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アーク・ノヴァ――天球の音楽――  作者: 道詠
鹿砦の罠
11/19

The little Harmonia villagers γʹ

【ピピッ、ピピピピピッ!】

 目覚まし時計が鳴り響き、鳩羽は目を覚ます。時刻は6時50分だ。

(すやぁ……)

(おきなきゃだめだよー!!)

 それから10分後、2度寝の誘惑に漸く打ち勝った鳩羽は、ベッドの上に腰掛けてボーっとしている。

 ろくに眠れなかったせいで身体がひどく重たい。あんな事があったせいか、身体を起こすのも億劫だった。

(シャワーどうするの?)

「……なあ、こんな意味不明な場所で軟禁状態なのにシャワーやトイレを使うのは抵抗がないかね?」

(引き延ばしにしてても、しょうがないよ?)

「…………素っ裸だぞ? 手許に鈍器やスタンガンを置いたところで、一発でアウトじゃないか。ろくな医療設備だってないし、あったところで医療従事者が居る訳でもないし……しかも、シャワーやトイレは狭い個室だ、密室と言ったって出たところを狙われたら対応しようもない……いやだぁぁぁ……!!」

 鳩羽は頭を両手で抱え、こんなとこやだやだとぶんぶん頭を左右に振り出し、気持ちが悪くなって手で口許を押さえる。ヘドバンは苦手らしい。

(おんなのこはたいへんなのねー)

「男に成りたい……切実に。いっそ、バリケード作って引きこもるか。ホラーやミステリだと死亡フラグだけど、現実的に考えたら一番の安全策だろう。固まって雑魚寝とか集団だから安心だねって油断してる奴らに睡眠薬入れて眠らせればノンかレムか確認した後サックリ皆殺せるじゃないですかー」

(それはヘンな考えだと思うけど……ま、まあまあ、ヒトゴロシ? がいないかもしれないし)

「居るかもしれない可能性の方が高いだろ」

(それがイジワルなゆーかいはんのねらいかも?)

「あぁ、ブラフで殺人を誘発する訳か……行き過ぎた警戒心のせいで誤解して殺害してしまうケースや過剰防衛で殺害してしまうケース……だめだ、もう絶望過ぎる気がしてきた」

(あんがい、なにもおこらないって! かんがえすぎだよ~)

「主導権は絶対的に誘拐犯陣営にあるだろう。私達が何の事件も起こさなければ、事件を起こす為に必要なトリガーを見繕ってくるだけだ。

あかん、考えれば考える程この状況が既に“詰み”に入ってる……」

(じゃあ、しんじゃう? ゆーれーになれば、こわいものなしだよ!)

「キミ、お化け怖いじゃないか」

(うっ、うぅ~! アヤメちゃんのいじわるー!! きらいだー!!)

「ハイハイ。まぁ、汗臭い言われるのも悲しいし、シャワー浴びに行きますか、しゃあない……」

 よっこらせっと重たい腰を上げた鳩羽は、沈んだ面持ちながらもこの場所での生活への1歩を踏み出すのだった。


 罠を警戒してシャワーも調べた鳩羽は、バスタブには目もくれず、5分でシャワーを浴びた。

(長湯は死亡フラグ。ゆえにわれいそぐ)

(なんかの見すぎだよ、アヤメちゃん……そんなに心配すること、ないと思うけどなぁ)

「ここは未知の場所だぞ。何があるかは分からないじゃないか。窓のない住宅なんて初めて見たし、胡散臭いにも程がある」

(なんとなくだけど、空回りしてるよーなきがするよ)

「勝手に言ってろ。私は警戒を緩めない。それが生存への近道だ」

(……アヤメちゃんって、ミステリーだとぜったい主人公になれなさそう)

「絶対的な悪運を持った死神探偵と比べるな! 一般人はせこせこ用心してるしかどう足掻いても絶望なんだよ……あぁ、ドッキリだったらいいのに」

(この空気だったら、たとえ殺人者がいなくても、居もしない人殺しの役に怯えてだれかが殺人を犯しそうだよね。やられるくらいならやってやる! みたいなノリで)

「うああ……! うあああ……!」

(アヤメちゃん!? 発狂しないで! まだ早いって! ボクがわるかったから、アヤメちゃん! ごめんってばぁ~!)

「……はっ! しまった、アイロンがない!」

(アイロン!? ドライヤーじゃなくて!?)

「あっ、ごめん、そう、それ、言い間違えた……」

(アヤメちゃん……しっかりしよ? ホラーもグロもダメだからって、他の人たちは手加減してくれないよ?)

