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 36. 戦団の幕僚として

投稿が遅れました。申し訳ありません。

できるだけ毎日投稿していきます。

 翌朝、夜明けと共に、俺とイリアは副都の南門を出た。


 駅馬が用意されていた。スロックの手配だった。副都から大公国を経由してサーキニアへ至る街道沿いに、乗り継ぎの馬が六箇所で待っている。昼夜を問わず走れば、七日で着く。


 最初の三日間は、大公国を縦断する道だった。平坦な街道が続く。大公国は帝国語の方言を話す人々の土地で、俺たちが帝国人であることは、言葉を交わさなくても伝わった。駅馬の係員は、皇太子宮の書状を見ると、即座に馬を替えてくれた。


 俺とイリアは、ほとんど会話をしなかった。馬上では、考えることが多かった。


 四日目に、大公国とサーキニアの国境を越えた。


 景色が変わった。大公国の緑の多い平野から、サーキニアの乾いた丘陵地帯へ。空の色が少し違う。風の匂いが違う。数ヶ月前まで、毎日吸っていた空気だった。


 サーキニア語が、耳に戻ってきた。


 五日目の夜、駅馬の最後の乗り継ぎで、情報が入った。


「暴走は、まだ続いている」駅馬の係員が言った。「南西のダンジョンから、まだ魔物が出ているらしい。サーキニア軍が第二防衛線を敷いているが、傭兵団も合流したと聞いています」


「傭兵団の位置は」


「王都の南西、街道を三日ほど行ったところに、本陣があるとのことです」


 俺は頷いた。王都に寄る必要はなかった。直接、前線へ向かう。


「イリア」


「はい」


「王都を迂回して、南西の本陣へ直接向かう。もう一日、馬を飛ばす」


「承知しました」


 六日目の夕方。


 俺たちは、サーキニアの南西部に広がる丘陵地帯を走っていた。


 遠くに、煙が見えた。


 戦場の煙ではなかった。魔物を焼いた煙だった。黒く、重く、地面を這うように広がっている。


 煙の手前に、陣地が見えた。天幕が並び、旗が立っていた。サーキニア軍の旗と、帝国の皇室傭兵団の旗が、並んでいた。


 俺は馬を止めた。


 陣地の入口に、見張りが立っていた。青の団の兵士だった。


「アモス殿」見張りはすぐに敬礼した。「お待ちしておりました。戦団長が、お着きになり次第、本陣にお通しするようにと」


 見張りの一人が走って陣地の奥に入った。


 しばらくして、天幕の一つから、人が出てきた。


 ベルトだった。


 俺を見て、少し顔を崩した。


「ザック。遅かったな」


「道が長かった」


「だろうな」ベルトは少し笑った。「だが、来てくれて助かる。戦団長が待っている」


 俺は馬を降りた。イリアも続いた。


 陣地の中に入ると、空気が変わった。戦場の緊張が、肌に伝わった。天幕の間を、兵士たちが行き来していた。傭兵団の装束を着た者と、サーキニア軍の装束を着た者が、混じっている。


「状況を聞かせてくれ」俺はベルトに言った。


「話しながら歩こう」


 ベルトは本陣の天幕に向かいながら、状況を説明した。


「暴走が始まったのは、十日前だ。サーキニア南西部の、中規模のダンジョンから魔物が溢出した。最初は数十体だったが、日を追うごとに増えた。今は、断続的に出続けている」


「サーキニア軍は」


「第二師団が最初に出動した。しかし、前線を維持できなかった。魔物の種類が、通常の暴走とは違う」


「どう違う」


「深層の種が混じっている」


 俺は足を止めた。


「深層の種が、中規模のダンジョンから」


「ああ。石喰いに近い類のものが、三体確認されている。通常、サーキニアのダンジョンからは出ない種だ」


 俺は頭の中で、竜骨窟での石喰いとの戦闘を思い出した。あれは旧魔王領の中層ダンジョンだったから、深層の種が上がってきても不思議ではなかった。しかし、サーキニアのダンジョンから深層の種が出るのは、まったく別の意味を持つ。


「何かが、ダンジョンの構造を変えているということだ」


「そうだ。戦団長も、同じ見立てでいる」


 本陣の天幕に着いた。


 中に入ると、大きな卓の上に地図が広げられていた。卓の周りに、数人の幕僚と、サーキニア軍の将校が立っていた。


 卓の奥に、戦団長がいた。ルシウス・グレイ。五十代の男だった。体格が良く、顔に古い傷がある。しかし、目は鋭く澄んでいた。傭兵団を知力で率いてきた男の目だ。


 その右手に、副官のサーディアス・ロットが立っていた。三十代後半の、体格の良い男だ。俺が入ってきたのを見て、顔をぱっと明るくした。


「おお、アモス殿。よく来てくれた」


 サーディアスの声が、天幕の中の空気を、ほんの少しだけ和らげた。この男にはそういう力がある。


 卓の左手には、もう二人いた。


 一人は、兵站幕僚のソートス・リッジ。四十代の痩せた男で、眼鏡をかけていた。傭兵とは思えないほど几帳面な姿勢で、手元の帳簿に何かを書き込んでいた。俺に気づくと、ペンを置いて、正確に一礼した。


 もう一人は、魔導幕僚のカウラ・ダークス。三十代前半の女で、長い黒髪を高く結い上げていた。大魔法使いの家系に生まれた者の、どこか傲慢な立ち方をしている。しかし、その傲慢さの奥に、戦場の仲間を気遣う目があることを、俺は知っていた。


