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【第三章 第二話 天使の儀式】



【ヴェークテルン・シュミート視点】


 俺は何をしているんだろうな?


 部下を守るためにその部下の血を抜いて、能力で傷口を塞いで、期間を開けたらまた軍医に針を指して貰う。


 その結果、目の前でベッドに眠る少女は本日推定十六時間以上睡眠している。


 ヨハネは体格もあるし食事も取れているので至って健康的ではあるが、シェルピェンはヨハネと同じ量の血液採取だ。ヨハネは『一七七センチ』で、シェルピェンはわずか『一五◯センチ』体の差を科学的に考えろと上に何度も何度も書類で送りつけたが、それを補うだけの資金と立場を与えているだろうがと跳ね返された。

 生きるために可能な眠り続ける今のシェルピェンは、戦場に復帰するとしても時間がかかってしまうだろう。これこそ飼い殺しだな、軍の兵器ではなく万能薬の製造工場としての立場の確約か、笑えない。

 残念なことにシェルピェンの書類は誤魔化せなかった。外部の目がある場所で血液を投与しろと言われたからだ。

 ヨハネの書類はまだ誤魔化せる。血液を投与すると被験者は大暴れするため、外部は寄り付こうとはしなかった。俺やペネロペでないと押さえつけられないほど凄まじい力で暴れるため、とても現場には居られないし向こうも怯えている。


 だが、だが。


 シェルピェンの血液投与が決まった被験者は、全員似たような言葉を口にする。


「天使様、お恵みをありがとうございます」


 投与された人間は決まって二十歳前後の若々しい姿になり、失った手足も再生する。

 中にはドイツ軍の将校まで自ら名乗りをあげた。《天使の妙薬》なんて呼ぶ者も居るらしい。

 ふいに、ぱち、と金色の目が開く。


「……ッ」


 天使様のお目覚めだ。

 彼女は起き上がりながら俺を見る。その目は俺を見ているはずなのに別の場所を見ていた。


「……おはようございます」

「おはよう」

「何時間寝ましたか」

「およそ十六時間」

「最長記録ですね」


 俺はガラス瓶を傾けグラスに水を注ぐ。彼女へ差し出しながら、俺とお前以外誰も居ない、寄せ付けてもいない部屋で伝えた。

 ずっと考えていたことがある。

 ずっと決めていたことがある。

 なぁ、シェルピェン、お前はこんな檻の中で一生を過ごしたいわけじゃないだろ?


「なぁシェル、お前を殺させてくれ」


 彼女は柔らかな視線を俺へ向け、グラスを受けとる。その手も、顔も、一切怯えていない。


「お前は上半身が残っていれば再生した。下半身は海に落ちて今ごろ魚のエサとして世界に溶けていることだろう。もし、俺の仮説が正しければ、お前は心臓さえ無事なら生きているんじゃないか?」


 これは俺のただの仮説。なんの検証もしていない仮説、だが確信があった。


「なぜ上半身が無事なら再生するのか、なぜ血液が足りないと衰弱していくのか、それは『心臓』がカギなのではと俺は考えた」


 もしも失敗したら?

 失敗したら文字通り命を失うだけだ。だが、今のお前の暮らしは生きているのに死んでいるようなもの。国の繁栄のために『本物の天使を利用する』なんて、神が許さないんじゃないか? いつか天罰が来るんじゃないか? 俺はそんな予感しか感じないんだ、ずっと。

 ことん、とシェルピェンはグラスを机に置いた。

 俺は彼女へ伝える。


「お前から『心臓』を抜き取り、死体を用意させてくれ」


 本来、軍隊というのは国を守るために兵士が血を流すものだ。だが、今の軍上層部は何をしている? たった一人の幼い少女に血を流させ、天使の妙薬で将校たちが私腹を肥やし己の命を延命しているだけだ。こんなの軍隊じゃない、兵士じゃない、ただの気色悪い『寄生』だ。

 これがもし傷ついた兵士に投与していたら、まぁまぁ、頷いてあげよう。右腕を失った能力者とか目を失った凄腕のスナイパーとか、そういうのを治してくれているなら納得ができるし、正しい国家への貢献だと胸を張れる。