「……物置にあるかな」


 靴を履いて廊下に出て物置へ向かおうとすると、正面からアレックスが歩いてくる。向こうはこちらに気が付くと、にこやかな笑顔と共に手をふってくれた。

「あれ、ハトじゃないか。おはよう、良い朝だね」

「おはようございます。って、アレックス、髪濡れてるよ?」

「そういうハトこそ」

 水も滴る良い男を体現している今のアレックスは、何時もと比べ男前度が上がっている。風呂上りだというのにワイシャツを着ているからもあるだろう。

「私はドライヤー部屋にないって失念してて……もしかして、アレックスも?」

「うん、そうだよ。昨日は書庫を調べていたら、疲れてしまってね。よくないと思ったんだけど、シャワーも浴びずに寝てしまってたんだ」

「色々あり過ぎてて、私はなんにもする気力なかったな。なにを調べてたの?」

「暇潰しを目的に置かれたんじゃないのだとしたら、なにかこの建物について手掛かりがあると思ったんだ。結果は芳しくなかったよ」

(かんばし……? ってなあに、アヤメちゃん)

(何度も言ってるが、人が居る時に聞かないでくれ。此処に来てからと言うものの、前のが再発したんだな……)

「ところで、昨日のオッドアイはカラコンつけてたんだよね?」

「あぁ、ほら、みんな自分とは違ったら落ち着かないだろ?」

「どんな美人も3日で見飽きるって言うじゃないですか」

「あはは、ハトは優しいね。ありがとう」

「……? 日常生活を送るって言っても、脱出のチャンスがいつどんなところに転がってるか分からないし、気疲れすぎないよう気を付けて」

「ハトこそ大丈夫かい? あまり体力がある人には見えないけど……おっと、お節介だったかな?」

「あはは、実際もやしボディだからね、うん。でも……シャワーする時って裸になるでしょ? こんな所で無防備な姿晒したくないし、運動したら汗かくしで迷ってる」

「妥協しないといけないラインがあるからね……そうだ、ハトがシャワーを浴びる時はボクが部屋の前に立ってようか? 見張りは未経験だけど、ハトが不安なら吝かじゃないよ」

「あはは……気持ちだけはありがたくもらっとくよ。あまり気を張っていてもいざという時、疲れて動けなさそうだし、覚悟する事も必要なんだろうな……」

「その時はボクがハトを守る。だから、ハトはもうすこし安心して」

「……アレックスって紳士なんだね。なんだか、てれちゃうな」

「ノブレス・オブリージュかな。でも、例え高貴でない者でも強き者には婦人や子供を守る権利がある。

始まりが悲しいものだととしても、最初の福祉国家として、流れる血に対して誇れる人になりたいと思うよ」

「??? アレックスって凄いね。私も日本人として気を付けるよ」

「あはは、案外、外国を訪れた時、自国に対して失礼にあたらないよう気を付けようって気持ちになるから、今はそういう時なだけかもしれない」

(すごいなあ。日本人としてなんて考えたコトもないや。ボクが海外に旅行へ行く時は楽しむコトに全力疾走だよ!)

「え~、普段もがんばってってば」

「うん、ハトの前だからね」

「あはは、アレックスってイタリア人みたい」

「? どうしてだい? 日本人にも大阪と青森で気質が大きく違うように、そういうのはアテにならないと思うけど?」

「ゴ、ゴメン。深い意味はないんだ」

「でも、もったいないだろ? そういう種類分けをする前に、その人を直接見たら良い。本当に必要になった時だけ、使えばいいだけの話じゃないかな」

「そうだね。レッテル貼りは便利だけど、便利なだけだ。多用するのは何事もよくないよね、うん、ごめんなさい、アレックス」

「しつこいようでごめんね、ハト」

「気にしないで。それよりさ、後でみんなを集めてゲームでもしてみない? 娯楽室ならボードゲームもありそうだし」

「うん! 面白そうだ、賛成だよ。そうだ、これ、どうぞ」

「ううん、大丈夫。ありがとね。それじゃ、また」

 差し出されたドライヤーを断った鳩羽は笑顔でアレックスと別れる。

(アレックスって、とってもまっすぐなひとだね! いいひとそう!)

(昨日もそうだったけど、責任感のある真面目な人だな。あるいは……)


 今朝の食事当番は茶雀と鳩羽だ。鳩羽が一足先に厨房へ入ると、出しっぱなしにされた牛乳が目についた。

(こんなところに、だれが置いたんだろ?)

