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 5. 動き始めたザック

 王太子から聞いた話は、簡潔だった。

 リアフォード・サーキニアは現在、王城の中枢部に拠点を置いている。近衛騎士団の一部と、王都駐屯の歩兵隊の一部が従っている。数は三百から四百。城外には出ていない。王太子と国王が城を脱出した時点で、クーデターは半ば失敗していた。しかし城を明け渡すつもりもない。膠着している。

 廃屋を出ると、朝の光が霧の中に白く滲んでいた。

 案内の女騎士は入口に立ったままだった。俺が出ると、小さく頭を下げた。

「お名前を聞かせてもらえますか」俺は言った。

「ヴェラ・ドルスと申します。王太子殿下の近衛です」

「今日の護衛はあなただけですか」

「はい。人数を絞るよう、殿下の指示でした」

 俺は少し女騎士を見た。二十代半ばか。立ち方が安定している。昨夜から戦場にいたはずだが、目が据わっていない。場慣れしている。

「一つ聞いていいですか」

「はい」

「近衛の中にリアフォード殿下の者がいた。あなたはその件を、いつ知りましたか」

 ヴェラは一瞬、表情を固くした。しかしすぐに答えた。

「昨夜、クーデターが起きてから知りました。知っていたなら、止めていました」

 嘘ではないと思った。目が揺れていない。

「わかりました」

 俺は街道に戻った。霧はまだ濃かったが、足元は見えた。王都の方角に向かって歩きながら、頭の中で状況を整理した。

 リアフォードは城にいる。城の中に三百から四百の兵がいる。外から力で攻めれば、城を傷つける。攻城戦になれば民に被害が出る。王太子が帝国の傭兵団を動かしたくない理由はそこにもあるのだろう。

 では、どうするか。

 俺が一人で城に乗り込んで何ができるか、という話ではない。俺に頼んできた理由を、もう少し丁寧に考える必要があった。王太子は「手を貸してほしい」と言った。具体的な依頼の内容は言わなかった。

 意図的に言わなかったのか、まだ決めていないのか。

 おそらく両方だ、と俺は思った。


 大使館に戻ると、イリアが門の脇で待っていた。

 俺を見た瞬間、小さく息を吐いた。それだけだった。何も言わなかった。

「戻った」俺は言った。

「見ればわかります」

 イリアは踵を返し、館内に向かって歩きはじめた。俺はその後を追った。

「報告書は送ったか」

「報告書は送りました。ただ、魔法通信は一日使用不能になりましたので、スロック殿下からの返信があるとすれば、早くても明日以降になります」

 俺は頷いた。

「それと」イリアは書類を一枚取り出した。「王都の北区で、王城から脱出した近衛騎士が数名、大使館に保護を求めて来ています。ベルトが対応していますが、判断を仰ぎたいとのことでした」

「通せ。ただし話を聞く前に、一人ずつ別々に話す。まとめて聞かない」

「なぜですか」

「話を合わせる時間を与えないためだ。本当のことを知りたいなら、互いに話を合わせる前に聞く」

 イリアは頷き、書類に何かを書き込んだ。

「承知しました。それと、もう一つ」

「まだあるか」

「市場のガルフという商人が、大使館に来ています。アモス殿に話がある、と」

 俺は少し考えた。ガルフ。昨日、価格の異変を教えてくれた男だ。何かを掴んだか。あるいは、身の危険を感じて保護を求めているか。

「通せ」俺は言った。「こちらは俺が直接話す」

 イリアが部屋を出た。

 俺は窓の外を見た。霧は晴れはじめていた。王城のある丘が、朝の光の中にくっきりと見えた。篝火はもう消えていた。

 城はそこにある。リアフォードもそこにいる。

 何かが動きはじめていた。ゆっくりと、しかし確実に。


 翌日の昼過ぎ、魔法通信石が微かに光った。

 イリアが受信の術式を起動すると、スロックの声が静かに流れた。短文だった。魔法通信の仕様上、それ以上は送れない。

 ──状況は把握しました。傭兵団としての判断は適切でしょう。情報はできるだけ密に。ザック殿が個人として動くことは容認しますが、あくまでも個人としての行動として留めてください。

