【第十四話 東の悪魔】
月彦の部屋に居たその不審な男は、月彦と同じ日本人だった。
木製の椅子にぐるぐると拘束されたその男は、スカートのような奇妙な民族衣装『袴』を着ていた。月彦とひたすら何かを話し合っている。なんだかとても楽しそうに見えるが、残念ながら俺は日本語が全くわからない。
ある程度話し終えたのか、月彦はふうと背筋を伸ばして俺を見上げた。
「小野優明言うんやって、コイツ」
「おの、まさあき?」
「せや。能力は『水』らしいんやけど、山羊に変身できるらしいで。やらせるか?」
どういうことだ? 水と山羊に何の関連性がある?
俺は腕を組み、怪訝な顔でその男を見下ろした。
「あー……えー? とりあえず、そいつが嘘をついているかどうかは見ておきたいな。わかった、やらせてみろ」
月彦が捕らえた同郷の人間へ短い言葉を投げかける。俺には何を話しているのかはわからないが、優明という男は小さく頷いた。
直後だった。
ミチミチと、骨と肉が軋む異様な音が部屋に響く。
優明の体から全身を覆うように黒い獣毛が生え揃い、みるみるうちに筋肉が肥大化。衣服を内側から引き裂きながら、人の姿から冒涜的な異形の姿へと変貌していく。
頭部に生え際立つ立派な山羊の角。額には赤く濁った第三の目。人間の逞しい上半身に、山羊の禍々しい下半身。そして、背中からバサッと音を立てて開いたのは、巨大な蝙蝠の翼だった。
──それはまさに、黒山羊の怪物。
宗教画の中でしか見たことのない《悪魔》としか呼べない姿がそこにあった。俺は息を呑み、天井に届きそうなその悪魔を見上げる。
な、なんなんだこれは。なんなんだこの男は!
伝承は真実だったのか?! 本当に《悪魔》は実在するのか?!
ふいに、先ほどのヨハネの言葉が脳裏をよぎった。
『私は呪われし《悪魔》なのではないかと考えております』
まさか。いや、そんなオカルトめいた話があるわけがない。しかし、目の前の現実は俺の科学的思考を嘲笑うかのようにそびえ立っている。ならば試さなければならない。
俺は背後に控えていた彼へ早口で命令を下す。
「ブジョワ大尉、今すぐ医療室から注射器を持ってきてください。急いで!」
「はッ」
ヨハネが部屋を飛び出し扉が閉まる音がした直後。
俺は月彦を見た。
「月彦、もういいぞって伝えてくれ」
月彦が黒山羊の悪魔へ声をかけると、彼の全身は真っ黒な帯のようなものに包まれた。まるで巨大な繭だ。しゅるりと帯がほどけるとその中にいたのは一見ごく普通の人間の男、小野優明に戻っていた。
俺は《赤の鍵》強く握りしめる。
これはアーサー・E・テイラーと同じ性質の《鍵》かもしれない。だったら、彼と同じ中佐である俺にも使えるかもしれない。俺はすぐに空中に《赤の鍵》をかざし、扉を開くイメージを念じた。
──反応がない。
俺は自分の手元をまじまじと見つめた。
「ん?? コレ、そもそもどうやって使うんだ?」
俺の呟きを聞き、月彦が再び優明から情報を聞き出してくれた。
ヨハネが注射器をもって戻って来た頃、月彦は俺を見てあっけらかんと言った。
「持ち主ご本人か、持ち主が“心の奥底から信頼している”人間しか使えない特別な道具、らしいわ」
「なんだその非科学的で非効率なロック機能は」
「知らんわそう言っとったんや」
「えぇー……?」
嘘にしては変だし、真実だとしても変だな。
それに一番の問題はこの空間で『月彦しか日本語を理解できない』というところだ。こいつは能力的には最高なのだが、性格がかなり大雑把。伝わればいいだろうと重要事項の報告を省略したり、書類を綺麗に整えなかったりする節がある。今回もその『悪い癖』を発動している可能性が高いのが問題だ。
「他には? 他になにか色々と長く話してなかったか?」
「あー、多分お前に話しても『信じられへん』なること話とったぞ」
俺は無言で月彦の襟首を掴み前後に激しく揺さぶった。
「だから! それを! そういうのを細かく伝えろと言っているだろうが!!」
「わかりましたごめんなさい!」
月彦はようやく面倒くさそうに全貌を明かし始めた。
「優明はな、世界の戦争を終わらせるために俺を探しとったらしいわ。えーと、あとは名前なんやったっけ? 《シェルピェン・ザウェク》? って子も探してて」
「は? 続けて」
「この世界、ずっとループし続けとるらしいで」
ん?