 だが違ったんだ。


 ファフニールの中将殿が密室で教えてくださった。俺はその言葉をそのままお伝えする。


「シェルピェン・ザウェクの血清は、あろうことかアメリカにも渡り多額の報酬を得ていた」


 終わりだろ、この国。


 戦局は最悪。敗戦の文字が常に頭を過り、腐敗した上層部が敵国を相手に金を手に入れ資金源の確保。こんなもの俺が命を懸けたい国じゃない。こんなもののために俺の部下が命を懸けていいわけがない。

 だから、シェルピェン・ザウェク。

 俺は腰にあるナイフを手にした。


「すまないが麻酔は用意できない。殺るとしたらこれを使う。偽装するために風呂場で行うことになるし、お前も俺も脱ぐ必要がある。傷口は俺の力なら治せるだろう、だが、もしかしたら……そのまま死ぬ可能性もある」


 シェルピェン・ザウェクという勇敢すぎる兵士は、俺が手にしたナイフを一秒の戸惑いもなく両手で包み込んだ。その顔は恐ろしいほど穏やかで、柔らかで、自ら命を『どうぞ』と差し出していた。


 なんでおまえは。どうしておまえは。


 俺は指示を出すべきなのに、口からでたのは情けない声だけだった。


「すまない、すまない……偽装を完璧にするために、すまない……ッ」


 彼女はナイフから手を離すと、自らシャツのボタンを外していく。血で汚れた服があるのは不自然だからだ。

 恐ろしいだろ? 男の前で脱ぐなんて。

 なのにこいつは簡単にやれてしまう。まったくどこまで愚かなんだか、他の醜い男ならこの後なにをされるかわからないぞ、どうしてそんなにも優しすぎるんだ利用されて死ぬだけだろ、そこまでの自己犠牲と信頼をなぜ俺に向けられるんだ、可笑しいだろ。


 だが、それが本物の天使というものなのかもしれない。俺のような紛い物とは違う、純粋な天使はコイツなのかもしれない。


 彼女はベッドから立ち上がりズボンも脱ぎながら先に浴室へ。すぐとなりにある小さなシャワー室なら、あそこなら簡単に血を流せる。

 彼女は自分自身のことを、これから解体されるモノだと完全に受け入れていた。俺が少しでも作業しやすいように、まるで屠畜場へ向かう羊のように自ら進んで準備をしている。

 俺は震えて仕方がない右手でナイフを握りながら、後を追いかけるしかなかった。ああ、今この現場を見られたら俺は強姦罪で牢屋行きなのだろう。

 はっ、なんでこんなことになっているんだろうな?



 ──俺も下着以外全て脱いでから、シャワー室の浴槽に寝転がるシェルピェン・ザウェクに馬乗りになった。



 小さな体だからこそ浴槽に寝転がれる。だが、端から見れば完全に事件だ。

 密室のシャワー室、服を着ていない二十歳の可憐な少女、そして屈強な軍人である下着だけの俺がナイフを手に馬乗り。事件だ事件。俺がこの現場を見たら馬乗りにしている野郎をその場で射殺する、たとえ上官だとしても決して許されない非道な現場だ。

 俺はシェルピェンにハンカチを差し出す。声が出ないようにするためだ。彼女は自らその布を掴むと奥まで食い込ませ、ぎゅっと目を閉ざす。


 ナイフを握りしめる。


 ナイフを握りしめる。


 ナイフを、強く握りしめて、震える刃先を胸に向け。


 ──あ。助骨が邪魔だ。


 ──あ。皮膚を抉らないと。


 ──あ。かといって頭を潰しても完全に再生するか不明だ。


 ナイフを退かそうとしたのに、シェルピェン・ザウェクは俺の両手を包み自ら胸に突き刺していく。


「────~~~ッッッ!!!」


 これまで敵を何人も殺してきた。しかし、殺意を持って敵を斬ることと、抵抗しない無抵抗な少女の生身の肉体を解体して心臓を抉り出すことは、脳の使う部分も精神への負荷も全くの別物だと今はじめて知った。

 刃先から伝わる柔らかな皮膚の感触、その下にある骨の硬さ。


 それがシェルピェンという肉体を暴く儀式の始まり。俺は無心になって作業するしかなかった。


 幸運なことに、シェルピェン・ザウェクはすぐに意識を手放した。元々血液が足りない状態だったんだ、途中から目を閉じて、ゆっくりと眠るように息が止まった。なのに心臓だけは動いていて不死の証明がここで確立した。


