お賽銭箱アイドルと、無防備な狂犬の休息
お賽銭箱アイドルと、無防備な狂犬の休息
「五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイ!」
道の駅『ポポロ』の広場に、弾けるような掛け声と手拍子が響き渡っていた。
タローマン製の木箱を並べて作った即席のステージの上で、色あせた芋ジャージを着た人魚族の少女――リーザが、自作のマイクを握りしめて熱唱している。
「銅でもない! 銀でもない! 狙い打つのは真鍮のゴールド! 穴の向こうに未来が見える、覗いてみてよ私とキミのディスタンス!」
彼女の歌声は、不思議な魅力を持っていた。
腐っても海中国家シーランの王女である彼女の歌には、聴く者の心を昂らせ、活力を与える強力なバフ(支援魔法)の効果が備わっているのだ。
「おおおおっ! なんか知らんが、腹の底から力が湧いてくるぞ!」
「長旅の疲れが吹っ飛んだ! すげえなこのアイドル!」
最初は物珍しさで立ち止まっていた行商人や旅人たちが、リーザの歌声に魅了され、次々とステージの周りに集まってくる。
その熱狂を見逃す『ゴルド商会』の男ではなかった。
「サァサァ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! アイドルの熱気で乾いた喉には、この冷えた『陽薬草茶』が一番や! 腹が減ったらポポロ名物『賢者ハンバーグ弁当』! 推しの生活を支えるために、ガンガン買うてやー!」
ニャングルがステージの横に陣取り、コテコテの関西弁で凄まじい勢いの客引きを行っている。
リーザの歌による『活力バフ』と、ニャングルの『悪魔的な商売手腕』が完璧に噛み合い、広場はかつてないほどの大熱狂に包まれていた。
「絶対無敵のスパチャアイドル! 五円が積もれば山となる! 御縁をちょーだいキラキラ☆キラリ、推しの生活支えてちょーだい!」
「ウオオオオッ! リーザちゃーん! 弁当三個買うから握手してくれー!」
チャリーン! チャリーン!と、お賽銭箱代わりのザルに大量の硬貨が投げ込まれ、それ以上の速度で弁当が飛ぶように売れていく。
(すごい熱気……。リーザちゃん、本当にアイドルとしての才能があるのね)
私は厨房の中からその光景を眺めつつ、次から次へと入る注文を捌くために、タローマン製の大型フライパンを無心で振り続けていた。
「セリア、お弁当追加で十個! あと串焼きもドンドン焼いて!」
「はい、ただいま! キャルルさんは列の整理をお願いしますね!」
「任せて! 横入りする奴はアゴ砕くから!」
飛ぶように売れる料理。活気に満ちた客の笑顔。
経営者としてこれ以上ないほど順調な光景だが、私はふと、ある違和感に気がついた。
(……あれ? ヴィンセントさんがいない?)
いつもなら、私が厨房にいる時は必ず視界の端の死角に立ち、近づく不審者を静かに牽制してくれているはずの彼の姿が見当たらない。
「ニャングルさん! ヴィンセントさんを見ませんでしたか!?」
「ああん? ヴィンセントぉ? そういや、さっきから見てへんな。あいつの事やから、どっかでサボっとるんちゃうか?」
ニャングルは売り上げの銀貨を数えるのに夢中で、適当に答える。
いや、彼が仕事をサボるなんてあり得ない。
胸騒ぎを覚えた私は、火を弱めてフライパンを置き、急いで厨房の裏口へと回った。
「ヴィンセントさん……?」
裏口の薄暗い日陰に、長身の影がうずくまっていた。
壁に背を預け、膝を立てて座り込んでいるその姿は、いつもの隙のない完璧な彼からは想像もつかないほど弱々しい。
「ヴィンセントさん!」
慌てて駆け寄ると、彼はビクッと肩を震わせ、苦しげに顔を上げた。
「……セリア、さん。申し訳……ありません。持ち場を、離れてしまって」
彼の顔色は青白く、額にはびっしりと冷や汗が浮かんでいた。
何より異常だったのは、いつもピンと立っている銀色の獣耳が、頭にぴったりと張り付くように伏せられ、小刻みに震えていることだ。
「どうしたんですか!? 怪我ですか、それとも病気……」
「違います……大丈夫、です。ただ……少々、情報が多すぎまして」
ヴィンセントは荒い息を吐きながら、辛そうに耳を塞いだ。
(情報が、多すぎる……? あっ!)
