31. 再度の謁見
翌日、俺は帝都に向けて発つことを決めた。
封印文書の内容は、魔法通信で送れるものではなかった。短文しか送れない通信石では、言葉の一つ一つが重みを持つこの知識を、正確に伝えることは不可能だった。書面で送るにも、この内容を紙に書くこと自体が危険だった。
直接、エルザ陛下に口頭で報告する。それが、唯一の方法だった。
ガレダ町の塔で、ハルムに挨拶をした。
「アモス殿」ハルムは言った。「ご滞在中、当塔としてお力になれたことがあったなら、幸いです」
「十分以上にお世話になりました」俺は頭を下げた。「記録の閲覧、宿房の提供、監視の手配、魔法陣の使用。ハルム殿のご協力がなければ、ここまで動けませんでした」
「過分のお言葉です」
「もう一つ、お願いがあります」
「何でしょう」
「ジェフール殿が、この町に引き続き滞在されます。身柄の拘束は不要ですが、動向の把握はお願いしたい。彼が町を出る場合は、首都の中央監視塔を経由して、俺に連絡を入れていただけますか」
「承知いたしました」
ジェフールとは、宿の食堂で別れた。
「帝都に戻ります」俺は言った。「陛下に報告を済ませた後、どうなるかは、陛下のご判断次第です」
「承知しております」ジェフールは穏やかに言った。「私は、ここにおります。どこへも行きません」
「魔法の契約は、有効です」
「もちろんです」ジェフールは少し笑った。「契約がなくとも、話すつもりはございませんが」
俺はその言葉を聞いて、少し頷いた。
「ヴァルク殿は」
「ヴァルクは、今朝、町を出ました。どこへ行くかは、聞いておりません。ただ、別れ際に、こう言っていました」
「何と」
「しばらく、一人になりたい、と」
俺は何も言わなかった。
コーレン家を離れると決めた男が、一人になりたいと言う。それは、当然のことだった。
帝都に着いたのは、ガレダ町を発ってから三日後の午後だった。
俺は塔や大使館ではなく、直接、皇宮に向かった。門で皇族の印を示すと、前回と同じく、即座に通された。
「陛下が、すぐにお会いになる、とのことです」
今回もまた、即時の応答だった。
俺は長い回廊を歩きながら、報告の内容を、頭の中で整理した。
報告すべきことは、三つある。
一つ。封印文書の存在と、その内容。六王家の成り立ちの真実、呪いの代償、魔王の残滓の可能性。
二つ。ジェフールとの魔法の契約。封印文書の内容を口外しないという契約が成立していること。
三つ。今後の判断を仰ぐ。この知識を、帝国としてどう扱うか。
本殿の一室に通された。前回と同じ部屋だった。北の窓から、旧魔王領の方角が見えた。
エルザ陛下は、今日は椅子に座っていた。卓の上に、書類が数枚広がっていた。俺が入ると、書類を脇に寄せた。
「戻ったか」
「はい。ご報告に参りました」
「座れ」
俺は座った。イリアも、その隣に座った。
陛下は俺を見ていた。しばらく、何も言わなかった。
「ザックロード」
「はい」
「顔が変わったな」
俺は少し、意外に思った。
「変わりましたか」
「ガレダに向かう前と、今と。何かを見た者の顔だ」
俺は何も言わなかった。陛下の直感は、いつも正確だった。
「報告を聞く」
俺は一つ目から話しはじめた。
「竜骨窟の第七層に、初代皇帝が封じた部屋がございました。封印は、皇族の魔力で開きました。中に、革装丁の書物が一冊。初代皇帝の日記のような形式で書かれていました」
「中身は」
「六王家の成り立ちについて、書かれておりました」
俺は、一呼吸置いた。
「陛下。この先の内容は、帝国の根幹に関わるものです。この場に、俺とイリア以外の者がいないことを、確認させてください」
陛下は少し、目を細めた。
「この部屋には、私とお前たちしかいない。壁の向こうに衛兵がいるが、声は届かない」
「では、申し上げます」