……ん? 何を今日の天気の話みたいに当たり前のように言っているんだこいつは。
「でも今回、世界がバグっちゃってるらしいねん。ほら俺は何故かドイツ語を最初から覚えとったやん? それな、前回のリセットが上手く行かんかった弊害なんやと。ああ、ちなみに優明はこの世界の『運営側』らしいで」
ん??
「一番最後に《覚醒》するのがシェルピェンって子やから、どうにかこうにか手を加えて早く目覚めさせたいんやと。でも今回はバグりすぎて無理らしい。こいつはとりあえず俺だけを元の国に、日本まで安全に送り届けたかっただけなんやって。ああ俺は既に《覚醒》してるらしいから『運営側』に招くつもりでいて……お前、大丈夫か? なんも理解しとらん顔しとう」
「お前は俺になんの話をしている?」
「話そのまんま伝えとる」
俺は戻ってきたヨハネを振り返る。あの常に無表情で美しい彫刻のようなフランス人は頭をかしげていたが、今までの話を聞いてないのだからわからなくて当然。
脳の処理が追いつかなくなった俺は、極めて合理的な決断を下した。
「よし、じゃあとりあえず怖いし処刑する?」
こういう理解不能なバグは殺そう。そうだ殺そう。地下施設への侵入者を許してしまった俺の失態に繋がりかねんし、そもそも意味のわからない電波なことを言う狂人はさっさと殺すに限る。悪魔にも変身したし。
俺が腰の拳銃に手をかけようとすると、月彦は呆れた顔を俺へ向け顎で優明を指した。
「アホかッ殺す前に先に実験せぇや。血ぃ抜くチャンスやろ」
「あ、ああうん。はい、そうですね……」
あれ? 月彦って俺の部下(兵長)だよな? まあいいや、その通りではあるし。
月彦は椅子に縛り付けられた優明の袖を乱暴に捲り上げた。すると、先ほどまで恐ろしい悪魔に変身していた優明が大暴れを始め、月彦とごちゃごちゃと日本語で騒ぎ始めた。
しばらく取っ組み合いのような口論が続いた後、優明はギュッと目と口を固く閉ざし顔を背けた。
月彦がドヤ顔で俺に教えてくれる。
「大丈夫や! ただの注射怖い怖いや! 俺がしっかり押さえとるからさっさとやれぇ!」
「俺はどういったテンションでこの悪魔から血を抜くのが正解なんだ」
「ええから早よやれぇ!!」
「はい……」
こういう時の月彦には素直に流されておくのが一番だ。
俺は太い注射器の準備を整えながら、頭の片隅で冷静に思考を巡らせた。
世界がループしているって? なんのループだ。どこからどこまでが、どうしてループしている? というか《シェルピェン・ザウェク》って結局何者なんだ? あいつが不死身の化け物であることは前回の潜入で判明しているが、なんでイギリスのアイギス共に守られていた? あいつがこの世界の『何か』を握っているというのか? だが、今さらシェルピェンを捕まえたとて、それだけで中佐からの昇進は厳しいだろう。やはり目の前の『能力量産計画』を成功させるのが最優先だ。
俺は優明の腕に針を刺し、どす黒い血液をシリンジ一杯に抜き取った。
その瞬間、痛みに顔を歪めていた優明が月彦に向かってポツリと何かを呟いた。
それを聞いた月彦は、目を見開いて聞き返す。
「……え?」
月彦はバッと俺を見た。優明は何か重要なことを言ったらしいが、動揺した月彦が問い返しても、優明はもう固く口を閉ざして答えなかった。
なんだ? 嫌な予感がする。
だが、俺は採取した血液の入った注射器を専用の保護箱におさめ、上官として命令を下した。
「月彦、その日本人から情報をできる限り吐き出させろ。俺はその間に、この血を実験体に投与してくる」
「……わかった」
俺はヨハネと共に部屋を出た。これから始まる惨劇の結末など知る由もなく。
◇◇◇
【日向月彦 視点】
俺はヴェークの金色の頭が見えなくなってから、優明を見下ろす。
橙色の袴を着た彼は、オレンジ色の目を俺へ向けて椅子の上でふんぞり返る。その胴体も足も椅子にくくりつけられているのに態度だけはご立派だった。
彼はニヤニヤと俺を見ながら口を動かす。
「それで思い出せましたか? 一九三◯年から以前の記憶」
今から十三年前の記憶。
やはり何度考えてもそこから前の記憶が抜け落ちていて、一番古い記憶はこれだけ。
『ヴェークテルン・シュミートと俺は親友で、幼年学校で共に過ごしていた』
両親の顔はずっとわからない。だが何故か国籍はここにあって、小さな頃からドイツ語がわかっていて、ヴェークだけが俺を差別せず普通の子供として遊んでくれた。この記憶が一番古い記憶だ。
「俺さぁまどろっこしいの嫌いだから答え言うね? 俺らはね『一九三◯年の一月一日から一九四五年十二月三十一日まで』をず~~~っと繰り返してんのループしてんの」
「その運営側がお前やと」
「わかりやすく運営側って言っちゃったけど、半分は違うかな」
俺はこういう話は信じるぞ。なんせコイツは俺の目の前で突然出てきた《扉》から現れて開口一番にこう言ったんや。
『日向月彦! お願い信じて俺はお前を日本に送り届けたいだけだから!』
あの声、顔、言葉、ここに嘘は感じなかった。俺はそういう勘だけは当てられる自信がある、実際テストも勘だけでどうにかしてきた箇所が至るところにある。
疑わしいのはまぁその通りではあるが、俺は優明の言葉を信じて聞き続けた。
「本物の運営側が居るんだよ、俺はソイツから『この仕事お願い』って託されて動いてるだけ。俺が持ってた《赤の鍵》あんじゃん? 世界各地に《鍵》持ってる運営一杯いんの、俺はその一人ってだけ」
「つまりお前は雇われた側?」
「そう!!」
なるほど?
