数えきれないくらい
数えきれないくらい
樹
「トレーシー、一生のお願いがある」
「なんだ?藪から棒に」
トレーシーほんと、外国人なのか?ときどきすごい日本語使ってるじゃん。今週末から出張。日曜のフライト。折り入って頼みがあって、トレーシーに電話かけてた。
「なんか、すっごい大変なことか?」
「そんな大変なことじゃないけど、僕にとってとっても大事なことなの」
「なんだ?さっさと言え」
わりとせっかちなのね。トレーシー。
「ちゃんと受けると言ってくれる?」
「内容による」
「先にOKって言ってくれなきゃ話さない」
ため息つかれた。
「さっさと言え」
負けた。くそ。
「日曜日、部長と2人で相談したいことあるからって言ってさ。つかまえといてよ。着いてからずっと夜まで」
「……」
「だめ?」
「なんだ。それだけか。まだ続くのかと思って待ってたよ」
「OK?」
「目的はなんだ。目的による」
なんだよ。さっき、内容によるって言ったじゃん。くそ。トレーシーのほうが交渉上手だよ。
「千夏さんと2人で会いたいから」
ああ、もう、ばれちゃうけど。仕方ないよね。
「そうか。わかった」
「驚かないの?」
「驚くも何も、2人のことは前からみんな知ってるって」
「え?」
「樹が日本に帰る前から、2人がつきあってるのはずっとみんな知ってる」
「え?なんで?まじで?」
「お前はばかか。いい大人があんな少ない人数で毎日一緒に働いていて、気がつかないわけないだろう」
なんで、僕の周りには口の悪い女の人が多いのか。
「じゃあ、なんで何も言わなかったの?」
「樹のためじゃない。千夏のためだ。みんな千夏が好きだ。幸せになってほしい」
「ああ」
「自分が上の立場なのに、部下とつきあってて、それをみんなが知ってるって分かったら、千夏は責任感が強いから、絶対に悩む。それがかわいそうだから、みんなで約束して絶対に気付いていないふりをし続けようって決めたんだ」
ちょっと涙出そうになった。みんなの気持ち。僕のためじゃないんだけどね。でも、彼女のためにしてくれてることでも、僕は嬉しいから。
「ありがとう」
「千夏のためにやったんだ。樹にありがとうと言われる筋合いはない」
あくまでトレーシーにはそこが重要らしい。それにしても、筋合いはないって、またしても外人なのか?ほんとに。
そして、トレーシーはちゃんと約束を守ってくれた。
***
「トレーシーがさ。なんか俺に相談したいことがあるんだって。2人っきりで会ってくれって言われてさ。これは、あれだよな。やっぱり辞めたいとか言う話かな?」
部長がため息をついている。
「いや、好きな人がいるけどうまくいかないとかいう話かもしれないじゃないですか?」
部長が穴があくほどに僕をじっとみている。かわいそうな人を見る顔して。
「俺は、恋愛コメンテーターでもなんでもない。わざわざ上司にそんなあほな相談する部下なんていないって」
「じゃあ、部長に気があるのかも」
「お前、冗談は寝てから言え」
「ほんのちょっともそういう可能性考えないんですか?」
「俺がお前みたいな顔してたら、ちょっとはそういう可能性考えるかもな。お前に言って損した。もういいわ。辞めたいって言われたら、言われたときに考える」
そう言って、新聞広げた。
***
空港に着くと、千夏さんとトレーシーがいた。
「わたし1人でいいって言ってんのに。でも、なんか今日部長と話があるって」
「ハーイ」
にこにこしてる。ほんのちょっとだけ、僕に目くばせして。ありがとう、トレーシー。ほんと恩に着ます。
「じゃあ、千夏。わたしはこれからデートだから。千夏は千夏でデートするといい」
「え?」
2人でどきっというか、ぎくっというか、でも部長は、渋い顔して、
「じゃあな。明日は朝、ホテルのロビー、七時半だぞ。遅れるな」
全然気づいてないんだよね。そう言えば、みんなが知ってたってことは、僕たちのこと周囲で気づいてないの、部長だけだったんだ。
「先にホテル行く?」
「うん。そうだね。荷物邪魔だし」
また、千夏さんの運転で移動する。
「元気だった?」
「うん。千夏さんは?」
「普通」
ちらっと見る。気のせいか、ちょっと…。
「なに?」
「いや、なんでもない」
この人ちょっと緊張してるんじゃないの?
