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 40. 魔王の遺物

 二日後の朝、調査隊はダンジョンの入口に集結した。


 十八名。


 俺が隊長を務めた。サーディアスが副隊長として右翼を、サーキニア軍の斥候隊長が左翼を受け持った。カウラは中央、俺の隣に位置した。一日の休養を経て、顔色は幾分戻っていたが、万全ではないことは、見ればわかった。


 仮封鎖は、昨日の夕方に解除されていた。ダンジョンの入口からは、また生温い風が吹き出していた。


「解除してから、溢出は」俺はカウラに聞いた。


「小型の魔物が、数体出た。斥候が処理している。深層の種は、まだ出ていない」


「圧力は」


「上がり続けている。中に入れば、もっと感じるでしょう」


 俺は隊の前に立った。


「聞いてくれ」俺は言った。サーキニア語で。青の団の面々も、サーキニア軍の斥候たちも、全員がこの言葉を理解する。「目的は、暴走の原因の特定だ。深層まで降り、原因を確かめ、戻ってくる。戦闘は避けられない場面だけにとどめる。無理はしない。撤退の判断は、俺がする」


 十八人が頷いた。


「では、行く」


 俺たちは、ダンジョンの闇に踏み込んだ。



 このダンジョンは、竜骨窟とは構造が違った。


 通路が狭く、天井が低い。三人が並んで歩けない場所が多かった。十八人の隊列は、必然的に縦に長くなった。


 第一層から第二層までは、魔物の気配は薄かった。仮封鎖の三日間で、ダンジョン内の魔物の多くが入口側に集まり、それが地上に溢れ出ていた。内部は、一時的に空に近い状態だった。


 しかし、第三層に入ると、空気が変わった。


「来る」カウラが言った。


 前方の暗がりから、低い唸りが聞こえた。


 岩甲虫だった。三匹。竜骨窟で見たものより、少し小さい。しかし、狭い通路では厄介だった。


 先頭の精鋭二名が、盾を構えて虫の突進を受け止めた。その隙に、サーディアスが横から剣を振るい、甲殻の継ぎ目を断った。残りの二匹は、斥候隊が弓で足を射止め、俺が槍で仕留めた。


 手際の良い連携だった。十八人が、初めての共同行動にしては、よく噛み合っていた。


「このダンジョン、サーキニアの基準では中規模だが、通路が狭いのが厄介だな」サーディアスが汗を拭いながら言った。


「中規模なのは、広さではなく深さです」斥候隊長が答えた。「このダンジョンは、横に広がらず、縦に深い。第五層までは何度か入っていますが、それより下は、記録がほとんどありません」


「第五層より下は、未踏ということか」俺は聞いた。


「ほぼ、そうです。一度だけ、十年前に冒険者パーティが第六層まで入った記録がありますが、それ以来、誰も」


 俺は頷いた。


 先へ進んだ。



 第四層を抜け、第五層に入った。


 空気の質が、はっきり変わった。湿度が上がり、壁が湿っていた。しかし、それ以上に、俺の肌に伝わるものがあった。


 魔力だった。


 皇族として生まれ、皇族として育った者には、魔力を肌で感じる素養がある。普段は意識しないほど微弱なものだ。しかし、ここでは違った。空気そのものが、魔力を含んでいるかのように、重く、濃かった。


