【第八話 思い出】
【第八話 思い出】
【シェルピェン・ザウェク視点】
私は首の無い体から逃げ出して、与えられた自室のベッド閉じ籠る。
フェイビアン大佐はここには居られない。エドワード大佐は私の代わりに処置をしてくれている。私ができることは邪魔をせず次の命令を待つこと。アーサー率いるアイギス隊は間違いなく解散、私も別の隊へ、恐らくお二人のどちらかの隊へ配属されるのでしょう。
考えたって仕方ないのに考えてしまう。
日帰りスパイ旅行中、アーサーといろんな話をしました。
アーサーの左手の薬指には指輪がある。どんな奥様ですかと聞けば。
『真っ赤な口紅の似合う真っ赤なハイヒールで男の尻を蹴飛ばせる女性……が俺の好みでした』
理想の奥様とは違ったようで。しかし何度考えてもなかなかな趣味をお持ちですよね。
『実際は、学校に通えたのに留年ギリギリのバカだったよ。なのに何故かなんとかなるって笑って、俺の長期休みは全部そいつの先生役だった。おかげ様で俺の成績もよかったよ、休みの日だろうと勉強していたんだからな』
彼は楽しそうに語ってくれました。
『娘は四歳で、久しぶりに会うと、お前は誰だって泣かれた。アイツはほとんど一人で育ててくれて、それだけは申し訳なかったな。あの頃はまだ“鍵を手にしていなかったら”さ。今なら自由に家族に会えるよ』
ああよかった、アーサーはアイギスだろうと普通の人生を歩めて。
『二年前に死んだけど』
一九四一年。ロンドンの空襲で奥様も娘も亡くなったらしい。実家の仕立て屋も炎の中へ消え去った。その時、アーサーは本来の役職である海兵として国境警備中。後日新聞で情報を知った、と。彼にとってあの《銀の鍵》は、どんなに強力な戦略兵器であろうと『一番大切なものを守れなかった、手遅れのガラクタ』でしかなかった。
だから、アーサーの死を心から悲しむヒトはどこにも居ない。
これはエドワードが呟いていたことですが、彼はアーサーに向かって『タバコを増やすのは結構だが、配給制限された時が楽しみだな』と笑っていました。実際アーサーは誰よりも吸う数が多くて、私は買い出しに行かされたこともあります。
それだけ早く死にたかったのなら、それはそれでいいのかもしれません。
彼は天国で奥様と娘さんにようやく会えたのでしょう。天国は存在するとあのフェイビアンが話していたのだから、これは事実。泣かれるかもしれないけれど、今度は傍に居られるのだから、よかった。本当によかった。
「っ……」
膝を抱えたまま息が詰まる。顔を覆った両手から、生温かいものが溢れ出た。
しかし、しかし。
私のために死なせてしまった。もしかしたらフェイビアンの策略かもしれませんが、結局のところ私が行こうとしなければ彼は死ななかった。私なんかのせいで。あんなにあっさりと。なんの音も出せずに。
あの時。首の無い体を掴んだ時、アーサーはまだ暖かかった。いつも冷気を纏っていたのに、その時だけは人間らしい体温があった。それがどうも頭から離れてくれない。
どれくらい泣いていたのかわからない。
窓の外の陽が落ち、部屋の中が真っ暗になっても、私はベッドの上で丸まったまま動けなかった。
コン、コン。
静かなノックの音が部屋に響いた。
「……はい」
枯れた声が出た。
扉の向こうから聞こえるのは、何度聞いても地震のように低い声。
「入るぞ」
扉が開いた。廊下の明かりを背にして立っていたのは《エドワード・バイロン》大佐だった。
彼はいつも通り軍服を完璧に着こなして、乱れなんて一つもない黒髪でそこに立っていた。ただ、袖口が少しだけ水で濡れているように見えた。アーサーの血を洗い流したのだろうか。
私はベッドから這い出て、ふらつく足で立ち上がり敬礼した。
「エドワード大佐。私は……次に、どこへ」
別の隊への異動命令だと思った。
しかしエドワードは青い目を静かに細め短く告げる。
「フェイビアンが戻った。地下へ来い」
「地下、ですか」
「ああ。アーサーの処置が終わった」
処置。遺体を棺に入れたということだろうか。それとも、アイギスの遺体は特別な保存をするのだろうか。本音は行きたくない。首の無いアーサーなんて、もう二度と見たくなかった。
だが軍人として拒否権はない。
「……了解、しました」
私はエドワードの背中を追い、屋敷の薄暗い階段を下りていった。
地下室の扉の前に立つと、異様なほどの冷気が漏れ出しているのがわかった。真冬の屋外よりずっと冷たくて、吐き出す息が全て凍っていく。
エドワードが重い鉄の扉を開けた。
中は氷の洞窟の通路だった。壁も床も天井も、全てが分厚い氷で覆われている。間違いないこれはアーサーの能力だ、こんな景色を作れるのはあのヒトしか居ない。
エドワードは低い声を反響させる。
「かなり衝撃的なものを見ることになるが……貴女は不死身だからな、自分の死体を見たことぐらい」
「ありません」
「では覚悟なさい」
エドワードは軍靴を鳴らす。私もその大きな背中を追いかけて通路の奥へ。
少し開けた部屋にたどり着くと。
──アーサーらしき『頭』が大量に転がっていた。
──アーサーらしき『腕』が大量に転がっていた。
──アーサーらしき『胴』が大量に転がっていた。
──アーサーらしき『足』が大量に転がっていた。
その部屋の中央には巨大な氷の塊があり、その上に。
『頭のあるアーサーが横たわっていた』




