【第二章 第二話 幻獣種の輸送】
【第二章 第二話 幻獣種の輸送】
天幕の外では今夜も雪が人を殺している。
ヴェークテルン・シュミート少佐は机に広げた地図を一瞥し、冷たい息を一つ吐いた。
「状況を整理する」
テントの中。凍り付いた空気を割るような静かな声に、四人分の気配が引き締まる。
「第──歩兵連隊第三大隊が孤立した。食糧残量は三日分、弾薬はさらに少ない。現在、ソ連軍に三方を包囲されており、陸路での補給は不可能。輸送機は吹雪で飛べない。以上が現状だ」
シュミート少佐は一呼吸。緊迫した空気に冷たい指示の声が混ざる。
「よって、幻獣種を輸送機代わりにした空中強行補給を行う」
誰も異議を唱えなかった。異議を唱える気力もない。この極寒の東部戦線は最初の三日で削り落としてくれたからだ、もちろん捕虜という立場もある。
「編成。輸送担当、ニーズヘッグ大尉、便乗はザウェク少尉。護衛はグリフォン少尉と」
少佐の金色の目が、テントの隅に佇む俺へ向けられた。
「ブジョワ中尉、貴様も出ろ」
俺はすぐに「はい」と答えた。捕虜の立場で否を言える場所ではない。
だが一つだけ確認したいことがあった。
ザウェク少尉はこの任務に出るのか。そう聞きたかったけれど、どうせこう答えられて終わりだ『任務に支障がないから出撃させる。それ以外に貴様が考えることはない、ブジョワ中尉』絶対に言うよこういう少佐殿は。
だからこそ試すために聞いた。
「少佐殿、この任務に」
「発言を許可した覚えはない」
そうなるか~。まぁまぁ、おおよそ予想通りだからいいよ、君の性格がよぉくわかりました。
典型的な純ドイツのエリート思考の差別主義野郎が。ラテン人を見下し、スラブ人を劣等民族と呼び、我らドイツ人こそが人類の頂点に立つべきだと考える一番ツバを吐き出してやりたいタイプの少佐殿だ。おまけに金髪に金目、ハッ! まさにだよね。これならフランスの将校の方がマシだった。
俺は無表情のまま敬礼して、テントを出る。
使い捨ての駒としか思われていないんだろうな。だったら俺は使われて死なないようにしないと。大丈夫、俺ならできる。
◇
──出撃準備は吹雪の中で行われた。
夜明け前の東部戦線は、息を吸い込むだけで肺が凍りかけるような寒さだった。俺はコートの襟を立てながら《ニーズヘッグ》の巨体のそばで固定作業を見守った。
黒竜の鱗に巨大なサドルバッグと木箱が、まるで縫い付けられるように組み込まれていく。それをやっているのはシェルピェン・ザウェク少尉。両手をかざすだけで金属製のハーネスが生き物のようにぐねぐねと動き、鱗の隙間に食い込んで固定されていく。彼女の能力階級は『V(五)』の『金属操作』俺よりも精密に的確に物を操れる。彼女は吹雪の中で銀色の短い髪を揺らし竜の鱗を撫でた。
「……よし。動いてみてください」
ニーズヘッグは、ペネロペ・コスタ大尉は軽く体を動かす。しゃがんで、前足を動かして、翼をバサッと動かす。ずしんずしんと低い音がした。
竜の喉奥から女性の声。
「いい感じ! ありがとう」
伝説ではニーズヘッグは悪竜として名高いが、彼女の性格は伝説なんて意味をなさないほど明るくおおらかな女性だった。
「よろしくお願いします、コスタ大尉」
「ねぇいい加減名前で呼んで? 上官命令」
「お言葉ですが軍規が乱れます」
そんな二人を眺めていると。
グリフォンがぶるりと羽毛を震わせながら、黄色い目をキョロキョロさせた。ライオンの下半身と鷲の頭を持つ巨体は吹雪の中でも堂々と佇んでいるように見えて——いやちげぇわコイツ。おどおどしてるわコイツ。
グリフォンが嘴を動かす。
「なぁ」
喉から聞こえるのはイタリア人兵士の声。彼は吹雪の中に投げかけながら辺りの兵士を観察している。
「弾来たら逃げないか? うま〜くごまかしてさぁ、なんとかさ」
ペネロペ・コスタ大尉が腕を組んでそれを見下ろした。
「その発言は許さない。背中の能力者を信じなさい」
厳しい言葉だね、少し見直した。
「だが食料の荷物落としたふりしてちょろまかすぞ」
台無しだった。
グリフォンは「やった~! ペネロペちゃん大好き~!」とドタバタ大袈裟に喜びを表現し前足をあげて犬のように喜ぶ。しかしそれこそ真の軍規違反だ。
俺はニーズヘッグへ振り向く。
「大尉殿」
「何よ」
「今、確実に軍の食料を横領すると宣言されましたか」
「作戦中に食事をとる権利は兵士にある。条約で定められているわ」
「そんな条約はないと思いますが」
シェルピェンが二人のやりとりを聞きながら、静かに口を開いた。
「では、あえて食料を食べながら向かい、最後に空のバッグを捨てますか」
えっあアレッ。
隠蔽工作の案を堂々と言うとは思わなかった。なんとなく勘だけど、こういう少女って『それは許しません』とキッパリ断りをいれるかと思ったけど、思ったよりドイツへの忠誠心無いな。安心した。