 少年も腕を組んで首をかしげるが、すぐに冷蔵庫の前へ飛んで行って(あけて! あけて!)と催促し出す。

 冷蔵庫を開けると、中にはぎっしり食材が詰まっている。消費期限切れの食品が入っていようと、見逃してしまいそうだ。

 厨房のドアが開き、誰かが足を踏み入れる音がする。鳩羽が振り向くと、正体は茶雀だった。

「おはよう、茶雀君」

「おはようございます」

「あんまり眠れてないみたいだね……だいじょうぶ? 食後にホットミルクでも淹れようか」

「大丈夫ですから……」

 茶雀の目の隈は悪化している。無理もない、と鳩羽は同情の目を向けるが、茶雀は顔を背けてエプロンを着ける。

「……あれ、エプロンがない?」

「ショッピングセンターに置いてありましたよぉ」

「あっ、そうなんだ。ありがと! ごめん、ちょっと行ってくるね」

 鳩羽はぱたぱたと厨房を出て行こうとする。すると、茶雀がふらり、と立ち眩みを起こしてしゃがみ込む。

「……っ……」

「だ、大丈夫!? じゃないよね、医務室に行かないと……!」

「平気、ですから……」

「顔色だってわるいのに、無理しないで」

 鳩羽が茶雀の肩を支え、茶雀は何とか立ち上がる。鳩羽は医務室へ行こうと誘うが、茶雀は首をふった。

「何時もの事なんです。こんな所に連れて来られて、そのせいで薬がないから……」

「少しの間、椅子に座ってて休んでて。それだったら、いいかな?」

「……すみません」

「いいよ、困ったときはお互い様だもの。それじゃ、行ってくるから待っててね」

「はい、いってらっしゃい……」

 鳩羽はにこっと笑い返し、元気よく厨房を飛び出して行った。


「おはよう! 今日も良い朝だね、みんな」

「なーにが良い朝だよ。まだ寝てたかったつーのに……ふわあ」

「頭いてぇー……」

「海松さん、あんたまさか二日酔いじゃねぇだろうな?」

「いやぁ、どんなお酒があるのかなぁってね! ここ、ウマイ酒がたーんとあるみたいでオジサン気に入ったよ!」

「ダメだこの大人……」

 そうやって彼らが微笑ましい(?)雑談を繰り広げていると、厨房のドアが開いて茶雀が顔を覗かせる。

「あ、あのぉ、朝食できましたから……」

 ハムエッグにトースト、林檎が入ったヨーグルトリンクが朝食のメニューだ。

「どうぞ、トリボロスさん」

「……必要ねぇ」

「ええっ? じゃあ、これどうしたらいいんですか?」

 トリボロスは珈琲を飲んでいる。代わりにアレックスが「ボクにくれるかい?」と申し出た。

「おれが食べますよぉ」

 ほっこりとほころんだにこにこ顔の茶雀がぱんと両手を叩いた。鳩羽はどうしようと2人の顔を交互に見遣る。

「ごめん、茶雀。ここはボクに譲ってくれないか」

「えぇ……はい、わかりましたぁ……」

「すまないけど、退室させてもらうよ。すぐに戻って来るから、先に食べていてくれ」

 鳩羽と茶雀が配膳を終え、全員が席につく。他に集まっているのは山鳩、トリボロス、オシロサマ、アレックス、海松の5人だ。

「あいつ、寝るなつったのに……仕方ねぇな。つか、オシローは起きろ」

「いにゃっ! いったいなー、もう。安眠してたのに」

 頭をべしっと叩かれたオシロサマは不満そうに口許の涎を拭う。きったねっと山鳩が呟くと、オシロサマはニコヤカに涎のついた手を近づけてきた。

「うわっやっめろ!」

「ほれほれ~」

「カルマ君はどうしたの?」

「夜型だから、慣れてねーんだよ。ってオメー好い加減にしろや!」

「いたーい~」

『いただきます』

「あー、なんにもしなくても朝食が出るシアワセ~」

 海松は幸福そうな表情でもぐもぐと食べている。少し遅れてカルマとテグスが食堂へやってきた。2人共、サングラスをかけているが、恰好は昨日とスタイルが似ている物だ。

 2人は挨拶を交わし、席につく。立ち上がりかけた茶雀を制して鳩羽が配膳する。

「茶雀、寝てないようだけど平気かい? 辛いようなら、医務室に睡眠薬が置いてあるよ」

「アレックスさん、すみません」

「ハーブティーを淹れてあげよう。きっとぐっすり眠れるよ」

「そっか、それじゃあゲームは後回しにしないと」

「ゲーム? なにそれオモシロソー」

「ゲームって言っても決まってないんだけどね。時間つぶしにどうかなって」

「フフ、オレにナイスな提案があるんだけどどう? どう? 聞きなさい」

