【第七話 アイギス狩り】
アーサーはペネロペの駐留する基地の壁《銀の鍵》を当てた。空間にひびが走り《鉄の扉》が現れる。向こう側は薄暗い石造りの廊下だった。
「お先にどうぞ、お嬢様」
「はい、ありがとうございます」
私たちは音もなく扉を潜った。
基地の中はひんやりとして、遠くから巡回の軍靴の音が規則正しく響いている。アーサーはポケットに手を突っ込んだままさらりと歩く。
なんでこんなに堂々としているんだろう? いや、それでいいのか。
ペネロペの部屋は将校区画の奥だった。私は扉の前で一度だけ拳を握り、ノックの代わりに鉄製のドアノブを念力でゆっくりと回した。
扉が開いた瞬間。
ペネロペは一秒で私を認識。黒と白のオッドアイが大きく開かれると。
「シェルッ!!!」
──次の瞬間、鱗の固い腕が私を包み込んだ。
ウグッッ。強い。痛いぐらい強いハグ。でもこれがペネロペちゃんで、ああペネロペちゃんの匂いがする。ふふ、ふふふ。
私も両腕に力を込めて抱き返す。ごめんねペネロペちゃん。私は先に死んだと思ったよね、そしたら何故かあの時出会ってしまって何かを察したよね。ごめんね心配させたね。
彼女の声は震えていた。
「死んだって聞いたのに。ずっと、ずっと!」
「ごめんなさい。遅くなってごめんなさい、ペネロペちゃん」
しばらくそのままでいた。ドイツ軍の基地の中で、元ドイツ軍の逃亡者と現役少佐が抱き合っている光景を、アーサーが壁に寄りかかりながらタバコをふかしてただ見てくれていた。
やがてペネロペは私を離し、アーサーを見る。
「あんたが《アーサー・E・テイラー》ね」
「そう。初めまして」
「殺さないの?」
「する理由がないな」
ペネロペは私を見た。私は頷いてから全部話した。ヴェークテルンが掛けた脅し、ナポリの家族のこと、フェイビアンの予知のこと、そしてここに来た理由。
ペネロペは黙って聞いていた。話し終えると長い息を吐いて、おそらくヴェークテルンのいる部屋の方角を見ていた。
「つまり私に、あの生粋くそドイツ人大尉へ報告しろと」
「はい」
「私がスパイではなく祖国へ尽くす軍人だと見せつけろと」
「はい。私はイギリスに居ますから、貴女はここでもっと高みへ昇ってください」
私はアーサーを見ながらペネロペへ伝える。
「イギリスの《アイギス》と戦って、基地を守ってください」
動き出したアーサーがタバコを床に踏み消す。窓を開け、何気ない顔で窓枠を跨ぎ外へ飛び出す。ここは三階、しかし彼なら何も問題はない。
一秒後。
──轟音。
基地の屋上から巨大な氷の柱が天へ向かって伸びた。
石の壁を割り砕きながら、冬の空へ白銀の尖塔が突き刺さる。高さは建物の倍。月光を受けてきらめく氷の柱が夜空に屹立する光景は、まるで世界の終わりのようだった。
警報の音、兵士が走る音。
私はペネロペの腕を掴んだ。
「ペネロペちゃん」
私は真剣に彼女の目を見た。
「アーサーはペネロペちゃんに会っても殺さなかったでしょう。あの人はそういう人です。全力でやり合って、それでペネロペちゃんの無罪が証明されます。見逃したのではなく正面から戦った実績が残るだけ」
ペネロペは私の顔を一秒見つめた。
「わかった。腕試ししてくるから見てて」
彼女は廊下へ飛び出した。
鱗の足が石畳を踏み砕きながら走り、ドスドスと建物を揺らして「邪魔だどけ!!」遭遇した兵士すら突き飛ばしてヴェークテルンの部屋へ。
◇◇◇
ペネロペ・コスタはヴェークテルンの部屋の扉を開けた。
「来ました!! シュミート大尉。シェルピェン・ザウェクが! それと《アーサー・E・テイラー》が基地に居ます!」
彼女は告げるだけ告げると。
