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馬車の車輪が、滑らかに舗装された王都の石畳を規則的な音を立てて転がっていく。
革張りの上質なシートに腰掛け、私は流れていく車窓の景色を眺めていた。
ヴァレリウス領を出発してから三日。かつて両親が生きていた頃に一度だけ訪れたことのある王都ルテティアは、私の記憶にあるよりもずっと眩しく、活気に満ちあふれていた。
高層の白亜の建築物が建ち並び、行き交う人々は最新の流行に身を包んでいる。あちこちに魔導ランプが灯り、活気に満ちた噂話と馬車の蹄の音が交錯していた。
「……何を考えている、レティシア?」
向かいの席から、低く甘い声が降ってきた。
視線を向けると、カイウス様が膝の上に広げた書類から目を上げ、私をじっと見つめていた。
旅の途中だというのに、彼の姿には微塵の乱れもない。黒を基調とした洗練された上着を纏い、翡翠色の瞳には私に対する深い関心だけが宿っている。
「いいえ。……王都の眩しさに、少し気後れしていただけです。私の知っている王都と、今の王都はまるで別世界のようですわ」
「ふむ。田舎の泥臭い生活に慣れすぎて、都会の空気が肌に合わんか?」
「まあ、カイウス様ったら。そんな言い方……」
私が少し口を尖らせると、カイウス様はふっと口元を緩め、隣のシートへと移動してきた。
当然のように私の隣に滑り込むと、彼は長身を寄せてきて、私の細い腰に回した手で優しく引き寄せた。
「きゃっ……カイウス様!?」
「車内は揺れる。こうしていた方が安全だ」
「仕立ての良い公爵家の馬車が、そんなに揺れるはずありませんでしょう……!」
真っ赤になって抗議する私を、彼は満足そうに見下ろすと、その大きな手で私の手甲を包み込んだ。
かつてインクと泥で汚れていた私の指先は、彼が毎夜丁寧に軟膏を塗り込んでくれたおかげで、今ではしっとりと柔らかく、本来の美しさを取り戻しつつあった。
「……王都の連中など、気にする必要はない。彼らがどれほど着飾り、甘い香水を振り撒こうと、己の足で立ち、領民のために汗を流してきた君の気高さには到底及ばん。胸を張っていればいい」
耳元で低く囁かれる言葉に、胸の奥が甘く痺れる。
冷徹な『氷結の処刑人』として恐れられる男が、二人きりの時にはこれほどまでに甘く、そして過保護になるなど、誰が想像できただろう。
「はい……。カイウス様がついていてくださるなら、私、何も怖くありません」
私が真っ直ぐに見つめ返して微笑むと、カイウス様は一瞬息を呑み、どこか気まずそうに視線を外した。だが、耳先が微かに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
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王都に到着した私たちがまず向かったのは、シルヴィウス公爵家の本邸だった。
広大な敷地にそびえ立つ城のような大邸宅。立ち並ぶ従者やメイドたちの整然としたお辞儀に迎えられ、私は改めてカイウス様という存在の大きさを痛感させられた。
しかし、感傷に浸る間もなく、私は公爵邸の豪華なサロンへと押し込まれることになった。
「ようこそお越しくださいました、レティシア様! 公爵閣下より『最高のドレスと装飾品を』と仰せつかっております!」
待ち構えていたのは、王都一のオートクチュール『サロン・ド・クレール』の店主と、十数人ものお針子たちだった。
彼女たちは私の寸法を素早く測り、次々と色鮮やかなシルクやレースの生地を私の体に当てていく。
「カイウス様、あの……! 私はそのような贅沢なドレスは必要ありませんわ! 薬師ギルドとの契約を結び、陛下にご挨拶に伺うだけでしたら、もっと質素な……」
「黙って着せられていればいい」
サロンのソファに優雅に腰掛け、ワイングラスを傾けていたカイウス様が、冷たく、しかし拒絶を許さない声で言った。
「君はこれから、私——カイウス・アウレリウス・フォン・シルヴィウスの『正式な婚約者』として社交界に披露されるのだ。ヴァレリウス男爵家の誇りを示すためにも、そして……私の妻となる女性がどれほど美しいか、王都の有象無象に見せつけてやるためにもな」