「黒幕が後ろに居ると?」
「まぁそういうことになりますね」
ほ~ん?
俺は首をかしげながら聞いた。
「その黒幕の名前知っとんのか」
「そのヒトは《ニャルラトホテプ》って名乗ってたね、長いから俺は《ニャル》って呼ぶことにした」
聞き慣れない名前やな。にゃる? 猫かなにかか?
よし、混乱してきた。一旦頭の中で俺なりに整理しよう。
【俺の過去とヴェークについて】
俺は一九三◯年より前の記憶が一切ない。親の顔も知らん。気がついたらドイツにおってなんでか最初からドイツ語がペラペラやった。周りから東洋人やと差別される中で、唯一普通に遊んでくれたのがヴェークや。あいつは親友やし、俺はあいつのために戦うって決めた。
【アイギスの暗殺】
ヴェークが「出世のためにイギリスの化け物を殺す」って言うから手伝った。俺の『能力解除の炎』で、アーサーって奴の氷を消し飛ばして首をスパーンと斬り落としたわ。なんか銀色の女の子? が首なし死体を回収して逃げてったけど、まぁヴェークが中佐に出世できたからええやろ。
【怪しい人体実験】
中佐になったヴェークは無能力者に血を入れて能力者にする実験を任されとる。ヴェークの血はあかんかったけど、ヨハネっていう顔のええフランス人の血やと上手くいくらしい。その理由を解明しようと頑張っとる。
【謎の侵入者『小野優明』と世界の真相】
そしたら突然、俺の部屋に《扉》を使って怪しい日本人が現れた。コイツの言うてることがマジでヤバい。俺の勘が『嘘やないで』って言うとるから信じとるけどなかなかにこれがエグい。
えー、曰く。
この世界は『一九三◯年〜一九四五年』をひたすらループしとる箱庭。コイツは運営側の人間で、俺と『シェルピェン』? の力を使って世界を正しい状態に戻したいらしい。でも今回はバグりすぎてるから諦めて、俺だけ日本に連れて帰りたいらしい。
もはやいろいろヤバいんやけど、直近で一番マズイんはこれや。
さっき優明から血ィ抜いてヴェークが「実験体に注射する!」ってウキウキで部屋を出てった直後、優明がボソッと言いよった。
『お前らってさぁ、血を使って増やした人工能力者が三ヶ月後に確実に死ぬこと知ってるの?』
いや知らん! ヴェークに早く教えなアカン!! ……って、もう注射しに行った後やんけ。どないしよ、あいつまた厄介な爆弾抱えんでもぉ~~~ええ加減にしぃ?