次の瞬間、ペネロペは踵を返し俺の部屋の窓に向かって全力で走り込んだ。鱗で覆われた肩がガラスごと窓枠を打ち砕く。轟音と共に外壁が崩れ、夜の冷気が体を包んだ。
三階から飛んだ。鱗の両足が庭の石畳を踏み砕いた。着地の衝撃で地面が割れる。ペネロペは顔を上げ広場の中央に立つ男を見た。
茶髪に眼鏡の男。片手をポケットに入れたまま《アーサー・E・テイラー》が振り返った。
「コスタ少佐、ではお遊戯会を始めますか」
「すみませんが、私が貴方の命をいただき私が友を匿います」
ペネロペは地面を蹴った。
黒い鱗が夜の中で光を弾き、長い尾が弧を描く。拳に鱗を集中させた全体重と能力強化をのせた一撃だ。
アーサーの足元に氷の壁が瞬時に展開。拳がそれを打ち砕き、砕けた氷の破片がキラキラと夜空に散った。
アーサーはすでに三メートル後方に下がっていた。
「速ッ」
アーサーが動いた。右手をかざすと地面から無数の氷の槍が飛び出す。ペネロペは横へ跳び、槍を蹴り砕きながら距離を詰める。鱗は氷を弾き、この程度では傷一つつかない。
頑丈な鱗、瞬発力、あの拳が一度でも腹に当たれば内臓がつぶれるだろう。
だがアーサーは近距離を一切恐れなかった。
懐に飛び込んだペネロペの眼前でアーサーの両掌が白く輝いた。極度の冷気が爆発的に放出され、鱗があろうと全身を包む冷気は体の芯まで到達する。
ペネロペの動きが一瞬だけ鈍る。
その一瞬に、アーサーは後ろへ跳んだ。
「ふはっ」
──なんて恐ろしい女だ。こんなのが戦場で暴れていたら、そりゃあ誰も敵いませんよ。
アーサーは口元に薄い笑みを浮かべていた。眼鏡の奥の紫の目が、戦闘中だというのに楽しそうに細くなっている。
アーサーは空へ手を向けた。
──轟音。
基地の屋上から白銀の尖塔が伸びる。それだけではない。屋上の氷柱から無数の氷の翼が展開し始め、基地の外壁に氷が這い上がる。まるで城全体が凍りついていくような壮絶な光景だった。
ペネロペは空を見上げ、一瞬だけ声を失った。
これが《アイギス》か。シェルはこんな化け物と一緒に居たの? そっか。もしかしたらイギリスに居る方が、シェルピェンは安全で公平に生きられるのかもしれない。
──だとしても私がアイギスを殺す。
ペネロペは黒い翼を展開した。背中から生えた竜の翼膜が空気を捉える。地面を蹴り宙に跳び上がった。鱗の爪がアーサーの氷の翼を掴み砕く。
アーサーが上昇するとペネロペが追いかける。氷と鱗が交互に空中で炸裂し、砕けた氷の粒が雪のように降り注いだ。
能力者同士の戦いは、逃げるか死ぬまで終わらない。
◇◇◇
ヴェークテルン・シュミートは部屋を出た。
シェルピェン・ザウェクがどこかにいる。彼女はペネロペと接触した、なら今もこの基地の中にいるはずだ。俺はお前の動きを知っているんだ必ず潜んでいる場所があるはず。
廊下の死角、倉庫の隅、見えない位置から出口を窺える場所。
廊下を進みながら外の轟音が耳を揺らす。ペネロペとアイギスによる戦闘だ。基地の兵士が次々と外へ向かっていき、能力者同士の激突に他の能力者も反応し始めていた。
──ガン!
壁が爆発した。氷のツララが三本、室内を貫通して廊下に突き出した。天井まで届く巨大な氷柱は、壁の穴から冬の夜気が吹き込む。俺の肌は一気に寒気を感じぶるりと鳥肌がたってしまった。
その向こうに、男が立っていた。
癖のある茶髪。四角いフレームの眼鏡。片手をポケットに入れたまま、紫の目が俺を見ていた。そしてその紺色の軍服は、大英帝国海軍大佐の服、胸には金の薔薇を模した能力階級『Ⅹ(十)』の栄誉あるバッチ。
こいつが《アーサー・E・テイラー》か!!