思わず、窓の外へと顔を向けた。やばい。初めて見た。まじで。この人、度胸あるからさ。仕事でプレゼンとかあっても、ほんと平常心なんだよ。人見知りする人でもないし。なんでこんなにかわいいんだろう?もしかして、僕が彼女を選ばないとでも思ってるんだろうか。それで、かたくなってるの?
そんでもって、うつってしまった。僕まで緊張してしまった。そりゃそうだ。プロポーズって緊張するだろ。普通。
今日は仕事じゃなくて移動だけだから、普通にジーンズはいて、Tシャツ着てたんだけど、よく考えたら、こんな格好でよかったんだろうかと思う。千夏さんは、もちろんスーツじゃないけど、ノースリーブのワンピース着ていて、ちゃんときれいにしてるじゃん。
普通って、高いとこで食事とかして、最後にぱかってやつなのかな?
やばい、俺。どこ行くかさえ考えてなかった。
終わってるな、俺。こんなんじゃ、梨花の言ってたプロポーズって失敗するの?って本当になっちゃうんじゃないの?
「なんもしゃべんないのね」
「ん?ああ」
暗い顔になった。やばい。なんか誤解してない?これ。
「今日、どこに行きたい?」
「疲れてるんじゃないの?ホテルで休まないでいいの?」
「いや。どっかきれいなとこ行きたい」
きれいなあなたときれいなとこへ。
千夏さんは僕のことばを聞いて、少し顔が明るくなった。その顔を見て僕はじんとした。この人が喜ぶと僕は嬉しいし、この人が悲しいと僕も悲しい。寂しい思いもつらい思いももうさせたくない。させないって決めたんだ。
「海行こうか。海の近くでロブスターが食べたい。久しぶりに」
「うん」
***
「あー。波の音って落ち着く」
にこにこしている。
「なんか、千夏さんってわりと海が似合うね。名前に夏が入ってるからかな?」
「夏生まれじゃないのにね」
「なんで、千夏になったの?」
「ああ、話してなかったっけ?お母さんが夏美っていうのよ。で、お父さんがお母さんの名前から一字取ったの」
千夏さんのお父さんか……。
「お母さんのこと好きなんだね」
そう言いながら、腕をのばしてつかまえた。両腕で彼女の体。久しぶりに抱きしめた。
「そりゃ、好きじゃなきゃ結婚しないでしょ。普通」
気持ちのいい体抱きしめながらキスした。ゆっくり長く。
「あれ?なに?なんか入れた?」
ポケットに手をつっこんで出した。
「ああ~」
「答え、買ってきました」
笑ってくれた。あの僕の好きな笑顔で。
「間違いなく、生まれてから今までで女の人のために買ったもので一番高い物です」
「本当にほんと?」
そう言って、泣いちゃったんだ。びっくりした。
「僕なんかのために千夏さんが泣くのはおかしいよ」
「おかしくないよ」
「自信満々で待ってるんだって思ったのに」
「あなたは……」
伏し目がちにした睫毛を見つめる。
「わたしのこと、意外とわかってないのね」
「そうなの?」
「わたしがどんなにあなたを好きか、あなたは知らない」
そう言った彼女の顔をきっと僕は一生忘れない。
「初めて千夏さんが僕のこと好きだって言うのを……」
「聞いた?」
「いや。見た」
あなたの唇が動いて、僕を好きだって言うのを見ました。もう一回キスした。これは2人でした何回目のキスなのかな?そんなどうでもいいことをちらりと考えながら。
そして、僕たちはこれからあと何回キスをするんだろうか?