ま、これを全部ヴェークに話しても『は?』で終わるから言わんとこう。
優明から聞かれた。
「それでどうします月彦さん。俺と日本戻る? それともこの国でもうちょい頑張る?」
「この国でもうちょい頑張る」
「俺を逃がし」
「断る」
優明は目を閉ざし、ゆっくりと、ゆーっくりと息を吐き出した。困っとるなぁこいつ、そらそうや。真実話したのに逃がしてくれないなんてどないしたらええねんなるわな。
悪い悪い、俺の上司が許可せんとな~んも動けんねん。お前軍人か? 軍人じゃなくてもええや、そういうもんやここは。
俺は腕を組みながら優明を見下ろす。
「多分俺はお前の翻訳者としてつきっきりになるから、とりあえず知っとること全部お話ししぃ」
「いくらでも話すけど、ここまで理解できてる?」
俺は一言でこれまでの話をまとめる。
「つまりはお前は不審者ってことや」
「その通りですね!」
──俺は三時間ぐらい優明と話しまくった。
俺やっぱ関西人やねんな、話し合うヤツ居ると話が脱線しまくりのウネウネしまくりの豪速球会話劇になんねんな。ああ優明の故郷は茨城県らしい。俺が『あそこって観光するとこあるぅ?』聞いたら『観光するとこがないところが唯一の長所だから』こんな感じに脱線しまくった。
あっ誰か来る。
扉の奥から人が来る気配を感じて、俺は木椅子から立ち上がる。あくまでも『尋問してましたよ?』な態度で優明を見下ろした。
ガチャ、と扉が開くとヴェークの姿。
俺は彼が何かを言う前に懐に暖めておいた情報を伝えた。
「ヴェーク聞け。『血清』にすれば九割で能力者になるらしいで」
ヴェークは金色の目を鋭く光らせ、俺ではなく優明を睨んだ。
「その言い方、まるでソイツの血が『人工能力者に適していることを知っていた』ような口ぶりだな」
「本人が話してくれたんや」
たった三ヶ月後にバッタバッタ死ぬことは隠しておこう。この話をするなら優明の正体についてもヴェークに説明せなアカン、凝り固まった頭しとうヴェークが話を理解できるわけがない。
俺は聞いた。
「どうやった? 上手くいったか?」
「背中から蝙蝠の翼が生え、両手が犬のような手に変わった」
「成功やん!」
一発で成功?! これは画期的と言うものでは!
しかしヴェークの声はいつもより低かった。ヤツは俺をチラッと見てから優明を見る。
「ヨハネの場合どんな能力者になったか知ってるか?」
「そういやぁ……知らんな」
「“黒い翼”が生えるんだ」
それのなにが問題だ??
「黒い翼を持ち、念力を扱える。能力者は本来『一人につき一つの能力』しか扱えないはずなのに、人工的に作ると複数の発現が見られる」
おぉ、うん。深刻そうな声やけど俺からしたらすごいことだなとしか思えん。
俺はいっそのこと聞き出した。
「それで何が問題や」
「もしかしたら本当に『悪魔』の血なのかもしれないな」
俺はつい日本語で『悪魔?』と聞いてしまった。それの何が問題なのかやはりわからない。悪魔ってあれやろ? 優明が変身した姿みたいな禍々しい概念の生き物やろ? ああそういや俺って宗教のテストめっちゃ寝てて点数くっそ悪かったからヴェーク達の宗教観いまいちわからんわ。すまん。
すると優明が口を動かす。
「これだけは断言する。俺は人間だよ間違いないね」
ヴェークには優明の言葉は伝わらない。
すると、廊下の奥から足音が複数。二、いや四人の足音。扉が開くと部下を二人増やしてご登場。
ヴェークは優明の元へ靴を鳴らし彼を見下ろす。その目は道具を見るかのように冷たくて、ああ、いつもの無能力者へ向けるあの目をしていた。
「では小野優明、これから血液タンクとして我が国に貢献してくれ」
優明は何を言われたかわかっていないハズなのに、場の空気で察したのか俺を見て一言だけ呟く。
「もしかしてだけど、俺ってやっぱり血液工場にされちゃう?」
「せや」
優明は天井を見上げ、何かを諦めていた。
◇◇◇
【ヴェークテルン・シュミート視点】
月彦は「成功やん!」と無邪気に喜んでいたが、俺の内心は冷たい汗で濡れていた。
こいつは宗教の授業を寝てサボっていたから理解できないのだろう。だが、科学と宗教学の両方を学んだ俺からすれば、目の前の光景は『成功』などという生易しいものではなかった。
本来、能力者というものは『一人につき一つの異能』しか発現しない。炎なら炎、氷なら氷。それがこの世界における絶対的な生命の法則だ。
だが、ヨハネの血を入れた実験体はどうだ? 『黒い翼』を生やし、さらに『念力』を使う。そして今、小野優明の血を入れた実験体は『蝙蝠の翼』を生やし、両腕が『獣の腕』に変質した。
複数の異質な生物の器官が一つの肉体にツギハギのように混ざり合っている。こんなもの『人類の進化』ではない、ただの冒涜的な『キメラ』だ。
……俺は今、国家を救うための兵器を作っているんだよな?
自らの手で地獄の釜の蓋を開け、この世に本物の悪魔を量産しようとしている、訳ではないよな?
俺は優明を見下ろした。
だとしても引き返すことはできない。俺が《アイギス》の首を獲った功績を完全にし将官へと上り詰めるためには、この悪魔の量産計画を成功させるしかないのだから。




