30. 魔法の契約
ガレダ町に戻ったのは、日が落ちてからだった。
俺たちは「狐の宿」ではなく、塔に向かった。ジェフールも、何も言わずに従った。
ハルムが門で待っていた。石喰いの振動の報告を受けて、帰りを心配していたのだろう。俺たちの顔を見て、少し安堵した表情を見せた。
「ご無事で」
「全員、無事です。ご心配をおかけしました」
俺はハルムに軽く頭を下げ、応接室に向かった。
ジェフールに、話さなければならないことがあった。
応接室の扉を閉めた。
俺と、イリアと、ジェフール。三人だった。
卓に着き、俺は少し間を置いてから切り出した。
「ジェフール殿」
「はい」
「今日、あなたは封印文書の内容を聞いた。その知識を、俺は帝国の管理下に置くと申し上げた」
「はい」
「しかし、帝国の管理下に置く、というだけでは、不十分だ」
ジェフールは少し、俺を見た。穏やかな目だった。しかし、俺の言葉の先を読んでいる目でもあった。
「口外しないでほしい、ということですか」
「そうだ。ただし、口約束では足りない」
ジェフールは少し黙った。それから、頷いた。
「魔法の契約を、お求めですか」
「お願いしたい」
魔法の契約。
帝国の法制度の中では、最も重い約束の形だった。判事の魔法具が「嘘を見抜く」ものであるのに対して、魔法の契約は「約束を破ることそのものを不可能にする」ものだった。
仕組みはこうだ。契約の両当事者が、契約の魔法陣の上で、契約の内容を声に出して宣言する。魔法陣が起動すると、宣言の内容が両者の魔力に刻まれる。以降、契約の内容に反する行為を行おうとすると、体に激しい苦痛が走り、行為そのものが遂行できなくなる。
破ることは、不可能ではない。しかし、破ろうとする者は、死に至るほどの苦痛を受ける。実質的には、破れない約束だった。
「伯父上」イリアが言った。「魔法の契約陣は、ここにございますか」
「ハルムに確認する必要がある。地域監視塔であれば、一つは備えているはずだ」
俺は扉を開け、廊下にいたハルムを呼んだ。
「ハルム殿。一つ、お願いがあります。契約の魔法陣を、お借りできますか」
ハルムは少し目を見開いた。しかし、すぐに頷いた。
「ございます。地下の儀式室に。ただし、陛下の書状の範囲で使用されますか」
「リードスゴート全域での活動に必要な措置として、使わせていただきます」
「承知いたしました。ご案内します」
地下の儀式室は、塔の最下層にあった。
石の壁に囲まれた小さな部屋だった。床に、魔法陣が刻まれていた。直径は三歩ほどの円で、古い帝国語の文字が、精緻に彫り込まれている。三百年前の建国期から、同じ型が受け継がれてきた魔法陣だった。
ハルムが灯を置いて、部屋を出た。
三人が、魔法陣の前に立った。
「ジェフール殿」俺は言った。「契約の内容を、確認します」
「お願いします」
「今日、竜骨窟の封印文書から得た知識の全てを、あなたは第三者に口外しない。文字に書き起こすことも、暗号に変えて伝えることも、しない。ただし、俺、ザックロード・アモスと、イリア・オットーに対しては、この制約は適用されない。また、帝国の皇帝が正式に開示を求めた場合に限り、制約は解除される」
ジェフールはしばらく、黙って聞いていた。
「つまり」ジェフールは言った。「私は、あの内容を、生涯、自分の中だけに留める。コーレン家にも伝えない。ただし、アモス殿とイリア・オットー殿との間では話ができる。そして、皇帝陛下が許可すれば、制約が解除される」
「そうだ」
「皇帝陛下の許可がなければ、私は死ぬまで、誰にも話せない」
「そうなる」
ジェフールは少し、笑った。
「アモス殿」
「なんです」
「私は、この知識を求めて、何十年も費やしました。ようやく手に入れた知識を、自分の中だけに閉じ込める。それは、学者としては、苦しいことです」
「理解しています」
「しかし」ジェフールは言った。「あの文書の内容は、世に出してはならないものだと、私も思います。魔王の残滓。六王家の成り立ちの真実。それが広まれば、帝国は揺らぐ。コーレン家が長年追い求めてきた知識が、帝国を壊す道具になる。それは、私の望みではありません」
「では」
「契約します」ジェフールは静かに言った。「私の渇望は、満たされました。知ることができた。それで、十分です」
俺はジェフールを見た。
この男は、本当に、読みたかっただけなのだ。
知ること自体が目的で、知った後にそれをどう使うかは、この男にとって二の次だった。知識を武器にするヴァルクとも、知識を隠すミクストンとも、違う。ジェフールは、純粋に知りたかった。
そして、知った。
それで、満足している。
「では、始めます」俺は言った。
俺とジェフールが、魔法陣の上に立った。イリアは、陣の外で見守っていた。
「ジェフール殿。契約の内容を、もう一度、声に出して宣言してください」
ジェフールは目を閉じた。それから、目を開けて、静かに宣言した。
「私、ジェフールは、本日、竜骨窟の封印文書から得た知識の全てを、第三者に口外しないことを誓います。文字に書き起こすことも、暗号に変えて伝えることも、いたしません。ただし、ザックロード・アモス殿、イリア・オットー殿に対しては、この制約は適用されません。また、帝国の皇帝が正式に開示を求めた場合に限り、制約は解除されます」
魔法陣が、淡く光った。
俺も、宣言した。
「私、ザックロード・アモスは、ジェフール殿の宣言を受け入れ、この契約の立会人となります。契約の内容が守られる限り、ジェフール殿の自由を、不当に制限しないことを誓います」
魔法陣の光が、強くなった。二人の足元から、光が這い上がるように、体を包んだ。
温かくもなく、冷たくもない光だった。しかし、体の奥に、何かが刻まれるのを感じた。
光が、消えた。
魔法陣が、元の石の模様に戻った。
「契約は、成立しました」イリアが静かに言った。
俺は頷いた。
ジェフールは少し、自分の手を見ていた。契約が魔力に刻まれた感覚を、確かめているのだろう。
「不思議な感覚ですね」ジェフールは言った。「これが、帝国の法の、最も古い形ですか」
「そうだ。初代皇帝の時代から、変わっていない」
「なるほど」ジェフールは少し笑った。「初代皇帝は、封じることが得意な方だったのですね。文書も、知識も、約束も」
俺は少し、笑った。
初めて、ジェフールと、笑いを共有した気がした。