「命令するくらいなら最初っから聞いてくんなよバーカ」

「リョックンはツンデレなんだねぇ、把握したよ☆」

「山鳩、手は出しちゃだめだ」

 殺意の眼光を放つ山鳩を華麗にスルーしたオシロサマは、笑顔なのに泣き顔と言う矛盾した表情[メイクのせいだが]を見せびらかして、提言した。

「――汝は人狼なりや? なんてゲームはどうかな」

「へえ、私頭使うゲームは全般的にアウトなんだけど」

「知ってるのか、ハト?」

「名前だけね。でも、難しそうなゲームだったと思う」

「ゲームは娯楽室で行うよ。フフン、みんな楽しめるコト間違いなしさ! このブームに乗りたかったら、この指にとーまれっ」

「で、どうする?」

 全員はオシロサマをなかった事にして話を進める。ぶーぶーとオシロサマがちょっかいを出してくるので、山鳩が拳を振り上げ、テグスが必死で止めた。

「クソムカつく、殴りてぇー!」

「キャーコワーイ!」

「バカップルは黙ってろ」

 鳩羽の冷え切った視線が突き刺さる。山鳩は怒りから顔を赤くするが、テグスは「いいかげんにしなよ、迷惑だよりょっくん」と頬を赤く染めて山鳩の足を踏ん付けた。

「お、おめー、他にもうちょっと、あるだろ……」

「口で言ってもやめない子には、弁慶の泣き所のほうがよかったかな」

 つーんとした顔でテグスが言うと、慌てて山鳩は「おーテグスは優しいよなぁ!」と目に見えた態度をとりだす。


 食堂に帰ってきたアレックス、ゆっくりと食べる菜種、遅れてきたカルマとテグスはまだ食事を続けているが、他の者達はティータイムに入っていた。

「そうそう、海松と協力して掃除当番表を作ってみたんだ。今日から掃除しよう」

「なつかしー。学校時代を思い出すわぁ。オッサンも昔は色々あったなぁ……」

「籤引きも用意したんだ」

 アレックスは喜々とした様子でどんっと箱をテーブルに置く。誇らしげな彼の顔に、海松がほめてやってくれと肩を竦めてウィンクする。菜種が身を引き、山鳩がぎょっとした顔で後ずさった。

「よーし、早速引いてみようよ!」

 鳩羽が明るく掛け声を出すと、1人1人籤を引いていく。全員引き終えると、掃除の班を表に記していった。

「私と山鳩と田中君とカルマ君の4人でエントランスホールか。あそこ広いし、遣り甲斐がありそうだね」

「食事を終えたら早速やろう。面倒事は早目に片付けるに限る」

「夜時間にボクと海松の2人が見回りに行くから、そのときに掃除してるか確認するよ」

「掃除しなくていい人はいいよねえ、オレも仲違いすべきだったかね?」

「オシロサマは2倍の掃除をしてもらおうか」

「ぎょっへー!? アレックスクン、どうかお許しを~」

「いいぞ。いけいけアレックスー」

「監督として海松が就いてくれ」

「ぎょっひーっ!?」

「冗談だよ。オシロサマのモノマネかい?」

「つ、釣られちまったんだよ」

「オシロサマにはボクがついてるから、安心して掃除に専念してくれ」

「イヤイヤ、危ないだろう、アレックスが。しょうがねーからオジチャンもついててやるよ。感謝しな!」

「ホントウかい? ありがとう、海松!」

「……うん、見事なボケ殺しだわ……」

 アレックスが爽やかに笑うと、海松は何処か遠くを見つめる。茶雀はおどおどと「おれも手伝ってもいいですか……?」と乗ってきた。

「もちろんだよ。茶雀、ありがとう」

「頑張りますね……!」

 ふと、鳩羽の目に入ったのはキャビネットの上に載った写真立てだ。近くの絵画に関心がいってあまり気にしていなかったが、この豪華な雰囲気には不釣り合いな粗末な木枠だ。

 鳩羽は立ちあがり、写真立ての傍まで歩いて行く。彼女は写真立てを手に取り、写真立ての中に入れられた絵を眺めた。

 写真立てに入れられた其の絵は、皮のローブを被った少年が逃げていく1匹の羊を追い掛けているシーンを描いたものだ。

 羊が右で、少年は左側に居る。少年の背中側、左側の草地には黒い斑点が見切れていた。

 奥には白い塊の列が見え、途中で見切れているが手前に続いているようだ。後方からは犬が手前へと走り寄って来ている。

 皮のローブから窺い知れる少年の髪は羊毛のようにクルクルとした真っ白い天然パーマで、肌も雪のように白さだ。眸は大海原を思わせるような青い輝きを放ち、右手には杖を持っている。