 骨を割って取り出す。


 心臓の管を切り、手のひらよりも小さなそれを取り出す。


 なんとなくわかった。この手のひらの中にあるドクドクと動く物体、これに俺の能力を流せば再び彼女が目覚めることを。しかしこんなもの魔術かなにかとしか思えない。ああ。ああくそ。

 俺は本来ガソリンの油を入れる缶を手にした。大きな口にドロッと物体を流し入れてから、俺は……。


 自分の右腕を見た。


 血液を注がなくてはならない。でなければ心臓が動くためのガソリン(血液)が足りない。

 俺はシェルピェン・ザウェクの口からハンカチを奪い取り、口に食い込ませナイフを右手に向ける。

 彼女は自らナイフを己に指した。ならば、俺が躊躇するわけにはいかなかった。


「ふー……フーッッ!!」


 一気に、振り落とす。

 深すぎる傷口から溢れた赤を、俺はガソリン缶に注ぎ込んでいく。



 ──儀式が終わった。



 ベッドの上にはどこも汚れていないシェルピェン・ザウェク。俺の“左手”にはシェルピェン・ザウェクの心臓が入ったガソリン缶。今でも微かに振動を感じて中で揺れ動いている。

 俺は袖で脂汗を拭いながら部屋を出た、扉を開けるとそこにいたのは。


「ペネロペ……ッ」

「まだ起きてない?」


 ペネロペ・コスタがいた。心配して来てくれたのだろう、危なかった。鍵すらかけていなかったのだから。

 俺はガソリン缶を片手に道を開ける。


「しばらく様子を見たが起きる気配がない」

「そう。十七時間? ぐらい寝てる?」

「おそらくな」


 ペネロペは首をかしげる。何か違和感があったか、どこかに血がついているのか、なんだ、なんだ、早く言え。

 黒と白のオッドアイが俺をじっくりと観察し、なにかを確信する。


「……ヴェーク、貴方なんだかやつれてない? たまには太陽浴びないとすぐに病むから、この施設から出て行け」

「そのつもりだ。一日ぐらい街を歩いてくる」

「そうして。明日の朝帰ってきて」

「気が向いたら」

「帰ってきたら閉め出す」


 んだとテメェ上官に向かって。まぁいい許してやる、これが彼女なりの優しさだ。

 俺は過ぎ去るペネロペの背中を見てから扉を閉ざし、缶を両腕で抱えながら急いで基地の外を目指す。




 俺は車に乗り込み、ガソリン缶と服を詰め込んだ鞄を抱え郊外へ運転して貰った。久しぶりに地上の空気を浴びたいと言えば、それだけでのどかな街へと送ってくれる。地下室での暮らしは精神を病むだけだからな、上も何も言わない。

 気がついたら夏になっていた。あれから半年もの間シェルピェンはずっと地下室にいたのか。

 窓越しの景色を眺めていると運転手から聞かれる。


「中佐殿、迎えはいつ頃にします?」

「午後六時頃まで時間を潰していてくれ」

「わかりました」


 目的地の駅についた。俺は車から降りて、ドイツ軍の高級車が遠ざかることを確認してから軍靴をならす。どこかにほどよいホテルか民宿でもあるはずだ、そこでこの心臓を目覚めさせよう。


 まだ動いてるよな?


 俺は立ち止まりガソリン缶を耳に添える。どくん、どくん、規則正しい音がした。


「ふはっ」


 恐ろしいな。不死身ってのも。



◇



 それなりに広いホテルのシャワー室の浴槽でガソリン缶を逆さにし、ぼちゃっと塊を取り出す。俺は右手をかざし能力を使った。


 バチバチバチ!!


 弾ける黄金の光。ある程度流して勘づく。俺が気絶する寸前まで能力を使わなければ心臓は再起動しないと。

 俺は両手を真っ赤な浴槽へ向け、全力放電。


 ──バチバチバチ!!


 汗が伝い浴室に落ちた。ああくそっまだ足りねぇか!

 軍服を脱ぎ放電を続ける。


 ──バチバチバチ!!


 ──バチバチバチ!!


 意識が朦朧としてきた。しかし心臓に変化は無い、まだ足りないのか一体どれだけ注ぎ込めばいいんだ。

 いっそ、全力を一気に流し込んでやろうか。

 俺はふっと息を吸い込み、己の能力全てをそこへ放つ。



 ──ゴッッ!!



