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【第二章 第七話 焦土のトーチカ】




【ヴェークテルン・シュミート視点】


 テントが燃えた。


 空から炎の塊が降ってきたと気づいた時には、天幕の布が音を立てて崩れ落ちていた。中にあったものが全て、地図も、道具も、椅子も、まとめて炎の中へ消えていく。

 ヴェークテルン・シュミートは建物ではなく炎を蹴った。炎に触れる一瞬前に足に力を込めて、倒れ込むように雪原へ転がり出る。立ち上がった時、彼の正面には燃え崩れる幕舎だけが残っていた。


 俺は空を見上げる。


 白い翼が来ていた。数えるのはもはや無意味、それは『人』ではなく空を埋め尽くす白い壁だ。ルカを本部へ送り出した直後にこれなんだ、ソ連の天使たちは正確に狙っていたのだろう。指揮官を殺す、それだけを目的に白い翼が高度を落としてくる。


 狙い通りだ。では、こちらも想定内で動く。


 恐怖はなかった。恐怖を感じる前に計算が始めれば頭も体も動き出せる。


 右手を、空へ向けた。


 体の奥底から何かを引き出す感覚がある。電気の根っこのような、ざわりとした熱が胸の中から腕を伝い指先へ集まっていく。

 俺の腕に黄金の電気が走ったその時。


 バチッ。バチッッッ!!


 ──衝撃。


 黄金の閃光が手のひらから空へ一直線に走った。白い翼の群れの中心を縦に引き裂き、直撃した三人が弾け飛ぶ。焦げた羽毛が雪原へぱらぱらと降り注いだ。残りの天使たちが散開する。そうだそうだ逃げていい逃げてしまえ。


 今重要なのは別のことだ。


 散らばった味方の兵士たちに『俺はここにいるぞ』と知らせること。吹雪の中で孤立して、どこへ向かえばいいかわからなくなっている者たちへ目印を示すこと。

 俺は怒声で周囲に存在を知らしめる。


「下がれ!! 俺の雷を目標に集まれ!!」


 遠くで右へ逃げかけていた兵士が立ち止まり俺へ向き直った。左でも同じことが起きた。俺は雷を空へ叩きつけながら走り出す。前へ。前へ。天使の群れの真っ只中へ、逃げるのではなく押し開くように進んだ。


 ──背後から風を切る音。


 俺が体を半分だけ横へずらした瞬間、その耳のすぐ脇で鋭い金属音が弾けた。向かってきていた何か——弾丸だ——が、空中で静止して地面に落ちた。


「少佐ッ後ろです!」


 声がした。シェルピェン・ザウェクが宙に浮いている。

 金属を自由に動かせる彼女の能力は、小銃を足場にして宙を走ることさえ可能にした。細い体が吹雪の中を滑るように移動しながら、戦場全体を俯瞰するように周囲を見回している。

 天使の一人がこちらへ銃口を向けた。

 ザウェク少尉の指が、わずかに動く。

 小さな音がした。カチャ、という、ほとんど聞こえないような音だ。次の瞬間、天使の銃が沈黙、引き金を引いても弾が出ない。シェルピェンの能力の効果だ。銃の内側の部品を彼女が遠隔で変形させ、いわゆる『ジャム』を起こす。気づかないまま引き金を引き続ける天使を、シェルピェンはもう見ていなかった。


 別の天使が手を振りかぶる。丸い鉄の塊——手榴弾か。


 ザウェク少尉は安全ピンだけを引いた。


 起爆するまでの猶予が消える。爆発は天使がそれを投げる前に起き、悲鳴を上げながら地面に落下。

 走りながら俺は、一瞬だけ空にいるザウェク少尉を見た。彼女の顔には何もない。眉ひとつ動かない。戦場の混乱の中で、まるで静かな部屋で作業しているかのような落ち着きで、次の脅威へ視線を移している。

 アイツが敵じゃなくてよかったなぁ……本気でそう思う。あのロリの前では身を守るはずの武器が己を破滅へ導く武器へ化けるんだ、頼むからこの戦場では死ぬな、死ぬなら俺の盾となって死ね、もしくは通信兵を守るために死ね。

 雷を正面へ走らせ空いた隙間を突いて駆ける。俺の後ろをザウェク少尉が後ろを塞ぐ。

 そのとき、正面から走ってくる影があった。


「少佐!!」


 ヨハネ・ド・ブジョワが片手を前に伸ばしながらこちらへ突っ込んでくる。その手の届く範囲にいた天使が三人は何かに押し潰されるように、音もなくまとめて地面に叩きつけられた。


 目に見えない力、念力。ブジョワ中尉が手をかざすだけで物も人も好きな方向へ動かせる。


 彼はほとんど顔色を変えないまま、今度は念力を盾として切り替えた。飛んでくる炎を正面で受け止め、俺の右横へ滑るように並ぶ。

 俺はすこしだけからかってあげた。


「遅い」

「雷が当たりそうだったので距離を取っていました」

「合理的な判断だ」

「ありがとうございます」


 俺、シェルピェン・ザウェク、ヨハネ・ド・ブジョワ、三人が横一列に並んだ。


「中尉」

「はい」

「盾を消せ。五秒でいい」


 ブジョワ中尉の目が動いた。本気ですか、という問いが込められていたが声には出なかった。

 ブジョワ中尉は無言ですぐに従った。

 盾がなくなった瞬間、俺は全ての力を一点に集める。右手を空へまっすぐ向け、今まで撃った中で最も大きな雷を垂直に撃ち上げた。


 黄金の光の柱が、吹雪の空を縦に貫く。


 どこまで届いたかわからない。ただ夜明け前の暗い雪原を、その一瞬だけ昼のように照らした。戦場に散らばっていた全ての兵士の目に黄金の雷が映る。二回も見せつければさすがにわかるよな?