 クレヨンを使い1枚の画用紙で描き切ったものだが、鳩羽にはひとつ不可解な事があった。

 と言うのも1枚の絵の中で黒い斑点だけは油絵のように盛り上がっているのだ。斑点のそれぞれは微妙に色調が異なり、1番鮮やかな色は錆色に近い。

 シンパシーのような予感を感じた鳩羽は、写真立てから画用紙を取り出し裏返した。画用紙の裏には赤茶色の手形が残っている。鳩羽の手が凍り付いた。

「なあ、何見てんだ?」

「わにゃっ!? なっ、なんあななんでもないっ!!」

「ワリィ、何言ってるのかわかんね」

「え、えーと、絵を見てたんだよ。写真立てなのに何で写真じゃなく絵が入ってるのかなーって」

「思い出の中に残しておきたかったんじゃねーの」

「……キミが想像するようなロマンチックな話だと良いけど」

「じゃ、オメーは何て思ってんだ?」

「悟らせようとしてるんだ」

 得体の知れない悪意が手を伸ばして来ているように誘われた鳩羽は、拒むように写真立てを元に戻す。

「ここは、蛇の胃袋の中だって」

 振り向いた鳩羽の瞳は照明の光に照らされ、赤い薔薇のようなワイン色を宿している。インドスタールビーの煌めきは山鳩だけを射抜くように見詰めていた。

 山鳩は彼女の深い静謐を湛えた眼差しに惹き付けられたようにぼうっと見つめ返し、ハッと我に帰るなり僅かに目を逸らす。

 山鳩の眸は青い矢車菊のように花開いて、今日も今日とて人を吸い込む引力を持っている。

 こんな悪夢の中でも変わらない青の尊さに鳩羽は励まされる想いで、安堵したようにほほえんだ。

 

「あの時は脱出に気取られていたが……」

 デッキブラシを片手に田中は天井を見上げている。エントランスホールの天井に吊り下げられたのはシャンデリアと思いきや、金色に光る巨大な振り子香炉だ。

 振り香炉はロープと滑車で吊るされており、ロープには鈴がついている。ロープの縛り方は複雑だ。

「田中君、何してるの?」

「見ての通り、香炉を見ていたんだ。ボタフメイロを模しているのかと思ってな」

「ボ、ボタン迷路? って、こんな大きいのが香炉なんだ!? すっごい重そう!」

「香炉の中に入れる物の重量にも拠るが、50キロは超えるそうだ。材質は黄銅と青銅の……そういう事か」

「そんなにおっきな香炉があるんだぁ……田中君ってホント物知りだよね、すっごく頼もしいよ!」

「大した事じゃない。それより、何故かこのホールにはもうひとつ、香炉が置いてあるんだ」

 田中が指差す先は、屋敷の入り口の左隅にあった。田中は鳩羽を連れてそこに行く。

「香炉って綺麗な物だと本当に芸術的だよね。私、とっても好きだな~」

「……君、美術品とか好きそうだな」

「うん。と言っても、美術館には行かないんだけどね。あそこ、頭痛くなるし気持ち悪くなるしでお金の事考えると行きたくなくなるんだ」

「人の為ではなく絵の為の設備だからな。致し方あるまい」

「田中君はそういうの好きなの?」

「テレビで見るくらいだな」

「あはは! なんだ、私と同じぐらいなんだね。でも、こういうのって本当見飽きないよ。どうしたらこんな物作れるんだろうってぐらい、どれもこれも細やかで……すごいよね、本当に」

 硝子玉のような双眼を瞬かせる事無く鳩羽は膝に両手をあて、軽く屈む。それからまじまじと金色に輝く机に置かれた香炉を見つめだした。

 金属製の香炉は白銀色に光る方形の箱だ。箱下部の4隅には4本脚がついていて、箱は幅と高さがそれぞれ80センチあり、箱の正面には鳩羽からすれば象形文字としか思えない記号がつらつらと刻み込まれている。

 箱全体に黄金色の蛇が巻き付いていた。取っ手として取り付けられたであろう、白銀の棒とそれに絡み付いて天高く昇ろうとする蛇の佇まいには気品が立ち昇っている。

 田中は箱を指で弾くと高い音が出た。続いて彼は人差し指で文字の凹凸を撫でるように右から左に艶めかしくなぞり、小声で何か呟いている。鳩羽が耳を澄ませると「5,6……」と言葉が聞こえた。

