【第二章 第十四話 黒軍服】
数日後。
『国家直属・特別研究および警護部隊』への特例昇格に伴い、俺の部隊の百二十人全員に、最高級の生地で仕立てられた『漆黒の特務機関軍服』が支給された。
兵舎の広間では真新しい漆黒の制服に袖を通した部下たちが、まるでおもちゃを与えられた子供のようにきゃいきゃいと騒いでいる。
カルロは服を着るとボタンも閉めずにくるくる回っていた。
「え〜ッ! 見てよこれ、俺なんかすッごい偉い将校みたいじゃない!?」
イタリア人のルカも黒い軍帽を被りながら「お~ッ!」と嬉しそうにはしゃいでいた。これでもう彼を『ぼろ布』とは呼べなくなってしまったほど立派な身なりだが……安心しろ。俺はお前のことをいつまでも心の中でも言葉でも『ぼろ布』と呼び続けてやるからな。
竜のペネロペは、俺の顔を見ながら尋ねてきたが。
「う、うーん……胸がキツい……ちょっと着崩していい?」
すでに自らの手で胸元のボタンをパツンッと二つほど外し、豊かな胸の谷間が露わになっていた。
「じゃあ最初から俺に許可を聞くな」
呆れながら俺が後ろへ振り向いた瞬間。
視界の中央に、とんでもないものが飛び込んできた。
そこには、漆黒の軍服を誰よりも完璧に着こなしたヨハネが立っていた。
うっっっお美ッッ!!!
完璧すぎる美形がこの世に誕生なされていた。おお、神よ。この世界にあんなにも完璧な美をお恵みくださり、誠にありがとうございます。美しすぎる。ああ、美しすぎる。国威発揚のプロパガンダポスターに今すぐ採用するべきだ。誰か早く写真を撮って後世の歴史の教科書に残したまえ。
俺が心の中で一人でスタンディングオベーションをしていると、視界の端っこに、ぶかぶかの袖口を見て眉間にシワを寄せているシェルピェンの姿があった。
小柄な彼女は袖から手を伸ばしても手のひらが出てこず、ちょこんと爪先しか見えていない。
そのようすにペネロペが愛しいモノを愛でる目で近づく。
「少し大きかったみたいね。あとで軍の仕立て屋に頼んで、サイズを整えてもらいましょ?」
「……ペネロペちゃん。一応言っておきますが、これが規定の最小サイズです」
「あー……。い、いや! でも仕立て屋はプロだから! どうにかしてくれるって!」
「どうにかいけることを祈ります……」
そんなやり取りを横目に、俺はふと、部屋の隅で硬直しているアランの姿に気がついた。
彼は無能力者でありながら、今日まで激戦を生き延びてきた歴戦の戦士である。しかし、その顔は激戦の最中よりも強張っていた。
「大佐殿。本当に俺みたいな無能力の一般兵が、こんな大層な特務軍服を着てしまってもいいんでしょうか……?」
申し訳なさそうに尋ねるアランの肩を、俺は力強く叩いた。
「お前がここまで生き残り、俺の部隊に貢献してきた戦士として相応しいから与えられているんだ。何も恥じることはない、胸を張って着こなせ」
「はいッ! 大佐殿!」
アランの顔がパッと明るくなる。
すると、横からイタリア人のカルロが勢いよく飛び込んできて、アランの肩をがっしりと組んで笑いかけた。
「大丈夫だってアラン! 俺なんて今までずっと後方でパスタ茹でたりお湯作ったりしてただけなんだから!」
「お前はもはや戦場で美味いコーヒーを淹れるためだけの能力者だよな」
「冷めた缶詰を最高に美味しく温めるのだけは俺に任せて!」
笑い合うアランとカルロ。彼らの姿を見つめながら、俺は改めて深く決意した。
この部隊だけは、どうにかこのまま安全な都市で過ごさせ、戦争が終わり、ドイツが勝利するそのときまで生き延びさせる、と。
◇◇◇
【とある兵士 視点】
食堂の空気が凍りついたように重くなった。
誰もが手に持っていたカトラリーを止め、入り口に現れた『黒い影の群れ』を盗み見ている。国家直属の特務機関。最近、悪魔の血液実験を任されたと噂されるシュミート大佐の部隊だ。
先頭を歩く大佐は、金髪金眼の完璧なアーリア人であり、我々ドイツ軍の誇る無敗の英雄だ。その漆黒の特務軍服の着こなしは圧倒的な威圧感を放っていた。
だが……許せないのはその後ろを歩く者たちだ。
ヘラヘラと笑いながら歩くイタリア人。
ぶかぶかの軍服を着たポーランド人の小娘。
その他バッチの無い無能力者の多国籍劣等民族達。
なぜだ。なぜ純血の我々が最前線で泥と血を啜っているのに、あんな劣等民族のゴミどもが我々よりも上の階級で、あんな最高級の軍服を与えられているんだ。
怒りと嫉妬で奥歯が軋むほどの音が鳴った。
しかし、その怒りは次の瞬間、氷水を浴びせられたように消え失せた。
ふと歩いてきた『フランス人』と目が合った。
えっなんだあの男。俳優か?
