番外編 その①
キャラクター深堀りしたい方向けの番外編です。読まなくても本編だけで楽しめます。知っているとさらに楽しめます。剛速球でジェットコースター浴びたい方は飛ばしてください。
読めるモノ。
ルカの過去、将校組の話、なぜヨハネはシェルに惚れたのか、ヨハネとヴェークの関係性等。
【ドーヴァー海峡移動中】
【アラン・ルフェーブル視点】
あぁ、ペネロペ様は少佐。俺は下士官の伍長。列車ではその差が明らかに目に見えしまう。
俺達は可能な限り限界まで詰め込まれた倉庫のような列車で寝泊まり移動。暖房なんて火力の弱いストーブ。対して、将校達は当然個室。ふかふかのベッドに防寒もしっかりした部屋で優雅にお過ごしになられる。もちろんペネロペ様には優雅に過ごして美味しいモノを食べて英気を養って頂きたい、そこに嫉妬はありません。
だがしかし、待遇の差には不満を抱いてしまうもので。
俺は、俺らと同じ場所で寝てるグリフォン中尉を見た。将校のハズである彼にも個室が与えられるハズなのに、彼はカルロの前に伏せのポーズ。顎でクイッとルカを呼んでいた。
「ほら」
カルロは「やった!」と笑顔でグリフォンの腹をベッドにし、薄い毛布を一緒に使って睡眠準備。
グリフォンはカルロをくるりと巻くように顎を前足に乗せる。
グリフォンは上機嫌に獅子の尻尾を揺らして「あったけ~」とカルロで暖を取っていた。列車旅が始まってからずーっと二人は共に寝ている。
カルロ・モレッティ伍長は能力階級『Ⅲ(三)』の炎の能力者。グリフォン中尉と呼ばれている彼はルカ・ロッシ、能力階級『Ⅶ(七)』の幻獣種能力者。ルカの方が遥かに階級は上なのに、彼は変わった男だった。
ルカ曰く。
「俺ドイツ軍嫌いなんだわ。というか軍というシステム、環境、存在理由、なにもかもが嫌いだわ」
だからあらゆる軍規を可能な限り無視しているらしい。
そんなイタリア男がなぜ、ドイツ軍の将校なのか。ルカはカルロと雑談しながら語っていた。
「お前ローマの方出身? ほーん。俺ミラノで産まれたけど盗みしまくって最後にローマに辿り着いたわ。そこでなんやかんやで捕まっちゃってさ~、なぜか俺の事気に入った高級将校居るんだけど、そのヒトの苗字名乗って将校入らされた」
ルカは戦争孤児なんじゃないか、と俺は同じくフランス人の男と予想を立てて話したことがある。彼はこれも呟いていたからね。
「その将校のおっさんには感謝はしてるけど……俺は本音は二度と銃声なんて聞きたくねぇな」
全部俺の勝手な妄想の話だけど。
ルカは両親を戦争に巻き込まれ目の前で失ったんじゃないか、と予想してる。だから盗みをしては能力で変身して逃げ、警察に捕まらないよう動いていくうちにローマに辿り着いた。ついに盗人として捕まった彼は、偶然であった将校の養子となり入隊。義理の親でもある将校には本音で感謝はしているが、しかし、東部前線では中佐殿すら頭を抱えるほどの逃げ腰のグリフォンと化していた。
──列車の中、カルロは寝る前の雑談を始める。
「ねぇルカお前、何歳に能力出た?」
突拍子も無いなぁ。
ルカも俺と同じ感想の声で答えていた。
「七歳の誕生日に変身して両親大興奮だったな」
「やっぱりちっちゃいグリフォン?」
「そう。多分だけど、大型犬サイズ? いや、もう少し小さかったかも」
「え~! いいなぁ絶対かわいい! 飛ぶ練習した?」
ルカは緑の目を揺れ動かす。
「ああ、うん。……頑張った」
ルカは話を強引に切り上げた。やはり両親に関する話はしたくないんだろう。
「お前は?」
「五歳」
「はっや?! めっちゃ早くね??」
やっぱそうなのね~。能力者って早くて六歳から、遅くて十歳の間に能力が出現するらしい。カルロは平均より早すぎて、俺としてはご両親大変だっただろうなぁと。まだまだ親に甘えたい五歳児が『炎で鍋を加熱できる』力もってんだよ? 制御うんぬんの前に、なにしでかすかわかんないって。
◇
──奇しくも同じ頃。
揺れる会議室に居たヨハネは、雑談の範疇としてペネロペから『何歳に能力出た?』と聞かれていた。
ヨハネは淡々と事務的に答える。
「十二歳」
「だいぶ遅いね? 私は八歳、シェルは七歳だって」
ペネロペはヴェークテルン・シュミート中佐を見た。黒と白のオッドアイで『話せ』と訴える彼女に、ヴェークテルンはしぶしぶといった様子で返す。
「六歳」
「はや?!」
シェルピェンも「早い方だったのですね」と目を開いていた。他の能力者将校もヴェークテルンを見る。
他の能力者、三人も答えていく。七歳、九歳歳、八歳、平均的な答えを返した。
◇
能力者達にとってはあるあるの会話だ。出身地や家族について聞くように、同じ能力者で親しくなれば一度は『何歳に能力が発現したか』の話をする。
能力の発現は早ければ早いほどいいらしい。能力者だと判明すれば即座に軍の幼年学校に入り、エリートクラスとして勉強を幼い頃から始められる。けど、カルロは能力階級が低すぎて将校には入れなかったんだろうな、最低基準が『Ⅴ(五)』だから。
カルロはふわふわとした口調で、グリフォンの毛並みを撫でながら話す。
「そう、俺ねめっちゃ早すぎてね、でも軍の幼年学校って八歳からだから、子供の頃はいじめられまくったね」
「え? ん? いじめられた側?? いじめた側ではなく?」
「俺能力者なのに弱すぎたんだよね体が。今はそんなことないけど、風邪ひきまくった」
あ~察した。
俺はイタリア組二人の会話に混ざり混む。
「察した察した。子供って他とは違う子をいじめるよね、能力者なのになんで弱いんだって、俺の方が強い~って」
「まさにそれ!」
カルロはなにも気にしていないのか、これまた呑気に幼い頃の過去を語る。
「ずーっと絵を描いて過ごしてたよ。能力使いたくなくて、学校じゃ一切使わなかったもんね」
あぁ、お前、だから紙とペンがあれば全て落書きで使い果たそうとするのか。趣味ってのもあるんだろうけど、あの戦場では小さい頃から続いた現実逃避ってワケか。
その話を聞いたルカはもしもの話を考えたらしい。
「俺まじ普通の学校行かなくてよかった~絶対キレて怪我させてぶちぶちに怒られてたわあらゆる何かから」
「それただの事件だからやめて?」
「やってねぇよ!」
ルカは緑の目をそらしながらぽつりと溢す。
「……将校だとやったかも」
カルロがニヤニヤと笑う。
「後で中佐殿に聞いてみるね、お前の履歴」
「やめろッ!」
ハッ。俺の脳裏に推理が走る。
「もしかして東部前線送り込まれたのは規律違反で」
「そうだよ!」
「バカだな~」
「バカだな~」
俺はふざけてグリフォン中尉をいじり倒した。
「典型的なチンピラかよお前ぇ~」
「飲酒飛行最高!」
「それ法律マジでそのうち整えられるぞ?」
「整備される前にやりまくるわ~」
グリフォン中尉は俺を見ながら言った。
「ニーズヘッグ少佐殿も飲酒飛行がお好きなようで」
「えぇ~~~かわいい~~~ッッ?!」
なにそれかわいい?! 俺もよくわかってないけど何かがとてつもなくかわいい! まだ法律違反じゃないから、よかったねぇ捕まらなくて!
そんな俺にルカとカルロが冷ややかな目を向けてくる。
「頭おかしいんじゃねぇの?」
「好きな子が何しててもかわいいってなる時期だコイツ」
「高嶺の竜にまじ惚れしてるんだな」
◇
あ~あ! 鉄道が通行止め! こんな何もない中腹の山ん中でな!!
暇で暇で仕方がないので、兵士達は車内から飛び出し『湯浴び』の準備開始。
氷の能力者が鉄のバケツに透き通った氷を生成。
炎の能力者達が手分けして加熱。茹で上がった熱湯はこの気温だとすぐに冷め、ほどよい温度の湯となった。俺含む無能力者達からしたら、ほんっと能力者達たちには頭上がりませんよ。
男女に別れて極寒の中での軽い湯浴び開始。移動中、目の前に通りかかるペネロペ様へ俺は敬礼。
「ペネロペ・コスタ少佐」
「はぁいっ」
彼女も軍規なんてクソくらえなイタリア人なので、俺の敬礼に軽く手をふって返してくれる。
「本日も大変大変お美しい……」
彼女は『うわ』の顔をした。
「皮脂でギットギトなのに?」
「どんなに汚れていても貴女の美貌は永遠に廃れ」
「あらどうも。顔だけしか見ていないことはわかったわ」
くぅ! 冷たい! 最高!