私はハッと気がついた。
人狼族の上位種である彼の聴覚と嗅覚は、人間の数万倍とも言われている。
普段は闘気で感覚をコントロールしているのだろうが、今は状況が悪すぎた。
リーザの魔力を帯びた巨大な歌声。
興奮状態の数百人の客が発する大歓声。
汗の匂い、香水、馬車や獣の臭い、そして厨房から漂う強烈な料理の匂い。
それらが何倍にも増幅されて、彼の鋭敏すぎる感覚器を容赦無く殴りつけているのだ。
「ごめんなさい、私ったら気づかなくて! 立てますか? 中に入りましょう!」
「……お気遣いなく。少し休めば、すぐに……っ」
強がるヴィンセントの腕を取り、私は彼の体を支えながら立ち上がらせた。
大柄な彼を支えるのは重かったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
私は彼を引きずるようにして、厨房の一番奥――防音断熱材が組み込まれた、タローマン製の大型食材貯蔵庫へと駆け込んだ。
分厚い扉を閉めた瞬間、外の狂騒が嘘のように遮断され、静寂が訪れる。
「はぁ……はぁ……」
木箱の上に座らせると、ヴィンセントは荒い息を吐きながら、項垂れるようにうつむいた。
「少し待っていてくださいね」
私はすぐにパントリーを出て、魔導コンロで湯を沸かし始めた。
選んだのは、陽薬草の中でも特に鎮静効果の高い『月見ハーブ』と、疲労回復に効く『ハニーかぼちゃの蜜』。
それらをブレンドし、精神を落ち着かせるための温かい特製ハーブティーを淹れる。
「ヴィンセントさん、これを飲んでください。少し落ち着きますから」
「……すみません。あなたに、こんな世話を焼かせるなど」
パントリーに戻り、マグカップを手渡すと、彼は震える手でそれを受け取り、ゆっくりと口に含んだ。
ハーブの優しい香りが彼の鼻腔を抜け、強張っていた肩の力が少しだけ抜けるのがわかった。
「……情けない話です。少し人が増えた程度で、感覚の制御を失うとは」
自嘲気味に笑うヴィンセント。
いつも冷静で、魔獣の群れすら顔色一つ変えずに瞬殺する彼が、こんなにも弱々しい姿を見せている。
そのギャップに、私の心臓がギュッと締め付けられた。
「情けなくなんてありません。ヴィンセントさんがいつも私のために、無理をして感覚を研ぎ澄ませて警戒してくれていたからです。……お店が繁盛したのは嬉しいですが、ヴィンセントさんが倒れてしまったら、何の意味もありません」
私は彼の隣にしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
まだ彼の銀色の耳は微かに震え、外から漏れ聞こえる微かな振動音にすら過敏に反応している。
(どうすれば、彼を楽にしてあげられる……?)
