【第三章 第三話 本人目線の正義】
【ヴェークテルン・シュミート視点】
シェルピェン・ザウェクという万能薬が突如として機能停止。
上層部は激怒、俺に責任を追及してくる。だが俺は跳ね返された書類をつきだしてやった。
机に叩きつけるように書類を広げ、私腹を肥やした貴様らに見せつけてやる。
「何度も、何度も私はお伝えしました。わずか百五◯センチ丁度、体重四十三キロの人間から成人男性と同じ血液の採取は衰弱して死ぬだけだと。考えなくともおわかりでしょう、これが欲に目が眩んだ結果であると」
ざまぁみろ、お前らの金ヅルも天使の妙薬も、二度と利用できないようにしてやった。
これで俺の部下は、戦友は、欲望のために使われない。二度と使わせてやらない。アレは俺の部下なんだお前らきたねぇ豚どもには血液一滴も流させない。
「報告書にはどう記載しましょうか? 『上層部の度重なる過剰なノルマ強要により、軍の最高機密資産が破損・停止した』……これでよろしいですね?」
豚が口を開く前に部屋に声を響かせた。
「あるいは! 私に全責任を被せて軍法会議にかけますか? 構いませんよ。ただしその場合、彼女の血清が『どこ』へ流れていたか、法廷ですべての帳簿を明らかにすることになりますが」
静まり返る会議室。怒りと屈辱で顔を真っ赤に染め上げた上層部の豚どもが、忌々しそうに俺を睨みつけていた。だが、誰の口からも反論の言葉は一つも出てこない。敵国への横流しという大逆罪が明るみに出れば彼らは軍法会議どころか一瞬で絞首台行きだ。自分たちの命と天秤にかけた結果など、見なくてもわかる。
「……シュミート大佐」
豚の一人が、ギリッと歯鳴りが聞こえるほど、奥歯を噛み締めながら絞り出した。
「今回の件は……極めて遺憾な事故だ。被験体は度重なる実験の負荷に耐えきれず、昨日未明に機能停止に至った。報告書はそのように処理しろ」
「賢明なご判断に感謝いたします。遺体の処理、および事後研究は、引き続き我々特務機関の厳重な管理下で行いますので、どうかご安心を」
俺が完璧な角度で敬礼をしてみせると、上層部の連中は捨て台詞すら吐くこともできず、忌々しげに軍靴の音を荒らげて会議室から立ち去っていった。
バタン、と乱暴に扉が閉ざされ、室内には重い静寂が戻る。
俺は被っていた軍帽を静かに外し長机の上に置いた。机の上に散らばった書類を一つ手に取る。書かれているのはシェルピェンからどれだけの血液を搾り取ったかが記された記録だ。計算してみたが普通の少女なら三ヶ月目には死んでいた採取量、そう考えると六ヶ月間もよく生き延びたよアイツは、不死身だとしてもな。
俺は書類を無造作に手でかき集める。
「……ヴェーク」
いつの間にか背後の扉から入室してきたペネロペが、誰もいないことを確認してから口を動かす。
「昨日の朝、シェルピェンの髪の毛が変にボサボサだったの。あの子はしっかりと髪の毛を丁寧に拭うのにね」
俺はペネロペを見た。黒と白のオッドアイがどこまでも冷たく俺を睨み付け、壁に寄りかかりながら腕を組んでいる。
「まるでとーっても雑な男に髪の毛をタオルでぐしゃぐしゃにされたみたいな、そんな髪だった」
医者の目は誤魔化せても親友の目は誤魔化せなかったか。ああしくったな、普段女性がいかに丁寧に髪の毛を扱うかなんてさすがに知らなかった、盲点だ、シャツやズボンは適切に乱して着させることはできたがまさか髪まで見られるなんて。
「私に何を隠しているのかここで吐きなさいヴェークテルン・シュミート」
ペネロペの静かで、だが一切の逃げ道を許さない追及の目に、俺は小さく息を吐き出した。
「医者の目すら騙した完璧な偽装だったはずなんだがな。まさか髪の毛一本で破綻するとは」
「独身の堅物に年頃の娘の身支度が完璧にこなせるわけないでしょ。自惚れないことね。……で?」
ペネロペは壁から背を離し、一歩俺へと近づいた。
「あの子に何をしたの」
俺は机の上の書類を完全に破り捨てながら、静かに告げた。
「昨日の朝、俺はあいつの心臓を抉り出した」
「なッ!!」
ペネロペの表情が凍りつき、胸ぐらを掴みかかろうとする。その殺気が形になる前に。
──俺は足を大きく前へ出し彼女を抱き寄せた。
「ッ?!」
俺は言葉を続けた。
「安心しろ、生きてる。あいつの『不死の核』が心臓にあるという仮説は正しかった。……郊外のホテルでゼロから体を再生させて、今は泥のように眠っているはずだ」
ピタリと、ペネロペの動きが止まる。信じられないものを見るような目で俺を見つめてきた。