ペネロペ様は俺なんて軽くあしらって、ご友人のザウェク中尉と共に鉄道車の反対側へ。
この隊、十一人しか女性が居ないからな。彼女達はしっかりと湯槽につかれます。俺達男は暖めたタオルで全身拭うだけです。
ああ、勇ましい男は雪だらけの景色で下着だけになり、頭から湯をバッシャーッ!! と三回被って、タオルで全身拭い髪の毛もバッサバッサと乱し、仕上げに能力で蒸発させてます。
ヴェークテルン・シュミート中佐が。
稲妻が走る。バチバチ! ボワッ! と水蒸気が立ち上がり、わずか三十秒のシャワー終了。筋肉質な体を見せびらかし、ああいや本人は見せびらかしてるつもりゼロ、効率重視で動いておりますが、すぐに服を着て身なりを整えていらっしゃる。
そんな彼を、俺はシワを寄せながら言った。
「中佐殿、こんなことを告げるのもなんですが……貴方いつもそんなことしてるから髪がゴワゴワに」
「女じゃないんだこだわる必要がない」
中佐殿はすぐに機関車の最後尾へ。女性達のエリアに誰も通さないようその場に腰掛け、監視として俺達を眺めていた。一人でも貨物の上に行こうとすれば、もしくは下から覗こうとすれば、中佐殿から雷が落ちる。本当に落ちる。
俺もコートを脱ぎ、軍服も脱ぎ、シャツになって暖かいタオルで服の中を拭う。けれどすぐに冷えてしまって、カルロに差し出した。
「お願い」
「了解!」
カルロは手を掴みちゃぽんと湯の中へ。手のひらから炎を直接だして加熱。ぶくぶく、と水の中で炎が灯る不思議な光景を眺めた。再加熱が終わるとタオルを入れ、軽く洗ってから俺に差し出してくれる。
「メルシー」
カルロは次の隊員からタオルを受け取り、軽く洗って暖かいそれを差し出す。彼は加熱要員の一人として貢献してくれていた。
まずは五十人ぐらい先に洗って、次の五十人ぐらいが交代。その頃には一部の女性兵士達が戻ってきた。
彼女達はきゃいきゃいと可憐に美しく騒ぎながら、男達の横を過ぎ去り使い終わったバケツやらドラム缶やらを渡してくれる。ペネロペ様なんてドラム缶を両手で抱えて持ってきてくれた。さすが!
──ふいに。女性達から小さな黄色い歓声が上がる。
何事かと辺りを見渡せば、ヨハネ・ド・ブジョワが上半身裸になっていた。
俺、ルカ、カルロはほぼ同時に鳴らす。
「チッ」
「チッ」
「チッ」
他の男も上だけ脱いだりしてるのに、美形が脱いだだけでこれか。
しかし何故だろうな、いつの間にかシュミート中佐殿が俺達の近くにいて、俺達の背後で「うっはッ」俺達は同時に振り向き、中佐殿が女性みたいに両手で口を押さえる姿を見た。なんだその反応。
ルカがぼそりと教えてくれた。
「出たよ面食い中佐殿……ヨハネ大尉殿の顔面お好きですよね~」
マジ?! 中佐殿、その顔で、そのお姿で、まさかの美形な男がお好き?!
その頃、ヨハネは念力でお湯をシャボン玉のようにプカリと浮かし、フッと息を止めて一歩踏み込む。嵐のような濁流に三秒浴びるとプハッと飛び出し、髪の毛を前から後ろへかきあげながらタオルを手に取り拭う。
あれには俺、ルカ、カルロ、シュミート中佐殿ですら単純に感心した。
「ナニあれ便利~」
「いいなぁ便利~」
「いいよなぁアレ」
「骨格すら美しすぎる……」
一人だけ『感心』の意味違う。
女性達は別の意味で騒ぎだし、ヨハネの元へ駆け寄っていた。
「ブジョワ大尉! お願い致します!」
「次回があれば私たちにもさっきの、お願いします!」
ブジョワ大尉はそんな彼女達を前に、無表情でタオルを首にかけシャツを手に取る。
ザウェク中尉も目を輝かせながら彼を見上げた。
「私も! 私もお願いしたいです!!」
「もちろんです」
ん? なんか、なんか……ブジョワ大尉さっきまで無表情だったのに、ザウェク中尉がお願いした途端表情柔らかくなった?
ザウェク中尉は続ける。
「私結局髪の毛濡らしただけなので、残りのお湯でお願いしても?」
「新しいもの使ってください、野郎の油まみれですから。大尉!」
ブジョワ大尉は同じ階級の大尉を呼び、服を着ながら駆け出し、新しい湯の準備を始めた。
なんか……可笑しくね? 明らか様子が他と違わね? 他の女性達ガン無視してザウェク中尉しか見えてないって感じじゃね? ほら、女性達もみなさんザウェク中尉を見ていらっしゃる。十二歳の見た目をした少女を、女性達が見ていらっしゃる。
すっ……げー嫌な予感したおれぇ。
これアレでは? ヨハネを狙う女性達が結束して総スカン食らうアレ。あの女性達のボスが誰かによってザウェク中尉が男の知らないところであれこれ噂して精神壊すヤツ。怖いぞぉ~女のそういうところは~。しかもヨハネという美形からのおそらく一方的な好意ってところがさぁ。ねぇ?
ザウェク中尉は視線を向けられているなか、ペネロペ様を見上げた。
「ペネロペちゃんも髪の毛長いのに濡らしただけですよね?」
「ん? あ、うん」
「一緒にさっきのお願いしましょっ!」
「そうね。あの男は紳士だから断らない」
あー……あの子は優しすぎる子だ。余計にアウトかもなぁ。
ヨハネは湯を準備。ザウェク中尉は薄いシャツ一枚になり、ウッキウキなご様子でヨハネの元で待機。十二歳の見た目にふさわしい雰囲気と目の輝きだ。そんな彼女にヨハネは合図をだし、ザウェク中尉が息を止めると。
念力でお湯を浮かし、水の球を少女の頭部だけにぶつけ水流で乱す。三秒ぐらいでパッと飛び出した彼女は、息を深く吸い込みながら。
「んッふはははは?! なに?! なにこれ?! すごーい!」
きゃいきゃい騒ぐ彼女に、ヨハネはお湯を雪に投げ捨てながら「ご満足いただけてなにより」と自分の方が嬉しそうで。あれはダメだ無自覚にド天然に他の女性を狂わせるぞ、ああいうピュアピュアな優しさは『男に特別扱いされてる余裕ゆえのマウント』になりかねん。
ヨハネは更にタオルを念力でバッと広げ、ザウェク中尉の顔面を覆うように勢いよく被せる。
「えッ?!」
「顔から滴ってますよ」
ヨハネは念力でぐしゃっと銀色の髪を乱してから、首にかけてあげていた。
「ありがとうございます」
ああ、うん、わかった。ヨハネはシェルピェン・ザウェクちゃんがお好きなんですね。
俺は……静かに後ろのシュミート中佐を見た。彼は口を固く閉ざし、目を少し細めながら顔で語る。
『察した』と。
ですよね~~~俺も察しました~~~。だってブジョワ大尉、滅多に笑わねぇもん! あのヒト基本空気が冷たいし、あんまり喋らないし、基本無表情。おまけに毒舌家! 支給された食事全てにぶつくさ文句言いまくってた男! そんな男が柔らかく優しく笑ったのはザウェク中尉だけだなんて。まぁ、うん。
え? 相手十二歳の見た目してんだぞ? マジ? まさかのそういう趣味?? なんていうんだっけこういうの、少女性愛?
カルロが言った。
「えっ、ロリコン……」
「だよなロリコン……」
次はペネロペ様の番、だと思ったら彼女は。
「私はいいや。シェル、そこの紳士は貴方に優しくしたいんだって」
うわあああペネロペ様! それ一番言っちゃいけないヤツ! それ『ヨハネ様はシェルピェンだけを特別扱いしてるよ』って周りの女たちの嫉妬に火がつきます!