「ああ、お前が《ヴェークテルン・シュミート》大尉、だっけ?」
廊下に立ったまま、その男は挨拶をするような気軽さで言った。コスタとの戦闘の直後だというのに、息が乱れた様子が一切ない。
彼は英国紳士なご挨拶を開始。
「はじめまして」
「……はじめまして」
お、俺は、俺は耐えきれなくて口元に笑みを浮かべた。
来た。本物が来た。アイギスが、アイギスが来た! イギリスにたった三人だけの、俺が夢にまで見た化け物が、今俺の目の前に立っている!! こいつさえ殺せれば俺は“友”を救えるのか!!
俺は右腕を掲げる。手のひらから黄金の電流が走り始めた。
「テイラー中佐殿」
バチバチと激しい光が廊下を照らす。
「私が大切に育てていた部下、シェルピェン・ザウェク“少尉”を返してもらえませんか?」
「にしては拷問するんだな? DV彼氏なロリコンペド野郎だこと」
あ゛?
あ゛?
殺すぞ。
雷が爆発した。
右手から電撃を放つ。線ではなく面だ。廊下の幅いっぱいに広がる黄金の壁、秒間三万アンペア──これほどの電流は鉄の扉すら瞬時に溶かす。逃げ場はないぞ、仮に《アイギス》でも生身で受ければただでは済まない、お前を絶対にここで殺して俺の栄光の礎となってもらう。
アーサーは──下に動いた。
足元に展開した薄い氷の膜がまるで油のように廊下を覆い、アーサーの体が音もなく横滑りする。直線的な電撃はアーサーの体の三センチ上を通過し、廊下の壁を焼き焦がした。壁が熱で弾け飛ぶ。放電した先の壁が赤く輝き焦げた石の臭いが立ち込める。
──低姿勢での回避。それも氷で摩擦係数を下げて。俺の電撃の性質を初見で読んだ?
次の瞬間。
俺の側面から刃が飛んできた。氷の刃だ、それも一枚ではない。廊下の左壁から三枚、右壁から二枚。角度が違う! 全部同時!
俺は両腕を広げ皮膚の表面に電流を走らせた。電磁場の展開だ。金属に近い性質を持つ氷の刃が電磁場に触れた瞬間、軌道が僅かに歪む。僅かで十分だ。俺の体のギリギリを全ての刃がすり抜け、背後の壁に突き刺さった。
廊下の壁が氷の刃で埋まり、黄金の電撃で焼け焦げ、足元には薄氷の膜が張る。ここはもはや廊下ではない。
氷の刃の破片が床を転がる音がした。
アーサーは廊下の奥から笑った。
「へえ」
感心したような、それでいて軽い声だった。
「電磁場で氷の軌道を変えた。それ即興か?」
腹立つので無言で腕の電流を練り直す。
「なぁ! お喋りぐらいしてくれよおじさんと!」
アーサーはポケットに手を入れたまま肩をすくめた。廊下の向こう側、氷の刃が突き刺さった壁を背にして立っている。まるで散歩の帰り道にでも立ち止まっているような気軽さだ。なのに紫の目が、一瞬たりとも俺から離れない。
これが《アイギス》の目か。
笑っている。余裕がある。だがその奥には。
何も、何も映していなかった。
恐怖も、怒りも、油断もない。戦闘中に存在する全ての感情的な隙が、この男にはどこにも見当たらない。
俺が今まで戦ってきた能力者とは根本的に何かが違う。
アーサーが突然言った。
「電気の話をしていいか」
無視して次の電撃を──。
「廊下が湿っていると思わないか?」
ハッ。
俺は床を見た。だが一秒遅かった。氷が溶けている。アーサーが展開した薄氷の膜が廊下の熱で少しずつ融解し、水の膜になっていた。
石畳の上に薄く広がる水だ。電気は水を伝う。
「──ッ!!」
俺は後退しようとした。しかしアーサーはすでに天井に向けて手をかざしていた。
廊下の天井から無数の氷柱が吊り下がり、それが一斉に割れた。
水飛沫が廊下を満たす。空中に霧のように漂う水の粒子。俺の電撃が走った瞬間、それは一筋の光ではなく無数の弧を描いた。電気が水分を伝って拡散する。壁に、天井に、床に、意図しない方向へ雷が分岐する。
俺は既に電流を止めたが、この力は一度出すと完全停止まで時間がかかりすぎる。体に残った電流がそとへ流れてしまうからだ。
静寂。
電撃と氷の破片が廊下を埋め尽くした後の、奇妙な静寂。焦げた臭いと冷たい霧が混ざり合っている。
最初から狙っていたのか。足元に薄氷を敷いたのは俺の動きを制限するためだけではなく、熱で溶けることを計算した上で廊下全体を「電気の伝導体」に変えるためだったのか。
たった数手で廊下を自分の有利な地形に変えやがった。能力でごり押すバカじゃなかった、ある程度の知能があった。
アーサーは能力を止めた俺を見てクスクス笑いながらポケットから手を出した。その手には《銀の鍵》宙にかざすと《鉄の扉》が現れる。何だあれは、まさかアレが報告書にあった『謎の扉』の起動装置か?
