第5話 ◼️◼️◼️
月曜日、私は学校を休んだ。極度の睡眠不足と食欲不振で起き上がれなかったのだ。
母には頭痛がするとだけ伝えると、「無理しなくていいわよ」と言ってあっさり仕事へ行った。
午後になってスマホが震える。一瞬ビクリとするが、相手は美咲だった。
『大丈夫?』
『頭いたいって聞いた』
私は返信しようとして、やめた。大丈夫ではないし、嘘をつく気分ではない。しばらくすると、また通知が鳴る。
『井土くん、すごく心配してたよ』
私はスマホを伏せ、布団を被る。その名前をもう見たくなかった。
そのままうとうとしていると、すうっと体が軽くなり、いつもとは違う夢の見方をした。
最近ずっと箱に詰められていた私の体は自由を取り戻し、真っ白な花畑にひとりで立っている。
とうとう解放されたんだ!
私はその場でくるくる回り、どさりと花畑に寝転がる。自由がこんなに素晴らしいなんて。
手が動く、足が動く!
声も――「沙羅」
ふと顔を横に向けると、すぐそばで同じように井土くんが寝転がっていた。私は顔を引きつらせる。
「好きだよ、沙羅」井土くんが囁く。
「優しくしたい」私は這いずりながら逃げる。
頭を掴まれて、そのまま花畑に押し付けられる。
「いやだ! いやだいやだいやだ!」
井土くんが私に覆い被さる。もはや自由などない。揺さぶられるその最中、フォーレの鼻歌が耳元で鳴り続けていた。
♢
翌日学校へ行くと、担任が私を見るなり心配そうな顔をする。
「佐藤、顔色が悪すぎるな。まだ治ってないだろ」
「実は、ちょっとまだ」
「無理はするなよ。昨日井土が家にプリント届けようかって言ってくれてたから」
私はピタリと足を止める。担任は「あっ」と口を開いて、焦ったように続けた。
「いや、断ったから安心しろ。お前らまだ喧嘩してるんったな。家も近いし、助かると思ったんだが」
私は無表情で首を振る。断ってくれたことだけが救いだった。
――昼休み。私は決めていた。
井土くんと話す。逃げても何も変わらない。
中庭で待っていると、井土くんはすぐに来た。
「沙羅さん、具合はどう? 心配し――」
「もう私に構わないで」
井土くんの言葉を遮って、私は自分の意思を示した。
「嫌なの、もう、井土くんといるのが。怖くて、つらい」
「沙羅さん」
こぶしで顔を覆う私に井土くんが静かに言う。
「最近、眠れてないよね」
どうして知っているんだろう。
「顔色悪いし。疲れてるんだ」
不気味なほどに優しい声だった。
「少し休んだほうがいい。僕がいない方がいいならそれでいいから」
その時は私の言うことを受け入れてくれたのだと思っていた。
その日の放課後。
美咲が私を追いかけて来るまでは。
「沙羅!」
美咲の表情がやけにこわばっていて、私は立ち止まる。
「何?」
「最近どうしたの? 井土くんのこと避けてるでしょ」
「うん」
「なんで?」
私は本当のことを言うか逡巡した。でも、もう隠しても仕方がない。
「怖いの」
美咲は目を丸くする。
「井土くんが?」
「そう」
「どうして……」
「一緒に勉強するとか言ったり」
「約束してたじゃん」
「してない」
「帰りもいつも一緒じゃん」
「勝手にね」
美咲は反応に困ったような顔で、私の肩に手を置いて言った。
「沙羅」
「うん」
「それ、ちょっと失礼だよ」
期待していたわけではなかった。それでもやっぱり信じてもらえないのはつらい。
「井土くん、みんなの前で一回も沙羅の悪口言わないし」
「沙羅が困ってるって聞けば助けるし」
「先生にも相談してたよ。沙羅が最近、様子がおかしいから心配ですって」
世界が少しだけ遠くなった。私は誰に相談しても、「被害者」として扱われない。いつだって井土くんが先回りしている。
私より先に。
私より丁寧に。
私より自然に。
いつの間にか私の言葉が全部響かないようにされていた。




