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 22. 狐の宿

 俺は書面を卓に置き、しばらく黙って考えた。

 ヴァルクが行方不明になった。その事実が意味するところは、いくつかある。

 一つ。ヴァルクが自らの意思で逃走した。あの男の頭の良さを考えれば、ザックロードの追跡がコーレン家全体に及ぶと見て、先手を打った可能性がある。

 二つ。ジェフール側がヴァルクを回収した。ヴァルクが語った「ジェフールとの不和」が本当であっても、コーレン家が家の者を放置するとは限らない。

 三つ。ヴァルクが殺された。コーレン家の内部粛清として、ジェフール側がヴァルクを処理した。

 どれが正しいかは、わからない。しかし、いずれの場合も、俺の動きが制約される。

「伯父上」イリアが静かに言った。「ヴァルク殿の行方不明は、こちらの調査に影響しますか」

「する」俺は答えた。「ヴァルクが自分の意思で動いたなら、こちらに向かっている可能性がある。ジェフールの拠点に近づくために」

「こちらとは、ガレダ町ですか」

「あるいは、さらに奥のリードスゴートのどこかだ。ヴァルクは、ジェフールの居場所を、俺よりも正確に知っている可能性がある」

「ヴァルク殿が、ジェフールに合流するおつもりだとしたら」

「二つの可能性がある。一つは、ジェフールを止めるために合流する。もう一つは、ジェフールと合流して、俺たちを排除する」

 イリアの目が、少し厳しくなった。

「どちらだと、お考えですか」

「わからない」俺は正直に言った。「あの男の言葉は、嘘か本当かの判定ができなかった。だから、今もわからない」

 沈黙があった。

 ハルムが口を開いた。

「アモス殿。現時点で、私にできることはございますか」

「二つ、お願いします」俺は言った。「一つは、『狐の宿』に宿泊している男の動向の監視を続けてください。もう一つは、ガレダ町に新たに入ってきた旅人や商人の情報を、早めに報告してください。ヴァルクが行方不明になったのが数日前なら、街道経由でここに着くまで、あと数日かかる」

「承知いたしました」

 ハルムは頷き、応接室を出ていった。

 俺とイリアだけが残った。

「伯父上」

「なんだ」

「明日、どう動かれますか」

 俺は少し、考えた。

 本来なら、記録の確認を続け、ジェフールの動きを慎重に追うつもりだった。しかし、ヴァルクの行方不明が、その猶予を奪った。ジェフール側が動いているなら、こちらも動きを加速する必要がある。

「明日」俺は言った。「『狐の宿』に行く」

「直接、ですか」

「ああ。皇族の印は使わない。ただの旅人として宿を取り、同じ宿に泊まる。あの男の動きを、近くで見る」

「伯父上が直接宿に入れば、相手に気づかれる危険があります」

「あるだろう」俺は言った。「だが、今は時間がない。ヴァルクが動いているなら、あの男も何らかの変化に気づいている可能性がある。変化に気づいた者は、動きを変える。その前に、近くに入る必要がある」

 イリアはしばらく俺を見ていた。

「私もご一緒します」

「駄目だ」

「なぜですか」

「お前が塔にいることが、俺の退路だからだ。俺に何かがあった場合、ハルムと連携して対応できるのは、お前しかいない。両方が宿に入れば、退路がなくなる」

 イリアは唇を少し結んだ。それから、頷いた。

「……承知しました」

「信じてくれ」俺は言った。「お前を遠ざけたいわけじゃない」

「わかっております」イリアは言った。「ただ、伯父上が一人で動かれるのが、心配なのです」

「判事は、一人で動くのが仕事だ」

「判事ではなく、伯父として、申し上げております」

 俺は少し、黙った。

 それから、少し笑った。

「ありがとう」

 イリアも、少しだけ、笑った。


 翌朝、俺は塔を出た。

 装備は軽くした。短剣一本と、小さな革袋。中には、着替えと少量の食料、それから判事の魔法具の石を入れた。皇族の印は、イリアに預けた。

「持っていなくてよろしいのですか」イリアが聞いた。

「持っていると、目立つ」俺は言った。「それに、俺が持っていなくても、お前が持っていれば、効力は変わらない。何かあったら、ハルムと共にその印を使え」

「はい」

 俺は塔を出て、町の東側を通り、宿屋街に向かった。

 「狐の宿」は、昨夜見た場所にあった。朝の光の中で見ると、古い石造りの三階建てで、壁に蔦が這っている。長く続いてきた宿の風格があった。

 入口で、宿の主人に声をかけた。

「一室、借りたい。しばらく滞在するつもりだ」

「おいくらほどで」

「安い部屋でいい。窓がある部屋なら」

「二階に一室、空いております。一泊、二リードスになります」

「頼む」

 俺は一リードス硬貨を二枚、卓に置いた。

 宿の主人は俺を二階に案内した。部屋は小さかったが、窓があった。窓からは、宿の中庭が見えた。中庭を挟んで、反対側にも部屋が並んでいる。

 あの男が、どの部屋にいるか。

 俺は部屋に荷を置き、窓を少し開けた。風が入った。旧魔王領の乾いた風だった。

 宿の一階に降りて、食堂で昼食を頼んだ。食堂は広くなかった。卓が八つほどあり、そのうち三つに客がいた。商人風の者が二人、冒険者風の若い男が一人。

 あの男は、いなかった。

 俺は卓の隅に座り、パンと干し肉を頼んだ。食べながら、食堂の動きを見ていた。

 しばらくして、階段から、一人の男が降りてきた。

 俺は食事の手を止めなかった。視線も向けなかった。しかし、視界の端で、男の動きを捉えていた。

 昨夜、倉庫から出てきた男だった。

 朝の光の中で見ると、昨夜よりも顔がはっきり見えた。五十代前半だろう。痩せ型で、顎に短い無精髭がある。目は、穏やかに見えた。しかし、その穏やかさの奥に、何かがあった。

 ヴァルクの穏やかさとは、違った。ヴァルクの穏やかさは、計算の上にあった。この男の穏やかさは、もっと深いところから来ているように見えた。

 男は食堂の卓に座り、宿の主人に食事を頼んだ。声は低く、落ち着いていた。サーキニア訛りがあった。

 ベフが言っていた、サーキニア訛り。

 俺は食事を続けた。

 男も食事を始めた。

 食堂の中に、二人分の食事の音だけが、静かに響いていた。

 俺たちの間に、卓が二つ挟まっていた。距離にして、六歩。

 六歩先に、おそらく、ジェフールがいた。


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