「〜っ! あなたという人は……!」
相変わらずの「自分勝手な正論」に、私は顔を真っ赤にして黙るしかなかった。
けれど、私を輝かせたいという彼の強い独占欲と愛情が透けて見えて、嫌な気持ちなど微塵も湧いてこなかった。
数時間後。
仕上がったドレスに身を包んだ私は、姿見の前に立っていた。
鏡に映っていたのは、自分でも信じられないほど気品に満ちた女性の姿だった。
ドレスの色は、暗闇に咲く銀嶺草を思わせる、深みのあるシルバーブルー。上質なシルクの上に、繊細な銀糸と翡翠の小粒な宝石で、氷の結晶のような刺繍が施されている。
露出は控えめだが、胸元から立ち上がるレースの襟が、首筋の白さを際立たせていた。
栗色の髪は優雅に結い上げられ、輝くサファイアのティアラが添えられている。
「……これ、本当に私……?」
ぽつりと呟いた私に、背後から足音が近づいてきた。
鏡越しに、カイウス様が私を見つめている。彼自身も、金糸の飾りがついた完璧な漆黒の礼服を身に纏っていた。
カイウス様は言葉を失ったように、しばらくの間、私をじっと見つめていた。
その翡翠色の瞳に、激しい感情の揺らめきが宿る。
「……カイウス様? おかしく……ありませんか?」
「……いや」
カイウス様はゆっくりと歩み寄ると、私の後ろから手を伸ばし、私の腰を抱き寄せた。
首筋に彼の温かい吐息が吹きかかる。
「息を呑むほど……美しい。私の想像を、遥かに超えている」
低くかすれた声。
彼は鏡の中の私の瞳を真っ直ぐに見つめながら、私の肩口に軽く唇を落とした。
「誰にも見せたくないな。今すぐこの屋敷に閉じ込めて、私だけのものにしてしまいたいほどだ」
「カ、カイウス様……っ。お針子さんたちが……!」
「誰も見ていない。……見ている者がいれば、明日から辺境へ飛ばすだけだ」
意地悪く囁く彼に、私は胸をトキめかせながらも「またそんな恐ろしい冗談を」と苦笑した。
けれど、彼の瞳にあるのは冗談ではなく、真真たる情熱だった。
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翌日。
私たちはまず、王都の薬師ギルド本部へと向かった。
ギルド長を務める老薬師マスター・グランは、私たちが提出した『銀嶺草の標本』と『年間供給契約書』を手に取り、眼鏡の奥の目を丸くしていた。
「素晴らしい……! これほど純度が高く、魔力の帯び方が均一な銀嶺草は、過去数十年の記録を見ても存在しません! しかも、これを年間を通じて安定供給できるとおっしゃるのですか、レティシア様!?」
「ええ、ギルド長。すでにヴァレリウス領の第三坑道では人工環境の構築が進んでおり、三ヶ月後には第一陣の出荷が可能です。中間マージンを排除し、貴ギルドと直接取引させていただくことで、市場価格よりも二割安く提供できます」
私は淀みなく、明確な数値と論理で説明を展開した。
かつて執務室で一人、夜を徹して計算し続けたデータが、今ここで完璧な武器となって私を支えている。
グランギルド長は深々と感銘を受けたように頷き、即座に羊皮紙に署名した。
「見事なご手腕です! ヴァレリウス男爵家との独占契約、喜んでお受けいたします! これにより、王立病院や魔導師団の薬不足は劇的に改善されるでしょう!」
契約成立の瞬間、私は隣に座るカイウス様と視線を交わした。
カイウス様は誇らしげに口元を緩め、テーブルの下で私の手をぎゅっと握り返してくれた。
これで、ヴァレリウス領の経済的再建は決定的なものとなった。
コルネリウス商会に頼る必要など、最初からなかったのだ。
だが、喜びも束の間。
私たちが次に向かった王立宮殿の「大広間」では、別の試練が待ち受けていた。
──
宮殿の大広間は、王都中の高位貴族たちが集まり、絢爛豪華な雰囲気に包まれていた。
今日行われるのは、国王陛下への謁見と、それに伴う夜会だ。
私とカイウス様が広間に踏み入った瞬間、周囲の雑音が一瞬で途絶えた。
すべての視線が、私たちに注がれる。
「あれが……『氷結の処刑人』シルヴィウス公爵閣下か……?」
「お隣の女性はどなただ? まるで夜空に輝く月のように美しい……」
「待て、噂では地方の貧乏男爵家の令嬢だと聞いたぞ。あの、コルネリウス商会に捨てられたという……」