「……じゃあ、あれは」
察した彼女は俺の背中に腕を回す。
「心臓を持たない、文字通りの抜け殻だ。軍を欺くためのな」
「バレたらどうなるか分かっているの?」
「分かっている。だからお前には伝えた」
俺は辺りを見渡す。誰かが忍び寄る気配と妙に慎重な動き、俺とペネロペの話を聞きに来たかそれとも偶然か。どちらにせよそいつにはさっさとご退場願おう。
「聞け、ペネロペ・コスタ。シェルピェンの血清はあの豚どもが敵国に売り払っていた、それもかなりの大金でな」
まるで恋人同士の抱擁だな。こんな光景を見たら察してどこかへ行くかその場にとどまり息を殺すかするだろう。ああほら、扉の奥からこちらを覗くものが居る。
俺はペネロペの耳元でお伝えした。
「後で話す」
これで覗き魔は『恋人として話をしていたんだな』と納得するだろう。上司と部下の密談なんて怪しさ満点だが、恋人同士の密談ならありふれている。
俺はしっかりと包容を見せつけてから離れ、書類をぐしゃっと掴み部屋を後にした。
◇
さっそく問題が生じた。
上層部はシェルピェン・ザウェクの脱け殻から、残りの血液全てを搾り取るおつもりらしい。
シェルピェンの部屋に集まるのは上層部とその部下達。ゾロゾロとご遺体の周りに集う上層部の前で、俺の部下達が『どうかお待ちください』と必死に壁を作っていた。
慌てて駆けつけるとカルロが両手を伸ばし上層部へ抗議。
「遺体の解剖とおっしゃっておりましたが! でもっ、その体はどこへやるおつもりでしょうか!」
ヨハネは上層部に氷よりも冷たい目で淡々としていた。その声には明らかな憎悪が混ざり、今にも爆発しかけている。
「血液を全て搾り取るおつもりであれば、先にこの場の指揮官に話を」
ハッ、とヨハネと目があった。
ヨハネが言葉を止めると全員の目線が俺へ向く。静まり返る部屋、突き刺さる視線、数多の欲望と悲痛な声が聞こえてきそうだ。
ある男が一歩前へ出る。
「シュミート中佐殿、ご遺体は我々の管理下の元適切な処置を行います」
その声には『逆らったらどうなるかわかるよな』という脅しが込められていた。
ああ……そう。女性の遺体を、お前らは静かに眠らせることすらできないのか。ご本人の尊厳や神への冒涜なんて考えず、命だけでなく残された最後の『器』まで搾り取るのか。
もういいよ。
「かしこまりました。総員、この部屋から出ろ」
誰かが声を漏らしていた。
「エ、ぁ」
「ッは」
信じられない、そんな言葉が聞こえた気がする。
俺はもう一度命令を下す。
「聞こえなかったか? この部屋から出ろ」
一、二。
三秒、誰も動かなかった。
真っ先に動き出したのはアランだった。ぐいとカルロの腕を強引に引きながら、周囲の隊員の肩にわざとぶつかり靴をならして立ち去っていく。そんな俺の部下達を上層部は睨むように眺め、さっそく処置の準備を始める。
俺は完全停止したヨハネを見た。
瞬きすらせず、息もせず、袋に詰められ運ばれていく姿をただ見ることしかできない様子。当然だ。理由も原因も俺にはわからないが、彼は本気でシェルピェン・ザウェクに好意を抱いていた。
シェルピェン・ザウェクがはじめてこの檻に入り豪華な食事を前にした時、彼女は今まで見たことないほど目を輝かせ一口一口を噛み締め、食後には気分が上がりすぎて小躍りしていた。本当に小躍りしていた。『フン♪ フン♪』と鼻唄を奏でるその姿を、ヨハネだけはずーっと、それはもうずーっと見ていたからな。誰もがお前の感情を察していたし、誰もが内心で『いやでも相手は見るからに少女だよな』と思いつつも、密かに報われるよう祈っていたと思う。俺はその辺りはどうでもいいです。
俺にはヨハネの感情を理解する術などないが、そんな男が、国という権力の前で一歩も動けず固まっている。
すまないヨハネ。お前にはあえて黙っていようと思う、シェルピェン・ザウェクが生きていることは。
敵を騙すにはまず味方から。そして、全員の意思を一つに固めなければならない。
──俺は決めた。この国の《反逆者》となることを。
そのためには絶対に裏切らない仲間が必要なんだ。三日後までに全てを準備する、その時に明かそう。
ついにヨハネが動き出す。彼は一歩、一歩、ゆったりと動きながら俺へ青い目を向け──突然、狭い室内で踏み込み念力と共に拳を構えた。
ああ、だよなぁ。
三日後には明かす。だから、俺はヨハネにぶん殴られ壁に衝突しようと、肩と顔面に強烈な痛みが走ろうと、受け入れよう。




