【第三章 第八話 イタリアの海】
【シェルペェン・ザウェク視点】
夏だ! 海だ! イタリアだーーーッッ!
「うおあああああああっっ!!!」
男も女も全員で雄叫び上げながら、薄着のシャツと濡れてもいいズボンで海へダバダバ入っていく。私も熱くて白い砂浜を走り、びちゃびちゃと海水の中へ足を入れた。
あ~あ、誰かが誰かを突き飛ばして悲鳴が上がってる!
あ~あ、私と同年代の男連中がズボン引っ張り合ってる! 見えたらどうするのでしょうね!
あ~あ! ペネロペちゃんが私を突き飛ばしやがった! あ~あ! あ~あ!
私は砂浜に流れ着いたバケツを能力で浮かしとり、ペネロペちゃんに海水をぶっかけてあげた。
「こんにゃろーっ!」
「きゃはははは!」
◇
【ヴェークテルン・シュミート視点】
我が隊には能力階級『Ⅶ(七)』の氷結系能力者が一名いる。
「はーいお待たせー」
彼女はバケツに入った水を凍らせてはナイフで砕き、整え、四角いそれをウイスキーのグラスに入れてくれた。
「ダンケ」
もはや彼女はこの場のバーテンダー。白いテントの下で三十代以上のおっさんと酒好きの若者のために冷えきった酒を用意してくれている。彼女は四十代前半かつ既婚者かつやや太り気味だが、内心俺はこういう女性が一番良い。結婚するならこんな女性が良い。
彼女はこの隊で唯一のハンガリー人。ドイツの東部戦線へ来て、なんやかんやでここまで着いてきてくれた五児の母。
俺は彼女が用意してくれた冷たぁ~いアメリカ産ウイスキーを一口。
うっ……まっなんだこれはうっめ!!
真夏の気温、照りつける太陽、透き通りすぎた海、光を反射する砂浜、カラッと乾いた潮風、そして食道を通り抜ける力強い香りと冷たい感覚、最後に鼻を抜けるバニラのような甘い風味。
ああ! イタリアの夏ッ最高!!
隣で中将殿が尻尾を揺らしながら、グイッと一口でグラスを空にする。
「ッ、あ゛~ッ」
ブォン! と尻尾で風を切る音がした。尻尾には硬いトゲが何本もある、アレに当たれば怪我は間違いない。失礼かもしれないが身の安全の為、一歩、二歩、遠ざからせてもらった。
ああいつの間にか角まで生えている。完全に竜人形態だ。
そんな中将殿の隣でバカなイタリア人は言いやがった。
「おっさんだ~」
カルロ・モレッティ!!!
保護者はどうした! クソッ! ペネロペを誘ってやがる!
俺はすぐに「申し訳ありません!」と前に出たが、カルロという子供の精神のまま大人になった男は止まらなかった。
「そういえば中将殿のお名前俺知りません」
「貴様ッ! 無礼にも程が」
「ユリウス・クラテンシュタイン」
……実のところ、俺も中将殿の本名を知らなかった。敬意を込めて誰もがファフニール中将殿と呼んでいた為、誰もこの方の名前を呼ばなくなっていた。幻獣種の能力者ではよくある話だが今思えば失礼だったのかもしれない。
カルロは敬礼。
「クラテンシュタ……ユリウス中将殿!」
ぎゃあああああ?!