これが美形の男か。ヤツの好意一つで女社会がぶっ壊れる、さっきまで俺も『クソイケメンが』も舌打ちしたけど、いいや、あんなのに巻き込まれるぐらいなら普通の顔がいいわ。カルロもルカも顔でそう言ってるわ。
だが、俺が思う以上にシェルピェン・ザウェクという女性は強かだった。
彼女はヨハネを見上げ、くすりと肩を揺らす。
「ヨハネはずるい男ですね。他の皆さんも居るなかで多くの女性に見られながら、私だけ特別扱いして見せつけるだなんて」
言いやがった!!
ヨハネはちら、と女性のかたまり集団へはじめて目を向ける。
「失礼致しました。共に戦ってきた貴女達を結果的に蔑ろにしてしまいました、以後、気をつけます」
ペネロペ様は一人楽しそうに騒いでいた。
「そーだそーだ! 一人だけ優しくしたところで、他の女性にも優しくないと意味ないから!」
「その通りございます」
ペネロペ様も強い!
多分ブジョワ大尉は……いや、もはやヨハネ様(笑)は、その他の有象無象の女性に一切興味がないんだな。下手に関わると好意を持たれ、冷たくしても逆にキャーキャー言われ、そんな人生を二十数年過ごしてきたら女性なんて見えなくなりますわ。表面上優しくはあるんですけどね女性に対して。
◇
【シェルピェン視点】
二月初旬。東部戦線を出発してからおよそ一週間。支給されたはずの食糧は、見事に底をつきました。
無くなるの早いですね。まだポーランド国境の引き込み線で、見渡す限りの雪原に囲まれながら足止めを食らっている状態です。ドイツ本国のベルリンどころか、まともな市街地にすら辿り着いていない。石のように硬い黒パンも、脂の塊みたいな冷たい肉の缶詰も、既に食いまくりました。
背に腹は代えられない。
というわけで、現在。
我らが遊撃部隊が誇る巨大な《グリフォン》と黒竜の二頭が、近くの雪山へと熊と鹿を狩りに出かけていらっしゃる。
神話のバケモノに今日の晩飯のお使いを頼む軍隊。後世の歴史にぜひとも残してほしいですね、この情報。
東部戦線からドイツへ向かう鉄道線路は、深い森や山脈を縫い合わせるように伸びている。私達が立ち往生していたのも鬱蒼と生い茂る針葉樹の森。普通の兵士がライフルで冬眠中のクマの巣穴に突っ込み引きずり出して殺す、なんて即死亡確定ですが、ペネロペちゃんは変身すると二十メートルはある、彼女からすれば巨大なネズミのようなものですね。
私はサロンカー(食堂車)に入った。中央に会議室用のテーブルが置かれ、革張りのソファや椅子が並んでいます。壁には地図が貼られ、軍用無線の設備と通信機の間にシュミート中佐が居られる。仕事モードですね。
もともとここは民間の一等食堂車のようで、内装がやたらと豪華。床は赤いカーペットで、壁は木目調。暖炉だって石炭ストーブが使われています。シュミート中佐のおかげで上着がないと少し寒いほど石炭が減らされていますが。
ふと、視界の端で動くものがあった。目を向けると、革のソファ席に座るヨハネからこっそりおいでと手招きされている。
なんですか、と近づけば、隣に座れとソファを叩いていた。私はこの部屋にいるのが通信兵三名とシュミート中佐だけであることを確認し、隣にお邪魔する。
ヨハネは無言で『フランスパン』と『ソーセージ』と『牛乳瓶と卵』そして『本物のチョコレート』その他ハーブの入った小瓶、等々が入った麻カゴを机に乗せた。
え? え?!!
どうしたんですかそれ、と指差す。
ヨハネは「ふふふふん」と、ニヤニヤと笑いながらはじめて声を出した。
「我々がこんな雪原の引き込み線で半日も待たされているのは、後ろから来た『特等車』を優先させるため」
ちら、とシュミート中佐が私を見た。言わなくていいことまでヨハネは言ったのですかね。
ヨハネが堂々と告げる。
「豪華列車がすれ違った時に、“狩って”きました」
「誰と?」
「中佐殿と」
中佐殿と?!
「正確には『もうすぐ特等車が来るダイヤ』とか『食糧の入った倉庫車はどこか』を教えてもらっただけですが」
「つまりお一人で犯行を?」
「いいえ、通行料です」
「悪いヒト! 悪いヒトですね! 軍法会議にかけられたら捕まりますよ!」
そう言いながら私も笑ってしまった。
「一時間後、もう一つ列車が来ます」
「この話をしたということは、共に犯罪者になってほしいのですね?」
「いいえ、通行料を貰いに行くだけです」
「んふふっ、んふふふ~物は言いよう」
私は少し考えた。見つかれば当然その場で射殺されてもおかしくありません。しかし、私ならあらゆる武器を無効にできます。
ヨハネは私にそっとチョコレートの包みを差し出してくれた。
「お断りします」
ヨハネは固まった。シュミート中佐殿は私へ振り向いた。通信兵三名も私を見る。
「もちろん黙認します。背に腹は変えられませんし、美味しい食事も私だって食べたいです」
私はチョコレートをヨハネへ押し返す。
「時に兵士は現地調達のために農家を襲います。豚や鶏を盗み取り、ジャガイモ畑を荒らします。極限状態であれば私もやりますが、今は違います」
立ち上がる。小さな私がヨハネを見下ろす。その青い目は驚愕の中に綺麗すぎる光が宿っていた。
「より豊かになるための強奪は、致しません。失礼します」
私は泥水コーヒーを飲みに来たんです。暇で暇で仕方がなくて、ペネロペちゃんが来るまでに胃袋に暖かいものを入れたかった。
◇
──ヨハネ・ド・ブジョワは立ち去った銀色の髪を眺め、通信兵の女性能力者の言葉を聞いた。
「……シスター?」
悪事は悪事だと否定せず、中身の動機が重要であるとシェルピェン・ザウェクは言っていた。生存のための犯罪の動機は『生きるため』だ、しかし高級将校の食料強奪は『贅沢という欲を味わうため』でしかない。これがもしも隊員全員の空腹を満たすため、が動機なら彼女は頷いていただろう。
そのあまりの高尚な《魂》に、思わず聖職者かと誰かが口にしていた。
シュミート中佐はヨハネに向かって告げる。
「協力しないのなら相応しい褒美も無しだ。勝手に餌付けは許さない」
ヨハネはなにも言わず、顔を歪めながら机上のチョコレートの包みをめくり、自分でかじる。己の欲望と自己嫌悪を味わうために飲み込んだ彼は「……美味しい」と素直に呟いた。
◇
【シェルピェン・ザウェク視点】
ペネロペちゃんがクマ狩りしてきてくれた~ッッ!!!
ルカが鹿狩りしてきてくれた~! さっすがグリフォン! 鷲の前足と獅子の足を使って豪快に狩ってくれたそうです!
