【第十八話 燃え盛る実験室】
【燃え盛る実験室】
【ヴェークテルン・シュミート視点】
十月末頃。
施設のど真ん中に青い炎が放たれ、くそでかな穴が空いた。
コンクリートが大破し、鉄が溶け、収容されていた被験者や劣等民族ごと丸ごと消し飛んだ。ああ、もちろん苦労して集めた実験器具も、あの日本人の悪魔から抽出した大切な『悪魔の血清』も何もかもが綺麗さっぱり蒸発したことだろう。
意味がわからないだろ? これがイギリス《アイギス》エドワード・バイロンの力だ。
俺は溶け落ちた鉄格子の残骸を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。俺がこの数ヶ月かけて準備してきた『人工能力者』の量産計画。ドイツ軍を世界最強の軍隊にするための俺の努力が、たった数人のイギリスの野蛮人によって文字通り一瞬にして灰にされた。
後ろから美しいあの声がする。
「中佐殿、先に脱出を。私が敵兵を食い止めます」
そう言って彼は《ヨハネ・ド・ブジョワ》は小銃を手に瓦礫を踏む。
燃え盛る青い炎を前にして彼の背中には微塵の恐怖もなかった。俺にとって最も忠実で、最も美しい右腕。奥歯を噛み砕きそうになるほどの怒りが込み上げたが、いや、本気で今すぐにでも叫びながら怒りに任せて炎のアイギスをぶちぶちに殺して差し上げたいが、俺は指揮官としての冷徹な理性を総動員してそれをねじ伏せた。すていすていすてい、今はまだその時ではない熟成させておけ。
ここで俺が怒りに任せてエドワードと戦い犬死にするわけにはいかない。俺が死ねばすでに前線へと配備されている『既存の人工悪魔部隊』の指揮系統が完全に崩壊してしまう。指揮官として、それだけは絶対に避けなければならなかった。
俺は感情を殺した声で、ヨハネの背中へ向けて言い放った。
「俺の撤退が完了するまで、奴らを一歩も通すな。……終わったら、海岸の防衛線で合流しろ」
「御意」
短く答えたヨハネに背を向け、俺は崩れゆく施設から全速力で駆け出した。
背後で轟音が響き青い炎と銃声が交錯する。俺は振り返らなかった。
──無事に外の空気を吸い込むと同時に、待機していた通信兵から無線機を乱暴に奪い取る。
「俺だ! 全悪魔部隊に告ぐ。直ちにフランス北部の海岸防衛線へ集結し、イギリス軍の迎撃態勢を整えろ!」
通信機に向かって怒鳴りながら俺は燃え落ちる施設を忌々しく睨みつけた。チィッ、エドワード・バイロンめ。俺の施設と血清を焼きやがって。だが、俺の軍隊はまだ終わっていない。終わってたまるものか。
施設は失われたが、俺には最強の手札が残っている。数千人に及ぶ《悪魔の能力者》たちだ。不完全とはいえ、通常の兵士とは比べ物にならない再生力と筋力を持っている。イギリス軍の野蛮人どもが船に乗って海を渡ってくるというなら好都合。俺達ドイツを挟み撃ちにする気かな? だったら水際で一人残らず海に叩き落としてやるよ、空からな。
「まだだ。まだ俺の勝ちだ……!」
俺は黒煙の上がる空を見上げ薄暗い笑みを浮かべた。海岸さえ死守すれば、俺の築き上げた軍隊がどれほど強力か世界中に証明できる。
この戦局は俺が握っている。下手すれば歴史の一ページとなるだろう。
勝て。勝つんだ。
ここで勝てれば俺は頂点まで一気に手が届くぞ。焦らず冷静に動こう、いつも通りに。
俺は振り向きながら呼んだ。
「──月彦、俺の援護を……ッあ」
振り向いても、そこにいるのは名前も知らない通信兵だけだった。
◇
【シェルピェン・ザウェク視点】
私は『人工能力者』の施設にあった、頑丈な金庫を前にエドワード大佐と共に並ぶ。
このあたりの部屋はまだ壊れていない。聞こえるのはイギリスの軍靴ぐらいで、ドイツの軍靴はおそらくフランス海岸に向かっている。
私は金庫へ手をかざし内部構造を感覚で把握。指先でなぞるように中身をカチカチと動かして……ダメだ、複雑な構造の鍵だ、なんらかのピンを抜こうにも絡み合いすぎていてビクともしない。
「……申し訳ありません、大佐。ドイツの最新式の金庫のようです。解錠には時間がかかります」
