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心の世界

何も考えていないと見てしまう景色がある。泣きながら歩く子供の姿。悲しかったんだな、今でも僕はあの涙の味を覚えている。


忘れられないきっと、死んでも…


心に映る景色を見たくないから、また考える、癖のように考える、死とは何だろう、本当に死とはあるのだろうか、身体が壊れたら僕の心を注ぐ器が無くなる。


器から溢れる心はどこに行くんだろう、器が無くなると心が無くなるとしたら幽霊の心とは心では無いことになる。しかし、現実に肉体を持たない幽霊の姿を見る者がいる。幽霊が生きた人の中に入り込み、身体の自由を奪うことがある。どうしてそんなことが心を持たない者に出来るのだろうか、心を持つから出来ると考える方が理に叶い、納得し易い。では心は固体でも液体でもなく気体と考える方が理解し易い…太古に生きた賢人は知識の蓄積が無い状態で思考することを余儀なくされていた。何を手掛かり足掛かりにして思考の体系を組み立てたのか、感覚の鈍くなった現代の人間には知り得ることは出来ないのか、霊という幽かな世界を語った過去に生きた者達は、触れてはならない禁忌をどのように解明したのか、言葉という機能の形が心というそれをそれそのものとして語ることの出来ない喩えでしか語れないものの機能として形が成り立たなくなれば、迷い惑い、恐れても仕方ない。


仕方ない。仕方ないのにそれを選んだのは自分だから…自業自得で納得して成仏してくれと僕は望む。


巡回しながら、自問自答した。


「それがなにでも、もっともはじめに自分を否定することからはじめないなら、ほんとのことはわからない。なぜかわかるかい」


わからないと、表情でつたえる。


「なにがわからないのかな、否定という言葉が、言葉の意味と内容がわからないのかな、それとも自分を否定することの意味と内容がわからないのかな、どっちかな、それとも両方かな」


表情は、自分を否定することの嫌悪、不快さを表に現している。


「本能から先に辿り着くためには本能を理解して、操作し制御しないとならない。そのためには理解の力を必要とする。理解の扉を開くものそれが象られた字が非であり、非とはその意味と内容をやさしく描き直すとただしくないという意味と内容になる。ということは悲という感情はただしくない心ということになり、ただしくないから悲しいということになる。否定とはそうではない、違うと打ち消すこと。つまりただしくないから違うと打ち消されることが否定ということで、つまり自分を否定するということは自分はただしくないと自分で自分を打ち消すことになるから、それが嫌だというなら自分は自分をただしいと感じているということになる。わかるかい、それが本能という力の正体さ」


殻を見せつけられた。

重く硬い衣の色を、僕は見つめた。

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