「田中君、なにか分かったの?」

「……。この言語、何だか判るか?」

「ううん、サッパリ」

「自信はないが、恐らく古代のヘブライ語かフェニキア語だ」

「へっ、へぶらいご!? 田中君、まさか読めるの!? 何者!?」

「まさか。だが、数字は読める。文字が数字として使われているから、気付くまでに時間はかかったが。……10の災害か? いや、蛇には両方の意味がある。根拠にはならないか……」

「それはそれでスゴイような……この蛇にそんな深い意味があるんだ?」

「君も知っているだろう。アスクレピオスの杖はあのWHOのマークだし、ケリュケイオンの杖だって蛇だ」

「ゴメン。名前は聞いた事あるけど、言われてもイメージ浮かばないや」

「アスクレピオスが杖に1頭の蛇が絡み付いたもので、ケリュケイオンは2頭の蛇に両翼がついた杖だ」

「へー、じゃあこれってアスクレピオスの杖なんだ? ところでこれすっごい噛みそうな名前だね、憶えられないよ」

「そうだな。僕達は日本育ちの日本人だ。無理もない」

 田中はふっと口許を緩めて笑むと、掃除に戻る。山鳩は階段の手摺をヒーヒー言いながら雑巾で磨いていたが、カルマは具合が悪いようで小休止をとっていた。

(ねーねー、このハコあけてみようよ!)

「箱じゃなくて香炉。中にはお香と灰しか入ってないよ」

 そう言いつつも、少年がおねだりを続ける事は目に見えていた。鳩羽は苦笑しながら蓋を開ける。

「……あれ? 香炉の中に香炉? ロシアのマトリョーシカ? ……って訳でもないのか」

 香炉の中には黄金色の光沢をもつ蛇が巻き付いた甕が置いてあった。甕の中には灰が敷かれ、炭と香料が置かれている。燃やされた痕はない。どうやら、香を焚いたのは方形の香炉の方のようだ。

 甕には蓋が無く、壺の周りは煤けている。鳩羽が手で払うと、鳩羽が見た事のある特徴的な言語が現れた。

「んん? これってもしかして……ギリシャ語かな?」

 鳩羽の感覚からすると触れる機会は数学の授業位なものだが、独特な言語なだけに感覚的に判別は出来る。もちろん、解読は不可能だ。

(なんだか変わってるねー。なんでこんなふうになってたんだろう?)

「さあ……? ついさっき似たような物を見た気もするけど……ま、いっか。掃除しないとね」

(がんばれー!!)

(おーっ!!)


