【第二章 第九話 悪魔とアイギスの同盟】
【ヴェークテルン・シュミート視点】
千人が百二十一人に減った部隊は、まぁまずそのまま任務を与えることは絶対に無い。後方で数ヶ月待機し、新兵を八百名超補充し、再び前線へ配置されるだろう。もしくは解体して別の隊へ配置されるか。俺には生き残った部隊の処遇を決める権利は無く、何を言われようと従うしかないんだ。
俺は上から与えられた書面を前に、一人きりの執務室で重い息を吐き出す。まだ整理しきっていない書類の中、机上の一枚だけが異様な重力を放っていた。
命令を確認しよう。そう思って既に十分が経過してしまった。あまりにもロスタイム、さっさと捲れ。
俺は書類を手に取り、そこに記された信じがたい特命に目を落とした。
『貴官ら生存者百二十一名を、本日付で特務機関直属の【独立遊撃部隊】として再編する』
え。ぁ。俺は目を見開き書類を両手で掴んだ。
『来たる二月、我が軍の主力艦隊がドーヴァー海峡の突破作戦を決行する。貴部隊はそれに先駆け、艦隊の進路上に潜む最大の脅威、イギリスの《アイギス》アーサー・E・テイラーを強襲し、これを完全に排除せよ』
……要約すればこうだ。
お前たち化け物揃いの百二十一人を遊撃部隊としてイギリス方面に放り込むから、敵の最強の盾の首を取ってこい。
正気の沙汰ではない。だが、書類の端に押されたファフニール中将の印章が、これが決定事項であることを無慈悲に示していた。
俺はその書面を前に椅子に座り、一分ほど心の中で叫ぶ。
『うおおおおお! やったァァァァアイギスぶち殺せるぞぉぉぉぉ!』
しっかりと堪能し味わってから。ガタッ、と椅子から立ち上がりすぐに全員召集した。
──この世界において《アイギス》を殺すということは、単なる敵将の討ち取りではない。
国家が築き上げた『絶対防壁』を打ち砕くということであり、戦局という盤面そのものをひっくり返す行為だ。一万の兵を殺すよりも、一つの都市を焼くよりも、遥かに重く甘美な軍事的栄誉だ。
何より、ファフニール中将殿は俺たちに八百の素人、ようは足手まとい、を押し付けることをしなかった。『百二十一名の遊撃部隊』で戦えとおっしゃった。つまりはあの地獄を生き延びた精鋭だけを使い、一切の制約なく、己の計算と手駒だけで最強の盾を叩き割ってみせろという、軍人に対するこの上ない絶対の信頼と白紙委任状に他ならない。
一言にしてしまうなら。
『Jaaaaaaaaaa!! アイギス殺せば“俺達百二十一人”の栄光は確固たるモノになるぞォォォ!!! hu~~~~~~!!』だ。
◇◇◇
【とある水平視点】
一九四一年十二月十日、マレー沖海戦。
決して沈まないはずの最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』は、もうもうと黒煙を上げて南国の海へと傾いていた。日本軍の航空隊による猛烈な雷撃が艦体を破壊し、水柱が次々と上がる絶望的な混乱の中、逃げ惑うイギリス水兵たちは『それ』を目撃した。
ひどく傾斜した甲板の先端。炎を背にして、一人の東洋人の男が静かに立っている。日向月彦。
男は狂乱する戦場に似合わない冷酷な動作で、右手に提げた『何か』をイギリス兵たちへと掲げて見せつけた。
それは──イギリス最強の盾、《アイギス》アーサー・E・テイラーの生首だった。
「嘘だろ……アーサーがッ……!」
水兵の一人が絶望のあまり悲鳴を上げる。彼らにとって、それは戦艦が沈むこと以上の悪夢だった。アーサー・E・テイラーの能力を物理的に破れる者など、この世に存在しないはずだったからだ。
直前の光景が水兵の脳裏に焼き付いて離れない。アーサーが能力を発動しようとしたその瞬間、月彦の放った『赤黒い炎』がアーサーの身体に纏わりついた。熱はなく肉体が焼かれることもない。ただ、その不可解な炎が通り抜けた直後、無敵の盾を持つはずのアーサーの首が、まるで幻のようにあっさりと胴体から滑り落ちたのだ。
「烏光丸!!」
月彦が虚空へ向けて鋭く叫んだ。
直後、彼が左手に持っていた日本刀が、禍々しい赤い帯に包まれて肥大化していく。鋼の刀身は瞬く間に黒い羽毛と巨大な翼へと形を変え、一羽の巨大な烏へと変貌を遂げた。
月彦は軽々とその背に飛び乗ると、沈みゆく大英帝国の誇りを眼下に見下ろしながら、東の空へと飛び去っていった。
──すべてが終わった。そう誰もが思った直後である。
甲板にへたり込んでいた水兵は、さらなる異常な光景を目にした。アーサーの首のない遺体が転がっているすぐ隣の空間に、突如として無機質な《鉄の扉》がガチャリと開き現れた。
何もない空間から半開きになったその扉の奥から、スッと何者かの腕が伸びる。それはアーサーの足を乱暴に掴むと、首なしの遺体を一気に暗闇の奥へと引き摺り込んでいき。
──バタンッ!