私はエドワード大佐を見上げる。その青い目はいつものように冷たい目付きだが、雰囲気は柔らかくて穏やかだった。ああ、もちろん他人が見たら不機嫌に見えるでしょう。この方はオーラがあるんですオーラが。
「十分挑戦しろ。十一分になったら下がれ、敵が来た場合は迷わず逃げろ、書類を見つけた場合はその辺の兵に押し付けて空からの敵を迎え撃て」
「はいッ!」
この短い時間で的確かつ迷いのない具体的な指示。私の中にあるなりたい理想の上官ランキング第一位はやはり流石です、永遠にたどり着けないでしょうが。
エドワードは軍靴を鳴らしコートをひるがえす。通路を走るイギリス兵と合流すると低い声が指示を飛ばして木霊し離れていった。
私は金庫へ振り向き意識を向ける。こうなったら何がなんでも開けてやろう。
冷たい金庫に両手を押し当て耳を添える。かち、かち、かち、中のネジを少しずつ動かし聴覚と感触を研ぎ澄ませた。軽い感触になるまで何度も繰り返し、たまに時計を見て時刻を把握。
残り五分。軍靴の音が消え去った。
残り三分。ネジの音しか聞こえない。
残り一分。ネジの音しか聞こえない。
残り十秒。ネジの音しか──。
知らない軍靴の音。
私は即座にしゃがむ。部屋の机裏に隠れ息を潜めながら足音に集中。一人か。しかし変ですね、ゆったりとしすぎているというか、余裕があるというか。
私は敵か味方か判断するため懐から手鏡を取り出す。反射越しに扉の向こうを観察していると。
すっと過ぎ去るのはドイツ軍の服。
私は手鏡を胸に手を押し当て、自分のうるさい心臓を聞いた。ビックリした。なんで一人で行動? 多分あれは能力者ですねそれも上位階級の。こういう時は音が完全に過ぎ去ってから動きましょう、無駄な戦いで消耗する必要はありません。
──その時、軍靴の音が完全停止。
秒針の針が十分経過を示すと。
私が居た机がピンポイントでひしゃげ悲鳴があがり、即、前へ回転。ぐしゃっと潰れた机の向こうでバチンと電撃のように目が合う。
その男は、まるで絵画から飛び出してきたようなフランス人だった。
私は敵の小銃に手をかざし弾薬を操作。意図的にジャムを引き起こし──え? 見えない堅い壁にぶつかった感覚がした。まるでガラスの球体が敵の体を覆っているような感覚。私の能力が遮断され、その隙に。
バンッ!!!
音だけが鼓膜を揺らし、意識が途絶えた。
【ヨハネ・ド・ブジョワ視点】
倒れたのは見た目十二歳前後の奇病持ち能力者。少女の元へ近づけば、ああ、やはり、かつてドイツ軍から逃亡した不死身の能力者が、ご立派にイギリス軍の服を着ている。階級は『大尉』能力階級は『Ⅶ(七)』なるほどイギリスでは不死身であることは明かされていないと。
俺は少女の額を見た。じゅくじゅくと頭蓋骨の中で音が鳴り、傷口が白い帯に包まれる。五秒ぐらいかな、帯がしゅるりと消えると穴は塞がれていた。
パチッ! と金色の猫のような目が開き、一瞬で恐怖の色に染まった。
俺は銃口を反転させ硬い銃床を顔面へ振り下ろす。間に合わなかった彼女は再び意識を途絶えたことだろう、ぱたんと腕が床に落ちた。その隙に彼女の腰にあるナイフを念力で浮かし、刃を向けてストン、と右腕を切断。その右腕を掴んで廊下に投げ飛ばしてあげた。びちゃ、と赤い絵の具が散る。
なにをしたら不死身は死ぬのだろうか?
拘束しても無駄、彼女の能力では手錠なんて意味を成さない。では監禁か? どうやって? 収容所は全て壊されたんだ道具もなければ場所もない。
なら、不死身の殺し方を調べた方がいいでしょう。
別に俺は出世になんて興味はないし、どうでもいいし、国のためだとか家族のためだとか友のためだとか、そんな崇高な感情すら持ち合わせていない。ただ、役に立てばそれなりの金、食事、命を優先されるからやるだけ。最近は運良く俺の顔を気に入っている上司がついたから、まぁ、尻尾振ってるフリすれば以前のような冷遇はされないだろう。
俺は少女の右腕の断面を見た。またしても白い帯がしゅるりと伸びては元の形を取り戻そうと動くので、あえてそれを銃床で、ガッ! と叩きつける。……なんの感触もないな?