「おー、腰イッテェ……なんつーか、普段使わねえ筋肉使ってチョー疲れた」

「お疲れ。良い運動になっただろう」

「俺がしたいのはスポーツなんだよ! スポーツ! バスケやサッカー、日の光を浴びたいんだ! ここは俺にとって地獄だよ!」

「光ならソドムとゴモラに行けば幾らでも浴びられるぞ?」

「光ならモーゼに主を呼び出してもらったほうが早いですよ」

 カルマが階段の踊り場に腰掛けていると、田中も山鳩から離れて座りにやってくる。カルマが左端、田中が右端に腰掛けた。山鳩は1人、立って吠えている。

「……何だか知らねえけど、ソレゼッテー日の光じゃねぇだろ」

「くわばら、くわばら……だな」

「冗談じゃねーよ! 雷欲しけりゃゼウスでも呼ぶっつの!」

「どっちを呼んでも死ぬな。君はドMなのか」

「マゾヒストだったんですね」

「オメーら俺をからかって楽しいか!?」

 2人は揃って首を横に振る。兄弟か、と突っ込む前に山鳩は怒りのエネルギーを発散する方法を企てた。

「……ふう、これぐらいでいいかな」

 鳩羽はハンカチで汗を拭いながら、いい汗かいたぜと悦に浸る。そうやって間の抜けた顔を披露していると山鳩に背後からド突かれ、ズコーッと前のめりに転びそうになった。

「うわちょちょっ!? やーまーばーとー? なーにーすーるーのー!」

「おっとっと、ピッカピカの大理石の上を走っちゃこけてケガするぜ? ドジッコは大変だよなぁ、しっしっしっし!」

 山鳩は楽しそうに笑いながら鳩羽をおちょくる。鳩羽は両腕を挙げ、血気盛んに怒りだす。

「とりゃー!」「おりゃりゃっと!」

 鳩羽がデッキブラシを使って山鳩に攻撃を繰り出し、華麗なステップで山鳩が避ける。そうやって遊んでいると、田中から号令がかかった。

「ぜーはーぜーはー……」

「運動不足だな」

「うるちゃい! ……今のなしで」

 耳まで赤くした鳩羽は噛んだ舌を引っ込めて顔を俯かせ、山鳩は腹を抱えて大笑いする。

 カルマは敢えて無表情を保つ事で、聞こえなかった事にしてあげる優しさを含ませた。

 田中も田中で口許を手で覆い、必死に笑いを抑えようとしているが堪え切れず、耳を赤くしてこっそり笑う。

「で、何の御用だね、我らが隊長さんよ」

「ぷぷっ、ハードボイルドのフリ遅すぎだろっ……!」

「片手にデッキブラシじゃお掃除おばさんが良い所だな……!」

「大根役者だとは思ってません。固ゆで卵な役者さんだと、皆さんは思っているようですが」

「実はキミたち仲良いんだろ。一発殴るぞ。こら」

 鳩羽が無表情でデッキブラシをガンガン床に打ち付ける。大理石の値段が気になり始めた田中が鳩羽を止めると、山鳩も幾分か落ち着きを取り戻した。


「コホン。僕は君達に話がある。僕達は誰彼探検隊を結成した――という認識で良いな?」

「うん。結成したばっかりでへんてこな事件に巻き込まれたけど」

「探検隊だからよくね? しょっぱなから俺はゴメンだったけど」

「例え誘拐犯が僕達を対立させる脚本シナリオを書いていようと、僕らの役が法と罪に別れていようと、僕達の目的は等しい筈だ」

『……っ!!』

 2人は息を呑み、田中を見返す。動悸が激しくなる。彼の言いたい事はつまり、“自分達が敵同士でも構わない”と言う事だ。

「僕達の対立は本当の犯罪者が編み出した幻でしかない。こんなもの、真犯人から目を逸らす為に作られた偽悪者と偽善者に過ぎないのさ。

だから、僕達が採るべき決はひとつ――この世界からの脱出だ!」

(……私は、敵か味方か、そればかりに囚われていた。だけど、真っ先にすべき事は立ち上がる事、立ち上がって、本当の敵を見てやる事だ……!)

「田中君……うん、やろう。私達で頑張ろうよ!」

「きっと、無意味です。愉快犯のような黒幕が、手掛かりなんかを作る筈がない。希望に胸を踊らせて、浮かれた足許を絶望で掬い上げるだけです」

 睫毛を伏せたカルマは左手で右腕を掴み、握り締める。絶望に暮れた眸を見て、今まで迷うように閉口していた山鳩の眸に闘志が宿る。

「そうかもしれねぇけどさ。何もしねぇで諦めてるのと、どっちがマシだ?」

「どちらも等しく最悪です」

「冷める気持ちも分からなくないけど、どうせならチャレンジしてみない? ほら、夢だと思えばいいんだよ。夢だから、どっちに転んでも大した事ないって!」

「……夢、ですか。だからこそ……絶望的だと思いますけど」

 カルマは顔を背け、眸を大理石に向ける。頭の中に浮かび上がったのは、頭のトマトをぶちまける自分の姿だ。

「悲観的に物を見てばかりでは突破口は開かないぞ。同じ現実逃避をするなら、前向きに希望的な可能性を見たまえ」

「あ、それ、アレックスさんの言葉だ」

「? 何の話だ?」

「でもよ、田中……人選、これでいいのか? 俺は……やっぱ怪しいだろ」

 自然と山鳩の顔は重たくなる。顔もうつむきがちだった。その眼は誰の心も見ていない。だが、田中はハッキリと山鳩の眸を見る。そうして、唇を開いた。

「あの時、君は僕とは異なる立ち位置に居た。これは推測だが、難しい立場を持っているのだろう?

その時の君にとって、君が出来得る最大の誠意を僕達は見せてもらった。だから、僕も君達の誠意には応える。そういう風に解釈しているが、間違っているのか?」

「……へんなやつだな、ハジメって」

 素直になれない表情で、無愛想に呟く山鳩は、けれども田中の顔を見た。田中の希望に満ちたまなざしを。

「お人好しっていうか、天然? 幽霊とか信じてそう」

「幻は虚構だが、実在している。そういう意味では信じているが、あくまでも科学的解釈の出来る存在と言う意味でだ。この時代では科学的に肯定も否定も出来ないだけだとな」

「ズレた回答がきやがった。ソレもクソマジメなヤツだ」

「さっきから何なんだ、他人ひとの事をボロクソに批難してくれるじゃないか」

「……頭で分かっていてもね、心は意外と解ってくれないものだよ。だって、他人事じゃないからね」

「ベツに……信じてもらえるとは思っちゃいねぇよ。俺はウソをつきたくなかっただけだ」

「嘘を吐いて一時的に疑惑から逃れるのは誰にでも出来ます。ですが、自分の吐いた嘘を貫き続ける事、真実を騙り続けない事はひどく難しい……敵味方関係なく仲良くするのは、素敵な事ですね」