「カウラ」俺は声をかけた。


「わかっている」カウラは低い声で言った。「魔力濃度が、さっきの層の五倍以上。方向性も、はっきりしてきた。下から、押し上げている。まるで、呼吸しているみたい」


「呼吸」


「一定の間隔で、魔力が波のように押し寄せてくる。吐いて、吸って、また吐く。生きている何かの、呼吸のリズムよ」


 隊の者たちの顔が、少し緊張した。


 俺は振り返った。


「聞いた通りだ。先に進む。ただし、ここからは俺の指示なしに動くな」


 全員が頷いた。


 第五層の通路は、下り坂だった。石の壁が、少しずつ色を変えていた。灰色から、暗い赤へ。壁面に、細かい紋様のようなものが浮かんでいた。


「この紋様は」サーディアスが壁に手を触れようとした。


「触れるな」カウラが鋭く言った。「魔力が込められている。古い。三百年以上前のものだわ」


「魔王の時代のものか」俺は聞いた。


「おそらく」


 俺は壁の紋様を見た。竜骨窟の封印の壁に刻まれていた六王家の紋章とは、まったく違うものだった。有機的な、蔦のような曲線が、壁一面に絡み合っている。


 これは、皇族が刻んだものではない。


 別の誰かが刻んだものだった。


 第五層を抜けた先に、広い空間があった。


 天井が高く、照明の魔法具の光が、上まで届かなかった。床は平らで、中央に大きな穴が開いていた。穴の直径は十歩ほど。底は見えなかった。


 穴の縁から、生温い風が吹き上がっていた。魔力を含んだ風だった。


「これが」俺は言った。「深層への入口か」


「第五層までは来たことがあります」斥候隊長が言った。「しかし、この空間は、十年前の記録にはありません。この穴は、当時は存在しなかったはずです」


 俺は穴の縁に近づいた。


 覗き込んだ。


 闇だった。しかし、その闇の奥に、微かな光が見えた。赤い光だった。


「カウラ」


「見えている」カウラは俺の隣に立って、穴を覗き込んだ。「あの光は、魔力の発光よ。何かが、あそこで魔力を放っている。呼吸のリズムの源は、あの光だわ」


 俺は穴の縁から離れ、隊の全員を見渡した。


 十八人の顔が、それぞれの覚悟を映していた。恐怖のある者もいた。しかし、退く者はいなかった。


「降りるぞ」俺は言った。


 穴の壁面には、足がかりになる突起があった。自然にできたものではなく、誰かが刻んだもののように見えた。


 俺が先に降りた。サーディアスが次に続いた。一人ずつ、慎重に降りていった。カウラは魔法で自分の体を浮かせ、穴の中央を降りていった。


 深さは、三十歩ほどだった。


 底に着いた。


 そこには、通路があった。一本だけ。真っ直ぐ、奥へ続いている。


 壁の紋様が、第五層よりも密度を増していた。蔦のような曲線が、壁だけでなく、天井にも、床にも、絡み合っている。その全てが、かすかに赤い光を放っていた。


 通路の奥から、呼吸のリズムが伝わってきた。押し寄せ、引き、また押し寄せる。魔力の波。


「進む」俺は言った。


 隊列を組み、通路を進んだ。


 百歩ほど歩いた先に、開けた空間があった。


 広間だった。


 天井は高く、半球形をしていた。壁一面に、赤い紋様が光っていた。


 広間の中央に、何かがあった。


 石の台座だった。高さは膝ほど。台座の上に、球体が一つ、置かれていた。


 球体は、拳二つ分ほどの大きさだった。黒く、滑らかだった。しかし、内部から、赤い光が明滅していた。


 呼吸のリズムと同期していた。光が強くなるとき、魔力の波が押し寄せる。光が弱くなるとき、波が引く。


 これが、暴走の原因だった。


「何だ、あれは」サーディアスが低い声で言った。


「魔王の遺物よ」カウラが言った。声が、かすかに震えていた。「間違いない。あの球体は、魔力の増幅器。魔王の時代に造られたもの。大魔法使いの家系でも、あんなものは造れない」


「なぜ、魔王の遺物だと断定できる」


「魔力の刻印が違うの」カウラは少し、目を細めた。「人間の魔法使いが造った魔法具には、製作者の魔力の癖が残る。家系ごとに、流派ごとに、それぞれの特徴がある。私はダークス家の人間だから、大陸の主要な魔法流派の刻印は、ほぼ全て見分けられる。しかし、あの球体の刻印は、どの流派にも属さない。人間の魔力ではなく、もっと古い、もっと異質な魔力で造られている。大魔法使いの家系に伝わる古い記録に、同じ質の刻印が一つだけ記されている。魔王の遺物の特徴として」


 俺は球体を見つめた。


 封印文書に書かれていたことが、頭の中で鳴っていた。


 ──魔王の呪いは、私が思っていたよりも、深い。


 俺は球体から目を離し、広間全体を見渡した。


 一つの疑問が、頭から離れなかった。


 なぜ、ここにあるのか。


 魔王の遺物であるなら、旧魔王領にあるのが自然だ。魔王が居城を構え、勢力を広げ、英傑パーティに倒されたのは、全てリードスゴートの地だ。サーキニアは、旧王国よりもさらに南に位置する。魔王の支配が及んでいたかどうかすら、歴史の記録では明確ではない。


 それなのに、魔王の遺物が、サーキニアの中規模ダンジョンの深層にある。


「カウラ」俺は言った。「この遺物は、三百年前からここにあったものか」


 カウラは球体に近づかず、数歩離れた位置から、目を細めて観察していた。


「いいえ」カウラは言った。「違うわ」


「なぜ、わかる」


「台座よ」カウラは石の台座を指した。「台座の石は、このダンジョンの壁と同じ材質。もともとここにあったもの。しかし、球体と台座の間に、結合の魔法痕がない」


「どういう意味だ」


「魔王の時代に造られた遺物なら、台座と球体は一体として造られるのが普通よ。台座の上に球体を置いて、結合の魔法で固定する。しかし、この球体は、台座の上に、ただ置かれているだけ。後から、誰かが持ち込んで、ここに据えたのよ」


