灯り同様、この先この人の世界は遠いものになるのだろう。

 ――それでも。この選択が、間違いだとは思わないし、思えない。


 「この先、何があったとしても、絶対に、朔海を独りにはしないから」

 あの夜空に輝く、月と星のように、永遠に近い時を生きていく。その誓いを、夜闇に溶かし、咲月は月へ手を伸ばす。

 たとえ一つ一つは頼りなくとも独力で輝く星たちと違い、どんなに美しく輝こうとも、月は独りでは輝けないのだから。


 「……一緒に、生きよう」


 独りでは輝けなくとも、照らしてくれる光さえあれば、どんな闇をも退けられると信じられるから。

 

 「一緒に、生きていこう」 

   

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