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 8. 再度の王太子との会談

 リアフォードが去った後、イリアが応接間に戻ってきた。茶器を片付けながら、口を開いた。

「聞こえないように、室外にいました」

「良い判断だ」

「内容は、後で教えてくださいますか」

「ああ。整理してから話す」

 俺は窓際から離れ、椅子に座り直した。卓の上に、リアフォードが触れていた茶器が残っていた。半分ほど飲み残していた。緊張していたわけではない。話すことに集中していたのだろう。

 イリアは茶器を盆に載せた。動作に無駄がなかった。

「伯父上」イリアは俺を呼んだ。今度は帝国標準語だった。込み入った話をする時、母語の方が思考が早い。秘密を守るためではなく、考えを正確に交わすためだった。「リアフォード殿下のお話、どう受け止められましたか」

 俺は少し考えた。

「信用していい部分と、しなくていい部分がある」

「具体的には」

「自分の行為の責任を取ろうとしている。それは本物だ。クーデターを失敗と認めて、処刑を受け入れる覚悟もしている。ただ、自分の信念は曲げていない。それも本物だ」

「信念が本物なら、危険ではないのですか」

「危険だ」俺は言った。「ただ、危険であることと、嘘をついていることは別だ」

 イリアは少し黙った。盆を置いた。

「伯父上は、リアフォード殿下を助けたいと思いましたか」

 その問いは、鋭かった。

 俺はしばらく答えなかった。窓の外に目をやった。中庭の市民たちが、午前の光の中で動いていた。ガルフが娘たちと話していた。日常が、戻りはじめていた。

「助けたいとは思わない」俺は答えた。「ただ、無駄に殺されるべきではないとは思う」

「違いますか、その二つは」

「違う」俺は言った。「助けたいというのは、感情だ。無駄に殺されるべきではないというのは、判断だ。彼が知っていることは、サーキニアにとって、そして帝国にとっても、価値がある。それを失うのは惜しい」

 イリアは少し頷いた。

「王太子殿下に、どう伝えますか」

「事実を伝える。リアフォード殿下が話した内容、彼の様子、そして俺の見立て。それだけだ。判断は王太子殿下がする」

「会いに行かれるのですか」

「ああ。今日中に」

 イリアは盆を持ち上げ、扉に向かった。途中で振り返った。

「私は、行ってもよろしいですか」

 俺は少し考えた。

 イリアを連れていくことには、利点も欠点もあった。書記官として記録を取るのは彼女の役目だ。しかし、王太子との非公式の場に書記官を同席させると、話の重みが変わる。

「来てくれ」俺は言った。「ただし、書記官としてではなく、姪としてだ。記録は取らない。聞いた話は、後で口頭で整理する」

 イリアは少し驚いた顔をした。それから、頷いた。

「承知しました」

 彼女は応接間を出ていった。

 俺はしばらくそのまま座っていた。

 リアフォードが残していった茶器を見た。半分ほど飲み残された茶。あの男もまた、不老長命ではなかった。サーキニアの王族は、普通の人間と同じく、年を取り、死ぬ。だからこそ、彼は急いだのかもしれない。

 時間が限られている者たちは、信念のために生き急ぐ。

 時間が無限といえるほどある俺たちは、何のために生きているのだろう。

 答えのない問いだった。それでも、頭の隅に湧いて消えない。

 俺は立ち上がった。

 今は、王太子に会いに行く時間だった。


 昼過ぎに、俺とイリアは大使館を出た。

 ヴェラ・ドルスが街道の手前で待っていた。昨日と同じ位置、同じ立ち方だった。俺たちを見ると、軽く頭を下げた。

「お一人ではないのですね」

「姪です。同行を許してもらえれば」

 ヴェラはイリアを見た。値踏みする目ではなく、確認する目だった。それから頷いた。

「殿下にお伝えしてあります。問題ありません」

 俺は少し意外に思った。王太子は、俺がイリアを連れてくるかもしれないと予想していたのだろうか。あるいは、ヴェラが咄嗟に判断したのか。

 森の入口の廃屋に着くと、王太子は昨日と同じ椅子に座っていた。今日は別の人物が一人、傍に立っていた。年配の男だった。地味な装束を着ているが、姿勢に格があった。

「アモス殿、来てくださってありがとうございます」王太子は立ち上がった。「こちらは、私の補佐官のオレル・カントです」

 俺は軽く頭を下げた。オレルも頭を下げた。礼儀正しい男だ、と俺は思った。

「こちらは、姪のイリアです」俺は紹介した。「大使館の書記官ですが、今日は私の補佐として連れてきました」

 王太子はイリアを見た。少し微笑んだ。

「イリア・オットー殿でいらっしゃいますね。お噂は大使から伺っております」

 イリアは丁寧に頭を下げた。

「お会いできて光栄でございます、王太子殿下」

「どうぞ、お座りください」

 四人で卓を囲んだ。今日は昨日より椅子が多かった。王太子は、俺が誰かを連れてくると予想していたわけだ。賢い男だと、俺はまた思った。

「リアフォード殿下と、」王太子は静かに切り出した。「会談なされた内容を、お聞かせください」

 俺はリアフォードと話した内容を、順を追って伝えた。事実と、自分の見立てを分けて話した。リアフォードが助命を求めていること。死ぬ前に知っていることを記録に残したいこと。連合王国との関係。そして、信念は捨てていないこと。