 俺はその言葉を、頭の中で反芻した。


 後から、持ち込まれた。


 誰が。いつ。


「壁の紋様はどうだ」俺は聞いた。「あれは、三百年前のものだと言っていたが」


「壁の紋様は、古い。三百年以上前のもの。このダンジョンが形成されたときから、ここにあった可能性がある。つまり、この空間自体は、魔王の時代に造られた。しかし、球体は、後から持ち込まれた」


「持ち込んだ者は、この空間の存在を知っていた、ということだな」


「そう。魔王の時代の空間構造を知り、ここに遺物を据える意味を理解していた者。そんな知識を持つ者は、限られるわ」


 俺の頭の中で、名前が一つ、浮かんだ。


 ジェフール。


 コーレン家が、五十年以上かけて追い求めてきた「魔王の遺産」。ジェフールが旧魔王領のダンジョンから回収させていた古書や遺物。八年前にイリアに依頼した書物の回収。


 もし、ジェフールが旧魔王領のダンジョンから魔力の増幅器を回収し、サーキニアのダンジョンに持ち込んでいたとしたら。


 しかし、ジェフールの動機が合わない。あの男は、「知りたいだけだ」と言った。知識への渇望が動機であり、魔王の遺物を使って暴走を引き起こすことは、彼の目的に反する。


 では、誰が。


「アモス殿」サーディアスが声をかけてきた。「球体の周りに、何か落ちています」


 俺はサーディアスが指した場所を見た。


 台座の裏側に、小さな革袋が一つ、落ちていた。


 俺は身をかがめて拾い上げた。中に、紙が一枚入っていた。


 広げた。


 短い文だった。サーキニア語で書かれていた。


 ──ジェフール様へ。お約束の品を、ご指定の場所にお届けいたしました。台座への固定は、私の力では叶いませんでした。ご容赦ください。これにて、コーレン家への恩義は、果たされたものと存じます。ロド。


 俺はその紙を、二度、読んだ。


 ロド。


 ガレダ町の古書買取所の店主。コーレン家の末端の者。


 あの男が、ジェフールの指示で、魔力の増幅器を旧魔王領から運び出し、サーキニアのダンジョンに持ち込んだ。


 しかし、待て。


 ジェフールは、ガレダ町の宿で、俺に言った。「読みたいだけです。所有したいわけではない」と。魔法の契約で、封印文書の内容を口外しない誓約を結んだ。あの男の渇望は、知識に向けられていた。遺物を使って暴走を引き起こすことは、ジェフールの性格と目的に、合致しない。


 では、ジェフールは、この遺物が何をするか、知らずに指示したのか。


 あるいは、別の目的で据えたのか。


「アモス殿」サーディアスの声だった。「どうされました」


 俺は紙を畳み、懐に入れた。


「一つ、わかったことがある」俺は言った。「この球体は、三百年前からここにあったものではない。最近、外から持ち込まれた」


 隊の者たちの表情が、変わった。


「持ち込んだ者の手がかりもある。ただし、詳細は後で話す。今は、この球体をどう処理するかを、決めなければならない」


 俺はカウラを見た。


「止められるか」


「増幅器を停止させる、という意味なら」カウラは少し考えた。「可能よ。ただし、壊すのではなく、停止させるだけ。壊したら、蓄積された魔力が一気に放出される。このダンジョン全体が崩落するかもしれない」


