【第十五話 裏切り者】
【日向月彦 視点】
あの日からヴェークは『人工能力者の安定量産』を完璧に成功してしまった。
優明が俺との尋問(むっちゃ楽しい語り合い♪)で吐いた通り、ヨハネや優明の血液をそのまま注射するのではなく、一度『血清』に精製してから投与することで拒絶反応によるショック死を防げる。おかげで九割もの確率で能力者を生み出せることがわかった。
けどなぁ、生み出された彼らはもはや人間と呼べる姿ではなかったな。
見た目は人それぞれ異なるが、全員に必ず《悪魔》を象徴するような禍々しい角、あるいは獣の尻尾、あるいは醜い翼が生える。いつしか研究所の人間たちは忌避と恐怖を込めて彼らを。
──《悪魔の能力者》と呼ぶようになっていた。
今日もまた、地下の奥深くから被験者の悲鳴が上がる。
「悪魔にはッ、あんなバケモノにはなりたくないッ!! 嫌だ、嫌だ嫌だいッ────!!」
命乞いをする無能力者たちの悲痛な叫びを、ヴェークは『国家の進化のためだ』と冷徹に切り捨て、次々と血清を打ち込み続けているのだろう。
……あいつは知らん。その悪魔の能力者たちが、三ヶ月後には全員等しく死に絶える運命やということを。
俺は誰もいない薄暗い独房の中で、優明からさらに様々な情報を聞き出していた。
そして最後に、優明はひどく楽しそうな顔でこんな話をしてくれた。
「俺はね、前回のループで《覚醒》しちゃったんだ。だから運営から『来る日までずっと寝てるか、それとも運営側として適当に遊んでるか選んでいいよ』って言われて。じゃあ、退屈だし遊ぶことにしたんだよね」
そう言うと、優明は“俺が拘束を外した”椅子から立ち上がった。俺はため息をつきながらヴェークの鍵つき引き出しから抜き取った《赤の鍵》を放り投げて返す。
優明は掴みとる。
「俺はあくまでもお前らで『遊ぶ側』これから起こることは全部、お前自身が選んだ選択の結果。それでも戦いたいなら好きにしなよ。後で俺を恨んでも知らないからね?」
「おう。俺はそんな逆恨みみたいなダサいことせん。自分で選んだんや」
優明はニヤリと笑うと宙に《赤の鍵》をかざした。ガラスが砕けるような鋭い音が響き、空間にバリバリと赤いひびが割れる。その裂け目から現れたのは、地下施設には絶対に存在するはずのない重厚な《鉄の扉》だった。
優明が取っ手を引くと、そこにはまるで幻覚のような光景が広がっていた。
い草の匂い。障子から差し込む陽光。
それは遠い異国にあるはずの『日本家屋』の穏やかな室内だった。記憶にないはずなのに、血に染み付いた本能が『懐かしい景色や』と叫んでいる。
「俺はヴェークのために日本に戻る。あいつからしたら俺が恩知らずの『裏切り者』に見えるかもしれんが……それが奴を救う最善になるって、よぉわかった」
「そうそう。ヴェークくんご本人のためにも、月彦のためにも、今のうちにさっさと戻った方がいいっすよ」
ごめんなヴェーク。
俺はお前が辿り着けない『世界の真実』を知ってしまった。お前が心血を注いでいるあの実験は絶対に成功しないし、俺という邪魔な『親友』が横におらん方がええ。
それに、俺が日本へ行くことでヴェークは自分で戦いに行かなアカン。結果的にはお前を救うことに繋がるはずや、ここは間違いない、絶対や。
「んじゃ行こっか」
「おう」
俺達はドイツ軍の冷たい地下室の床で分厚い軍靴を脱ぎ捨てる。
俺は悪魔の誘いに乗るように、懐かしい畳の上へと足を踏み入れた。
◇◇◇
鉄の扉をくぐり抜けた瞬間。
──ムワッッッ!! 湿度!
分厚いウール生地の軍服を着た身体が、むわりとした重たい熱気に殴りつけられた。
うわぁぁぁ日本の夏! 夏や! ドイツの涼しい夏やない、日本のきっちぃ夏!
ジージーと耳鳴りのように頭蓋骨を揺らす蝉の声!
青すぎる夏空と障子越しの暴力的な強烈な西日!
夏ってこんな暑かったんやー!!!
