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【第五話 ザウェク大尉】




 普通はね。


 スパイ活動ってとても大変なんですよ。


 偽造パスポートを準備して現地の協力者と連携を取り、安全な宿を確保して複数の移動経路を確認し、その上で情報源に接触して裏を取って暗号化して本国へ報告して……これだけの工程を経れば半年かかっても不思議ではありません。教本にもそう書いてありました。

 しかし! アーサーが使う『瞬間移動できる扉』がなにもかもを覆している!!

 鍵をかざせば扉が出る。潜ればパリ、もう一回潜ればイギリス。所要時間は歩いて五秒。帰り道の心配も逃走経路の確保も一切不要、何なら朝食前にパリへ行って昼食前にロンドンへ帰れる。スパイの教本を書いた人がこれを見たら憤死するか扉を破壊し、この世から抹消することでしょう。

 あの《銀の鍵》はイギリスの発明品なのだろうか。だとしたら同じものをフェイビアンやエドワードにも渡せるはずなのに、使えるのはアーサーだけ。彼個人の能力か? いや、彼の能力は『氷』のはず。じゃああの鍵は一体なんなのか。聞いてもアーサーは「企業秘密~」としか答えてくれませんでした、少なくとも企業じゃないでしょう絶対に。


 ともあれ。


 あのスパイ活動からわずか一ヶ月後。

 私はイギリス軍の兵舎の一室に呼び出されていた。石造りの壁に英国旗が掲げられた式典用の小部屋。窓から差し込む冬の陽光が埃を照らしている。

 目前には上官が三名。その後ろにはアーサーが壁に寄りかかって腕を組んでいる。タバコは流石にこの場では吸っていない、当たり前ですね式典中ですよ。


「シェルピェン・ザウェク少尉」


 上官の一人が書類を手に私の名を呼ぶ。私は背筋を伸ばし敬礼した。靴の踵を合わせる音がやけに大きく響く。


「貴官はドイツ占領下のパリにおいて単独潜入作戦を遂行し、敵軍の最重要機密文書の取得に成功した。この功績は我が軍の情報戦略において極めて重大な貢献であり──」


 単独ではありません!! と叫びたかった。

 アーサーの力で扉を開いて貰ってパリに飛び、アーサーに護衛して貰いながら街を歩き、アーサーが兵士を気絶させてくれた隙に書類を持ち出し、アーサーの扉で帰ってきただけです! 私がやったのはタイヤのボルトをちょーっぴりいじって車を止めたことと鍵穴をこじ開けたことだけ! しかもペネロペちゃんに見つかって見逃して貰うという最大級の幸運まで重なっている!

 だが口にできるわけがない。テイラー中佐は敵国に顔が割れており表立った活動ができない、という建前になっている。私も客観的に考えたら『そりゃあスパイ活動できるわけがありませんよね』と納得して、テイラー中佐の姪を素直に称えたことでしょう。

 つまり公式記録上、この作戦は『テイラー中佐の姪であるザウェク少尉が単身で成し遂げた偉業』なんです。


「よって、シェルピェン・ザウェクを少尉から大尉へ特進とする」


 少尉から大尉。中尉を飛ばしている。


 二階級特進?!


「おめでとう、シェルピェン・ザウェク大尉」


 上官が新しい階級章を差し出した。銀色の光を放つそれを両手で受け取りながら、私の頭の中では大吹雪の大嵐が吹き荒れていた。


「さすがはテイラー中佐の姪御さんですな」

「たった一人であの情報を得るとは、将来が楽しみだ」


 後ろで上官同士がひそひそと話している。

 たすけて!! 心が苦しい!!

 私一人の功績ではありません! 全てが! なにもかもが! アーサーの瞬間移動とアイギスの圧倒的な能力によるお膳立ての上に成り立った、ぬるま湯のような任務でございました。実質私がやったことなど何もないのですよ、わかりますか?

 なんて言えるわけもなく、私は「ありがとうございます」と声を絞り出して階級章を胸に押し当てた。


 式が終わり、廊下に出た瞬間アーサーが隣に並んだ。


「大尉おめでとう」

「おめでとうじゃないです!! 私はボルトを回しただけの女です!!」

「ボルトを回せる女って普通にすごくないか?」

「そういう話ではなくて」


 アーサーは肩をすくめてタバコを取り出した。式典が終わった瞬間これだ。なんなんだこのヤニカスのおじは。


「まあいいじゃんね。階級が上がれば動きやすくなるし、お前の安全にもなる。少尉より大尉の方が簡単には切り捨てられないからな」


 その言葉で少しだけ黙った。

 そうだ。私は戸籍もない幽霊。階級という鎧がなければ、いつ『不要』と判断されてもおかしくない。アーサーはそこまで考えてこの茶番に乗っているのかも。

 ……いや、考えすぎか。この人はそんなに深く考えるタイプではないような気もする。


「ところでさ」


 アーサーはタバコの煙を吐き出しながら、紫の目を細めた。


「ドイツにいた頃の階級は?」

「……少尉でした」

「じゃあ追い越したな、向こうの自分を」


 私は足を止めた。

 そうか。ドイツでは能力階級を不当に低く設定され、ポーランド出身だからと少尉止まりだった。あの国で私がどれだけ頑張ってもきっと大尉にはなれなかった。せいぜいきっと中尉止まり。

 私もあの方も大尉。同じ階級になってしまったのか、あの人と。あの人を庇って死んで、あの人に捕縛されて逃げて、あの人から逃げろと言われている私が。


「……なんだか、とても、複雑です」

「だろうね」


 アーサーは何も聞かなかった。ただ煙を吐いて、冬の空を見上げていた。




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