ぱちっ、と少女が目覚めた。
「────ッッ!!」
悲鳴を噛み殺しながら、ああいけない、俺の小銃が床に叩きつけられた。その隙に走り逃げた彼女へナイフを飛ばしたが能力同士がぶつかりナイフは空中で停止。
……逃がすかよ。
俺は逃げゆく背中へ向かって静かに右手をかざし──空間ごと握りしめた。俺の念力が、少女の走る廊下の分厚いコンクリートの壁と床にメキメキッと深い亀裂を入れる。そのまま目に見えない巨大なハンマーで叩き割るように、内側から爆発的に粉砕。
凄まじい轟音と土煙。
足場を失った少女が短い悲鳴を上げながら、おそらく先ほどエドワードの青い炎が開けたであろう下層の巨大な穴へと落下していくのが見えた。
俺は自ら粉砕した壁の縁へと歩み寄る。靴音を鳴らして暗い空洞の下を見下ろすと、数十メートル下の瓦礫の山に、銀色の髪と、ぐしゃりと潰れた赤い血の染みが広がっている。
俺は崖から前へ一歩踏み出す。自らの身体を念力で包み込んで、ふわりと宙に浮かんだ。
ゆったりと綿毛のような速度で下層へと落下。瓦礫の上に靴を揃えて優雅に着地する。
その直後、死の淵にいるはずの少女が必死に飛ばしてきた反撃のナイフを、俺は視線すら向けずに念力で容易く弾き飛ばした。
からん、とナイフが床に転がる。
俺の頭上から彼女の小銃が急降下。主人の元へ走るその銃を俺は念力で掴み取り、トリガーを引いた。
バンッ!!
「──あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!」
彼女のふとももに命中。右腕は再生しておらず血を垂れ流し、足も赤に染まっていく。
俺は転がったナイフを浮かして、銃弾のように彼女の胴体へ発射。逃げようと動き出した彼女は腹から刺され、バタッと床に倒れながら悲鳴をあげ続ける。
彼女の腕は再生していく。しゅるしゅると白い帯が腕の形を作り上げ、真っ白な義手が完成。しかし、肩から先の神経がまだ治っていないのか動かせない模様。
なにをしたら死ぬんだろうな、コレ。
他に試せることは、斬首か、絞首か、それぐらいかな? 息を完全に塞いでもダメなら本物の不死だね。
俺は念力で彼女の四肢を押さえつけ、革靴を鳴らして近づく。だんだんと強まる彼女の『恐怖』を俺も“胸が痛みを覚える”ほど感じていた。
……?
痛い? 痛いって、なんで? ああ、さすがに見た目が子供過ぎて罪悪感がでてきたかな。俺にまだあったんだ、そんな人間らしい感情が。
◇
【シェルピェン・ザウェク視点】
砲撃で粉砕されたコンクリートの壁。瓦礫の山。夜の闇を照らす青い炎の残り火。
私は、その瓦礫と血の海の上に仰向けに押し倒されていた。
「……ぐ、ぅっ」
首に食い込む冷たい指先。私の身体の上に馬乗りになっているのは、冷酷で美しい長身のフランス人青年だった。彼は無表情のまま私の首を両手でギリギリと締め上げている。私の右腕は切断されて再生しきってなくて、両足も念力で瓦礫の床に縫い付けられたように動かない。
圧倒的な暴力。完全なる支配の構図。
普通なら恐怖で泣き叫ぶ場面なのだろう。だけど、あぁ、どうして、いっそこのまま殺してくれと思ってしまうのでしょう? 死にたいわけではないけど殺されたい。最後まで抗ったうえで戦死し天国へ行けるのなら、これ以上の幸福はありません。
薄れゆく意識の中で、私は念力で地面に押さえつけられている右手を必死に動かした。抵抗するためではない。彼に、最後まで抗うために。再生しつつある真っ白な指先をよわよわしく伸ばし、彼の軍服の胸元へ、力の限り『トンッ』と押し当てた。
──その瞬間。
私の白い右手は彼の肉体をすり抜け、その奥にある『青い炎』のようなものを直接掴み取ってしまった。
「ッ!!」
「ッえ?」
私の意識とヨハネの意識が同時に途絶え、真っ白な空間へと溶け落ちていく。
私の右手の中に揺らめいている青い炎。それは、ヨハネ・ド・ブジョワの《魂》だった。
流れ込んでくるのはヨハネの感情と記憶の断片。
──物心ついた時から、俺の人生は冷たい視線の中にあった。
他人なんてどうでもいい。
誰も俺のことなんて見ていない。
誰の目にも俺は『貴族のバケモノ』か『便利な実験体』としてしか映らないのだから。
友達なんていないし作る気もない。誰かに期待して、裏切られて、傷つくくらいなら、最初から何も感じない方がずっと楽だ。できるならいっそ血を抜き尽くされて死んでしまいたかった。だけど、俺っていうのはこんな地獄にいてさえ、自分の手で喉を掻き切る勇気すらない、惨めで臆病な卑怯者だった。わかっているよ、俺は死にたいけど殺されたい面倒な死にたがりだ。