肉の解体や処理ができる軍曹の方にお願いし、もちろん私もペネロペちゃんも手伝って肉の準備をしました。彼は幼少の頃から、ご実家の牧場を守るためクマ狩りをしていたんだそうで。とても寡黙な四十代の無能力者ですが、数多の戦場で生き延びてきた彼はさすがの貫禄です。
ルカは自慢気に胸を張りながら、もちろん当然胸を張って頂きたいのですが、彼は人間の姿のまま鹿の心臓、肝臓、等の部位を生食しながら解体していました。
「いやぁ~! やっぱ俺って狩りが上手くってぇ~ッ! 鹿なんてその辺走ってら俺なら簡単に捕まえられて~!」
真っ赤な手で切り分けられたハツをぱく。
「うま。二キロぐらいなら余裕で見えるからさぁ~ッ!」
そんな彼は周りの男達に囲まれながら『お前戦場では逃げることしか考えてねぇくせに』とツッコミを入れられまくりながら、手元では丁寧に肉をブロックに切り分けてはアランに差し出していた。アランが筋や油を整え、炎の能力者達に渡し、肉のスープを作っている。筋だらけで硬いでしょうが、三日も煮込めばそれなりの料理になるでしょう。
ルカは肝臓もじゅるりと飲むように食べる。
普通の人間は生食はダメです。絶対にダメです。しかしルカは猛禽類……? 大型猫科肉食獣? どっちでもいいか。
ペネロペちゃんは解体したクマの肝臓をほどよい大きさに切り分ける。
すると、軍曹が「お待ちください」と呼び止めていた。
「クマの肝臓は中毒を起こして死にます」
「ご忠告どうも。私は九歳には一人でクマ狩りにでかけて内臓を食べまくったわ、おかげで百七十五センチもあるの」
そう言って、彼女はクマの生の肝臓をじゅるりと飲むように食べ、ペロリと竜の舌で口周りを拭う。
だが軍曹は平然と。
「失礼致しました。大型幻獣種であられる貴女には不要のお節介でしたね」
彼とペネロペちゃんしか生肉はダメです。絶対にダメです。
ペネロペちゃんはとってもラフに「グラッツェ、他の隊員にはそうして」と、肝臓じゅるり。ある程度食べた彼女はルカと鹿の元へ。
「ルカ~そっちの肉も頂戴」
「はい!」
ルカは獅子の尻尾を犬みたいに揺らしていた。
「しっかりと半分残しておりますよ、竜姫様」
「グラッツェ~」
後ろでカルロ、アラン、偶然近くに居たヨハネが大鍋の周りで騒いでいた。
カルロはリュックからガラスの瓶を取り出す。
「俺の秘蔵! 乾燥ニンニク! 残り少ししかないオリーブ!」
ヨハネもしれっと調理人に小瓶を差し出す。ぶんどったハーブ達だ、彼はコルクをポンッ! と念力で開けながら。
「お使いください。こういう時こそより一層贅沢な味わいにしましょう」
そこに更にアランが「これ俺の最後のバター」こっそり隠し持っていたバターを調理人に差し出す。ジビエ特有の臭みが、それらのおかげで消え去るでしょう。
イタリア人とフランス人が! 美味しい料理のためならと惜しみ無く協力している! やったー! 三日後には美味しいシチューがみんなで食べられる! 強奪してくれてありがとうヨハネ! そういうためなら協力すればよかった。
煮込み料理の仕込みや、干し肉の準備に追われていたその時、引き込み線の向こう側を、黒塗りの豪華な特等車が滑るように特等車が過ぎ去る。
ふと顔をあげたルカの視線が、その列車の姿を捉え猛禽類の目が鋭く光る。すると、彼は私の目の前で弾かれるように立ち上がり、服をちぎる勢いで脱ぎ、下着も放り出しながら変身開始。一歩駆け出した彼の下半身は逞しい獅子に変わり、二歩踏み切った彼の上半身は鷲となり、三歩目に地を蹴りあげると、背中から黄金色の翼が飛び出す。
彼はそのまま空へ舞い上がり、列車を追いかけるように羽ばたいていく。
その姿を車内にいたシュミート中佐も窓から眺めていた。中佐殿も異変を感じて立ち上がり、様子を見るため車外の扉へ向かっている。
◇
【ルカ・ロッシ視点】
列車の屋根に降り立つと、すぐさま最後尾のデッキから声がした。
「ルカ!」
獅子の四肢と鷲の爪で屋根の上を駆け抜け、最後尾を見下ろせば、そこに探していた顔があった。
「おっさん」
その男の胸元には誇り高き『大将』の階級章が輝いていた。俺を拾って、俺を勝手に養子にしたおっさんだ。俺は小さな頃からずっとそう呼んでいるが、軍の規則に厳密に従うなら《ロッシ大将》と呼んで敬礼しなければならない相手だ。
最後尾の狭いデッキへ飛び降りると、おっさんは大将としての威厳も何もなく、まるで生き別れた本当の息子と再会したかのように、俺の首へ縋りつくように腕を回してきた。
「よかった……本当によかった! 東部戦線で死ぬんじゃないかと!」
震えるおっさんの声に、俺は呆れたように鼻で笑う。
「なめんなよ。その辺の人間と違って、図太く生き延びる力だけはあるわ」
なんでこの他人の大将が、孤児の泥棒だった俺にここまで過保護で優しいのか。理由は知ってる。アンタの実の息子も幻獣種だった。俺と同じ《グリフォン》で、けれど戦場へ出てすぐに死んだんだ。その息子の葬式をあげた直後、悲しみに暮れていたアンタは故郷のローマの街で偶然、盗みをして捕まっていた俺を見つけちまった。ただ同じ『グリフォン』だっただけで、アンタは俺を身代わりに拾い上げたんだ。
知ってるよ、息子の身代わりとして俺を育てようとしてくれたこと。実際、飯も寝床もあったし、仕官学校にもいかせて将校の地位まで用意してくれた恩がある。
俺が腹立ってドイツ人の能力者を鷲の足でぶん殴って、顔面破壊させた時ですら、おっさんは庇おうとしてくれた。けれど相手はドイツ人。おっさんも俺もイタリア人。イタリア王国側の大将の地位があろうと、“同盟国であるドイツ軍”の軍規を乱し、将校を半殺しにした俺を無罪放免にする力はなかった。
結果、俺は事実上の死刑宣告『東部戦線への最前線送り』を命じられた。
もしあいつがイタリアの将校だったら、きっとおっさんの権力でもみ消せて、今もぬくぬくとチャラチャラと遊べてたんだろうなぁ。
首をポンポンと叩かれるように撫でられてから、おっさんはゆっくりと後ろへ下がる。
「あまり長居すると隊から離れすぎる。待ってろ」
姿さえ見れたらそれでいいと、おっさんは車内へ向かった。部下に命令する声が微かに聞こえる。
「幻獣種用のハーネスとカバンはあるか? 可能な限り食料を積め」
「はッ!」
よっしゃー! 食料確保だ!! メシたかりに来て正解!
しばらく待ってるとイタリア人の将校が俺にハーネスをつけ、サイドバックを取り付けてくれた。カチャカチャとワイヤーや革のベルトをくくりつけられながらおっさんは俺の背中を撫で回す。単純に俺の毛並みは最高にふわふわだからな。
おっさんは俺の耳元で中身について告げる。
「パスタとトマト缶、オリーブの大瓶も入れた。ワインは六本ある隠し持っておけ」
「グラッツェ」
「パルミジャーノ・レッジャーノ」
その単語一つで俺は喉を鳴らしながら、つい、本能的に、すりよってしまった。
「ゴロゴロゴロ……フンッ、ゴロゴロゴロゴロゴロ……」
もはやエンジン音を鳴らしていると「装着完了」の合図が出る。
列車は速い。五分もいれば俺の部隊から離れすぎて、最悪スパイか暗殺かと疑われ間違えて撃たれる場合もある。
俺はおっさんにもう一度すりッと丸い腹に頭を押し付けてから、デッキを蹴りあげ屋根上に飛ぶ。ひょこりと顔を出しておっさんを見下ろした。
「生きてたらまた顔出すわ」
「勝利するまで必ず逃げろ」
「おうよ」
それだけ言い残して、俺は空へと飛び立った。
◇
俺は真っ先に中佐殿とヨハネに食料見せたわ。中佐殿からめっちゃ撫でられまくったし「ブラーフ!(いい子だ!)」をはじめて貰った。俺は犬かよ。
ヨハネが念力で俺のサドルバックやハーネスを外す間、中佐殿から聞かれまくった。
「しかしどうしたんだ、こんな上等な食料」
「俺の父親がイタリア王国の大将」
「変わりに感謝を手厚く伝えておいてくれ。こっそり渡してくれたんだろう? わざわざ文面にするのもな……」
俺は下ろされたサドルバックを嘴で開け、毛布に包まれた中から一本の『イタリア産ワイン』を作業中のヨハネの胸に押し当てた。ヨハネはそれを腕で包むように受け取る。
「エッ、メルシー!」
「パルミジャーノ・レッジャーノも貰った。ホールだけど百二十人分はさすがにねぇから、お前がぶんどった卵と牛乳を寄越せ、最高のカルボナーラ作ってやるよ」
「メルシー、晩餐会を開こう」
中佐殿は部下を呼び、トマト缶を運べと指示を出す。
ジビエ肉のトマトシチュー、カルボナーラ、そしてイタリア産のワイン。それぞれのルートでカツアゲしたり狩りをしてきた食材達が、何もない雪山で開かれる晩餐会のメニューとなった。ああこれは将校だけのメニューな、一般兵士はジビエシチューだけだ、それでもかなり上等な食事だろ。
ああもちろん! 女性将校十一名皆様のために俺が作りましたよカルボナーラを!! 婆ちゃんから妹と一緒に料理を教わったからな、腕には自信しかない!