手をつなぐんだろうか?
数えきれないくらいの数だったらいい。
***
そして、僕たちは次の日の朝、そろって寝坊した。
起きたら7時だった。
「やばい」
すみません。ちょっと昨日の夜、遅かったんです。寝るの。何をしていたのかは聞かないでください。
「これは、絶対にどう考えても間に合わない」
ついでに言うと、幸せすぎてなんかもう、ぐっすり寝ちゃってさ。
怒られるの承知で、部長に電話かける。
「すみません」
「なんだよ。寝坊したの?」
「会社に直で行くんで、部長。先、行っちゃってください」
「別に、2~30分待てば降りて来られるんだろ?仕方ないな」
「いや。そうじゃないんです」
「なに?」
「ホテルにいないんです。僕。今」
「は?」
千夏さんちにいます。
「どういうこと?」
「ええっと……」
寝起きの頭が回りません。
「後でちゃんと説明します。すみません」
そう言って切った。
「どうしよう?」
千夏さんのほう見る。彼女うーんとのびをする。
「言っちゃえ。めんどくさい」
「ええ?」
「いずれにせよ。今晩にはわたしもう、部長に言うから」
「え?そんな早く?」
「でも、先延ばしにする必要べつにないし。それに、言ってから実際日本帰れるまで結構かかると思うんだよね」
「うん。まぁ」
***
「なんだったんだよ。お前。今朝は。ほんとに」
「すみません。彼女の家にいました」
「は?なに?」
「遠恋中の彼女がいて。アメリカに」
「ああ、あの、旅行社の」
千夏さんが、後ろのほうで、聞いている。やばい。聞かれた。
「だからって、仕事中になぁ」
「すみません。本当に。もうしません」
ちらっと振り返って千夏さん見る。目がおかしそうに笑ってる。よかった。怒ってないみたい。ああ、でも、おもしろがっていうよ。この人。里香さんに。
今度はどんな悪態をつかれるんだろう。
千夏
「部長、昨日のトレーシーの相談って何だったんですか?」
「意味が分からないんだよ。あいつ。相談なんて言っといて、食いたいもん奢らされただけだった」
「部長とデートしたかっただけなんじゃないですか?」
しかめ面する。
「いつも、許容範囲外っていわれてんのにか?」
「部長、真面目にとらないで。冗談ですから」
「千夏、今のはさすがにぐさっときたぞ」
「いつもセクハラしまくってんだから、このくらい我慢してください」
コーヒー飲んだ。
「ああ、そうだ。今晩はわたしに時間くださいよ。別の子たちぬきで」
「なんだ?今度こそデートか」
「部長の辞書には懲りるって言葉がないんですか?わたしのは仕事上の相談です」
「なんだよ。そっちのほうがいやだなぁ。どきどきするよ。仕事手につかないって」
「子供じゃないんだから、そんなこと言わないでくださいよ」
「相変わらずお前は、全然かわいくないな」
「おかげさまで」
でも、部長が知らないだけでわたしだってかわいいんですよ。本当は。そう思ってから、そっと手を見た。してきちゃった。指輪。
今まで男の人からもらったどんなプレゼントより、嬉しかった。
こんなに幸せでいいんだろうかって思うことって本当にあるんだな、そう思った。
***
「東京に異動させてください」
「え?」
目が点になるって言っていいな、これは。
「俺の耳は今、おかしくなった」
「もう一回言った方がいいですか?」
「いや。なんで?でも」
「難しいですか?」
「うーん、そうだなぁ」
「もし、どうしてもだめなら、申し訳ないですけど」
「えっ?っておい、辞めるとか言っちゃうの?」
「すみませんが」
「いやいや、待て待て。ダメなんて言わないって。まぁ、でもさ、なんで?」
部長、じっと見てる。わたしのこと。ほんの少しも思い当たらないのかなぁ、この人。
「結婚したいんです」