人間とは思えないほど異常に美しい男が居た。男は一瞬だけこちらを流し見ると、深海のように冷たい青い瞳を細める。
心臓が、跳ねた。
ただ目が合っただけだ。それなのに、首元に冷たい刃物を押し当てられたような錯覚に陥り、呼吸の仕方すら忘れてしまった。
隣を歩く美しい女将校も同じだった。彼女がふと口元を歪めて笑った瞬間、まるで巨大な爬虫類に睨まれたような、生物としての本能的な恐怖が全身の毛穴から噴き出した。
あぁ、違う。あれは人間じゃない。人間を被った『なにか』だ。
嫉妬など抱いた自分が愚かだった。シュミート大佐は英雄などではない。あの男は、あんなバケモノどもを侍らせて地獄の釜の底で嗤っている狂人だ。関わってはいけない。絶対に、目を合わせてはいけない。
俺は震える手でスプーンを握り直し、ただひたすらに、冷えたスープだけを見つめ続けた。
◇
【とある上位能力者の将校 視点】
将校クラブの窓から中庭を見下ろし、私は忌々しさに葉巻を強く噛み潰した。
石畳の上を漆黒の特務軍服に身を包んだ一団が歩いている。シュミート大佐と、彼が飼っている化け物の群れだ。
「……反吐が出る」
私と同じ純血のゲルマンの血を引く金髪金眼のシュミート大佐。本来であれば、共にこの国の頂点に立ち、栄光を分かち合うべきエリートだ。だが、今のあの男はなんだ。
彼の背後を歩く者たちを見るだけで、腸が煮えくり返る思いだった。フランス人の捕虜。イタリア人の雑兵。そして、ポーランド人の小娘。いずれも我々アーリア人が支配し、泥水を啜らせるべき劣等民族のゴミどもではないか。それなのに、なぜ奴らが我々と同じく本部を闊歩しているのか。
私の胸には能力階級『Ⅷ(八)』を示すバッチが輝いている。数多の戦場で血を流し、純血の誇りとして神から与えられた力。我々純血の能力者こそが、この国の絶対的な矛であり希望のはずだ。
それなのに軍上層部はあの劣等民族の寄せ集めに『悪魔の血液研究』という国の未来を委ねた。
たった百二十一人でベヒモスを倒しただと? アイギスを退けただと? くだらない。どうせ悪魔の血や呪いの類を使った汚らわしい手品に違いない。
隣に立つ同僚の少佐が、侮蔑を込めて吐き捨てた。
「シュミート大佐は狂ったな。もはや彼は誇り高きドイツの軍人ではない。ただのバケモノの飼育係だ」
私も無言で頷く。そうだ、狂っている。あの男も、あの男に全権を与えた上層部も。
だが私にはわかっていた。同僚の大佐が、そして私自身が、無意識のうちに窓から一歩後ずさっている理由を。
窓越しで数十メートルも離れているのに、彼らが発する異次元の威圧感に、純血のエリートであるはずの私の本能が『絶対に勝てない』と震えていた。
私はその屈辱的な恐怖を必死に怒りで塗り潰し、冷えた葉巻の煙を壁に叩きつける。
◇
【かつてヴェークテルンの同僚だった将校 視点】
ヴェークテルン・シュミート大佐。
かつての彼は、我々ドイツ軍が誇る『完全無欠の軍人』だった。
金髪金眼の完璧な容姿、極めて理性的で冷徹な判断力。何より、常に祖国の勝利だけを見据えるその忠誠心は、軍人としての一つの理想形であったと言っていい。私自身、彼の明晰な頭脳と指揮能力を高く評価し、彼がいずれ将官としてこの国を背負って立つことを疑っていなかった。
だが、今の彼はなんだ?
彼は今や、国家最高機密である『特務機関』のトップとして、薄暗い地下の実験施設に引きこもっている。
彼のもとへ提出される報告書は常軌を逸した内容ばかりだ
『被験体に翼が生えた』
『黒竜の毒がどうの』
……もはや軍事研究ではなく、オカルトか黒魔術の類だな。
先日、本部の廊下で彼とすれ違った時のことを思い出すだけで、背筋が粟立つ。漆黒の特務軍服に身を包んだ彼は、以前と変わらぬ完璧な敬礼を私に向けてきた。
しかし、その金色の瞳の奥に宿っていたものは、かつての『軍人としての冷たい理性』ではなかった。
それは、深淵を覗き込みすぎた者特有の、どこか焦点の合わない狂人の目だった。
有能すぎたんだな。彼はその頭脳の高さゆえに『力』の本質に近づきすぎ、そして魅入られてしまったのだ。パンドラの箱を開け、自らもまた『バケモノ』の側に堕ちてしまった。
「……惜しい男を亡くしたな。彼はもはや英雄ではない。ただのマッドサイエンティストだ」
私は彼が去っていった廊下の暗がりを見つめながら、十字を切るように小さく息を吐いた。 近づいてはいけない。今の彼に深入りすれば我々まであの『狂気』へ引きずり込まれてしまう。軍上層部ですら、もはや彼の研究内容を正確に把握し止めることなどできはしないんだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます! 本編では大量に大幅カットしている『特務機関のくだらない日常』や『ヨハネとアランの深夜の密会』など、本編の裏側を描いた番外編もします。彼らの泥臭い素顔を知りたい方は、ぜひそちらも覗いてみてください!
いえ、読んでください。面白さの深さが違います。絶対違います。