──やがて、暖炉の火がじんわりと部屋を温める一等食堂車に将校たちが集った。
テーブルの中央には、濃厚なチーズの香りを漂わせる俺が作ったカルボナーラと、湯気を立てるジビエのトマトシチュー。そして四本のイタリア産ワインが、グラスの中で赤いルビーのように揺れている。
全員のグラスが満たされたのを確認すると、部隊の長であるヴェークテルン・シュミート中佐殿が静かに立ち上がった。彼がグラスを掲げると、さざめいていた将校たちの声がスッと止む。
「諸君。今日は無粋な軍の訓示は省こう」
中佐殿は、ご馳走を前に目を輝かせている部下たちをぐるりと見渡した。
「まずは、我々に極上の肉をもたらしてくれたルカ・ロッシ中尉と、ペネロペ・コスタ少佐に感謝を。そして、この素晴らしいパスタとワインを我々に恵んでくださった、ルカの『偉大なる父親』に、最大の敬意と感謝を捧げよう」
そう言って少しだけ口角を上げた中佐は、手元のワイングラスを高く掲げた。
「過酷なる東部戦線を生き延びた、我ら一二一人の命に——乾杯!(プロースト!)」
「乾杯!!」
俺も皆様と同じく「プロースト!」とグラスを鳴らす。久しぶりの上等で暖かい食事に、この場にいた全員が身も心もゆるめ談笑しあった。
ただ、やっぱ俺って軍隊にはどうも馴染めなくってさ。なんでこの場に友達一人も呼べないんだって思うんだわ。
シュミート中佐に聞いたよ『カルロ呼んでいいですか?』即座に『何故下士官と食事をとる必要があるのか、正当性のある根拠を並べろ』事実上の断固拒否されたわ。
あーあ、嫌い嫌い。なんでダチと食うことすら許されねぇんだか。せっかくヨハネがめちゃくちゃおもしれぇこと言ってたのにさ。アイツやっぱ言葉の表現くっそ面白くってさ、俺が作ったカルボナーラに対して。
「……信じられない。あの黒いレンガ(※軍支給の黒パン)と同じ小麦粉が、どうしてこんな一級の芸術品になるんだ? かつて王様に食事を振る舞っていた宮廷料理人すら凌駕する一皿だね。神の気まぐれにも程がある。このパスタのおかげで俺はもう二度と軍の配給食を飲み込めない。どう責任を取ってくれる、ルカ。毎日提供して」
ジビエのトマトシチューに対して。
「これを野営の焚き火とドラム缶で作った? 本気? パリの三ツ星シェフが食べたらプライドをへし折られて、明日の朝にはこめかみに銃弾の穴が二つあるだろうね」
面白すぎるだろ。
しかも、イタリア産高級ワインに対して。
「イタリアの葡萄も最高だな……。祖国フランスのワインに……いや、ごめん、前言撤回させて。極寒の雪山で飲むこの赤ワインは、なによりも極上の甘美でしかない。こんな至宝を気前よく持たせてくれた君の父親には感謝の手紙を書いてしまいたいね。もちろん書いたら君の父親に泥を塗りかねないからしないけども」
ヨハネは久しぶりの酒に酔いまくっててさぁ。晩餐会そのものに対してワインを傾けながらさ。
「見ろよ、この美しくも狂った光景を。ドイツの軍用列車で、フランス人とイタリア人と、しかもポーランド人までもが肩を並べて、極上のジビエとパスタを笑顔で貪るように胃袋に詰め込んでいる光景を。写真を撮って見せつけてやりたいね無能な政治家どもに」
これ全部フランス語です。俺からしたらこんな何回な呪文に聞こえました。
「ルガルデセットセーンマニフィークエフー。 ダンザントランミリテールアルマン、デフランセ、デジタリアン、エメームデポロネソンコートアコート、スリアン、サンピフランドゥジビエディヴァンエドゥパート。 ジェムレビアンプランドルユヌフォトドゥサエラバランセアラフィギュールドゥセポリティシャンアンコンペタン」
「うん。うん。ごめんフランス語俺わかんねぇわドイツ語喋って」
「ノゼストマオンデジャシニェアントレテドゥペ、テュ・セ?(俺たちの胃袋はすでに平和条約を締結してしまったんだよ?)」
「無視かよ」
フランス語特有の『R』の音が聞こえるし、流暢に捲し立てられても、やっぱり何一つ何を言っているのかわからなかった。
けれど、次の言葉は俺に伝えるための“イタリア語”だった。
「これほど痛快な皮肉はないよね? ああ、メルシー。今日だけは神様よりも、食料を狩ってきた君達幻獣たちと、最高の料理人たちに惜しみない賛辞と感謝を」
俺も母国語で返してやった。
「くそっ、貴族め。ちゃんと発音完璧なの腹立つわ~」
「単語も文法も似てるから覚えやすかったね」
「なんかそうらしいな? 俺はフランス語勉強したこと一切ねぇけど、勉強したヤツ必ずそれ言うわ」
「君は少し訛りがあるんだね」
「チッ」
酔ってるとめっっちゃ語るんだわコイツ。普段の物静かで無口で近寄りがたいヨハネ様どこいった? ってぐらい語りまくるんだわ。途中でフランス語混ざって何言ってるかわかんなかったけど、上機嫌でも不機嫌でも語り出すと止まらねぇの笑う。
けどなぁ、アランも何気に俺達がイタリア語で話しててもスッとイタリア後で混ざってくるから、フランス人からしても覚えやすい言葉なのかもな。でも発音も単語もたまに間違ってるけど意味は伝わる。
──俺は上機嫌にソファで寝たヨハネを寝室に運んであげてから。
五本目のワインは、カルロとアランをこっそり呼んで、星空の見える列車の屋根上で小さな宴会を開いた。
その時に話してやったよヨハネ語録を。マジでなんなんアレ? なんで口から詩が出てくるんだよナチュラルで。言ってて恥ずかしくねぇのかな? 恥ずかしくないか、顔がいいからただのスパイスになっちまってるし。
ふと、俺は気になったのでアランに聞いた。
「そういやお前、イタリア語なんとなーくわかってる、よな? 俺ら今イタリア語で話してるのに」
「ペネロペ様イタリアとドイツのハーフだろ? カルロもルカもイタリアだろ? うちの隊、他にもイタリア人結構いるし、東部前戦で一時期仲良かったヤツがドイツ人だけどイタリア語わかってて教わったね。死んだけど」
だから、アランは叩き上げの日常会話レベルなら理解できると。俺かなりスラング混ざりまくってるけどわかるのは、そのドイツ人が単語やら教わったから感覚で意味が伝わったんだな。あとは耳で覚えたってヤツかも。
俺は更に深掘りして聞いた。
「じゃあなんでネイティブばりにドイツ語わかるん?」
「俺の故郷、アルザス=ロレーヌ地方」
「り」
理解した。カルロは首かしげてるので、頭に地理情報ねぇらしいな。
「あれだよ、何度もフランス領になったりドイツ領なってる国境」
「ああ言ってた気がする」
カルロは勉強もあんまりしていなかったらしいからなぁ。幼い頃体が弱かったとか話してたし、学校すらあんまり行けなかったんじゃね?
でも、カルロは能力者だから国による強制徴兵。階級も低いし、頭もそんなによくはないしで、いきなり東部前戦送りかな。便利な着火材、暖房器具の一人して。実際こいつ体温が高くて常にポカポカ。マイナス三十度の世界でも指先まで暖かい炎の能力者だ。
マジでよく東部前戦で生き延びたなぁ。一番死にやすいじゃん、お前。
カルロは思い出したかのように、真っ赤な目を俺へ向ける。
「そういえば中佐殿から聞いたよ~、ルカの履歴」
「うわ」
「お前、士官学校で『野良猫』って呼ばれてたぐらい色々やりまくってるね!」
「別にいいだろ嫌々入ったんだから!」
アランが俺をじっとりと見る。
「それでもドイツ人将校の顔ぶん殴るのアウトだろ、あの鷲の足で」
挙手!
「弁明!」
「どうぞ」
「そのドイツ人将校はな、俺が父親の権力で入れたボンボンだの! まぁそこはどうでもいいんだけどよぉ、勝手に履歴調べて大将の父親が義理の親だってことを公開しやがり! 何て言ってたかは忘れたけど、とにかく義父に侮辱しまくりやがった!!」
アランが最後のワインを飲み干してから俺を見る。
「アウトロー極めてるよねぇ。普通、将校が下士官と列車の屋根上で酒盛りなんて、それだけで『規律違反』として処罰下るぜ?」
アランは指を折り数えながら、俺のやらかしを並べていく。
「階級制度の完全な無視に? 同盟国将校への暴力沙汰しかも外交問題スレスレの大事件に? 愛国心と大義の欠如に?」
カルロが補足をいれる。
「成績は卒業ギリギリでタバコを売り捌いてたことがバレたらしいよ」
「お前よくここまで生きてきたね?」
「死刑! ほんっとに死刑だからねそれやめてね、これ以上!」
俺も最後の一口を飲み込んでから、フッとワインの香りがする白い息を吐き出す。
「気が向いたらな」
カルロとアランが仕方なさそうな声で俺に空のグラスを返す。
「ねぇー!」
「やべぇ猫ちゃんだこと」
翌日、ようやく動き出した列車で、俺は朝食のために食堂車へ向かった。偶然廊下の先に銀色の髪が見えて、俺は小走りで近寄る。
「本日もかわいらしいですねザウェク中尉、猫みたいな目に親近感湧きます俺」
「ありがとうございます」
相手が見た目十二歳だろうと、年齢的には既に成人した女性だ。昨日だってワインを飲んで美味しいって頬緩めてたからな。顔も一切赤くならず「ウォッカ……」って呟いてたし。度数高くね? アレ。
「本日ようやく乗り換えだそうです。二月の上旬にはベルリン通過、予定では三日いないには」
「五日はかかりそう」
「シュミート中佐も一週間かかる前提で計算しています」
なんでこんな時間がかかるのか?