目が点になるって言っていいよね。また、これは。しかも、何も言えないまま止まってるわ。この人。
「今度は頭がおかしくなった。俺の」
「そこまで言います?普通」
「千夏が今、気のせいか、結婚するっていったぞ」
「だから、結婚したいんです。アメリカと東京で離れてたらできないから異動したいんです」
そこで、部長はたとわたしの手元を見た。
「指輪してるじゃん!」
大声上げた。
「そこまでびっくりしないでもいいじゃないですか」
「だって、お前、あの千夏が、いや、まじか?」
「おめでとうとかないんですか?」
「おめでとう」
すげー棒読みなんだけど。
「あんなに何度も結婚結婚って言ってたくせに、全然心こもってないじゃないですか」
「いや、ぶっちゃけ。信じられないって、相手が横にでもいて2人で言われたらまだ」
「呼びますか?」
「え?だって、遠恋なんだろ?東京とアメリカで……」
今回は、意外と頭が回ったよね。部長。別にばかじゃないし。この人。
「嘘だろ?まさか、お前の相手って」
「そのまさかですよ」
部長、しかめっ面になって、そんで、懐から携帯出した。
樹
トレーシーとスティーブとごはん食べてたら、携帯鳴った。見なくても分かったよね。誰からだか。
「おい」
「はい」
「30秒くらいで来い。」
「え?無理。っていうか、どこですか?」
「いいから、来い」
ぶつって切れた。やばいなぁ……。すっげえ、怒ってた気がするんですけど。声が。
「どうした?」
トレーシーに聞かれた。
「部長に呼び出された」
「部長は千夏とごはんだろ?」
「うん、で、呼び出された」
トレーシーがにこにこしてる。
「もしかしたら、あれか、今日、千夏がしてた指輪に関係あるのか」
驚いた。
「よく見てるね」
「樹が言ったんだぞ。そんなに大変なことじゃないけど、重要なことだったんだろ?昨日。そんで、千夏の指に指輪だ。簡単に想像つく」
ちょっと照れた。
「ほら、部長ほっとくと大変なことになるんじゃないのか?」
ああ、そうだった。でも、場所が。千夏さんに電話した。
「なに?」
「どこ?」
「ああ、地図送る」
意外と近くだった。
「ごめん。トレーシー、スティーブ。行くね」
「頑張れよ」
2人微笑みながら手、振ってくれた。
***
「すみません」
「お前は、今までずっと俺のことだましてたのか!」
「でも、言えなくて」
「だからって上司と部下でだな」
「部長、それは、どっちかっていうとわたしのほうに責任がありますよね」
千夏さんが言う。
「責任取って辞めます」
「千夏、あのな。それ、脅迫って言うんだよ。脅迫」
「でも、夫婦になったら、上司と部下はもう無理ですよね」
「そうだよ。どうすんだよ。お前ら」
「だから、わたしが社外に出ればいいでしょう?」
「そんなことしたら、アメリカまわんなくなるって」
「じゃあ、僕が辞めます」
そう言うと、ふいとこっち見た。部長。そんで、頭の血が一気にさがったみたい。
「そんなこと言うなよ。上条。せっかく今までがんばってきたのに」
「でも、迷惑かけてますし」
「あのさ」
部長はそう言って、ビールを一口飲んだ。
「ちょっとびっくりし過ぎて、いろいろ言ったけどさ。迷惑だなんて思わないさ。だって、俺にとっては千夏も上条も大切な部下なんだからさ。2人が幸せなら俺も嬉しいよ」
しみじみとそう言った。
「おめでとう。よかったな。千夏。いい旦那さん見つかったじゃないか」
千夏さん、きれいに笑った。
「しょうがないな。ちょっと考えるよ、どうするか。でも、すぐは無理だぞ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
そう言って頭下げてる。
「すみません。よろしくお願いします」
僕も遅れて頭下げた。