仕事だってしたくない。誰かのために戦う理由なんて一つもない。けれど、何か命令されて動いていなければ、頭がおかしくなって心が完全に壊れてしまいそうだった。
だから俺は、俺を『便利な道具』として重用してくれる中佐に尻尾を振った。彼が俺を人間として見ていないことなんて最初から分かっていた。それでも構わなかった。誰でもいいから誰かの道具として扱われている間だけは、俺に生きている理由が与えられたような気がしたから。
血を流し、人を殺し、命令に従う。
いつかどうしようもない何かに殺されるその日まで、ずっと。
底知れない孤独と空っぽの虚無。それがヨハネの人生だった。
一方で、ヨハネにも私の過去が流れ込んでいた。ポーランド人として差別されたこと。それでも前を向いて誰かと関わろうとし、大切な親友ができ、みんなと笑い合った日々の温かさ。同じように国から迫害された能力者だ。境遇は似ているのに、私と彼とでは、何もかもが違っていた。
(……なんで、この子はこんなに真っ直ぐなんだろう)
ヨハネの《魂》が呆然と私を見つめているのが分かった。
(ああ、そうか。俺の魂を握られている。俺は今、この子に殺されるんだな)
彼は抵抗しなかった。むしろ、やっとこの空っぽの地獄から解放されるのだと、安堵しているようにすら見えた。
──現実世界で。
パチッ、と意識を取り戻した私は自分に馬乗りになっているヨハネを見た。彼は糸の切れた人形のように倒れ、私の上に居る。
私は右手でその青い炎《魂》を優しく包み込み、左手も添える。
私は祈るように、彼の器へと丁寧に魂を返してあげた。
「……生きてください」
両手で胸を押し込むと魂は体の奥へとスッと消え去る。
ビクッ、とヨハネの肩が大きく跳ねた。私の首をしめたまま目覚めたんだ。
慌てて離れていく大きな両手。私は再生しきった右手を彼の背中に添え、左手も彼に回す。大きな肩に額をそえて抱きしめて、心臓の音と振動を感じとった。
「同じ国にいたのに、どうして私たちはもっと早く、出会えなかったのでしょう」
「……お前、俺を、殺さなかっ……」
「友になれ、なんて浅いことは言いません。ですが、どうか、楽しく生きるのは諦めないでください」
私は彼の冷たい背中を、子供をあやすように優しく撫でた。
「死ねないからこそ分かったんです。誰かが近くにいてくれたら、この世界は少しはマシなものになります」
ごめんなさい、勝手にあなたの過去を見てしまって。
それでもこれだけは言わせてください。
「私が伝えるべきことかは分かりませんが。今、ここで、あなたに出会えてよかった」
ポタ、ポタと。
私の肩口に熱い雫が落ちてきた。彼はずっと殺していた感情の堰を切ったように、私の腕の中で、声も出さずにボロボロと涙を流して泣きじゃくっていた。
ごくごく普通に育つはずだった青年が、まるで迷子になった子供のように、私の軍服を恐る恐るぎゅっと握りしめて震えている。お互い気持ちを強制的にわからされてしまったからこそ、そこに遠慮なんて微塵もなかった。
ヨハネはわかっているんだろうな、私は何をされても許してしまうって。
私もわかってしまった、ヨハネはずっと独りぼっちで戦ってきたことを。
その時だった。
──ドォォォンッ!
凄まじい爆発音が地下空間に響き渡った。
私たちは咄嗟に身体を離し、二人同時に近くの大きな瓦礫の背後へと転がり込んだ。瓦礫の向こう側を、青い炎と凄まじい熱波が、ぼわっ! と通り過ぎていく。
地震のように低い怒鳴り声が聞こえた。
「シェルピェン・ザウェク大尉!! 生きているなら返事をしろ!」
私は隣で息を潜めているヨハネと、そっと目を合わせた。彼の涙で濡れたまつ毛が微かに揺れる。
私は小さく頷くと、一人で瓦礫の前へと歩み出た。
「はい! 無事です大佐!」
「撤収する。……腕を吹き飛ばされたか、敵は近くにいるのか」
大佐の青い目が周囲の暗闇を鋭く睨みつける。私は布の無い右腕を隠すようにして、すぐに首を横に振った。
「いいえ。誰もいません」
「急ぐぞ」
エドワード大佐の背中を追いかけながら、私は一度だけ瓦礫の陰を振り返り、そして静かにその場を去った。
──誰もいなくなった壊れた地下空間。
残されたヨハネ・ド・ブジョワは、瓦礫の陰に一人座り込んだまま、ぼんやりと虚空を見つめていた。
先ほどまで細い首を絞め殺そうとしていた自分の両手。その両手をじっと見つめながら、彼はただ、先ほど自分の魂を包み込んでくれたあの温かくて小さな抱擁の感覚だけを、いつまでもいつまでも、静かに思い返していた。