「遅い到着ね、アモス殿」カウラは言った。「もう少し早ければ、私が石喰いもどきを三体吹き飛ばすところを見せてあげられたのに」


「それは残念だ」俺は答えた。


「戦団長」俺はルシウスに向き直り、敬礼した。「ザックロード・アモス、着任いたしました」


「遅かったな、アモス」ルシウスは言った。声は低く、落ち着いていた。「だが、来てくれて助かる。幕僚の仕事が、溜まっている」


「状況をお聞かせください」


「まず地図を見ろ」


 ルシウスは地図を指した。


 サーキニア南西部の地形が描かれていた。ダンジョンの位置、サーキニア軍の防衛線、傭兵団の展開位置、避難民の流れ。全てが、赤い線と青い線で書き込まれていた。ソートスの字だった。正確で、読みやすい。


「ダンジョンはここだ」ルシウスは地図の一点を指した。「サーキニア軍の第二防衛線は、ここ。我々は、その右翼に展開している。避難民は、北東の街道を通って王都方面に流れている」


「避難民の数は」


「現時点で、周辺の村落から、およそ三千人」ソートスが即座に答えた。「まだ増える見込みです。食料の備蓄は、現在の消費速度で七日分。街道の輸送計画は、昨日の段階で組み直してあります」


「さすがだ、ソートス」俺は言った。


「仕事ですから」ソートスは表情を変えずに言った。


「サーキニア軍との連携の状況は」


「ここが問題だ」ルシウスは少し、顔を曇らせた。「クーデターの後遺症で、サーキニア軍の指揮系統が、まだ完全には回復していない。第二師団長と、王都から派遣された参謀の間で、判断が割れている。我々との情報共有も、滞りがちだ」


「何について、判断が割れていますか」


「攻勢に出るか、防衛に徹するか、だ。第二師団長は、ダンジョンの入口を封鎖して溢出を止めたい。参謀は、深層の種が出ている以上、入口を封鎖しても意味がない、まず魔物を殲滅してから調査すべきだ、と主張している」


「魔導の観点から、何か見えていることはあるか」俺はカウラに聞いた。


 カウラは少し、腕を組んだ。


「ダンジョンの入口付近の魔力濃度が、通常の三倍から四倍に跳ね上がっている。これは、深層から魔力が噴き上がっている証拠よ。入口を塞いでも、魔力の噴出が止まらなければ、別の場所に穴が開く可能性がある。参謀の主張の方が、魔導的には筋が通っている」


「ただし」カウラは続けた。「殲滅を先にやるとなると、兵力が足りない。深層の種を相手にするなら、私の魔法がないと話にならないけれど、私一人で三体を同時には相手にできないわ」


「一体なら」


「余裕よ」カウラは少し、笑った。うぬぼれの笑い方だったが、裏付けのあるうぬぼれだった。


 俺は地図を見つめた。


「戦団長」俺は言った。「幕僚として、まず何をすべきか、申し上げてもよろしいですか」


「聞こう」


「サーキニア軍との情報共有を、まず回復させます。第二師団長と参謀の双方と、個別に話をさせてください。判断が割れているなら、双方の主張を正確に把握し、共通の認識を作ることから始めます」


「それが、幕僚の仕事だな」


「はい。戦団長は、戦闘指揮に集中してください。外の調整は、俺が引き受けます」


 ルシウスは少し、笑った。知的な笑い方だった。


「お前が来てくれると、安心する。アモス」


「もったいないお言葉です」


「世辞ではない。お前が来てからの五年、この戦団の外との調整は、全てお前が回してきた」


 サーディアスが、横から明るく口を挟んだ。


「アモス殿が来たなら、俺は安心して前線に戻れるな。後方の調整は、全部お任せだ」


「お前は前線が好きすぎる」ルシウスがたしなめた。


「副官の仕事は、戦団長の隣にいることですよ」サーディアスは笑った。「戦団長が前線にいれば、俺もそこにいるだけです」


 ソートスが、小さくため息をついた。


「兵站の計算が合わなくなるので、無駄な消耗はお控えください」


「ソートスは相変わらず堅いな」


「堅くなければ、兵站は回りません」


 カウラが、少し笑った。


「相変わらず、いい面々ね」


 俺も少し、口の端が動いた。


 この戦団の空気だった。ルシウスの知的な指揮、サーディアスの明るさ、ソートスの几帳面さ、カウラの自信。そして、俺の調整。それぞれが、それぞれの役割で、全体を支えている。


「イリアは」ルシウスが聞いた。


「姪です。同行しています」


「書記官だったな。幕僚の補佐として、使っていいか」


「もちろんです」


 ルシウスは頷いた。


「では、アモス。明日の朝一番で、サーキニア軍の第二師団長に会いに行ってくれ。話の通じる男だが、今は、参謀との対立で、意固地になっている。お前なら、解きほぐせるだろう」


「承知いたしました」


 俺は本陣の天幕を出た。


 夜の陣地に、篝火の光が点々と灯っていた。南西の方角に、まだ煙が見えた。


 ベルトが、天幕の外で待っていた。


「どうだ」


「幕僚の仕事だ。明日から、忙しくなる」


「お前らしい仕事だ」


「ああ」


 俺は南西の空を見た。煙の向こうに、ダンジョンがある。その中で、何かが起きている。


 スロックが言った言葉を、思い出した。


 ──個人として、暴走の原因を気にかけてほしい。


 幕僚の仕事と、個人としての調査。二つの仕事が、また重なろうとしていた。


 しかし、それは明日からだ。


 今夜は、休む。


 六日間の強行軍で、体が限界に近かった。

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