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 4. 王太子との会談

 夜明け前の空は、黒から藍へ、藍から灰へと、ゆっくり色を変えていた。

 俺は大使館の裏口から出た。傭兵団の装束ではなく、くたびれた旅人風の上着と革のズボンに着替えていた。腰には短剣を一本だけ下げている。槍は持っていかなかった。目立つからではなく、密談の場に長物を持ち込むのは礼儀に反する、という判断だ。

 北門までの道は静かだった。

 昨夜の騒乱の痕跡が、あちこちに残っていた。割れた瓶、引っ繰り返った荷車、石畳に黒く染みた跡。人の姿はほとんどない。たまに見かけるのは、戸口に張りついて外の様子を窺う市民か、小走りで移動する武装した者たちか。後者とは目を合わせなかった。向こうも合わせてこなかった。

 今は互いに探り合いの時間だ。

 北門は半開きになっていた。守衛の姿はなかった。逃げたのか、どちらかに加担したのか。俺は門を抜け、街道に出た。

 森の入口まで、歩いて半刻ほどだった。街道は朝霧の中に沈んでいて、十歩先が霞んで見える。足音だけが静寂の中に響いた。

 一里ほど進んだところで、道の脇に崩れかけた石造りの建物が見えた。かつては宿か何かだったのだろう。屋根の半分が落ちて、壁に蔦が這っている。

 入口の前に、人が立っていた。

 若い女だった。騎士の装束を着ているが、兜はない。腰に剣を帯びているが、手は脇に下ろしている。俺を見ると、小さく頷いた。

「アモス殿ですか」

「そうだ」

「お待ちしておりました。こちらへ」

 廃屋の中は、思ったより広かった。かつての大広間らしき空間に、簡素な椅子が二脚向かい合わせに置かれていた。窓は板で塞がれ、天井の穴から朝の薄明かりが差し込んでいた。

 椅子の一つに、男が座っていた。

 三十代半ばか。落ち着いた面立ちで、髭を短く整えている。着ているのは質素な旅装束で、王族の装飾は何もない。しかし座り方に、育ちの良さが滲んでいた。背筋が自然に伸びている。

 男は俺が入ると立ち上がり、軽く頭を下げた。

「来てくださった。ありがとうございます、アモス殿」

「王太子殿下」俺は言った。「単独でと言われたので、そのようにしました」

「助かります。どうぞ、お座りください」

 俺は椅子に座った。王太子も座った。案内してきた女騎士は、入口の脇に立ったまま動かなかった。

 王太子は俺をしばらく見ていた。値踏みする目ではなかった。何かを確かめようとしている目だ。

「単刀直入に申し上げます」

 王太子の言葉は、サーキニア語ではなく旧王国語だった。大陸西方の旧王国の言葉で、各国の貴族が共通語として使う言語だ。帝国標準語もここから派生しているので、俺にも違和感なく通じた。込み入った話を、双方の母語ではない言語で交わす。それは、互いに対等の立場を確認する作法でもあった。

「そうしてください」

 俺も同じ言語で返した。

「帝国は、今回の件をどう見ていますか」

 俺は少し考えた。

「俺は帝国の代表ではありません。公式の見解を述べる立場にない」

「わかっています」王太子は言った。「だから、あなたに来ていただいた。公式の場では言えないことを、聞きたいのです」

 俺は王太子の顔を見た。疲弊している。昨夜から眠っていないだろう。しかし目は澄んでいた。取り乱した様子はない。

「一つ、聞いていいですか」

「どうぞ」

「リアフォード・サーキニアは、あなたの叔父だ。今回の件が起きる前から、その動きに気づいていましたか」

 王太子は静かに俺を見返した。

「気づいていました」

「なぜ、止めなかったのです?」

 長い沈黙があった。廃屋の天井の穴から、鳥の声が聞こえた。

「止める方法が、なかったのです」王太子はゆっくり言った。「証拠がなかった。動きを察知していても、それだけでは動くのは難しい。そして、私が動けば、叔父はそれを口実にしたと思います」

「傭兵団が価格の異変を察知して、大使館を通じて情報を提供しようとしました。間に合わなかったのは、情報が漏れていたからです」

 王太子の目が細くなった。

「近衛の中に、叔父の者がいたということですか」

「そう見ています」

 王太子は少し俯いた。そして、また顔を上げた。

「帝国に、頼みがあります」

「聞きましょう」

「介入してほしい、とは言いません」王太子は言った。「帝国が傭兵団を動かせば、それは内政干渉になる。サーキニアの民が帝国に反感を持つ口実になる。それは私も望まない」

「では」

「ただ、一つだけ」王太子は真っ直ぐ俺を見た。「叔父が連合王国と繋がっているという話を、あなたは知っていますか」

 俺は表情を変えなかった。

 知っていた。市場の値段を調べているうちに、資金の流れが見えてきていた。しかしそれを、この場でどこまで話すべきか。

「続けてください」俺は言った。

「叔父は、連合王国の支援を受けてこのクーデターを起こしました。しかし連合王国にとって、叔父は道具に過ぎない。クーデターが成功しようと失敗しようと、連合王国には痛くも痒くもない。ただ、帝国とサーキニアの関係が揺らげば、それで十分なのです」

「その通りでしょう」

「私が叔父を抑えることができれば、連合王国の思惑は外れる」王太子は言った。「そのためには、帝国に動いてほしくない。ただし──」

 王太子は一度、言葉を切った。

「私一人では、叔父を止められない。だから、あなた個人に、手を貸してほしいのです。帝国としてではなく、ザックロード・アモスという一人の人間として」

 俺は王太子を見た。

 賢い男だと思った。帝国を動かさず、しかし帝国の人間を使う。建前と実態を分けて考えられる。この若さで、これだけの状況判断ができるなら、次代のサーキニアの王としては悪くない。

 俺は少し考えた。これまでの記憶の中で、似たような問いに向き合った場面がいくつかあった。組織としてではなく、個人として動くことを求められた場面。

 断った場面もあった。受けた場面もあった。

「条件を一つ」俺は言った。

「聞かせてください」

「俺が動く間、イリア・シーク・オットー・エルヴァルトが大使館で情報を集める。それを妨げないでほしい。彼女が得た情報は、帝国本国に送られます。それは止めない」

 王太子は少し驚いた顔をした。おそらく、そういう条件を予想していなかったのだろう。

「……それは、帝国が状況を把握し続けるということですね」

「そうです。帝国を動かさない代わりに、帝国の目は閉じない。それが俺の条件です」

 王太子はしばらく考えた。そして、頷いた。

「承知しました」

 俺は立ち上がった。

「では、リアフォード・サーキニア王弟殿下の現在地を教えてください。そこから始めます」

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