21. ロド
その夜、塔の宿房で、俺は卓に町の地図を広げていた。
ハルムから預かった、ガレダ町の詳細地図だった。地域監視塔、冒険者ギルド、買取所、倉庫街、宿屋、商会の所在地が、細かく記されていた。
俺はその地図に、今日見てきた場所を印で重ねていった。
古書専門の買取所は、町の南端。
印のない倉庫は、町の北端。
二点は、町の対角線上にあった。
その間を結ぶ最短の経路は、町の中央広場を抜ける道だった。しかし、それは目立つ。コーレン家の系統が動いているなら、目立つ経路は使わない。
俺は地図の上を、別の経路で辿った。町の東側を回る裏道。これなら、人通りが少ない。夜なら、ほとんど誰にも見られずに移動できる。
「伯父上」
扉の脇に立っていたイリアが、声をかけてきた。
「なんだ」
「ハルム殿から、書面が届きました」
俺は受け取った。
ハルムの直筆だった。短い文だった。
──町の南端の古書専門買取所、店主の名は『ロド』。三年前にこの町に来て、買取所を開業。出身地、家族構成、不明。本日、店主の動きを部下に追跡させたところ、夕方に町の北端の倉庫街へ向かい、印のない倉庫の前で短時間立ち止まったとの報告あり。倉庫の中には入っていない。引き続き監視する。
俺はその文を読み、卓に置いた。
「ロド、という店主」イリアが言った。
「ああ。倉庫の前で立ち止まった、というのは、暗号的な確認の動きだろう」
「合言葉を、扉に伝える形式ですか」
「サーキニア王都の南区で見たものと、同じ可能性がある」
俺は地図を見た。
南端の買取所と、北端の倉庫。その間を、ロドという店主が、夕方に往復した。それは、定期的な確認の動きだろう。倉庫の中の誰か、あるいは何かに対して、店主が外側から確認の合図を送っている。
誰かが、倉庫の中にいる。
「明日の夕方、もう一度ロドが動くなら」俺は言った。「俺がそれを追う」
「危険では」
「危険だ。ただし、皇族の印を使わずに動けば、ロドは俺を町の旅人と判断する。距離を取って追えば、気づかれない」
「私も、ご一緒します」
「いや」俺は首を振った。「お前は、塔に残れ。記録の確認を続けてくれ。それと、ハルムとの連絡役を頼む」
イリアはしばらく、俺を見ていた。
反論したい気配があった。しかし、彼女は反論しなかった。
「承知しました」
俺は地図を畳んだ。
明日の夕方が、最初の山になるだろう、と俺は判断した。
翌日の昼過ぎ、俺は塔を出た。
着替えたのは、地味な茶色の上着と、擦り切れた革のズボン。腰には短剣を一本だけ。槍は持たなかった。今日は、戦うための準備ではなく、見るための準備だった。
ガレダ町の南端の買取所通りに、俺は到着した。
通りを少し離れた向かいの食堂に入り、窓際の席を取った。注文した果実水を飲みながら、店の窓越しに、ロドの古書買取所の入口を見た。
ロドは店内にいた。卓に向かって書類を整理している姿が、窓越しに見えた。日中の動きは、昨日のハルムの報告と変わらない。
俺はゆっくり時間を潰した。
夕方近くなると、客が一人、ロドの店に入った。中年の女だった。古書を一冊持ち込み、ロドと数分話し、買取の代金を受け取って出ていった。普通の取引のように見えた。
その後、しばらく客はなかった。
日が傾きはじめ、店内に灯がともった頃、ロドが店を出た。
俺は果実水の代金を置き、食堂を出た。
ロドは早足ではなかった。普通の歩調で、町の中を北へ向かっていた。広場を避け、東側の裏道を選んでいる。昨日、俺が地図の上で予想した経路と、同じだった。
俺は十数歩の距離を保って、後を追った。
夕方の町は、薄暗くなりはじめていた。人通りは、表通りに比べて、裏道では少ない。それでも、ロドは何度か立ち止まり、後ろを確認するような仕草をした。慣れた動きだった。長く、こういう動き方をしてきた者の動きだ。
俺はその度に、別の店の前で立ち止まったり、屋台の品を見るふりをしたりした。距離を保ちつつ、視線を合わせない。
ロドは町の北端に着いた。
商会向けの倉庫街に入った。整然と並ぶ倉庫の間を抜け、最も奥の、印のない倉庫の前で、立ち止まった。
俺は、その手前の倉庫の影に身を寄せた。
ロドは、倉庫の扉に近づいた。三回、間隔を空けて、もう一回。サーキニア王都の南区で見たのと、同じ叩き方だった。
扉の脇の、小さな窓が開いた。中から、誰かが顔を出した。光の加減で、顔ははっきり見えなかった。男だ、ということだけは分かった。
ロドと、その男が、短く言葉を交わした。サーキニア訛りのある、低い声だった。内容までは、聞き取れなかった。
数十秒で、やり取りは終わった。窓が閉まった。ロドは踵を返し、来た道を戻りはじめた。