「じゃあなロリコンDV彼氏。俺が保護者として健全に育てておくから」
あぁ、逃げられる。
今さら走っても届かない。だが走るしかなくて、水飛沫を飛ばしながらヤツへ手を伸ばすしかなかった。
──その時だった。
アーサーの横、角の通路奥から速すぎる足音が一つ。
足音が聞こえた時にはもう遅く、ある男が“刀”を引き抜きアイギスの首を。
──切った。
扉が開くと同時にアイギスの首が傾き、逃げ出した方角へ体が滑り落ちていく。その扉の先にはシェルピェン・ザウェクが居て、電撃のようにバチッと目が合った。
アイギスの体がドサッと倒れ扉が閉じる。
アイギスの頭が廊下に転がり血の海が広がる。
その男はドイツ軍の服を着た東洋の能力者。彼はフッと刀を振るいながら鞘に納め、麻袋を開いてアイギスの頭を回収。
男は俺の元へ歩き出し、柔らかな赤い目を向けてくれた。
俺は友の名前を呼ぶ。
「月彦!」
俺はそのまま走り続け、びちゃびちゃと音を鳴らしながら友の元へ。
彼は鉛のあるドイツ語と主に麻袋を差し出してくれる。
「これはお前の手柄や。お前が上に立たんと俺の立場は永遠に無いやろ」
俺は両手を差し出すと、月彦は麻袋を俺に預けてくれる。ずし、と重力を感じた。
「ありがとう。必ず報いよう」
◇◇◇
【シェルピェン・ザウェク視点】
私の腕の中に居たのは首の無いアーサーの体。私はそれに両腕を回し、ずりずりと引きずりながら扉から離れ彼の手を探す。
まだ暖かいその手には《銀の鍵》が握られていた。
その手に指を絡め、ぎゅうっと握りしめる。この鍵がアーサーにしか使えないのなら私が使ったって意味が無い。どうか、どうか、私をイギリスに帰らせてください。
「お願いです……どうか」
フェイビアンは言っていた。必ず帰ってこれると。
フェイビアンは言っていた。アーサーの死体だけは絶対に回収して欲しいと。
その意味がようやくわかった気がする。あのヒトはこの未来が見えていたんだ、アーサーが死んでしまう未来を見た上でこれを決行したんだ。なぜ? どうして? なんのために? あのヒトは一体どこまで見えていて何を考えているの?
それを知るためにも私はアーサーと共に帰らなければならない。
「イギリスへ、帰らせて」
鍵が熱くなった気がした。
その時、現れたままの扉の奥で目映い光がカーテンのように輝き、誰かがドアノブを捻る。
──ギィ、バンッ!
現れたのは《エドワード・バイロン》彼は床に居る私と首の無いアーサーを見下ろす。黒髪から覗く青い目は酷く冷たくて、まるでこれを知っていたかのような態度だった。
「退け、俺が運ぶ」
私は急いでアーサーから足を抜き取る。
エドワードは雑にアーサーの足を掴むと、ずりずりと引き摺って室内へ運び。
扉が、閉じた。
◇
後日。ドイツ軍の公式記録に、ただ冷徹な一行が記された。
『ヴェークテルン・シュミート大尉、敵国最重要脅威たる大英帝国、《アイギス》アーサー・E・テイラーの討伐を確認。右の殊勲を賞し、二階級特進にて中佐へ任ず』