 俺はしばらく、その声の余韻の中にいた。

 返信の速さが、スロックらしかった。報告が届いた瞬間に、すでに俺の動きを読んでいた。建前を崩さない言い方だったが、言いたいことは全部伝わった。それで十分だった。

「何とおっしゃいましたか」イリアが聞いた。

「動いていい、と」

「……皇太子殿下が」

「ああ」

 イリアはしばらく黙っていた。それから、静かに言った。

「伯父上が戻らなかった場合の追記は、書かずに済みました」

 俺は少し笑った。笑うつもりはなかったが、口の端が動いた。

「そうだな」


 ガルフが書記官室に通されてきたのは、それから間もなくのことだった。

 昨日の市場で見た顔だったが、様子が違った。上着は乱れ、顎の無精髭が伸びている。目の下に隈がある。昨夜、眠れなかったのだろう。

「アモス殿」ガルフは俺を見ると、ほっとしたような顔をした。「ご無事で」

「あなたも無事で何よりです。座ってください」

 ガルフは椅子に腰を下ろした。イリアが水を一杯置いた。ガルフは礼を言い、一口飲んだ。

「昨夜のうちに、仕入れ先の一人が私のところへ来ました」ガルフは言った。「鉄を買い集めていた者の話が、少しわかりました」

 俺は黙って先を促した。

「直接の買い付けは、三つの商会が動いていました。いずれも、王都では名の知れた中堅どころです。しかし、その三つの商会の背後に、同じ出資者がいる」

「誰ですか」

 ガルフは少し躊躇った。昨夜から抱えていた話を、ここで口にすることへの重さが顔に出ていた。

「リアフォード・サーキニア王弟殿下の側近、ヴァルク・コーレンという人物です。王弟殿下の財務を取り仕切っていると言われています」

 俺はイリアを見た。イリアは書類に素早く書き込んでいた。

「その情報の出所は確かですか」

「仕入れ先の男は、三つの商会のうちの一つと取引があります。そこから直接聞いた話です。ただ」ガルフは続けた。「その男自身も、昨夜から身を隠しています。表に出られない、と。私のところに来たのも、夜中のことでした」

「名前を教えてもらえますか」

「……ドーレン・マフと申します。穀物の問屋です」

 俺は頭の中でその名前を記録した。

「ガルフさん」俺は言った。「あなたがここに来たのは、この話をするためだけですか」

 ガルフはしばらく黙っていた。それから、正直に言った。

「店を閉めて、ここに身を寄せることはできますか。妻と、娘が二人おります。王都の様子が、昨日とは変わりました。市場はもう開いていない。路地を歩く者の目が、昨日と違う」

 俺はイリアを見た。イリアは小さく頷いた。判断を委ねている目だった。

「構いません」俺は言った。「ただし、大使館の規則には従ってもらいます。武器の持ち込みはできません。館内での行動にも制限があります」

「もちろんです。ありがとうございます」

 ガルフが部屋を出た後、イリアが静かに言った。

「ヴァルク・コーレン。調べます」

「頼む。それとドーレン・マフという問屋も。できれば、本人と話がしたい」

「大使館に呼びますか」

「まず所在を確かめてから。無理に動かす必要はない」

 イリアは頷き、書類をまとめた。そして、少し間を置いてから言った。

「近衛騎士の話は、昨日のうちに一人ずつ聞きました」

「どうだった」

「六人中、四人の話が一致しています。クーデターが起きた夜、王城の東門を内側から開けた者がいた。近衛の中の者だと。ただ、誰かは見ていない」

「残りの二人は」

「一人は怪我で意識が朦朧としていて、確認できませんでした。もう一人は──」イリアは少し言葉を選んだ。「話が四人と微妙に食い違っています」

「どこが」

「四人は東門が内側から開いたと言っています。その一人だけ、東門ではなく西門だと言っています」

 俺は少し考えた。

「その一人の様子は」

「落ち着いていました。怯えた様子はなかった」

「名前は」

「カルド・ヴェイスと申します。副長補佐だったとのことです」

 俺は立ち上がった。

「その人物に、もう一度話を聞きたい。俺が直接聞く」

「今、中庭にいます」

 俺は部屋を出た。廊下を歩きながら、頭の中で整理した。

 東門か、西門か。どちらかが嘘だ。あるいは、どちらかが見間違えた。暗夜の混乱の中では、方角を誤ることもある。しかし、落ち着いた様子で一人だけ違う話をしているなら、それは確かめる価値がある。

 中庭に出ると、日差しが眩しかった。

 昨夜から保護されている市民たちが、壁際に座っていた。子供が数人、中庭の隅で静かに遊んでいた。その少し離れたところに、近衛騎士たちが固まっていた。

 俺はその中に、一人だけ少し離れて座っている男を見つけた。三十代前半か。顔に切り傷がある。しかし姿勢は崩れていない。

「カルド・ヴェイスさん」

 男は顔を上げた。俺を見た目が、一瞬だけ動いた。

「少し話を聞かせてもらえますか」

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