──ポーランド国境付近では、何万人もの兵士が乗り換え待ちをしていた。もはや駅周辺が巨大な野営地。難民キャンプと化していた。
だが、ここではじめて他の部隊と生の情報を仕入れることができる。
◇◇◇
【シェルピェン・ザウェク視点】
ポーランド国境付近のターミナル駅。かつては単なる通過点にすぎなかったその場所は、今や見渡す限りの雪原を黒く埋め尽くす『巨大な難民キャンプ』と化しています。
原因はソ連側とヨーロッパ側で、敷かれている鉄道の『線路の幅』が違うんです。どれほど急いでいようが、ここで必ず別の列車に乗り換えるか、何時間もかけて車輪を交換しなければなりません。
どんよりと曇った空へ、何十本もの機関車が吐き出す黒煙が柱のように立ち上っている。
本来の駅舎なんて、とうの昔にキャパシティを超え、線路の周囲には粗末なテントや焚き火が無数に並び、巨大なスラム街となっていた。
東部戦線という地獄から命からがら逃げ帰ってきた泥だらけの帰還兵。包帯から血を滲ませてうめき声を上げる負傷兵。そして、これからあの地獄へ向かう真新しい軍服を着た青ざめた補充兵たち。
そこに何トンもの銃弾や食糧、物資の山が雑然と積み上げられ、国籍も階級も違う何万人もの男たちが、ひたすら自分の乗る列車の順番を待って雪の中で震えている。
ここは戦場ではありません。しかし、間違いなく戦争の重圧が最も色濃く吹き溜まる場所。
私はシュミート中佐に呼ばれ、その他数人の下士官と共に売店へ向かいました。水や食料はもちろん情報を集めるためです。軍の公式発表は検閲されまくりでもはや嘘の情報なので、現地にいた将校から話を聞いた方が早いんです。
私がシュミート中佐に呼ばれたのは『ポーランド語がわかるから』です。捕虜となり国を失ったポーランド人だからこそ集められる情報があるからでしょう。
ヒトだらけのターミナルに降りて、ヒトだらけの駅前の野営地へ向かうと。
「行ってこい。二時間後に列車にもどれ、戻らなかった場合はポーランド人による反逆として処理し探させる」
「了解」
私は敬礼をして、同じくポーランド人の下士官一名と共にドイツの軍靴を鳴らす。
◇
下士官の彼は上等兵。能力階級『Ⅳ(四)』の水の能力者で、ポーランド人捕虜の一人。彼がいるからこそ水には困りませんが、能力の限界は一日にドラム缶五つほどの水の生成。飲める水を作れる彼はこの部隊でもかなり有用すぎて、私だって感謝しかありません。
私はコートの上に能力階級『Ⅴ(五)』のバッチを付け替え、ボタンをとめなおす。これはペネロペちゃんが話していたことですが、私の階級は本来『Ⅶ(七)』に相当すると怒っていましたね。隣の上等兵も彼がドイツ人であれば間違いなく『Ⅵ(六)』はあったと思います。
この辺りのテントは穴が開いていて、床に寝転がる兵士達も見るからに下士官ばかり。私のような十二歳の見た目をした少女が将校用のコートを着ているだけで目線が向きます。私は辺りを見渡し、ドイツ人らしき姿がないことを確認してから、ちらと聞こえたポーランド語の「ドイツ人が」の音へ振り向き、その集団を見る。
ビクッ、と方を震わせた彼らへ、少し声を出して挨拶。
「ジェン・ドブリィ(こんにちは)」
誰かが「え?」と声をだし、仲間と顔を合わせていた。たった一言で彼らの警戒心は一気に消え去る。ドイツ人の将校がわざわざポーランド語の挨拶をするわけがありませんから。
私は近寄り、改めてポーランド語で声をかける。
「こんな格好をしていますから、わかりませんよね。私はポーランド人です、ちょっとだけ能力が使えるだけのね」
「こっちおいで」
彼らは私を守るように路地の出入り口で壁となるが、逃げ道は確保してくれました。
「申し訳ありません、勘違いして」
「てっきりドイツ人かと」
私は銀色の髪に金色の目、顔立ちだって幼すぎてどの人種か一目ではわかりません。希に初対面の将校からは同じドイツ人だと勘違いされることもあるほど、私は特異すぎる容姿のようです。
ある男が言った。
「後ろの彼はすぐわかったんだけどな」
私は後ろの上等兵を見る。スラヴ人らしい薄い茶髪に青い目をした顔立ちは、やはりわかりやすい。
ある男が壁に寄りかかりながら腕を組む。
「欲しいのは情報か? といってもそれぐらいしか渡せるものはないんだが」
「ドイツの将校からの差し金じゃねぇだろうな」
「やめろよお前。いがみ合ったら俺達がつきだされておわりだ」
この中で最も高齢な、四十代以上の男性は私の目の前で膝を床につけた。私もしゃがんで目線を合わせ、より小さな声でも聞こえるようにする。
「後ろの彼も来い」
私は上等兵を見上げ、おいでと無言で手招きする。彼が私の横に「失礼します」と並ぶと、男は話してくれた。
「これらはポーランド人の治癒の能力者、しかも医者からの話だ、間違いない。第◯◯師団は全滅したらしい。ソ連軍の銃弾より、冬用の軍服が届かなかったせいで大勢が凍死した」
他にも語ってくださいました。ワルシャワの地下組織について、路線の列車を爆発させたのは俺の友人だ、とか。
極めつけはこれ。
「ポーランドの民間人が、巨大な収容所に次から次へと送り込まれてる。俺達はもうすぐそこに送られるんじゃないかと思ってんだ」
これは……シュミート中佐では絶対に手に入らない情報かもしれませんね。
「お嬢さん、君は能力者だから平気だろうが、もし、もしも反逆を行う時には」
彼は靴を脱ぎ、靴底の裏に隠したドッグタグのような板を私に差し出してくれる。
「これを持ってワルシャワに行けば、すぐに武器をくれる。なんのために情報を使うかは知らねぇが、これが最後かもしれない。持っていけ。くせぇけど」
「否定はしませんが」
私はその手を両手で包み、ぐっと握りしめた。
「この《命》お預かり致します」
ハッ、と上等兵の彼が後ろへ振り向く。
「中尉殿、後ろから気配がします。三人です」
「わかりました」
私は立ち上がり、最後に彼等へ敬礼。
「ジェンクイエ(ありがとうございます)、失礼します」
後ろの彼も続いて感謝を告げると、彼らは敬礼で返してくれた。私たちは路地裏から飛び出すように駆け足で去る。
感覚の鋭い彼の指摘通り、ふと振り向くと、あの路地裏からドイツの警察が三名現れた。
◇
【ヴェークテルン・シュミート視点】
鉄道司令所の待合室は、高級将校たちの苛立ちと紫煙のひどい臭いで満ちていた。
壁際では何日も足止めを食らっている大尉や少佐たちが、理不尽なダイヤの遅れに対して怒鳴り声を上げ、受付けの兵士が必死に書類をめくって弁明している。軍靴の足音と怒号、そして絶え間なく鳴り響く黒電話のベル。このターミナル駅で最も騒がしく、そして最も『生きた情報』が飛び交う場所が、ここだ。
俺は司令部からスケジュールの紙を受け取ってから散策開始。そこにある男がいた。廊下の隅で壁に寄りかかりながら、苛立たしげにシガレットケースを弄っている見知らぬ少佐へと歩み寄った。マッチを切らしているのか、少佐は何度も空のポケットを探っている。
「火、点けましょうか?」
不意に声をかけられた少佐が顔を上げる。 俺は人差し指をスッと差し出すと、その指先から『ビリッ』と小さな黄色い稲妻を走らせた。静電気よりも少し強い程度の正確にコントロールされた雷の能力だろ? 能力者のバッチをつけた少佐は目を丸くしたが、すぐに軍人らしい無表情を取り繕い、咥えた煙草の先端をその指先に近づけた。ジリッ、と葉が焦げ、紫煙がふわりと立ち昇る。
「……感謝します、中佐殿。第◯◯師団の────だ。全く、上層部の手際が悪くて困りますね。いったい我々を何日この吹き溜まりに押し込めておくつもりやら」
「第◯◯遊撃小隊のシュミートだ。同感ですよ。大本営の連中は地図の上で駒を動かすことしか頭にない」
俺も愛想のない微笑みを浮かべて同調しておいた。
周囲の喧騒と怒号が、俺達の会話を覆い隠す完璧な防音壁となっている。
彼は紫煙を吐き出しながら周囲を一瞥し、声のトーンを一段階落とした。
「……地図上の駒なら、まだマシかもしれませんな。南部の戦線から引き上げてきた知り合いの大佐が言っておりましたよ。『我々はもう駒ですらない。ただのモルモットだ』と」
「モルモット?」
眉をひそめ、さらに身を乗り出して話を聞く。
「ええ。最近、能力が異常に強く出た兵士や、未知の力に目覚めた者が、次々と後方の『特別施設』へ移送されているらしいのです。表向きは療養と再編成ですが、送られた者の誰一人として戻ってきていない。……人工的に能力を強制進化させる実験が行われている、という冗談のような噂すらあります」
俺は心当たりがありすぎた。いや、俺自身がそれを経験した。雷の能力者である俺が、第二の能力『治癒』の力と『天使のような真っ白な翼』まで得た。
彼は思い返すように煙を吐き出す。
「実際、私の隊に一人、幼い姿のまま歳を取らない奇病の能力者がおりまして」
俺は頭にシェルピェン・ザウェクが浮かんでしまった。
「彼は私の目の前で真っ白な翼を四枚生やして、熱くない青い炎で味方の腕を治してくれた」
エ。俺と全く同じ現象では?