ドイツとぜんぜんちゃうわ。地下深くのひんやりとした無機質な空気と、薬品と血の匂いが充満していたドイツの研究所とはまるで違う。 ここは間違いなく、真夏の日本。
優明が袴の裾をパタパタと揺らしながら、い草の匂いが香る畳の上にごろりと寝転がる。
「あ゛ーッ。日本の夏って本当に地獄みたいに蒸し暑いよね」
俺は汗を吹き出させながら、部屋の中を呆然と見回した。
ここは古い日本家屋の客間。床の間には掛け軸があり、壁には立派な額縁に入れられた海軍の軍艦の写真が飾られている。まるで最初から『俺の部屋』として用意されていたような不思議な生活感に、なんだか寒い気ぃした。
「優明、ここは……」
「海軍が貸せって言った民間のぶけやしきだよ。月彦、大尉として海軍に着任するよ」
「着任って、俺は今ドイツ陸軍の兵長やぞ」
俺が着ているのはグレーの軍服。それを見下ろして言うと、優明は体を起こして「そこで俺の出番ってわけよ」と笑った。
彼は足の低い机へ向かい、数多に並ぶ『軍の書類』を広げ俺を手招きする。なんやと近づいて隣で正座をすれば彼は見せてくれた。
「ほら見て。その『バグ』は俺が《赤の鍵》を使って綺麗に直しておいたから」
そこには『海軍兵学校を優秀な成績で卒業』『大尉として着任』という文字が、やたらと達筆な字で書かれている。俺の戸籍も、軍の記録も、周囲の記憶すらも、この悪魔はどうにかこうにか『上書き』して辻褄を合わせたらしい。
「ほー。で、これどうやって直したん?」
「各地にある役所や海軍省の書類を俺が消しゴムで物理的に消して、上から書き直しました」
「物理!? お前悪魔やろ、シュンッて魔法できるんやないの?」
「俺の能力は山羊に変身と水を作るだけだし」
「え、えぇ~~~それだけなん? じゃあお前は形だけの悪魔やんけ。それでも充分脅威か」
要するにコイツは《赤の鍵》で日本中の役所をあちこちワープして回り、夜な夜な戸籍を引っ張り出しては、手作業でカリカリと改ざんしていたということ。
純粋な『努力』で世界を運営してるんか、大変やなお前もな。
「だから、それは脱いで、こっちを着てよ」
優明が指差した先。衣桁に掛けられた一着の軍服があった。
それは今俺が着ているドイツ軍の薄暗く重苦しい軍服とは正反対の、目を焼くように真っ白な軍服だった。
きっちりと糊付けされた詰襟の夏服(海軍第二種軍装)。金色の桜と錨のボタンがやわらかな光を反射して鈍く輝き、肩には真新しい立派な階級章が縫い付けられている。
「月彦さんは本来、エリートコースを歩んだ優秀な海軍士官だからね。ハイこれ、日向月彦『大尉』の軍服」
「……たいい?」
俺は思わず声を出した。
大尉。大尉か! 下士官の兵長だった俺からすれば完全に雲の上の存在やぞ。何十人、下手すれば何百人もの部下の命を預かり、海軍だと最前線で船と大砲を指揮する席や。
俺は首を横に何度も何度も振った。
「いやいやいや! 俺ずっとドイツの陸軍として動いとったんやぞ?! 船の動かし方なんか知るわけあるか!」
「大丈夫大丈夫! 周りの人間はみんな『日向大尉は優秀だ』って思い込んでるから、適当に頷いていれば船くらい勝手に動くって。……それにね」
優明はオレンジ色の目を細め、俺と目を合わせた。
「大尉の軍服を着るってことは、月彦さんはこれから『最前線の地獄』に行くってこと」
おう、そうか。
「後悔してない? 今ならまだ間に合うよ?」
その問いは悪魔からの最後の確認のようだった。
そうか。危ないところへ直行するかもしれんと。
俺はバッ立ち上がりバッと服を脱ぎ捨て、ガッと手を伸ばして真っ白な軍服を掴む。麻混じりの布地の涼しい感触を感じながら、真っ白な海軍の軍服に身を包み整えていく。
ヴェークの横に俺が居たらあんかったんや。あいつはアイツで戦わなアカンかったんや。もしかしたらイギリス《アイギス》を前にヴェークは死闘をして死ぬのもアリだったかもしれん。
だからな、俺は俺なりに、大尉だろうがなんだろうがやってやる。泥臭く数多の能力者と戦ってやる。
「後悔なんかせんよ」
鏡に映る自分を見た。ヘラヘラと笑われていた兵長ではなく、れっきとした大日本帝国海軍の将校の俺がいた。
優明が茶化してくる。
「おっ、似合うじゃん日向大尉!」
「で、俺はこれからどこの海に行くねん」
「ソロモン海域。激戦地どころか、今一番人が死んでる真っ只中」
「よっしゃ、なら俺とお前で全部ぶっ壊すぞ」
「そのつもりでいたんですよ俺は~っ!」
俺はニヤリと笑って軍刀を腰に提げる。




