【第三章 第五話 反逆の追悼式】
【ヴェークテルン・シュミート視点】
「家族のために去ってもいい、愛するもののために去ってもいい。……もし、この場に集まった者の中に、今もなお国家への忠誠を誓う者が居るのならば、俺だけを撃て。俺を糧に上へ進め」
誰も動かなかった。誰もが俺に目を向けるだけだった。
「……わかった。ならば、決行は二年後を予定する! それまでは命を謳歌しよう!」
俺はグラスを掲げた。
「プロースト(乾杯)!」
各自、己の言葉で共に乾杯をしてくれた。
ヨハネは「ア・ヴォトル・サンテ」と丁寧な表現で。
アランは「サンテ」と短く。
カルロは「チンチ~ン!」とイタリア特有の擬音で。
ペネロペは「チンクアンタ」百年生きるくらい幸せに、とロマンチックに。
ルカは「サルーテ」と隣のカルロとグラスを合わせる。
ああ、何一つ揃ってないなぁ。
俺はグラスに口をつけ安いビールを喉に通した。安くてもビールはビール。久しぶりの酒は腹の奥底から『これだ!』と全身の細胞が喜んでいた。
その時だった。
──バンッ! と扉が開き、そのお方の輝かしい数多の勲章が照明の光を反射する。
屋内訓練場が、心臓の音しか聞こえないほど静まり返る。誰もが息を止めた、誰もが頭に死を過らせた。
現れたのはこの国唯一の《アイギス》ファフニール中将殿。
大戦で右目を失い、右手を失い、左手の指すらも失ったあのファフニール中将は、カツカツと軍靴を鳴らして真っ直ぐ俺を見ていた。その白銀の眼はまさに竜の眼、俺は見られているだけで全身がぶるりと震え鳥肌が立ち、ごくりと生唾を飲み込むしかなかった。
よく見ると、ファフニール中将殿は左の三本指でワインのボトルを掴んでいる。
低い声が部屋を揺らした。
「話は伺った。私は耳がよくてね、壁越しでも他人の心臓の音が聞こえるんだ」
何故だろう、俺はフッと緊張の糸をほどいていた。なんとなく俺は感じていた、このお方はもしかしたら俺と同じ志をお持ちなのかもしれないと。
「この国は腐り果ててしまった。女性の遺体をどうしたと思う? まるで人魚の肉のように崇めながら焼いて食らい、この国の元首は幼い子供の姿となった」
……は?
理解したくなかった。だが理解してしまうしかなかった。己の欲望のために神の使いを解体して喰らった、そんなの大罪だ。冒涜的だ。
俺の脳裏に実験データが走る。シェルピェン・ザウェクの血清《天使の妙薬》は、失った腕や目玉は再生するが若返りの力は三ヶ月程しか持たない。では、肉を喰らった場合はどうなる? 数多の伝承と照らし合わせるなら『完全なる不老不死』になるのではないか?
ファフニール中将殿は口を開き、鋭い犬歯でコルクを開け床に投げ捨てた。
「天使の肉を喰った国に、未来はない」
中将殿は俺にワインのボトルを差し出してくださり、俺は慌てて空のグラスを向ける。ポトポトポト、と注がれるのはドイツ産の高級ワイン。
「私も共に戦おう。愛する祖国が歴史の汚物となったまま朽ち果てる前に、共に壊してはくれないか」
俺は、おれはすぐにグラスをかがげた。
部隊の皆も静かにグラスを掲げると、竜の一声が告げる。
「プロースト」
もう一度、俺達はバラバラな乾杯を交わした。
◇
【ファフニール中将 視点】
私はいつから、この国が嫌いになったのだろう。
右目を失った日だったか。砂漠で砲弾の破片が顔面を貫き、血と砂が混ざり合った泥の中に倒れたあの日か? それとも右腕を失った日だったか? 東部戦線の凍てついた大地で、友軍の誤爆が私の腕ごと未来を吹き飛ばしたあの朝か? 違う。私はそれでもこの国を愛していた。腕がなければ牙がある、目が一つなら残った目で二倍見ればいい。竜の血が身体に流れている以上、この程度で折れる俺ではなかった。
だから俺は前線に立ち続けた。
アメリカ軍と撃ち合い、イギリス軍の砲列を食い破り、幾度も幾度も死線を越えた。俺の背後には守るべき祖国があった。守るべき民があった。そう信じていたから、三本しかない指でも引き金を引くことができた。