隠す必要はないと感じ、俺もこの身に起こった現象について伝える。
「私も雷の能力者でありながら、真っ白な翼を手に入れ……。手に入れたのか? ある日突然、治癒の力に目覚めました。しかし現に連行はされておりません」
アレは果たして『手に入れた力』なのか? これは個人的な感覚の話でしかないが、やはり目覚めた、感覚があった。元からあった力に気づいたような、ずっとそこにあったのに気づいていなかったような、そんな感覚だ。うまく言葉にできないな、こればかりは。
少佐は合点がいったのか予測を教えてくれる。
「……治癒能力者でしたか。ごくごく一部の限られた貴重な能力です、実験台に使って消耗するよりは戦場で兵士を癒した方がいい、と上は考えたのでしょうね。少なくとも私の隊で異変が見れたのは彼だけですが、そういえば『血液検査』を求められました」
「その彼は今も貴官の隊に?」
「はい、おります。そちらは血液検査を行いましたか?」
「いえ、まだ」
「なにかあるのかもしれませんね。これは私のただの勘ですが」
少佐は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付け、軍靴を鳴らして敬礼した。俺も無言で敬礼を返す。
「ご武運を、中佐殿。あなたの隊の『治癒能力者』によろしく」
「貴官も」
少佐が騒がしい雑踏の中へと消えていくのを見送る。
血液検査。もしそれが『特別施設』への選別なのだとしたら……まぁ、まだ実態の掴めない噂でしかないからな。
俺は更に他の将校達から話を聞き出すため移動。将校クラブの元レストランへヨハネ、ペネロペ、二名と合流して共に向かう。
かつてこのターミナル駅が栄華を誇っていた時代、そこは上流階級の旅行者だけが足を踏み入れることを許された豪奢なレストランだったのだろう。『将校クラブ』として接収されたその空間は、重厚な扉の向こうに広がっていた。
中へ足を踏み入れると、外の凍てつく地獄が嘘のような熱気と、安い酒、そして葉巻のひどい臭いが鼻をついた。天井からは立派なクリスタルのシャンデリアがぶら下がっているが、電球の半分は切れ、薄暗い光しか落としていない。かつては純白だったであろうテーブルクロスにはワインの染みやタバコの焦げ跡が無数に刻まれ、革の椅子には、雪と泥にまみれた軍コートを着込んだ将校たちが疲れ切った顔で深く沈み込んでいる。
外の野営地に比べれば、ここは間違いなく特権階級の場所だ。だが、グラスを満たしているのは上等なワインではなく配給の粗悪な蒸留酒。彼らの目に浮かんでいるのはエリートとしての矜持ではなく、最前線から持ち帰った底知れぬ疲労と、明日への不安だけだった。
彼らはひそひそと、時に自嘲的な笑いを交えながら、軍上層部の無能さや、どの師団がどう全滅したかという『真実の戦況』を肴に酒を煽っている。
隣を歩くヨハネが、冷ややかな青い目で室内を見渡しながらぼそりと呟いた。
「随分とひどい有様……」
彼の浮世離れした美しい顔立ちは、この薄暗く淀んだ空間にはひどく不釣り合いだな。これならあの列車の食堂の方が似合っている。え? 待って。というか腕に本が三冊あるのですがいつの間に買ってきたんですか? なんの本? どこで買ってきた???
その後ろからは、長身のペネロペが黒と白のオッドアイを細め、退屈そうに軍靴を鳴らしてついてきていた。下手すれば男より体の大きな彼女は竜の尻尾を揺らしながら雪をはたく。
俺たち三人がこのレストランのフロアに足を踏み入れた瞬間。ざわめいていた将校たちの視線が、ちら、ちら、と一瞬だけ向けられた気がした。純血たる容姿を持つ俺と、芸術品のように美しいヨハネ、そして周囲を威圧するようなオーラを放つペネロペ。過酷な撤退戦を経験してきたはずの将校たちの中で、悲壮感など微塵も感じさせない俺たちの姿は、この場において強烈な異物だったのだろう。
「誰から話を聞き出そうか」
俺も外套についた雪を軽く払い落とすと、情報を集めるために静かに歩みを進めた。
さっそくペネロペ・コスタという名の自由すぎる半分ラテン人がバーエリアを指差す。
「中佐殿、お酒を飲みに行っても?」
「ご自由にどうぞ。貴官は単騎で突撃する方が勝率がいい」
「あらお詳しいのね」
彼女はニヤニヤと笑いながら、尻尾の先をゆらゆらと揺らしながら酒場へ直行。安くても酒は酒だと飲みに向かった。さっそくカウンター席で隣の将校相手に「ハァイ」と気楽に挨拶して「そちらは何人死にました?」直球が過ぎるだろお前。
なんなんだほんっとこのトカゲ女は。軍規で飼える気がしない、鎖で繋いでもあっさり引きちぎられ、檻に閉じ込めたら機嫌を損ねて毒のブレスを吐かれてもおかしくない。しかも、彼女の場合は『くしゃみしたらついうっかり毒吐いて百二十人殺しました』となっても『東部前戦で十五万の天使相手に一人で突っ込み、計算したところ私一人で三万は軽く蹴散らしたらしいです』確定で無罪放免。触らぬ竜に祟りなし。
俺は去りながら背後での言葉をチラッと耳にした。
「貴官も竜ですか? 私の隊に《ケツァルコアトル》に変身したばかりの方がおられます」
「ケツァルコアトル?! 白い蛇ね?」
「ええ」
俺は三歩進んで振り向く。ペネロペに話しかけた将校は、穏やかな口調で聞いていた。
「ずっと聞きたかったことがありまして……なぜ竜は、ついうっかりであらゆるモノを破壊するのでしょう」
「この世界のあらゆるモノが竜専用規格ではありませんので」
「そうですか……」
男は全てを諦めた疲労感溢れる相槌を返していた。
大変だな、あの男も。ああわかるよ気持ちは。ペネロペ・コスタも戦場で破壊しまくったよ敵味方関係なくあらゆるものをな。
──これは後程ペネロペがペラペラ語ってたことだが、その《ケツァルコアトル》も『変身解除できません! 尻尾でテントが壊れました!』とか『人間に戻れました! けれど尻尾で扉破壊しました!』とか『一キロの肉が欲しいです!』ペネロペとは違って素直で明るく、能力に振り回されている竜の話を聞かされた。ああ、ペネロペは自己肯定感の高すぎる女なので、扉を壊しても『私がやったんじゃない。この扉が弱いの』くそみてぇなセリフを吐く。
一方、ヨハネは真っ先に静かなブロック席へ向かい、一人で新聞を広げていた若い女性将校に話しかけていた。遠目から見ているので会話は不明だが、ヨハネは女性将校から隣に座ることを許されていた。新聞を前に会話をし、何を言ったのやら、女性将校をくすりと笑わせていた。さすがです。隣の女は要らないのでヨハネのその姿だけ写真に残させてください。
後ろから見知った気配がして、先に振り向いた。
「ヴェークテルン・シュミート?」
ああやっぱり! この気配には覚えがありすぎたんだ!