「どうした」
カルロお前……命拾いしたな。普通ならお前はこの場で射殺だ。
「尻尾についてる剥がれそうで剥がれてない鱗貰っていいですか?」
俺は即座にカルロの後頭部を殴るように叩き、腹に膝を入れた。
「──ッか、は!!」
「部下の極まりない非礼、万死に値します! 誠に申し訳ありませんファフニール中将殿」
中将殿は自分の尻尾を確認していた。右側から覗くように一瞥、尻尾を振り、左側から覗くように一瞥。そして尻尾の先でカルロの頭をつついた。
「取れ」
「はい!」
カルロは即座に立ち上がり、より腰に近い鱗をペリッと剥がす。彼は「おぉ~!」と竜の鱗を前に頬を上げていた。キラキラと海の青を反射する銀色の鱗はまるで宝石のようだが……しかし、それはまさしく竜の鱗であって、我が国の《アイギス》の鱗であって、もはや国宝と呼んでもいい代物だぞ、カルロ。
カルロはそのまま「失礼しました! みてみて! 竜のウロコ!」と友人へ見せつけに走り去った。
中将殿は剥がれた鱗をチラと確認してから、バーテンダーのマダムにグラスを差し向ける。
バーテンダーは氷を削りながら一言。
「無言で差し出されたって何が欲しいかわかりません。口で言えや口で」
「ウイスキーを一杯」
かっ、けぇ女性だ……。
相手が誰であろうとやるべきこと、すべきことはある。やはり母という存在は竜でも素直になってしまうものだった。
そこへびちょびちょに水を滴らせたシェルピェンが来た。彼女は真っ赤になってしまった顔でニッコニコな笑顔が止まらず、赤い腕を上げている。
「お母さまリキュールのカクテルが欲しいでーす! 柑橘系の!」
「わかったから日陰で休んで水を飲みなさい」
マダムは即座に濡れたタオルも用意していた。シェルピェンは真っ白すぎる肌だ、日焼けしても黒くならず火傷のように赤くなってしまう。他の色素の薄い連中も皮膚が赤くなり始めていて、俺も赤くなるタイプで間違いないだらう。だから俺は先にテントの下で酒を飲んでいる。
陽射しにやられた色素の薄い連中がぞろぞろと集まり始めた。
「水……水……あーくそテメェ口の中がしょっぺぇわバーカ」
「日陰すずしぃぃっー!」
「皮膚が痒い……こんな痒くなるものか? お前も?」
「俺もめっちゃ痒い」
紫外線に敗北した敗残兵どもめ。
そんな彼らとは裏腹に、ラテン人どもは赤くなること無く平然と遊び続けていた。彼らは植物のように陽射しを好むのだろう。
それを考えると、劣っているのはアーリア人かもしれないな。
人間の強さや優劣なんて環境が一つ変われば簡単に逆転するちっぽけなものだったんだ。見てみろよラテン達のはしゃぎっぷりを、太陽の下で黒髪や茶髪を靡かせ、少しずつ肌が小麦色になっていく姿を。対してそこのドイツ人は「エッまじで痒いどうしよう、ちょっ背中掻いて?」なんて慌てている。
中将殿はウイスキーを飲み干してから一言。
「熱射病で大勢がやられたな」
南の砂漠で前線を戦い抜いた中将殿の一言が重くのしかかる。
そうか、俺達アーリア人は太陽に弱すぎる人種なんだな。これのどこが人類の頂点なんだろうな?
