28. 六王家の秘密
部屋は狭かった。卓と、その周りに四歩ほどの空間があるだけだった。壁は滑らかに削られていて、天然の洞窟ではなく、明らかに人の手で造られた部屋だった。
空気が、違った。乾いていた。三百年以上、外の空気に触れていない空間の、独特の乾燥。しかし、腐敗の匂いはなかった。保存のための魔法が、まだ生きているのだろう。
俺は部屋に踏み入った。イリアとジェフールが、後に続いた。
卓に近づいた。
書物は、思ったより小さかった。手帳ほどの大きさだ。革の装丁は黒ずんでいたが、形を保っていた。表紙に、初代皇帝の個人印が浮き彫りにされていた。壁に刻まれていたものと、同じ紋章。
俺はその書物に手を伸ばした。
触れる前に、一瞬、躊躇った。
三百年以上前に、初代皇帝が、この場所に封じた書物。それを今、俺が開こうとしている。エルザ陛下の許可はある。しかし、初代皇帝はまだ生きている。旧魔王領のどこかで、冒険者として。封じた理由を聞こうにも、誰も彼女の居場所を正確に知らない。そして、封じたまま三百年が経ったということは、初代皇帝自身が、この書を開かれることを望んでいない可能性もある。
封じた理由があるなら、開くべきではないかもしれない。
しかし、開かなければ、封じた理由すら、永遠にわからない。
俺は書物を手に取った。
軽かった。紙は薄い。頁数は多くない。
表紙を開いた。
最初の頁に、文字が書かれていた。
古い書体だった。現在の帝国標準語よりもさらに古い、旧王国語の原型に近い文字。しかし、読めた。皇族の教育で学ぶ古典語だった。
俺は声に出さず、最初の一文を読んだ。
──この書を読む者が、私の子孫であることを、願う。
俺は呼吸を整えた。
初代皇帝の言葉だった。
「読めますか」ジェフールが、俺の後ろから、低い声で聞いた。
「読める」
「中身を、お聞かせいただけますか」
俺は少し考えた。
「今は、まず俺が読む。全て読み終えてから、お伝えする」
ジェフールは頷いた。何も言わなかった。
イリアが卓の脇に立ち、照明の魔法具を書物の上に掲げてくれた。光が、古い文字の上に落ちた。
俺は頁をめくった。
書物は、日記のような形式で書かれていた。
短い記述が、日付を伴って、断片的に並んでいる。初代皇帝が、帝国建国後の数年間に書き留めたものだった。
最初の数頁は、建国直後の記述だった。英傑パーティの仲間たちとの別れ、帝国の制度の設計、六王家の成り立ちについて。
俺は読み進めた。
六王家の成り立ちについて、書物はこう記していた。
──私には子がいない。しかし、魔王討伐の際に受けた呪いが、私の体を変えた。私の血は、不老長命の性質を持つようになった。この性質は、私の血を受けた者にも伝わる。私は、信頼できる女たちの娘を、六人、養子として受け入れた。そして、その娘たちと血の契約を結んだ。それが、六王家の始まりである。
俺は、その記述の前で、手を止めた。
六王家は、初代皇帝の実子の家系ではなかった。
初代皇帝が信頼した女たちの娘を養子に取り、血の契約によって結ばれた者たちの家系だった。
俺は呼吸を整えた。頁をめくった。
──呪いは、代償を求める。私は不老長命を得た代わりに、子を成す力を失った。しかし、血の契約を結んだ娘たちは、子を成すことができる。彼女たちの子も、不老長命の性質を持つだろう。私が死んでも——もし死ぬことがあるならば——六王家の血は続く。帝国は、続く。
──ただし、一つだけ、懸念がある。
俺は次の頁をめくった。
──魔王の呪いは、私が思っていたよりも、深い。血の契約を結んだ娘たちは、不老長命を得た。しかし、同時に、魔王の残滓を受け取った可能性がある。魔王の力の欠片が、私の血に混じっている。それが、六王家の血に、どのような影響を及ぼすか。私には、わからない。
──だから、この書を封じる。私の子孫が、いつの日か、この書を読み、魔王の残滓について知ることがあれば、そのときは、注意深くあってほしい。残滓が目覚めることがあるかどうか、私にはわからない。ただ、可能性を記しておく。それが、私にできる最後のことだ。
最後の頁だった。
日付はなかった。代わりに、一文だけが書かれていた。
──私は、まだ生きている。たぶん、これからも。
俺は書物を閉じた。
部屋の中が、静かだった。照明の魔法具の光だけが、三人の顔を照らしていた。
「伯父上」イリアが小声で言った。「大丈夫ですか」
「ああ」
俺は少し、息を吐いた。
六王家の成り立ち。呪いの代償。魔王の残滓。
六王家は、初代皇帝の実子ではなかった。
初代皇帝が信頼した女たちの娘を養子に取り、その娘たちと血の契約を結ぶことで生まれた家系だった。
血の子ではなく、血の契約によって結ばれた者たち。
そして、その血の中に、魔王の残滓が混じっている可能性がある。俺たち皇族の体の中に。三百年以上前に、初代皇帝がそれを知り、この書を封じた。
封じた理由は、明確だった。
この知識が広まれば、皇族への信頼が揺らぐ。六王家の不老長命が、魔王の呪いに由来するものだと知れば、帝国の根幹が動揺する。
俺はジェフールを見た。
ジェフールは、俺を見ていた。穏やかな目だった。しかし、その目の奥に、渇望が光っていた。
「お聞かせいただけますか」ジェフールは言った。
俺は少し考えた。
エルザ陛下からの指示は、「内容の確認と判断は、ザックロードに一任する。危険と判断すれば、即時中断せよ」だった。
この内容は、危険か。
危険だった。帝国の根幹に関わる知識だ。
しかし、封印を続けても、紙は朽ち、魔法は劣化する。ジェフールが言った通りだ。誰かが、この知識を引き受けなければならない。
封印を続けるか、知識を引き受けるか。
俺は判事だ。事実を確かめ、判断を引き渡す。それが、俺の仕事だ。
「お伝えします」俺は言った。「ただし、この内容を、コーレン家の記録に加えることは、許可しません。この知識は、帝国の管理下に置かれます」
「承知しております」
「それと、もう一つ」
「はい」
「この書物そのものは、持ち出さない。書き写しも、しない。ここに残し、壁を閉じ、再び封印する。持ち帰るのは、俺とイリアの記憶だけだ」
ジェフールは少し、考えた。それから、頷いた。
「それが、正しい判断だと思います」
俺はイリアを見た。
「お前も、聞いて、覚えろ」
「はい」
俺は、封印文書の内容を、声に出して、読みはじめた。
初代皇帝の言葉が、三百年の沈黙を破って、狭い部屋の中に響いた。