「停止させれば、暴走は止まるか」


「止まる。増幅器が魔力を押し上げていたのだから、止まれば、噴出も止まる。ダンジョンは、数日で通常の状態に戻るはず」


「やってくれ」


「時間がかかるわ。一時間は」


「構わない。その間、俺たちが護衛する」


 カウラは頷いた。


 球体に向かって歩きはじめた。両手を前に出し、魔力の壁を展開しながら、慎重に近づいていく。


 俺は隊を広間の入口に配置し、通路の方向を警戒させた。増幅器を停止させれば、深層の魔物が反応する可能性があった。


 サーディアスが俺の隣に立った。


「アモス殿。持ち込んだ者の手がかり、というのは」


「まず、ここを切り抜けてからだ」


「了解です」サーディアスは明るく言った。「まずは、カウラの仕事を見守りましょう。大魔法使いの仕事ぶりを、前線で見られる機会は、そうそうないですからね」


 俺は少し、笑った。


 カウラが球体の前で、魔法を展開しはじめた。赤い光が、少しずつ弱まっていった。呼吸のリズムが、ゆっくりになっていく。


 十分が過ぎた。


 二十分が過ぎた。


 三十分が過ぎたとき、通路の方から、音が聞こえた。


 最初は、遠くの振動だった。石を引き摺るような、重い音。それが、近づいてきていた。


「来る」俺は言った。


 全員が、武器を構えた。


 通路の暗がりの先に、二つの光が見えた。目だった。赤く、低い位置で光っている。そして、その後ろにも、もう一対。


 光が近づくにつれて、全体の輪郭が見えてきた。


 最初の一体は、石喰いだった。竜骨窟で俺が仕留めたものと、同じ種だ。しかし、一回り大きい。通路いっぱいに体を押し込み、岩を削りながら、こちらへ向かってきていた。


 その後ろに、もう一体。


 石喰いではなかった。


 四足で這うような姿勢の、灰色の獣だった。体長は石喰いの半分ほどだが、鱗が黒く、刃のように尖った突起が全身から生えていた。目が六つあった。前方に四つ、側面に二つ。死角がない。


「あれは何だ」サーディアスが声を低くした。


「鎧蜥蜴」カウラが答えた。目が鋭くなっていた。「大魔法使いの家系の記録に載っている。リードスゴートの最深層に生息する種よ」


「サーキニアにいるはずのない魔物だ」俺は言った。増幅器の影響が、ここまで深層の種を引き寄せているのか。


 二体が、同時に来る。


 俺は即座に判断した。


「サーディアス。精鋭十名で石喰いを止めろ。通路の幅を使え。正面突破させるな」


「了解」


「斥候隊は、鎧蜥蜴を俺と挟む。弓で足を狙え。動きを止めたら、俺が仕留める」


「はっ」


「カウラには手を出すな。停止作業を中断させてはならない。カウラの護衛は、残りの二名が当たれ」


 隊が動いた。


 サーディアスが十名を率いて、通路の入口に壁を作った。盾を構え、槍を揃えた。石喰いが突進してきた。轟音がした。盾がきしんだ。しかし、十一人の壁は、崩れなかった。


「持てー!」サーディアスが叫んだ。明るい声が、こういうときには号令になる。兵士たちの顔から、恐怖の代わりに、闘志が浮かんだ。


 石喰いが後退し、再び突進した。二度目の衝撃。盾の一枚が割れた。しかし、すぐに後ろの兵が補填した。


 その間に、鎧蜥蜴が、石喰いの体の下を潜って、広間に入ってきた。


 速い。


 石喰いとは、まったく違う動きだった。低い姿勢で、蛇のように滑るように這い、方向を急に変えた。六つの目が、広間の全員を、同時に見ていた。


 俺は槍を構えた。


 鎧蜥蜴が、俺に向かってきた。


 跳躍だった。壁を蹴り、天井に張りつき、そこから落ちるように俺に飛びかかってきた。


 俺は横に転がった。蜥蜴が着地した場所の石が、砕けた。突起の刃が、床を抉っていた。あれに当たれば、鎧ごと体を裂かれる。


 斥候隊が弓を射った。三本の矢が飛んだ。二本が鱗に弾かれ、一本が後足の関節に刺さった。


 蜥蜴が、一瞬、動きを止めた。


 俺は走った。


 蜥蜴の側面に回り込み、槍を突いた。石喰いのときと同じ、前足と後足の間の柔らかい部分を狙った。


 穂先が、鱗の隙間に入った。


 しかし、浅かった。鎧蜥蜴の鱗は、石喰いより密度が高い。穂先が、奥まで届かなかった。


 蜥蜴が体を回転させた。尾が振られた。突起の生えた尾が、横薙ぎに俺を襲った。


 俺は槍の柄で受けた。衝撃で、腕が痺れた。体が、二歩分、後ろに飛ばされた。


 背中が壁にぶつかった。


 蜥蜴が、再び跳躍した。今度は、逃げる場所がなかった。


 俺は槍を捨てた。


 腰の短剣を抜いた。


 蜥蜴が落ちてくる。俺は壁を背にして、体を低くした。蜥蜴の腹が、頭上を通過する瞬間、短剣を真上に突き上げた。


 腹の鱗は、側面よりも薄かった。


 短剣が、深く入った。


 俺はそのまま、短剣を引き裂くように、前方へ走り抜けた。蜥蜴の腹が、短剣に沿って裂けた。


 蜥蜴が、壁に激突した。


 体液が、床に広がった。蜥蜴は二度、三度、痙攣した。それから、動かなくなった。


 俺は膝をついた。右腕が痺れていた。短剣を握る手が、震えていた。


 通路の方で、もう一つの決着がついていた。


 サーディアスと精鋭たちが、石喰いを押し返し、通路の中で仕留めていた。サーディアスが石喰いの甲殻の隙間に、剣を二本、突き刺していた。力任せの、しかし正確な仕事だった。