 俺は喉が裂けるように叫んだ。


「孤立した者は全員、雷が落ちた場所へ走れ!!」


 中尉が再び盾を張り直す。炎が弾かれ前が開いた。

 俺は走りながら頭の中で地図を広げる。この先に砲弾が落ちてできた巨大なクレーターがある。ただの穴だ。だがそのクレーターは、グリフォンが本部へ届けた砲撃の座標。あの爆撃が落ちてくるでろう場所の、ちょうど一歩手前にある。予定どおりに進めばいいが、しかしそこに賭けるしかない。

 ベヒモスは巨体ゆえに柔らかい雪の中を自由に動けない。踏み固まった雪原の上を一直線に突き進んでくる。そのまっすぐな進路が支援砲撃の射線と重なるよう、最初からそこを選んだ。

 あの化け物を罠へ誘い込む。味方をクレーターで守り、砲撃が来るまで持ちこたえる。俺がやるべきことはそれだけ、それしかできないんだやるしかない。



◇



 クレーターに辿り着くと、ブジョワ中尉はすぐに動いた。


 穴の縁に立ち両腕を広げる。透明な力の壁がクレーターの上を覆い、雪原の中に突然、天井のある空間が生まれた。人が滑り込める隙間だけを残して、あとは全て塞いだ。

 兵士たちが次々と飛び込んでくる。炎の音が遠くなる。冷気はあるが爆風は届かない。荒い息だけが狭い穴の中に積み重なっていき、一人、二人、一気に五人と穴の中で人口密度が増えていく。


 だが。俺とザウェク少尉は入らなかった。


 俺達は穴の外に残り、押し寄せてくる天使の相手をし続けた。俺が雷を放てば敵の目がそちらへ向く。その隙に、ザウェク少尉が銃を沈黙させ、手榴弾を持ち主ごと爆破させる。最後の一人が穴へ滑り込むのを確かめて、俺が短く言った。


「入れ」

「少佐」

「命令だッ!」


 ザウェク少尉は少しだけ黙ってから穴へ入った。一番最後の最後に俺も続いた。

 中にはおよそ八十人ほど。およそだ、数える暇なんてないので感覚での話だ。

 俺は同じ隊や他の部隊の兵士に言葉を投げる。


「通信兵がまだいる!」


 通信とは、隣の部隊と繋がる唯一の手段。それを扱う人間が死ねば、この陣地は完全な孤立になる。


「能力者は手をあげろ! そこまで! 今あげたヤツ全員ついてこい! ザウェク少尉!」

「はい!」


 ザウェク少尉はすぐに返事を返した。来いと言わずとも伝わった。

 俺は生き残った能力者を十五人連れてクレーターを出た。燃え上がるテント群の間を駆け、空から降る炎をかわしながら進む。俺が雷で道を開く。少尉が後ろからくる全てを塞ぐ。

 残ったテントの奥に通信兵が三人いた。無線機を抱えたまま、体を低くして動けずにいた。

 俺は彼らの隣に並び身を伏せる。


「立て、行くぞ」


 無線機の受話器を奪い取り、叫んだ。


「隣の部隊へ繋げ!! 我が隊の司令部が燃えた! 今はクレーターに仮設の陣地を作っている! 他の部隊と足並みを崩すな! 繰り返す、絶対に崩すな!!」


 雷と炎が飛び交う中で、その声を吹雪が何度も掻き消した。それでも俺は繰り返した。


「少佐!!」


 撤退を始めようとした直前、少尉が声を上げた。


「テント、持って行っていいですか!」


 俺は足を止めた。


「なぜだ」

「ブジョワ大尉の壁は外から丸見えです、吹雪の冷気がそのまま入ってきます。布を上から被せれば、完全に塞げます」


 一秒の間。


「頼んだ!」

「了解!」


 ああそうだな。俺の頭では絶対にテントを持っていこうだなんて発想にならない。テントは男の兵士が何人も集まって組み立てるもの、という前提が染み込んでいる。だが彼女の能力ならば一人で可能にした。

 ザウェク少尉は指先を地面へ向ける。

 テントを地面に固定していた金属のピンが土の中で動き始めた。一本が抜け、また一本、三本、数十本が一瞬で全て引き抜かれ宙に浮いた。次に布を引いた。支えを失った分厚いテントの幕が崩れ落ちる寸前を、少尉の能力が空中で受け止め、くしゃくしゃに丸め込んでいく。


 ここまで十秒かからなかった。


 精密かつ繊細な能力操作、それがシェルピェン・ザウェクのもっとも便利なところだった。



◇



 クレーターへ戻ると、ブジョワ中尉が壁を張り続けたまま待っていた。


 通信兵と機材、それからテントの布を持ち込んだ一行が穴へ滑り込む。ザウェク少尉が布を引き伸ばし、ブジョワ中尉の透明な壁の上へ重ねるように被せた。壁と布の二重構造だ。外の爆音が一段階遠くなる。


 クレーターの中が急に静かになった。


 約百人分の荒い息だけが狭い空間を満たす。

 俺は素早く人数を数えた。怪我をしている者が数人、動けない重傷者が二人。能力者は俺含め二十人丁度。


 クレーターの人数が判明。


 百二十人か。少ないと判断すべきか、それともよくここまで辿り着けたと評価するべきか現時点では不明だな。

 俺はテントの布を一度だけ指で叩いて外の音を聞いた。遠くで足音が続いている。大地ごと踏み砕くような規則正しい重い音、ベヒモスだ。まっすぐこちらへ向かってきている。

 グリフォンが届けていれば、あと一時間で砲撃開始だろう。


 俺は腕時計を睨む。かち、かち、長すぎる一時間が始まった。




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