重い音を立てて扉が閉まる。遺体も、鉄の扉も、最初からそこになかったかのように消え去った。
残されたのはイギリスが誇る戦艦の断末魔と、絶対の守護者を失った兵士たちの絶望だけだった。
◇
【アーサー・E・テイラー視点】
「はっ!」
大きく息を吸い込み、俺は跳ね起きるように目を覚ました。
視界はひどくぼやけているが、冷たいコンクリートの匂いと無機質な天井の照明だけで、ここがどこかはすぐにわかった。いつもの地下室だ。マレー沖で首を切り落とされたはずの俺がここに転がっているということは、どうせエドワードが俺の《銀の鍵》使って俺の身体を強引に回収したのだろう。
「あー……視界がぼやけすぎて、な~んも見えないな」
「これでスパイ活動が楽になったな? 世間的にはお前は死人だ」
声のする方へ目を向けると、パイプ椅子に深々と腰掛けた黒髪の男──エドワードが呆れたように俺を見下ろしていた。
「俺は誰に殺されたんだ?」
「日本人の能力者だ。詳しくは後で新聞でも見ろ」
「俺のメガネ取ってきてくれない?」
「自分でやれ」
あっさりと吐き捨てられた。俺はため息をつきながら手探りで眼鏡を探し出し、鼻当てに乗せる。視界がクリアになる。首を撫でるように降れてもやはり、傷は跡一つ残っていない。
俺とエドワードは地下室を出て、短い廊下を歩いた。向かった先はフェイビアンの執務室だ。現在、ロンドンの市街地はドイツ軍の激しい空爆によってボロボロになっているため、俺たち三人──アーサー、エドワード、フェイビアンは、イギリス政府が建造した極めて堅牢な地下防空壕を拠点としていた。
いつもの並びで椅子に腰掛けると、正面に座るフェイビアンが穏やかな口調で切り出した。
「では、次の作戦に移ろう。ちょっと予定が変わるから、改めて指示を出すよ」
彼が語り出すのは、いつだって『未来の予定表』だ。
「我々イギリスは、日本よりも先にまずドイツを潰すと決めた。アーサー、君は死人になったのを活かして、引き続き各国に潜伏し情報を僕に届けてくれ」
「はいよ。次はどこ?」
「特に中国側をお願いしたい。あそこは幻獣種の能力者が最も多い国だ。未来が書き換わりすぎていて、今にもまったく違う形に変わりそうなんだ」
「中国ね。わかった」
フェイビアンは次に、エドワードへと視線を向けた。
「一九四二年、二月。ドイツの巨大艦隊がドーヴァー海峡の目の前を優雅に通り過ぎていく。エドワード、君は艦隊の護衛にやってくる天使を殺せ」
「天使様を殺せ、か。了解した」
エドワードもまた明日の天気を承諾するように短く頷いた。
しかし、その直後だった。フェイビアンがピタリと言葉を止め、目を閉ざした。
「……ん?」
いつもの穏やかな表情から、わずかに余裕が消える。未来が変わったのか。いや、違う。
「! あぁ……なんにも見えなくなった」
フェイビアンが目を見開いて声を上げた。彼が未来を『見失う』ということは、運命が大きく書き変わり予測不要となった合図だ。
「アーサー、今すぐ中国の長沙へ行ってきてくれ」