 カルマは苦笑を湛え、それでいてどこか哀愁を帯びたような眸で床を見下ろす。彼だけは、頑なだった。

「それでもいいさ。いつか、だれかを手伝ってくれ。無論、僕じゃなくていい。先ずは君自身の事だ。だから、また頑張れるようになってくれ」

 田中は懇願するような響きを放ちながら、優しく手を伸ばす。硬質的なアッシュグレイの髪をふんわりとひと撫ですると、これからの事を話し出した。


「――開かずの部屋を開こうと思うんだが、共に来てくれないか」


「ありま、やーっと見付けた~」

 田中の提案の直後、後ろから聞きなれた声を耳にする。振り返ると、予想通りの顔がニッコリと笑っていた。

「ちょーっとオレっちといっしょにきてくれなーい?」

「……話はまた後でだな」

 田中は話を切り上げ、手招きをしてくるオシロサマの下へ歩いて行く。鳩羽と山鳩は厭な予感に胸を膨らませながら、ぎこちない足取りで着いて行った。


「ねえ、山鳩。私さ、部屋を交換しなければ良かったってカード見てから思ったんだ」

「…………」

「でもさ、そうしたらあの子があのカードを取ってしまう事になる。それはとっても嫌だなって思った」

「そうだな」

「うん。だからさ、どっちも嫌だな。そう思ってぐるぐるしてたんだけど……田中君の言葉に救われたよ、ちょっぴりね」

「あぁ……俺もだ。アイツがやけに眩しかったよ」

「絶望的に不利な状況だけど……希望だけは持って行こうよ。そうしないときっと、いざって時に光を見逃しちゃうから」

 何かに追い立てられるように、互いが急いで口にしあったのは、希望が言霊になる事を祈ったからかもしれなかった。

「熱いねー。つきあっちゃってんのー? こしょこしょバナシならオレも入れてよ、寂しいなぁ~?」

 ニコニコスマイルのオシロサマはそう言うが、声音にはちっとも感情が籠もっていない。道化師じみたメイクも相俟って、一言発するたびに不気味な印象を落としていく男だ。



「あっ……」

 菜種が小さく声を上げ、こちらと目が合いそうになると慌てて目を逸らす。

 鳩羽たちが最後だったようで、娯楽室には既に全員が集まっていた。仄暗い照明に黒い壁紙、ビリヤード台、スロットマシン、バーカウンター、ピアノ、ダーツと雰囲気のある一室だ。

 他にも麻雀卓や昔の喫茶店に置かれていたテーブルゲーム筐体なども置いてあり、暇潰しには最適だろう。

 中央には部屋の中から掻き集めてきたらしい10人分の椅子が円を作るように並んでいる。

 菜種の隣が空いていたのでここは自分が行こう、と鳩羽が足を進めると、遮るようにそれより早く山鳩が菜種の隣の席についた。

 菜種はびくっと肩を震わせ、うつむきがちに座っている。山鳩が菜種の方を見ると、菜種は視線を床に固定して動かなくなった。

「おい」

「な、なに?」

「俺もう怒ってねーから」

「う、うん……」

「だから謝れよ」

「ご、ごめん」

「誠意こもってねーし」

「……ごめん。もう、あんなこと言わない」

 山鳩は「ん」と小さく返事をして、前を向く。鳩羽は山鳩が女子から恐れられる理由を改めて理解した。

「……あの、さ。……おいしかった、から」

「……あぁ、食べたのか?」

「うん。アレックスが持って来てくれて。本人は『ガラにもないコトをやってる』なんて言ってたけど」

「あいつ日本人だよな。ボキャブラリー俺よりあるだろ」

「それだけ日本が好きってことだよね」

 菜種がはにかむように笑うと、山鳩も気分は悪くないようで「だろうな」と言葉を返した。

(不器用なんだねー。アヤメちゃんににてるかも?)

(あそこまで愛想がないとは思いたくないが……怒ってるときはそうかもしれないな)

「雨降って地、固まるだね」

「懸念が去ってくれたようで何よりだ」

 相変わらず両腕を組んでいる田中はそう言いながらも、暗い面持ちでオシロサマを見つめている。鳩羽もまた、オシロサマに注目した。


「――さて、これから諸君らが遊ぶゲームは【汝は人狼なりや?】だ! 是非楽しんで逝ってくれたまえ!」

 オシロサマは芝居がかった身振りで詩文でも諳んずるように言う。その眼は纏わりつくように全員を見渡し、粘着き舐め回すように見詰めるのだった。


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