俺は、ロドを追わなかった。
ロドの動きは、もう確認した。重要なのは、倉庫の中の男の方だった。
俺は倉庫の影から動かず、しばらく観察した。
夜が、深くなりはじめた。倉庫街には、もう人気がなかった。
扉の中の男が、倉庫から出てくるかどうか。
俺はその判断のために、待った。
半刻ほど経った頃、倉庫の扉が、内側から開いた。
中から、男が一人、出てきた。
手に、革袋を一つ持っている。中身は分からない。男は周囲を確認し、扉に鍵をかけた。それから、町の中心の方へ歩きはじめた。
俺は、距離を取って後を追った。
男は、四十代後半か五十代に見えた。痩せ型で、商人風の質素な装束を着ている。顔立ちは、暗くてはっきり見えないが、サーキニア人特有の輪郭ではなかった。むしろ、帝国の顔立ちに近い。
ベフが言っていたジェフールの外見と、合致した。
四十代から五十代の男性。商人風の格好。サーキニア訛り。
俺は、息を整えた。
まだ、確証はない。ただし、可能性は高くなっていた。
男は、町の中心へ向かって歩き続けていた。広場を抜け、東側の宿屋街に入った。中規模の宿屋の一つで、男は立ち止まった。馴染みのある宿らしく、入口の前で受付の者と短く挨拶を交わし、中に入った。
俺は宿の名前を確認した。
「狐の宿」と、看板に書かれていた。
俺はそれ以上、近づかなかった。今日は、ここまでだった。男の宿が分かった。それで、十分な収穫だった。
俺は来た道を戻り、塔に向かった。
塔の宿房に戻ると、イリアが卓に向かっていた。記録の続きを読んでいた。俺が入ると、顔を上げた。
「お戻りになりましたか」
「ああ」
「ご無事で何よりです」
俺は卓に着いた。少し、息を整えた。
「ジェフールと思しき男を、見つけた」
イリアの目が、少し動いた。
「確認できましたか」
「外見は、ベフの言っていた特徴と合致する。サーキニア訛りもあった。ただし、まだ確証はない」
「どのようにして確認を」
「ロドが、倉庫の前で合図を送った。その後、倉庫から男が出てきて、町の中心の宿屋へ向かった。『狐の宿』という宿だ」
イリアは頷きながら、卓の上に紙を取り出して、書き留めた。
「明日、その宿を確認しますか」
「ハルムに、相談する必要がある」俺は言った。「宿に直接踏み込めば、男は逃げる。しかし、確認しないままでは、機を逃す」
「皇族の印で、宿を強制捜索する選択肢もあります」
「それは、最終手段だ」俺は言った。「強制捜索すれば、ジェフール本人を捕らえられるかもしれない。しかし、コーレン家の他の系統は、それを察知して、深く潜る。今、ジェフール一人を捕らえるよりも、線全体を解きほぐす方が、長期的に重要だ」
イリアは少し考えた。
「では、宿を監視しつつ、男の動きを追う、ということですね」
「そうだ。明日、ハルムと相談する」
扉が叩かれた。
「どうぞ」
ハルムが入ってきた。手に、書類を持っていた。
「アモス殿。お戻りでしたか」
「ええ。今、戻ったところです」
「良い知らせと、悪い知らせがございます」
「順番に、お聞かせください」
ハルムは卓に書類を置いた。
「良い知らせは、ロドという店主の追跡で、店主の動きを完全に把握できたことです。本日も、夕方に倉庫街へ向かい、印のない倉庫の前で短時間、誰かと言葉を交わしました」
「俺も、それを見ました」
ハルムは少し、目を見開いた。
「アモス殿が、ですか」
「ええ。男の後を追い、宿まで確認しました。『狐の宿』という宿屋に、男は宿泊しています」
「『狐の宿』」ハルムは少し顔をしかめた。「あそこは、町の中で最も古い宿の一つです。商人が、長期で滞在することが多い宿です」
「悪い知らせは」俺は聞いた。
ハルムは少し、間を置いた。
「先ほど、首都の中央監視塔から、緊急の魔法通信が届きました。アモス殿宛てです」
俺は身構えた。
魔法通信が、急ぎで届くというのは、よほどのことだった。スロックからか、エルザ陛下からか。いずれにせよ、今この時に届く通信は、何か大きな動きを意味する。
ハルムは、書面を差し出した。
俺はそれを受け取り、開いた。
短文だった。エルザ陛下からだった。
──サーキニアにて、ヴァルク・コーレン、行方不明。コーレン家の動きに変化の兆し。慎重に。
俺はその一文を、読み返した。
ヴァルク・コーレンが、行方不明になった。
コーレン家の本流の、ジェフールに繋がる線が、動きはじめている。
俺はイリアを見た。イリアも、書面を覗き込んでいた。
二人の目が、合った。
言葉を交わすまでもなかった。
線は、こちらが解きほぐす前に、向こうから動きはじめていた。