テントの端が騒がしくなった。女性達がなにやら慌てている。
「シェル様ダウン!」
「ああっ一番白いから!」
「水風呂入れてきます!」
シェルピェンは「海だー!」と飛び出して真っ赤に茹で上がり、強制終了までわずか十五分程度だった。
……お前、太陽に弱すぎないか。
◇
【シェルピェン・ザウェク視点】
調子のって海で遊び顔が真っ赤になって突然動けなくなった愚か者は私です。
まさかわずか十五分? ぐらいで体が持たないなんて……これが太陽の本気の力。ペネロペちゃんはすごいな、あんな太陽の下で一時間は余裕で遊んでたもんね。
私は最後の一仕事をこなす。《鍵》を使って皆を各区間や自室に送り届けなければならない。
真っ赤な夕日の海を眺めながら見送っていると、人影が海に向かう姿を見た。ファフニール中将殿だ。尻尾を揺らしながら足のくるぶしまでをつけて、まるで人生最後の海を味わい、二度と来れないイタリアの海を眺めているんだと背中で語っていた。
私は中将殿の元へ近づいた。靴を履いているため砂浜に足が取られそうになる、そんな感覚すら私にとっては新鮮で、楽しくて、同時に切なさもあった。
私は右腕の無い背中へ声をかける。
「中将殿」
「今行く」
ああ違うんです中将殿、お時間を告げに来たわけではないんです。
ちゃぷ、ちゃぷと水を歩く音を聞きながら私は要件をお伝えする。
「私の『血清』を使ってくれませんか?」
ぴた、と中将殿は足を止めた。砂浜と海の狭間で立ち止まり、銀色の左目を私へ向ける。
右目を失い、右腕を失い、左手の指すら失っているドイツの《アイギス》私はそんなお方にこそ力を使いたかった。
「貴方のような英雄にこそ使われるべきでした、使って欲しかった。家族を抱き締める腕を治したり、愛する人の顔をハッキリと見るための目を治したり、そういうことに……使われているのだろうと思っておりました」
だが現実は違った。あまりにも違った。
血清はアメリカに売られドルとなり、私の肉は不老不死の肉として貪られた。そんなの話が違うじゃないですか。
「だから、私は私の意思で、貴方様には使って欲しいと心の底から思うんです」
中将殿は、あろうことか私へ軽く頭を下げ胸に手を添える。
「……お気持ちだけは受け取りましょう。もう充分に私は貴女から受け取っております」
背筋を伸ばした《アイギス》は、柔らかな笑みを私に見せてくださった。
「守りたかったものはなんなのかを思い出せた。それで、充分です」
日が沈む。夜になって星空が輝く。竜の銀目は赤から紺へ染まり今日という一日の終わりを告げていた。
中将殿は私の隣を通り去り、竜の尻尾を揺らしながら扉へ向かわれる。その背中には右腕がないのにやはり誰よりも大きく見えて、背負ってきたものがいかに重たい物だったかよくわかった。
私は海を見る。地平線の向こうがまだまだ赤い夜だ。
一人、私の隣で並ぶ影が見えた。ヴェークテルンの影だ。
「どうして国は情報統制し、我々は正しい道へ進んでいると洗脳するのか、お前のおかげでよくわかったよ」
私は隣の大佐殿を見上げる。
「誰も戦争に参加できなくなるからだ。同じドイツ人の間で価値観が変わってしまい、意思を一つにまとめられないからだ。俺たちアーリア人は選ばれし民族ですらなかった、ただの人間だった、ラテンより規則正しくて真面目なやつが多いってだけのな」
彼の横顔を見ていると、金色の目が私へ向いた。
「“シェル”」
あ。あっ、私、初めて貴方からその呼び方をされた気がする。
彼は「ふはっ」と年相応の笑顔を見せてくれた。
「お前のせいで『国家の為』という洗脳が解けちまったよ。なぁにがアメリカ行きたいだ、イタリアの海行きたいだ、俺達に真実を無邪気に見せつけやがって」
「そんなつもりではっ」
「ダンケ」
手を差し出された。大きな大きな手だ、少し前に私の心臓をえぐり取った、あの優しい大きな手だ。
「これは全員、一人一人に伝えていくつもりだ。これからは“ヴェーク”と呼べ、いいな?」
私は、はじめて彼と対等に握手を交わす。
「わかりました、“ヴェーク”」
反逆を行う期限まで残り一年と半年。
これからは作戦を練り、情報を集め、戦況の様子を見ながら慎重に動かなくてはならない。この大きな手は再び拳銃を握るんだ。
でも次に拳銃を握るときは、私達は私達のために銃を取る。同じ重さなのにそっちの方が軽くて扱いやすいだろう。
死への恐怖で持つ鉛より、命の謳歌のための鉛の方がずっとずっと暖かい。