「こっちは片付いた」サーディアスが振り返って言った。息が上がっていたが、笑っていた。「そっちは」


「終わった」俺は答えた。


 広間が、静かになった。


 カウラは、振り返らなかった。


 球体の前で、両手を前に伸ばしたまま、停止作業を続けていた。背中に汗が滲んでいたが、魔法の展開は、一瞬も途切れていなかった。


 護衛の二名が、カウラの両脇に立っていた。戦闘の間、一歩もそこを動かなかった。


 俺はカウラの背中を見た。


 大魔法使いの家系の矜持が、そこにあった。周囲で何が起きようとも、自分の仕事を止めない。それが、この女の強さだった。


 さらに三十分が過ぎた。


 球体の光が、消えた。


 呼吸が、止まった。


 広間が、完全に静まった。壁の紋様の赤い光も、ゆっくりと消えていった。


 カウラが振り返った。顔は蒼白だったが、目は、はっきりしていた。


「停止したわ」


 その言葉が、広間に響いた。


 隊の者たちの間から、小さく、息を吐く音が聞こえた。


 サーディアスが言った。


「カウラ。茶を淹れようか」


「お願い」カウラは少し笑った。「今なら、何杯でも飲めるわ」


 俺は球体を見た。黒く、滑らかな球体。光を失い、ただの石のように見えた。しかし、それが魔王の遺物であり、数百体の魔物を地上に溢れ出させた原因であることを、俺は知っていた。


 そして、それを持ち込んだのが、ロドという男であり、指示したのがジェフールであることも。


 停止しているとはいえ、放置はできない。


「サーディアス」俺は言った。「斥候隊から二名を選んで、地上に伝令を出してくれ。戦団長とサーキニア軍の師団長に、状況を伝える。暴走の原因を特定し、停止させたこと。ただし、装置の監視が必要であること。救援隊の派遣を要請する」


「了解。伝令の内容は、口頭か」


「口頭でいい。ただし、装置が魔王の遺物であることは伝えるな。『暴走の原因となった魔法装置を発見し、停止させた。装置の監視に交代要員が必要』とだけ伝えろ」


「わかった」


 サーディアスが斥候隊長に指示を出し、二名が通路を駆け上がっていった。


「残りの者は、ここで待機する」俺は全員に言った。「球体には、誰も触れるな。カウラが停止させた状態を維持するために、不用意な魔力の干渉も避けてくれ」


「アモス殿」斥候隊長が聞いた。「救援隊が来るまで、どれくらいかかりますか」


「伝令が地上に出るのに、早くて半日。そこから、救援隊が編成されて降りてくるのに、さらに一日。二日近くは、ここで待つことになる」


「二日」


「ああ。食料と水は、持参した分でぎりぎりだが、足りる。その間、交代で休め。ただし、通路の警戒は常に二名以上。先ほどのような深層の種が、再び来る可能性がある」


 隊の者たちが頷いた。


 俺は広間の隅に腰を下ろした。サーディアスが交代の順番を組みはじめた。斥候隊の残り三名と、青の団の精鋭が、自然に役割を分担していた。


 カウラは球体から少し離れた位置で、壁にもたれて座っていた。目を閉じていた。


「カウラ」俺は小声で声をかけた。


「起きてるわ」


「装置が再起動する可能性は」


「ないとは言えない。外部から強い魔力を注ぎ込めば、再び動き出す。だから、監視が要る。私が近くにいれば、兆候が出た瞬間に抑え込める。しかし、私がいなくなった後は、同等の魔導師が交代で張りつく必要があるわ」


「戦団には、お前以外に」


「いない」カウラは目を開けた。「ただし、サーキニア軍に宮廷魔導師がいるはず。師団に配属されている者なら、監視くらいはできるでしょう。停止させる力はなくても、再起動の兆候を察知して報告することはできる」


「わかった。救援隊が来たら、その手配を、師団長に申し入れる」


 カウラは頷き、また目を閉じた。

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