 まるで大砲のような音がした。ふらっと俺の意識が飛びかけその場で膝をつく。その時俺は見た。


 浴槽の中、真っ白な帯がしゅるしゅると伸び繭を作っていた景色を。


 柔らかな光が放たれる繭。その中で彼女は自分の体を造っているんだ、皮膚を、内臓を、骨を、血液も、一から全て造り上げているんだ。

 俺は止まらない汗を拭いながら『再誕生の瞬間』を見た。繭はやがてヒトの形となり、マネキンのようなぼんやりとした輪郭から、ハッキリとシェルピェン・ザウェクらしい姿となっていく。

 やがて、帯がほどけるように消え去った。


 ぱち、と金色の目が開く。


 意識を取り戻した彼女は自分の胸に触れ、起き上がりながら浴槽越しに俺を見ると。

 ガバッと俺に抱きつき首に腕を回して来やがった。うわ。くそ。離せ。と言いたかったのに。


「うわあああああッッ!!」


 なんとも面倒なことに泣きやがったので、仕方なくされるがまま受け入れてあげた。




 服を着たシェルピェン・ザウェクは「お願いですどうか大量の食事をください」と言うのでパンやらなにやら与えると、即寝た。あ? 何許可無く寝ているんだと思ったが、よくよく考えたらゼロから一へ体を再生させたんだ、カロリーが圧倒的に足りないのだから食べたらすぐに寝なければ死んでしまう。せっかくあんな精神的負荷を味わったのに死なせるわけにはいかない。

 はぁ……ま。これで軍のこれ以上の腐敗を防ぐことができた。

 そろそろ午後六時になる。迎えに来てくれた運転手には悪いが、今日はここで泊まろう。

 扉の前へ靴をならすと、後ろから声がした。


「私は」


 振り向くと、シェルピェン・ザウェクはベッドに仰向けになったまま、目を閉ざしたまま言葉を漏らしていく。


「ずっと、国に命を捧げることが宿命なのだと思って生きていました」


 ゆっくりと開かれたその金色の目は……よく見ると、十字の瞳孔が刻まれていた。あんな目をしていたっけか、いいや違う元は猫のような鋭い瞳孔をしていた。彼女の中で何かが変わったんだ。


「しかし……なんだか、違う気がしたんです。私は兵器として国に命を捧げたいのではなく、ただ、ただ……」


 金色の目から、音もなく水が溢れていた。


「皆と揃って美味しいものが食べたい……」


 はじめて見た気がする。シェルピェン・ザウェクが一人の女性として些細な欲望を口にした姿を。


「チーズケーキが食べたい……幼い頃に食べたような、美味しいチーズケーキ。コーヒーと一緒に食べたい。そのためならなんでもできる」


 お前、おまえそうだったんだ。チーズケーキとコーヒーが好きだったんだ。

 俺はドアノブにてをかけた。


「お前なりの宣誓として受け取ろう」


 シェルピェンは肩をくすりと揺らす。


「違いますよ。これは絶対に叶う未来の話です」

「叶ったらいいな」


 俺は部屋を後にした。



◇



 翌日の朝。

 軍へ戻るとやはり騒がしかった。ペネロペが慌てた様子で「シェルの意識が無い!!」と俺の両腕を掴み、ヴッッお、腕の力が強すぎて本気で痛い。そのまま連れられ俺はシェルピェンの部屋へ向かった。

 いつもの鉄の扉はこの日ばかりは解放されていて、数多の関係者が集っていた。ああ、やはり大事になったな。

 俺は腹から声をだし命令を下す。


「退け!」


 開かれた道の奥へ進めばベッドの周りには軍医が三名も集っていた。心拍を確認したり、目蓋を開けたり、念入りに念入りに診察。そこにあるのは完璧な脱け殻だ。傷ひとつない、ただ眠っているようにしか見えないシェルピェンの脱け殻。外見上の傷は俺の治癒能力で完全に塞いでいるため、軍医が診察しても解明は不可能だろう。

 なぜ意識が戻らないのか、なぜ心音が聞こえないのか、解剖しなければ答えは出てこない。 解剖したとしても不自然な点が多すぎる。治癒能力者である俺は昨日の朝から本日の朝まで郊外にいたし、この部屋は定期的にペネロペが訪れていた。彼女があらゆるアリバイを証明してくれるだろう。


 とある軍医が俺を見た。


「……残念ながら」


 ああ。本当に残念だよ。この国は終わりだってことが。



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