「はあ!? どこだよそれ!!」
文句を言いながらも、俺は懐から一つの《銀の鍵》を取り出し、フェイビアンへと投げ渡した。
「気をつけて。戦況を根底から覆す『なにか』が、たった今《覚醒》した」
フェイビアンが忠告とともに、宙に向かって銀の鍵をかざす。パキッ、と空間そのものに亀裂が入り、俺の目の前に重厚な《鉄の扉》が顕現した。
俺は立ち上がりさっそく扉を押し開いた瞬間。
──俺の顔を、肺が焼け焦げるようなねっとりとした熱風が撫でた。
「……おいおい」
思わず乾いた声が漏れた。ドイツ軍の空襲に晒されているロンドンも酷い有様だったが、目の前に広がる光景は『戦争』という言葉すら生ぬるい、ただの地獄だった。
かつて東洋の美しい街並みが広がっていたであろう中国・長沙の地は、見渡す限りの焼け野原と化している。黒焦げになった巨大な木の柱、崩れ落ちたレンガの山に、兵士たちが必死に築いたであろう土嚢や塹壕の迷路。それらは巨大な『何か』が通り抜けた跡によって無残に抉り取られていた。
足元を見れば、近代兵器であるはずの分厚い装甲を持った戦車がまるで空き缶のようにひしゃげ、巨大な三本指の足跡の下でただの鉄くずと化している。
空に太陽は無い。視界を遮るほどの分厚い黒煙と、チリチリと舞い散る『赤い灰』が雪のように降り注ぎ、街全体を不気味な血の色に染め上げていた。
ズズンッ!! と、腹の底を直接揺らすような轟音が響く。
視線の先。崩壊した街のど真ん中で、神話がそのまま具現化したような二体のバケモノが、取っ組み合いの死闘を演じていた。
ビルほどの高さを持つ巨大な『東洋の炎龍』が《覚醒》したばかりで空を飛ぶことすら忘れ、怒りのままに地を這いながら灼熱のブレスを吐き出している。
それを迎え撃つのはコウモリの翼を生やした禍々しい『黒山羊の悪魔』だ。悪魔は空中で必死に羽ばたきながら、分厚い水の壁を展開し、龍の暴力的な炎と質量をギリギリで凌いでいた。
歴史ある街並みを、大砲や戦車を、そして人間の命を、ただの足場や背景として蹂躙していく巨大な獣たちの狂宴。フェイビアンが未来を見失うのも無理はない。人間のちっぽけな予定表なんて、あの巨大な質量の前では一瞬で消し飛んでしまんだから。
俺は空から降る赤い灰をコートの肩から払い落としながら、呆れたように呟いた。
「なんだここは、怪獣映画の撮影セットか?」
悪魔とか龍とか本当にいるんだな。
俺はズレたメガネを中指で押し上げながら、ため息交じりに頭上のバケモノたちを眺める。
そんな俺の視界で、突如として黒い質量に覆い尽くされた。
「はぁ!?」
炎龍の巨大な尻尾が、空中の黒山羊をハエ叩きのように弾き飛ばした。
漆黒の悪魔は墜落。最悪なことに俺が立っていた崩れかけのビルに向かって一直線に飛んでくる。
俺は慌ててコンクリートの影へと飛び込んだ。直後、凄まじい衝撃音が響き、建物の上半分が粉々に吹き飛ぶ。
あ、あぶねぇあぶねぇ! また意識飛ばすとこだったついさっき死んだばっかなのに!