──しかし。
蓋を開けてみれば、なんだこの有り様は。
俺が命を賭けて食い止めていたアメリカの前線に、この国の上層部は裏口から笑顔で歩み寄り、小さな少女の血で作った万能薬を大金と引き換えに差し出していた。俺が右腕を失った戦場の向こう側で、あの豚どもは敵国の将校と握手を交わしシャンパンで乾杯でもしていたというのか。
……俺が失ったものは、一体何だったのだろう。
被害者は二十一歳の女性だ。銀色の髪を持つ小さな天使の子だと言う。実際には有翼種の能力者ではないのだが、心がまさに天使だという話を耳にした。そんな小さな彼女は成人男性と同量の血を日々抜き取られ、立っていることすら難しい身体となっていた。彼女の苦しみの上に積み上げられた商品が、敵国の将軍の健康を保ち、敵国の兵士の傷を癒し、俺の部下たちを殺すための腕を再生させていた。
はっ。はは。
思わず、喉の奥から低い笑いが漏れた。
笑うしかなかった。
怒りという感情は限界を超えると笑いに変わる。俺はずっとそれを知っていた。右目を失った時も、指を敵の幻獣種に食われた時も、俺はずっと笑っていた。この国への怒りはとうに限界を超えていたからだ。
あの女性が死んだ、と報告を受けた時。
俺は上層部がどう動くか固唾を呑んで見守った。せめて、弔いの一つぐらいはするだろうと祈るように見守った。
だが彼らは言った。
『死んだのは劣等民族の奇病持ちだ。子供の姿のまま生き、ある日突然眠ったように死ぬ、そんな奇病持ちの寿命が偶然にも今来てしまっただけ。劣等民族の為の弔いなど不要だ』
だが彼らは、その小さな骸に群がった。
劣等民族の女性だと理解した上で、見下した上で、散々に搾取し命まで奪った上で、あろうことか禁忌に手を出した。
人魚の肉の伝承を引き合いに出し、『天使の肉』と呼んで崇めるように調理し、焼いて、ソースをかけて、ワインと共に嬉々として食らった。そして元首は、子供の顔になって玉座に座った。
元首は俺にも『天使の肉』を差し出そうと、俺を食事の席に誘った。子供の姿であの悪魔は言ったんだ。
『我が国の唯一の竜には、是非とも天使の肉を食い、失った目も腕も取り戻し若き竜として国を守っていただきたい』
俺はその皿を左腕で振り飛ばし、散らばった赤黒いソースを睨み付けてから部屋を出た。
そして翌日、俺はシュミート中佐殿とその部下達に真実を伝えた。
「天使の肉を喰った国に、未来はない」
俺はワインのコルクを残った犬歯で引き千切った。道具など要らない。礼儀作法など要らない。この国が捨てたものを、私が今さら守る義理もない。
俺はシュミート中佐のグラスに静かにワインを注ぐ。
この若い男は誰よりも早くあの女性を救い出し、誰よりも深くこの国の腐敗を憎んでいる。彼の部下たちの顔を見た時に俺は確信した。ここにまだ人間が残っていると。
「私も共に戦おう。愛する祖国が歴史の汚物となったまま朽ち果てる前に、共に壊してはくれないか」
俺の言葉に百二十の魂が静かに応えた。
この国が天使の肉を喰らったのなら、その天使の名のもとに俺たちがこの国を裁こう。
◇◇
──後日、シェルピェンは俺とグラスを合わせてくれた。
「ズドローヴィエ!」
反逆の合図は全員バラバラだった。だがそれがいい。俺達の隊は多国籍の寄せ集め集団だ、話す言葉も価値観も産まれも育ちもなにもかもが違うが、意思だけは同じである。
シェルピェンはグラスを口に添え、ウォッカを美味しそうに喉に通していた。さすがは俺の隊で一番の酒豪、いくら飲んでも顔色が変わらずいつものテンションで正気を保ち続けられる見た目少女、実年齢二十一。
この戦いのはじまりは、少女の『死』によって国家の本性が暴かれた。
まさに『聖女の殉教』から始まる聖戦。たった一人の死によって、竜が、天使と呼ばれる俺が、能力を持たないただの民間人まで、全員の《魂》を突き動かした。