ニーズヘッグは竜の人差し指をシェルピェンへ向ける。
「アリ! 胃袋に隠しちゃいましょう!」
「シェルピェンちゃん大好き!」
このグリフォンさっきから手当たり次第に女性へ『好き』つってるだけだなぁ。
ニーズヘッグが告げる。
「大尉命令よ。このことは秘密裏に」
と、グリフォンが尻尾を振り始めた。シェルピェンも小さく「はい」と答えた。
俺は天を仰ぎ白い息を長く吐き出す。誰もドイツに協力する気がゼロだ。逃げ腰のグリフォンはいいとして、ニーズヘッグまでもドイツへ舌をだし中指を立てる勢いで裏切り行為をしている。ああほらさっそくシェルピェンが鞄を漁って。
食事の袋を取り出すと彼女は俺の元へ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ヨハネ・ド・ブジョワ中尉はここに、初めて軍規違反の共犯者となった。
◇
雲の中は地獄だった。
マイナス三十度の地面より上空は、さらに寒い。風は針のように顔を刺している。俺は透明な障壁を展開、風を塞ぎながらグリフォンの背に腹這いになり眼下の白い雪原を睨み続ける。
一瞬後——空が火を噴いた。
俺は声を張り上げる。
「対空砲!!」
「ビャアアアァッ!!」
グリフォンが甲高い悲鳴をあげ、翼を縮めて急降下を始める。クソッ! 俺は手綱を引いた。が、グリフォンは半泣きのまま急反転しようとしていた。
「前向いて飛べ!!」
「無理無理無理無理!!」
「俺が居る! 絶対に当てない!」
俺は右手を空へかざし、視界に映る砲弾の軌道を頭の中で計算した。念力は弾丸の速度で動く。問題は方向だ。
バン! バン!
叩き付けるように空中で起爆させた砲弾が黒い煙の柱を次々と生み出した。煙幕だ。本来なら防御のために使う能力を、攻撃のための陽動として利用してやった。黒煙が吹雪に溶け込み俺たちの姿を完全に隠す。
グリフォンの背中を俺は踵で蹴った。
「ほら! 飛べ!!」
「……わ、かったよッ!!」
グリフォンは覚悟を決めたように翼を広げ煙の中を一直線に突っ切った。砲弾が左右を掠めていく。俺はその一発一発の軌道を掴み、弾き、逸らし続けた。
ニーズヘッグがすぐ隣を並走、女性の声が飛んできた。
「ブジョワ中尉!!」
「やってる!!」
吹雪と黒煙と砲弾が混ざり合った地獄を、二頭の幻獣は強引に突き抜けた。
孤立部隊の陣地の上空に出た時、俺は右腕が痺れていることに気づいた。能力を酷使しすぎると体に異変や疲労が蓄積する、俺の場合は四肢の感覚が鈍くなり内臓の奥が悲鳴を上げ疲労を訴えてくる。
入隊時、能力を限界まで使うテストがあった。その時の最大連続使用は三時間。
ニーズヘッグから合図。
「投下する!」
シェルピェンが能力でハーネスの固定を解き始めた。俺は念力でバッグと木箱を掴む。ただ落とすだけでは着地の衝撃で潰れる。角度と速度を計算し、陣地のど真ん中へ。
——ドンッ!!
雪原の上に物資が静かに降り立った。数百メートル下の陣地から無線では聞こえないはずの歓声が、何故かここまで届いてくるような気がした。
ニーズヘッグから指示。
「任務完了! 離脱する!」
次の瞬間だった。
俺の首の後ろに、冷たい何かが走った。
——殺気だ。
「後ろ!!」
振り返った視界。吹雪の白が四つ、翼を広げて迫ってくる姿が映る。
真っ白な翼と白い外套。そしてその手の平には、燃え盛る赤い炎。
アレはソ連の天使の兵隊だ。
俺は反射的に念力の障壁を張った。前面からの炎の弾幕が壁に弾け、空中で散る。ニーズヘッグは急旋回。
「シェル、掴まって!!」
シェルピェンは黒竜の鱗に指を立てて張り付いた。その細い腕で奪い取った敵の速射小銃を、左手一本で構える。
乾いた銃声。
一人が翼を撃ち抜かれ叫んで後退した。
だが四人のうち一人だ。残る三人の炎が今度は一点集中で降り注ぎ始める。
俺はグリフォンの背に膝をつきながら、奥歯を噛んだ。俺は今回、念力の壁を展開し続けている。能力の質と量によっては三十分も持たないのに、今回は既に半分以上使った感覚がする。
だが止まれない。
「くそっ! 障壁を張り続けていたら反撃できない」
念力は面を張れる。広く張れば薄くなり、厚くなればその分疲労が増えていく。狭く張れば強くなるがカバーできる範囲が減り、動く物体の保護は俺とグリフォンで限界。一人で四人分の炎を全方位から防ぐことは不可能だ。
天使三人が散開。挟み撃ちにするつもりだ。俺が障壁を左に張れば右から来る、右に張れば後ろから来る。練度の高い動きだな。
一人がニーズヘッグの後ろへ回り込んだ。
俺の視界の外、ニーズヘッグの死角へ。
「───シェルッ!!」
ペネロペの絶叫が吹雪を切り裂く。
ニーズヘッグの背から小さな体が弾け飛んだ。炎が、銀色の髪の少女を包む。シェルピェン・ザウェクが、落ちていく。
あ、あ!!