俺が隠れていると。もうもうと立ち込める粉塵と瓦礫の中から、呻き声が聞こえた。
「い、ってぇ……!」
男の声だ。若い男の声だ。
俺は警戒しながら覗き込むと、そこには巨大な悪魔の姿はなく──代わりに、傷だらけで全裸の東洋人の青年が倒れ込んでいた。
「くそッ……変身が解けた……最悪だ……」
青年は息も絶え絶えに悪態をつきながら、自身の胸元から『ある物』を取り出そうとした。
それは、不気味な光を放つ《赤の鍵》だった。
見た瞬間、俺は瓦礫から飛び出す。
「待て!!」
俺は懐から自身の《銀の鍵》を取り出し、青年の目の前に突きつけた。
「お前……『与えられた側』か? 逃げるな。俺が助けてやるから、代わりに情報を寄越せ」
《銀の鍵》を見た青年は、痛みに顔を歪めながらも、面白そうに口角を上げた。
「ふぅん……。初対面なのに言葉が通じるってことは、あんたも『持ち主』なんだね? いいよ。取引成立だ。とりあえず服ちょうだい」
俺は無言で着ていた軍用コートを脱ぎ、全裸の青年に投げ渡した。彼は埃を払いながらそれを羽織り、暴れ狂う巨大な炎龍を指差した。
「お願い。あの龍さ氷漬けにしてくんない? そしたら欲しい情報、可能な限り全部あげるよ。大英帝国の最強の盾アーサー・E・テイラーさん?」
なんでお前は俺の顔も名前も知ってるのかな? どの国でもアイギスの顔は極秘情報の一つ。イギリスでも、アメリカでも、敵国のドイツだろうとそこは変わらない。
俺は眼鏡をもう一度中指で押し上げボタンを二つはずした。
「……少々お待ちください」
執事のような丁寧な口調で言い残し、瓦礫の山から虚空へと飛び出した。
俺の足元から凄まじい冷気が噴き出し、何もない空中に強固な『氷の橋』が構築されていく。俺はいつものように氷の橋を滑るように駆け抜け、怒り狂う炎龍の正面へと躍り出た。
龍が眼前の羽虫を焼き尽くそうと、まさに神話級の灼熱のブレスを吐き出す。
だが。
俺が片手をかざした瞬間──空間そのものが絶対零度に凍りついた。
龍のブレスは空中で氷柱へと変わり無残に砕け散る。俺はそのまま空を蹴って巨大な炎龍の頭上へと着地すると、その規格外の冷気を一気に解放。巨大な質量を持った炎のバケモノを、文字通り『一瞬』にして巨大な氷の彫像へと姿を変えてあげた。
俺にとっては、ほんのちょっとしたおつかいだな。
◇
すべてが凍りついた戦場から少し離れた、半壊したコンクリートの建物の中で。
青年はどこからか奪ってきた中国軍のシャツとズボンに身を包み、瓦礫の上に胡座をかいて座っていた。
「では改めて自己紹介。俺は小野優明(おの まさあき大日本帝国陸軍の中尉で、能力階級は『Ⅸ(九)』そっちの情報は知ってるよ、アサおじ」
階級Ⅸか。さきほどの龍と同格かな。
俺は手の内にある《銀の鍵》の冷たい感触を確かめながら、静かに彼へ問い詰めた。
「……俺はこの《銀の鍵》を、ある日謎の女から渡された。その女は俺に言った。『貴方はスパイとして世界をかき乱してください』と。意味がわからない。お前もそうなのか?」
「ん~、半分同じかな」
優明は飄々とした態度のまま、核心を突く言葉を投げかけてきた。
「一番知りたいであろうことを先に伝えておくよ。アーサー・E・テイラー、貴方もさっさと《覚醒》してください。フェイおじもそう言ってたんじゃないの?」
「その《覚醒》ってのは、なんなんだ?」
「《魂》の種族として目覚めることだよ」
《魂》の種族。あまりに聞きなれない言葉すぎて一瞬思考が固まった。俺達能力者は人間じゃなかったのか? まぁ、確かに竜に変身したり悪魔に変身したり、とても人間とは呼べない化け物も実在しているが。
優明はため息混じりに告げる。
「じゃないと、この世界は永遠に終わらないんだよねぇ」
コイツは一体どこまで握っているんだ。
俺は情報を聞き出すために、自分の好奇心を満たすため聞いた。
「では、俺の種族はなんなんだ」
