第6話 不眠
その夜、私は眠れなかった。スマホの検索欄へ「不眠 悪夢 相談」と入力する。
相談窓口のページが並ぶ画面を見つめる。一回電話をかけてみれば、事情を説明すれば、そこまで考えて指が止まる。
電話したところで何を説明するのだろう。
「優等生の同級生が怖い」なんて、自分でも説得力がないと思ってしまう。
結局画面を閉じて、眠れない夜を過ごした。
――翌朝。私は学校へ行かなかった。制服のまま家を出て、駅とは反対方向へ歩く。
井土くんから離れたい。ひとりになりたい。ただ、それだけだった。
公園のベンチに腰掛けて、ひと息つく。平日の午前中だから人はいない。木陰は静かだった。
スマホが震える。母からの着信だった。出ずにいるとメッセージが送られて来る。
『学校から連絡があったけど今日学校行ってないの?』
返信しない。続けて着信が鳴る。切れる。また鳴る。その繰り返しで私は電源を切った。
誰とも話したくない。
そのままフラフラと駅に向かい、何も考えずに電車に乗った。終点まで行けば、少しは気持ちが晴れるかもしれない。
車窓を眺める。知らない町の、知らない駅。降りたこともないホーム。新鮮な風景に少しだけ頭がすっきりとする。
私は改札を出て、適当に歩いた。
住宅街。商店街。川沿いの遊歩道。どこまで歩いても、知らない景色だった。
ようやく息が楽になる。ここなら井土くんもいない。そう思ったのも束の間だった。
「沙羅さん」
不意を突かれて、全身が凍りつく。振り返るとそこには制服姿の井土くんが立っていた。
息も切らさず、悠々とした佇まいで。ただそこにいるのが当たり前かのように。
最初から私の逃避行の連れですとでも言うように。井土くんは片手をポケットに手を突っ込んで立っていた。
「お待たせ」
私は思わず後退りする。
「なんで、」
「なんでって?」
「どうしてここが分かったの。」
どうして、そう聞くと井土くんは首を傾げた。
「分からない」
「は……?」
「でも、ここで会える気がした」
そんなはずがない。偶然で説明できる距離じゃない。電車でたまたま途中下車した知らない町なのに!
私はあまりの恐怖に走り出した。井土くんは追いかけてこない。振り返ると井土くんは歩いていた。なんの焦りも感じさせない、一定の速さで。
なのに、どれだけ曲がっても。どれだけ人混みに紛れても。次の角を曲がると、またそこにいる。
「なんで……!」
走り続けて息が切れる。もう足が重い。私は商店街を抜けた小さな神社へ駆け込んだ。
境内には老夫婦がいて、私は藁にもすがる思いで近寄った。
「あの」
声が震える。
「助けてください」
二人は驚いた顔をする。
「どうしました?」
「知らない人につけられて、」
そこまで言って振り返る。井土くんが鳥居の前で立ち止まっていた。境内へは入ってこず、こちらに手を振っている。
老夫婦は井土くんの様子を見て首を傾げた。
「あの子?」
「……はい」
「お友達じゃないの?」
終わった。私は何も言えなくなる。井土くんは困ったように頭を下げた。
「すみません」
人を安心させる、穏やかな声だった。
「少し喧嘩してしまって」
「そうなの」
老夫婦は安心したように笑う。
「ちゃんと仲直りしなさいよ」
私は首を振る。
「違、違うんです」
「ほら」
井土くんは私を見ないまま言う。
「帰ろう」
責める声ではなかった。命令でもない。恋人を気遣うような、静かな口調だった。老夫婦も頷く。
「彼氏さんも心配してるよ。」
私は逃げて、また走った。もうどこを走っているのか分からなかった。
――夕方。家へ帰ると、母が玄関で待っていた。
「沙羅! どこ行ってたの!」
今にも泣き出しそうな母に、私は押し黙る。
「井土くんが探してくれたのよ! 学校に来てないって聞いて。駅も探して、公園も探して」
母は私の肩を掴んで言った。
「沙羅、ちゃんと井土くんに謝りなさい」
私は笑いそうになった。
その日の夜、部屋にこもってスマホの電源を入れると、通知が四十件以上並んでいた。
母、美咲、担任、クラスメイト。全部、私を心配する内容だった。
そして、一番下には知らない番号が表示されている。
『もう一人でどこかへ行かないで』
その文章を見た瞬間、私は理解した。私は今日、一日中逃げていた。でも、井土くんは一度も走らなかった。
「う、あ」
最初から、私が最後には家へ帰ることを知っていたから。
「ああああぁぁぁ!!」
枕に顔を埋める。疲れているのに眠れるはずがなかった。