 王太子は黙って聞いていた。途中で質問を挟むこともなかった。

 俺が話し終わると、王太子はしばらく目を閉じた。

 長い沈黙だった。

 目を開けると、王太子は俺を見た。そして、言った。

「叔父を、殺したくありません」

 俺は王太子の目を見た。そこにあったのは、政治家の顔ではなかった。甥の顔だった。


 オレルが、静かに咳払いをした。

「殿下」

「わかっている」王太子はオレルを見た。「補佐官として、何を言いたいかは」

「いえ、申し上げたいのではありません」オレルは静かに言った。「ただ、殿下のお気持ちを、お一人で抱えなくともよろしいかと」

 王太子は少し、目を伏せた。

「叔父は、私が幼い頃、よく狩りに連れて行ってくれました」王太子は言った。誰に向けてでもなかった。自分自身に確認するような言い方だった。「弓の使い方、馬の扱い方、森の歩き方。父よりも、叔父から学んだことの方が多い」

 俺は黙って聞いていた。

「叔父が帝国に対する不満を抱えていることは、私も知っていました。父も知っていました。ただ、それを政治の場に持ち込まないのが、王族の務めだと思っていた。叔父も、そう思っていると、私は信じていた」

「裏切られたと、思いましたか」俺は聞いた。

 王太子は少し考えた。

「裏切られた、というのは違う気がします」王太子は言った。「叔父は、自分の信念のために、私たちとは別の道を選んだ。それが、たまたま、私たちにとって脅威になっただけのことです」

 政治家としては甘い、と俺は思った。しかしその甘さは、若さや無能ではなく、人間としての厚みから来ているものだった。

「殿下」俺は言った。「リアフォード殿下が話したことを、もう一度整理させてください。彼は二つのことを求めています。一つはしばしの間の助命。もう一つは、自分が知っていることを記録に残すことです」

「はい」

「助命については、国王陛下や王太子殿下が決めることです。私が口を挟む立場にない」

「わかっています」

「ただ、もう一つの方──記録を残すこと──については、殿下にとっても、サーキニアにとっても、価値があると私は思います。連合王国の動き、リアフォード殿下の側近たちの中にいる者、サーキニアの内政の歪み。それらの情報は、たとえリアフォード殿下を処刑するとしても、得てから処刑する方がよろしいかと」

 王太子は頷いた。

「私もそう思います。それに、叔父がそれを望んでいるなら、なおさらです」

「では、こうしませんか」俺は言った。「リアフォード殿下に、城の中で記録を作る時間を与える。期限は、殿下が決める。記録ができ次第、リアフォード殿下は城を出て、王家の管理下に入る。そこから先は、サーキニアの法に則って、殿下と国王陛下が判断される」

「叔父が、その条件を受けると思いますか」

「受けるはずです。彼自身が望んだことですから」

 王太子はオレルを見た。オレルは小さく頷いた。

「殿下、その条件であれば、王として体面を保ちつつ、必要な情報を得ることができます。クーデターを起こした者を即座に処刑するよりも、長期的にはサーキニアの利益になります」

「父上は」

「国王陛下のご判断は、私が説得いたします」オレルは言った。「ただし、国王陛下のお気持ちは、殿下と同じだと存じます」

 王太子は少し肩の力を抜いた。

「アモス殿」王太子は俺に向き直った。「この案を、叔父に伝えていただけますか」

「承知しました。ただし、一つだけ条件があります」

「なんでしょう」

「リアフォード殿下が記録を作る間、その内容を確認する者として、私とイリアを認めてください。彼が書いていることが、本当に価値のある情報なのか、あるいは何かを隠しているのか。それを、第三者の目で見たい」

 王太子はしばらく考えた。

「つまり、叔父の書く記録を、帝国にも見せるということですか」

「いいえ」俺は首を振った。「私が見るのは、中立に近い傭兵団の戦団判事としてです。書かれた内容が、サーキニアにとって有益なものかどうかを判断するためです。帝国に持ち帰るつもりはありません。ただし、もし帝国に関わる重要な情報が含まれていた場合、その時は殿下に判断を仰ぎます」

「アモス殿の判断で、ですか」

「ザックロード・アモスとしての判断で、です」

 王太子はオレルを見た。オレルは少し考えてから、頷いた。

「殿下、これは妥当な条件かと存じます。アモス殿は帝国の傭兵団員でありながら、判事の職にあります。判事の職務は、組織の枠を超えた信頼の上に成り立っているものです。アモス殿のお人柄を、私も大使館を通じて存じております」

 俺は少しオレルを見た。

 大使館を通じて、というのは、デルノフ卿か、あるいはイリアからの情報か。いずれにせよ、オレルは事前に俺について調べていた、ということだ。賢明な補佐官だ、と俺は思った。

「わかりました」王太子は言った。「アモス殿、その条件で、叔父に伝えてください」

「承知しました」

 俺は立ち上がった。イリアも続いた。

 王太子も立ち上がった。少し迷った後、俺に手を差し出した。

「アモス殿。あなたが昨日、今日と動いてくださったこと、サーキニアの王太子として、心より感謝いたします」

 俺は手を握った。王太子の手は、細かったが、しっかりしていた。

「私個人としても」王太子は声を落とした。「ありがとうございます」

 俺は何も言わなかった。

 ただ、頷いた。

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