「知るわけないじゃん。目覚めたらわかるよ」
「お前に与えられた役割は?」
「この世界で能力者を《覚醒》まで導くこと。絶望を与えたらいいんだよ、さっきのあの龍みたいにね。でもさ……」
優明は俺をじっと見つめ、困ったように肩をすくめた。
「俺じゃあ、アサおじに絶望を与えることは絶対にできない。だから教えてあげるからさ、いっしょに能力者の絶望になりましょ~!」
ふざけた提案だったが、不思議と嘘をついているようには見えなかった。
「わかった。先に、お前の知っていることを」「フェイおじなら、この未来を見てるでしょ?」
優明は肩を揺らして見透かしたように笑う。
「大丈夫、あのおじも目指す地点は一緒だし、フェイおじはすでに覚醒してるよ」
「ん??」
こればかりは、違和感があった。
「一度も変身した姿を見たこと無いが」
「未来が見えるんだから、わざわざ変身する必要ないじゃん。ご本人も今頃『俺とアサおじの会話』に驚いてるんじゃなぁい? 後はアンタとエドおじだけだね」
底知れない男だ。世界の裏側を知り尽くし、人の命も未来の在り方もゲームのように俯瞰している。それこそまさに。
「……まさに悪魔だな、お前」
「ひどい! 俺だって普通の能力者なのに!」
わざとらしくおどける優明を見て、俺は小さく息を吐いた。
「わかった。乗ろう。一緒にフェイビアンへのお届け物集めをしてくれ。能力者の絶望として動いてやる」
「やった! 最強のアイギスを味方にしちゃった!」
大英帝国最強の盾と、大日本帝国最悪の悪魔。
絶対に交わるはずのなかった二人は瓦礫の中で歩み寄り、最悪の同盟を示す握手を交わした。
◇
【小野優明 視点】
アーサーと握手を交わし「最悪の同盟」を結んだ直後、俺は振り返ることなく瓦礫の山を駆け抜ける。
向かった先は、ひしゃげたコンクリートの残骸が複雑に重なり合う半壊した廃墟の陰だ。
「鉄郎!!」
俺が声をかけると、瓦礫の奥から土埃まみれの軍服を着た男が這い出してきた。《三下鉄郎》一等兵。この地獄のような最前線に放り込まれた『無能力者』の青年であり、俺の唯一の友達だった。
鉄郎は俺を見て泥だらけの顔で笑う。
「優明……! よかった、無事か」
よかったよ、お前も生きてたな。
俺は山羊にしちゃ長すぎる黒い尻尾を揺らして並ぶ。
「へへ〜〜、通りすがりの援軍が来てさ。あのバカでかい龍を丸ごと氷漬けにしてくれて、マジで助かったよ」
「氷漬け……? ハッ、イギリスの《アイギス》かよ」
相変わらず妙に鋭いよね、お前って。
俺はその件については触れず次の話へ。
「さあねえ。本物のアイギスなら、もっと強いんじゃない? ……それより」
俺はふっと笑みを消した。ただの青年から大日本帝国の中尉としての顔になったことでしょう。たぶん。
そもそも俺が化け物じみた巨大な炎龍とたった一人で交戦していたのは、孤立した彼ら小隊が本隊と合流するための退路を、己の暴力で強引にこじ開けるためだった。
俺は人間たちへ振り向き号令を下す。
「第〇小隊、これより移動を開始する。合流するぞ」
「はいッ!!」
俺の指示に合わせ鉄郎を含む小隊の面々が一斉に立ち上がる。
──彼らは赤い灰が降り注ぐ荒れ果てた長沙の街を駆け抜けた。時には焼け焦げた幻獣の残骸を乗り越え、死線をくぐり抜けながら、どうにか無事に他の隊との合流地点へと辿り着いた。
しかし、彼らの戦況は決して好転してはいなかった。
中国軍がこの長沙の地に仕掛けた包囲殲滅の罠──『天炉戦法』は、すでに完成していた。部隊が合流し兵の数が増えたところで意味はない。周囲を完全に包囲されたこの巨大な盆地において、日本軍の補給線は完全に絶たれていた。水も、食糧も、弾薬も尽きかけている極限状態。巨大な幻獣たちが蹂躙する隔離された戦場で、数万の兵士たちが飢えと恐怖にすり潰されていく。
優明たち日本軍にとっての本当の地獄は、まさにここから始まる。