声にならない叫びが喉の奥で詰まった。手を伸ばした。間に合わない距離だとわかっていても、手を伸ばすしかなかった。
グリフォンが翼を縮め始める。
「これ無理だ引くぞ!」
「待てッ離れるな!!」
だがグリフォンは聞かなかった。雲の中へ潜り込み後退し始める。俺は手綱を引いたが、もはや操作の主導権は彼にあった。
俺は見続けるしかなかった。炎に包まれ、下へ、下へ落ちていくシェルピェンの背中が、吹雪の中に消えていく姿を。ああなんで、まだ君の好きな食べ物すら知らないのに、なんでこんなにもあっけないんだ命ってのは。
◇
【ペネロペ・コスタ視点】
私は翼を畳み、全速で雪雲の底へ飛び込んだ。黒竜の体は炎には強い。だが、自分の背から落ちた小さな体はそうではない。
落下速度と自分の速度を計算する余裕はなかった。ただ、下へ、とにかく下へ、もっと早く、もっと、もっと!!
視界に銀色が見えた。
私は鱗の両手を広げ、その小さな体を包み込んだ。爪を引っ込めて力を抜く。それだけを考えながら、手の平の中にシェルピェン・ザウェクを受け止めた。
しばらく吹雪の中を漂うように落ちていく。
私は翼を開いて降下を止めた。空中で浮かびながら両手のなかにいる小さな命を感じながら、鱗の手のひらをゆっくりと開く。嫌な予感がする、見たくないけど見なくてはならない。
私は。
「……え?」
私は言葉を失った。
シェルピェンの顔に火傷がなかった。
なのに服は焦げていた。銀色の髪は半分が燃え落ちて、その下の皮膚が、いつものようにとったも白かった。傷一つない真っ白すぎる綺麗な肌。
それだけではない。
燃え尽きた銀色の毛先が、まるで生き物のように動いていた。切断面から細い糸のように伸びてくる。スルスルと時間を巻き戻すように、元の長さに戻っていく。
シェルピェンの金色の目が、ゆっくりと開いた。
「……コスタ大尉殿」
どういうこと。どういうこと。
「ご迷惑をおかけしました」
私は吹雪の中でしばらく何も言えなかった。
腕の中で小さな体の温度が確かにある。脈がある。息がある。だけど目の前にいるこの少女は全身を炎で包まれていたハズで、ほら、実際に服が焦げている。
彼女は傷一つなく自分を見上げていた。彼女自身異変に気づいていたのか自分の手のひらを見ると、ポツリと言葉をこぼす。
「……私は、幼い頃からずっと、擦り傷だろうとすぐに治ってしまうんです」
シェルピェンはただの少女などではなかった。
「私は、やはり死ねない呪いにかけられているようですね」
不死だ。彼女の真の能力は『不死』だったんだ。
私がするべきことはこの事実を軍へお伝えすること。あのめんどくせぇ堅物ドイツ人へ報告義務がある。だからなに? どうしてわざわざ伝える必要がある。不死身の能力者なんて格好のエサじゃない。
私はシェルピェンを掴み、首の後ろへのせてあげた。
「そう、よかった死んでなくて。帰りましょう」
「報告は?」
「あんなヤツに話す義理は無いわ!」
私は事実を静かに飲み込みながら、雪原の遥か下を見下ろした。
吹雪が、私達の周りで白く舞い続ける。
「シェルピェン、貴女はこれからもただの少女として生きるの、ずっとね」
わかった? と振り向けば彼女は幼い顔で満点の笑みを見せてくれる。
「はい!」
そう、それでいいの。
私は竜の翼を動かし急上昇。基地へ戻りながら思い返す。
どうしてだろうね? 私ね、はじめて貴女と出会った時こう思ったわ。
『私が産んだ子供に名前をつけろ』
我ながらどうかしてると思う。初対面に相手にそんなこと絶対に言えるわけがない、けどこれがどうしようもなく本心だった。