俺は、封印文書の内容を、記憶のまま、順を追って話した。
初代皇帝に子がいないこと。呪いの代償として子を成す力を失ったこと。信頼できる女たちの娘六人を養子に取り、血の契約を結んだこと。それが六王家の始まりであること。
そして、魔王の残滓。
六王家の血の中に、魔王の力の欠片が混じっている可能性があること。
俺が話している間、陛下は一度も口を挟まなかった。
話し終えた後も、しばらく沈黙が続いた。
窓の外で、風の音がしていた。
「ザックロード」
「はい」
「初代皇帝は、まだ生きている」
「はい」
「この書を、三百年以上、封じたままにしておられた。その理由は、お前の見立てでは何だ」
「この知識が広まれば、皇族への信頼が揺らぐ、と判断されたのだと思います。六王家の不老長命が、魔王の呪いに由来すると知れば、民の皇族に対する感情が変わります」
「私たちの中に、魔王の残滓がある、か」
陛下は自分の手を見た。右手を開き、閉じた。剣聖の手だった。百年間、剣だけを握り続けてきた手。
「実感はないな」陛下は言った。
「俺も、ありません」
「しかし、初代陛下がそう書き残したのなら、可能性はある」
「はい」
「ジェフールという男には、魔法の契約を結ばせたと」
「はい。封印文書の内容を、第三者に口外しない契約です。俺とイリア、そして陛下が正式に開示を求めた場合に限り、制約は解除されます」
「書物そのものは」
「竜骨窟に残してあります。壁を再び閉じました。持ち出しも、書き写しもしておりません」
陛下は少し、頷いた。
「よい判断だ」
俺は少し、肩の力を抜いた。
「陛下」俺は続けた。「この知識を、帝国としてどう扱うか。ご判断を仰ぎます」
陛下はしばらく、黙っていた。
窓の外を見ていた。旧魔王領の方角を。初代皇帝が今も歩いているはずの、あの荒野を。
「三百年」陛下は静かに言った。「三百年の間、この知識は封じられていた。私一人の判断で、それを動かすべきではない」
「では」
「スロックに、伝えろ」
「スロックに」
「皇太子として、この知識を共有する権利がある。スロックに伝えた上で、私とスロックと、お前の三人で、どう扱うかを決める。それでよいか」
「はい」
「それまでは、この知識は、この場にいる者だけのものだ。イリア」
「はい」イリアは深く頭を下げた。
「お前にも、口外しないよう、求める。魔法の契約が必要か」
「不要でございます」イリアは毅然と答えた。「皇族としての誓いで、十分です」
陛下は少し、イリアを見た。それから、笑った。
「良い姪を持ったな、ザックロード」
「自覚しております」
陛下は立ち上がった。
書類を卓に残したまま、窓際に歩いた。北の空を見た。
「ザックロード」
「はい」
「報告は、以上か」
「以上でございます」
陛下は振り返った。
その目が、変わっていた。皇帝の目ではなかった。剣聖の目だった。
「では、一つ、付き合え」
俺の背が、少し硬くなった。
「……何にでしょうか」
「剣だ」
俺は、少し黙った。
来た、と思った。
「陛下」
「なんだ」
「報告に参ったのであって、仕合いに参ったわけでは」
「知っている。だが、お前の顔を見たら、振りたくなった」
陛下の声には、明るさがあった。豪快さと表現してもいい質の明るさだった。百年間剣を磨き続けた者が、久しぶりに相手を見つけたときの、純粋な喜びが滲んでいた。
断れない。
断れないのは、相手が皇帝だからではなかった。あの目で言われたら、断る理由が見つからない。それが、エルザ陛下の厄介なところだった。
「……承知いたしました」
「よし」
陛下は部屋を出た。俺とイリアが後を追った。
廊下を歩きながら、イリアが小声で言った。
「伯父上。大丈夫ですか」
「大丈夫ではない」
「ですが、お断りにはなりませんでしたね」
「断れるか、あの目を見て」
イリアは少し、笑った。