◇
夜。血塗られた長沙の空が暗闇に沈む頃。
アーサーと、とある半壊した建物の裏側で再び合流。
アーサーは壁に背中を預けて隠れていた。俺は彼のもとへ「やっほー」と寄りながら手を振り、隣に並ぶ。
「とりあえず、日本軍の本部に俺行ってくる。情報をかき集めてくるからさ、連絡ツールの使い方教えるね」
「連絡ツール? そんな機能があったのか」
俺が手元の《赤の鍵》を操作すると、虚空に突如として光の板──フルカラーのホログラム映像が浮かび上がった。一九四◯年代の技術力を遥かに超越したオーバーテクノロジーの産物を前に、アーサーは目を細める。
「……やっぱこの鍵、未来の装置だよな?」「違うらしいよ。天国の技術だって」
って神様がおっしゃられていました。ここまで話したら困惑するから俺はあえて黙る。
アーサーは首をかしげつつ納得したご様子。
「天国? ……やはり神様がおられると」
「そう。マジで神様がお作りになったらしいよ」
「おぉ、神よ」
アーサーは一切の抑揚がない、ひどく乾いた声で十字を切る真似をした。
「この『チャットツール』ってのを使うと、離れてても文章のやり取りができるんだって。ちょっとアンタの鍵貸して、設定するから」
俺はアーサーから《銀の鍵》を受け取る。俺は空中の光の板を迷わずタップした。しばらくして設定を終えたので鍵をご本人にお返しする。
俺は画面を指差す。
「で、このボタンを押すと『きーぼーど』ってのが出る」
アーサーは言われた通りに操作すると、空中に無数のアルファベットが並んだ光の板が現れた。
アーサーがおそるおそる指先で触れると、画面上に「A」という文字が浮かび上がった。
「おっ、いけたね。この送信ボタンを押すと俺のところに言葉が届くから」
「これ……」
アーサーは空中の光の板を見つめながら、戦慄にも似た感情で呟く。
「戦争の概念そのものが変わるんじゃないか?」
通信ケーブルも巨大な無線機もなしに、世界中のどこにいても一瞬で情報が暗号化されて共有できる。こんなのスパイにとっちゃ恐ろしすぎる代物だよね。わかる~俺も『戦争する意味なくね?』なったし、アーサーの頭脳なら一発でわかるよね。
俺は画面を見ながら言った。
「空間移動できる時点で、俺らの負けだよ」
神と勝てない争いなんて御免だね。俺はうま~く立ち回ってうま~く手駒になって美味しいところだけ頂くよ。
俺は《赤の鍵》を振って空間にヒビを入れた。壁に《銀の扉》が現れる。
「じゃ、急いで情報かきあつめてくるから待ってて。その間、適当に触ってて」
そのまま振り返ることなく、軽い足取りで《鉄の扉》の向こう側へ──大日本帝国陸軍の中枢へと軍靴を進めた。
扉が閉じ、空間のヒビが修復されると、半壊した建物の裏側には再び重苦しい静寂が落ちた。遠くからは絶え間なく地響きと砲声が聞こえ、チリチリと燃える赤い灰がしんしんと降り積もっている。
「……神はいったい、何がしたいんだか」
ただ一人残されたアーサーは、血塗られた長沙の空を見上げて深々とため息をついた。 もし本当にこの理不尽な戦争の裏に「神」とやらがいて、自分たちにこの鍵を与えたのだとしたら、あまりにも悪趣味なゲームだ。
アーサーは視線を落とす。宙に浮き続けるフルカラーの電子画面と、奇妙なローマ字配列の『きーぼーど』なる光の板を見つめた。
(さっきは一本指で押したが……この横長の配置、タイプライターに似ているな。もしかして)
最強の諜報員であるアーサーの頭脳が、瞬時にこのオーバーテクノロジーの「正しい使い方」を導き出す。
彼は銃を構えるように両手を浮かせ、十本の指を光の鍵盤の上へと添えた。
──ポァン、ポァン。
軽い電子音が鳴り、ホログラムの画面に次々と文字が並んでいく。
「……なるほどね? あぁわかったわ」
不死身の英国スパイはたった一人、真剣な顔つきでブラインドタッチの練習に没頭し始めた。