俺は仕官学校のかつての同室の男を呼んだ。
「───か?!」
「久しぶりだな!」
お互い同時に腕を広げ、讃え合うようにハグをしあった。彼は能力階級『Ⅷ(八)』の《ブラックドック》幽霊のように透過し炎を扱える実質犬。しかし変身すると触れられないので、あの姿を撫でられたことは一度も無い、そもそもできない、とてもとても残念だといつも思っていたよ。
だから代わりに、ドイツ人にしては黒すぎる黒髪を撫で回した。俺並みに体がでかいがやはり犬、撫でられるとお尻から黒い尻尾が揺れる。最高!
俺はそんな彼から手を離し、乱れた黒髪から生えた犬の耳を見た。
「どうだったそっちは、南部のアフリカは」
彼は自分の頭を撫でるように髪を整え、犬の耳も消し去りながら赤い目を俺へ向ける。その容姿のせいでドイツ人じゃないだろと散々に言われていたが、能力由来の突然変異だろ、どう考えたって。顔つきが明らかにゲルマン系なのに。
「結論を先に言う。あれは地獄だ」
「よし、向こうで話そう」
安酒を飲みながらお互いの最悪な戦況を伝えあった。こんなの新聞には書かれていない本物の情報だ。
「十一月だったかな。トブルクの要塞を包囲していた時、イギリスの野砲が俺達の陣地に降り注いだ。視界にある砂という砂が全部、爆発と破片でひっくり返された。ああ、俺だけは幽霊みたいに透き通るからな……後ろにいた部下たちだけが泣き叫んで、助けてくれと死んだよ」
彼はここではない、砂漠の土地を赤い目で見ていた。
「銃が効かないと喜んでいただろ俺は。お前の雷には何故かやられたが。この力こそ無敵の能力の一つだと思っていたが……違ったよ。自分以外の全員が死ぬのを最後まで見届ける力だった」
彼は安酒のグラスを、長い指でいじりながら言葉を続ける。自嘲するように鼻で笑いながら。
「けどな、イギリス人は俺を見て『死をもたらす犬だ』と恐れていた。ブラックドックが、と銃口を向けられても俺には意味はない。ちょっとした恐怖を与えて、敵の司令部の情報を根こそぎかっさらうことしかできなかったよ」
「大金星だぞ? 安心しろ、お前は有能だ間違いない」
背中を叩いてあげても意味はない。彼がわざわざ敵の司令部に行って情報をかっさらってきたのは、軍に後見するため、間違いなくそれだけではない。部下を見殺しにして自分だけ生き残ったのだから、せめて生き残った意味を持ち帰らなければ、心が耐えきれなかったのだろう。半分は自暴自棄の贖罪かな。
彼の胸には『少佐』の階級章があった。おそらく、そこでの戦果を認められてその地位を与えられたのだろう。だが彼はその事について何一つ話さない。その階級の裏に転がる死体の数が多すぎたんだ。
一人で生き残った犬と、百二十人は生き残らせた天使。そんな俺が彼にかける言葉なんて何一つ無い。伝えられるのは情報だけだ。
「こっちはな、十二月頭に十五万の天使の軍勢、ヘビモス五体、フェンリルとガーゴイルも観測」
「よく生き残ったな?!」
「俺の部隊は千人居たが、一晩で俺含め百二十一人しか残らなかった。こちらの総死者は推定四万」
「ひっ」
「ファフニール中将殿が居なければ全滅だっただろう。砲撃もあったおかげでこの程度で済んだ」
彼はやはりそうか、とグラスで目線を落とす。
「どこかの隊がヘビモスを一体倒した、なんて話を聞いていたが……やっぱりお前だったか」
「俺一人の戦果とは、呼べないなあれは」
堂々と胸を張って俺の功績だ、とは、絶対に言えなかった。他の将校ならもしかしたら友人にそう伝えたのかもしれないが、俺は二度とそんな言葉を使える気がしない。
状況は把握した。極寒の地でも、砂漠の地でも、俺達ドイツは負け続けていることを把握した。誰に聞いても今まで一人として『勝利した』の話が出てこない。だが誰もそんなこと口にはできなかった。それを認めれば、二度と戦場には立てないからだろう。
彼から聞かれた。
「これからどこへ?」
「すまない、控えさせてくれ」
「ああ、悪い」
ごめん。ドーヴァー海峡のドイツ戦艦護衛は極秘任務だ、こんな開けた場所で話していい内容ではない。
代わりに彼が教えてくれた。
「俺はこれから東部前戦へ行く。弾丸なんてすり抜けられるからな、俺には相応しい戦場だろ?」
「行くのか。そうか」
「千人の部下を連れて」
「そうか……」
命令には逆らえない。逆らうだなんてどうかしている。だが、心のどこかで『お前はこれ以上苦しむ必要あるのか』と疑問に思ってしまった俺が居た。しかしそれが上からの命令だ、軍人として、ドイツ人として、祖国のために動く、そのために俺もお前も神から能力を授かり産まれ、国からは地位と権力を与えられている。
俺はグラスを傾けた。
「健闘を祈る」
「そちらも」
お互い、残り少ない安酒のグラスを鳴らし合う。
──約一年後、彼は一人生き残り、東部前戦で出会った愛する女性を失ったことで精神が壊れ、病棟の一室に犬の姿のまま閉じ籠っていた。
◇
情報は集まった。
ペネロペは置いておいて、ヨハネは東部前戦の最北部の一月頭までの情報を仕入れてきてくれた。さすがです。
列車に戻るとシェルピェン・ザウェクがプラットホームで待機していた。彼女は敬礼してから軽く報告を返してくれる。
「食料確保しに向かった三小隊、無事に帰還。情報も集めました、中でお伝えします」
「ご苦労」
車内にはいると後ろからペネロペの声がした。
「ねぇ聞いてシェル、そこのフランス人ね、野営地で一人でふらついて本を枕にしてた兵士からチョコを対価に一冊手に居れて、検閲されてない本を売りさばく闇商人の情報手にいれて更に二冊手にいれてた」
なにをしていらっしゃるヨハネさん??
俺立ち止まりシェルピェンの質問を聞いた。
「なんの本ですか?」
「シャーロック・ホームズ、そして誰も居なくなった、ハムレット」
「ハムレットだけ聞いたことあります」
「シェイクスピアの古い物語だからね」
シェルピェンは『ハムレット』の本をぺらりと開き「わっ英語だ」と呟いていた。
実は一番マイペースなのはヨハネ・ド・ブジョワかもしれない。自由時間を与えた途端これなんだ、休暇を与えたら何をするのかとっても気になるめちゃくちゃ気になる趣味はなんですかやっぱり読書ですか。読書だろうなぁ語彙が豊富だからな。
先に食堂車に戻り、他の部下たちからの報告を聞いた。食料について、収容所について、野営地での最近起こった事件についてまで、俺一人では集められない情報が各国の兵士から届く。
すると、部屋にカルロ・モレッティが来た。
「シュミート中佐殿」
ドンッ、と彼は『黄金のビン』を俺の机上に乗せる。それは、それは!!
「ハチミツでございます」
「どうした?!」
なんで?! なんで?! なんでこんな素晴らしい甘味がこんな野営地に?!
「秘密でございます」
「何があった? 吐け。次俺に質問させてみろ拳銃を取り出すことになる」
「ルカの秘蔵ワインをかけて賭けに勝利しました」
「愚かな賭け事で勝利した戦利品か」
カルロはその場で立ったまま、背中で腕を組み俺に赤い目を向ける。
「お願いがあります」
「言ってみろ」
「俺とアランを、シュミート中佐殿の護衛として側に置いてはくれませんか」
なるほど。ドーヴァー海峡での戦いで、二人を護衛の兵士として置けば俺の治癒能力で生存率が上がる、と。
「いいだろう。ハチミツを対価に命が惜しいと」
「とっても命が惜しいです。可能ならルカ・ロッシ中尉も、と言いたいところですが」
「断る」
「ですよね」
見るからにしょぼん、と顔が落ち込んでいた。だいぶドイツ語に慣れてきたのか敬語もしっかりしはじめている、まだ節々におぼつかない発音があるが。
「生存率をあげたいのならルカ・ロッシを前へ出した方がいい。おそらく次は海上での戦闘になる」
「え! 海行くんですか!」
「極寒の海だがな」
「漁師がいるとこですか?」
「お前俺達がどこへ行こうとしてるか把握してないな?」
カルロは太陽のような笑顔で。
「忘れました!」
このバカどうしたらいい? まぁ情報を漏らされるよりは忘れてもらった方がいいか。
「そのまま目的地つくまでお楽しみにしとけ」
「了解!」
カルロはピシッと敬礼。最初の頃よりだいぶマシな敬礼だったな。