私はマグカップを彼から受け取り、木箱の上に置いた。
そして、迷うことなく両手を伸ばし――彼の頭にある、ふたつの銀色の獣耳を、両手でそっと包み込んだ。
「えっ……セリア、さん?」
ヴィンセントが驚きに目を見開く。
「こうすれば、少しは音が遮断できるでしょう? ……ヴィンセントさんが落ち着くまで、こうしていますから」
私の手のひらを通して、彼の耳の柔らかい感触と、微かな熱が伝わってくる。
ヴィンセントの体は一瞬ビクンと硬直したが、やがてゆっくりと、私に身を委ねるように脱力していった。
「……温かい」
ぽつりと、彼がこぼした。
それは、普段の彼からは想像もつかないほど、無防備で甘えるような声だった。
「私の手、少し熱いですか?」
「いえ……とても、心地よいです。あなたの手のぬくもりが、煩わしい世界のすべてを遠ざけてくれるようだ」
ヴィンセントは目を閉じ、そのまま静かに私の腹部あたりにコツン、と額を預けてきた。
「ヴィ、ヴィンセントさん……?」
「……数分だけ。このままで、いさせてください。……私は、あなたには本当に、敵わないな」
彼の銀色の髪が私のお腹をくすぐり、彼の手が、私のエプロンの裾を縋るようにギュッと握りしめている。
あの『狂犬執事』と呼ばれる男が、まるで迷子になった大型犬のように、私に甘え、寄りかかっているのだ。
(っ……どうしよう。心臓の音が、うるさすぎる)
彼には聞こえていないだろうか。
私の心拍数が、先ほどのライブの歓声以上にドクドクと跳ね上がっていることが。
彼の頭を抱え込むような体勢のまま、私はどうしていいか分からず、ただ彼の銀色の髪を、空いた指先でそっと撫でることしかできなかった。
静寂に包まれたパントリーの中。
外の喧騒が遠い別の世界の出来事のように感じられる。
私とヴィンセントの二人だけの、甘く、不思議な時間が流れていた。
「……おや。何やら、入ってはいけない空間に踏み込んでしまったようやな」
ガラッ!とパントリーの扉が開き、間の抜けた声が響いた。
ハッとして振り返ると、そこには両手いっぱいに売上金の詰まった袋を抱えたニャングルが立っていた。
彼は私とヴィンセントの密着した体勢を見るなり、呆れたように煙管を咥え直す。
「お、表は客が引いて落ち着いたっちゅうのに、裏ではエラい熱烈な接客をしとるやないか。女将の鑑やな、セリア」
「ち、違いますニャングルさん! これは、その、ヴィンセントさんの具合が悪くて……っ!」
私が慌てて彼から離れようとすると、ヴィンセントは静かに顔を上げ、スッと立ち上がった。
「……ええ。セリアさんの適切な『治療』のおかげで、すっかり回復しました。素晴らしい効能ですね」
立ち上がったヴィンセントの顔には、もう先ほどの弱々しさは微塵もない。
いつもの冷徹で隙のない、完璧な特務大佐の顔に戻っていた。
ただ、私に向ける視線だけが、先ほどよりも一層熱を帯び、甘く蕩けるような色を含んでいる。
「ふん。まあええわ。それよりセリア、今日の売上、とんでもない事になっとるで! リーザのバフ効果とワイの商才の賜物や!」
ニャングルが金の袋をチャリンチャリンと鳴らす。
「あ、ありがとうございます……! すぐ片付けに戻りますね!」
私は真っ赤になった顔を隠すように、逃げるようにパントリーを飛び出した。
背後で、ヴィンセントがニャングルに向かって低く囁くのが聞こえた。
「……ニャングル殿。あと十秒、入ってくるのが遅ければ……あなたのその算盤を、粉々に叩き割っていたところですよ」
「ヒッ!? 理不尽すぎへんか!? ワイ、店のために死ぬ気で働いとったのに!」
日常の騒がしさが戻ってきた厨房で、私は熱くなった頬を両手でパタパタと扇いだ。
(完璧で、強くて、隙のないヴィンセントさん。……でも、あんなに脆いところがあるなんて)
手の中には、まだ彼の銀色の耳の柔らかい感触が残っている。
それは、私たちがただの『店主と用心棒』という関係から、一歩踏み込んだような、確かな予感を感じさせる出来事だった。
第7話をお読みいただきありがとうございます!
リーザのアイドルステージとニャングルの商才で道の駅が大繁盛する裏で、ひっそりとダウンしてしまったヴィンセント。
いつもは完璧で圧倒的な彼が見せた、無防備な弱さと甘え。
セリアのエプロンの裾を握る大型犬のような彼に、セリアの心拍数も限界突破です!
ギャップ萌え全開の『大人の休息』シーン、いかがでしたでしょうか?
ニャングルの空気を読まない(読んだ?)ツッコミのおかげで、なんとか日常に戻れましたが、二人の距離は確実に近づいています!
「ヴィンセントのギャップ最高!」「セリアの介抱が優しい!」「ニャングル、ナイスタイミング(笑)」と思っていただけましたら、
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