20. ジェフールへのきっかけ
三日が経った。
俺たちは、塔の宿房に泊まり込みで、記録の確認を続けていた。朝から夜まで、ほぼ帳簿に向かっていた。食事も、ハルムが手配してくれて、応接室に運ばれてきた。
三日間で、五年分の記録のうち、約二年分を読み終えた。商人の項目で気になる名前は、十数件あった。冒険者の項目では、二十件ほどが付箋に記されていた。
しかし、決定的なものは、まだ見つかっていなかった。
三日目の夕方、俺は伸びをして、窓の外を見た。日が傾いて、ガレダ町の屋根が橙色に染まっていた。応接室の中は、紙と灯油の匂いがしていた。
「伯父上」イリアが言った。「気になる記録がいくつかありました。整理してお伝えします」
「頼む」
イリアは付箋の貼られた頁を、順に開いていった。
「商人として登録されている記録の中で、四年前から二年前までの三年間、ほぼ毎月のようにガレダ町を経由している商人が三人います。それぞれ違う名前ですが、運搬品の概要と、入場料の支払い方が、よく似ています」
「具体的には」
「運搬品は、いずれも『古書、地図、図版類』です。入場料は、現金ではなく、商会の信用状で支払われています。信用状の発行元が、三人とも違うのですが──」
イリアは少し言葉を選んだ。
「発行元の三つの商会を、私が八年前に調べた記録から確認すると、いずれもサーキニア王都の中央区に本店があります。中央区は、ベフ・コーレンの古書店がある区域です」
俺はその情報を、頭の中で組み立てた。
「同一人物が、三つの偽名を使い分けていた可能性がある」
「はい」
「あるいは、コーレン家の中で、同じ役割を担っていた者が、複数いた可能性もある」
「それも、考えられます」
俺は少し考えた。
三人の商人が、四年前から二年前までの三年間、ほぼ毎月ガレダ町を経由している。それも、コーレン家系統の信用状で入場料を払い、古書や地図類を運搬している。これは偶然ではない。
「二年前以降の記録は」
「二年前以降、その三人の名前は、記録から消えています。ただし、別の名前で同様の傾向の記録があるかは、まだ確認できていません」
「二年前から、活動の形を変えた可能性があるな」
「はい」
俺は少し、立ち上がった。
窓の外で、ガレダ町の灯がともりはじめていた。広場の方角から、酒場の喧騒がかすかに聞こえてくる。日常の音だった。
ジェフールが、この町を断続的に経由していた。それは、もう確かなことだった。
「冒険者の項目では、何か見つかりましたか」イリアが聞いた。
「三年前から、興味深い記録がある」俺は答えた。「『ヴェル』という名で登録されている冒険者だ。家名はない。年齢は四十代後半か五十代と推定。一人で動くことが多く、依頼を受けず、自費で何度もダンジョンに入っている」
「自費で」
「ああ。出土品の申告も少ない。古書や石板の類を、ごく少量、毎回申告している。追加料金は、ほぼ最低額」
「目立たない動き方ですね」
「そうだ。意図的に目立たないようにしている」
俺はその記録の頁を、イリアに見せた。
イリアは目を通した。それから、俺を見た。
「『ヴェル』という名前。ジェフールから一文字取った可能性も」
「俺もそう考えた」
イリアは頷いた。
「ただし、断定はできない」俺は言った。「あくまで、可能性の一つだ。確認するには、ヴェルが今もガレダ町に出入りしているか、それを調べる必要がある」
「最近の記録は」
「直近の半年で、五回。ほぼ月に一度の頻度だ。最後の入域は、二週間前。退場の記録もある」
「では、また現れる可能性が」
「ある。ただし、いつ現れるかは、わからない」
俺は卓に座り直した。
扉が叩かれた。
「どうぞ」
ハルムが入ってきた。表情が、これまでの三日間とは少し違っていた。
「アモス殿」
「どうしました」
「町の買取所の店主に、話を聞いてまいりました。コーレン家との過去の取引について」
「何か、分かりましたか」
ハルムは椅子に座った。少し、息を整えてから話しはじめた。
「五年ほど前まで、コーレン家系統の商会から、定期的に古書類の買取依頼が入っておりました。買取ではなく、買取所を経由して、別の客に渡す仕組みだったようです。商会が直接買取所と取引すると目立つので、第三者を経由させていたとのことです」
「五年前まで、ですか」
「はい。五年前以降、その依頼は途絶えています。ただし、店主の話では、店主自身が知らない経路で、コーレン家の品が動いている気配は、その後もあったとのことです」
「気配というのは」
「町の他の買取所で、たまに見覚えのある古書が出品されることがあった、と。店主はその度に、自分の店から流出したものではないかを確認したそうです。しかし、いずれも自分の店からのものではなかった、と」
俺はその話を聞きながら、頭の中で線を組み立てた。
五年前まで、コーレン家はガレダ町の買取所を経由していた。五年前以降、その経路を変えた。しかし、コーレン家由来の古書が、町の他の買取所で散発的に現れる。
誰かが、別の経路を作ったということだ。
「店主の話に、嘘はありませんでしたか」俺は聞いた。
「アモス殿のような魔法具は持ち合わせておりませんが」ハルムは少し笑った。「私の長年の経験では、嘘はないと判断しました。むしろ、五年前以降、自分の店を通らない取引があることに、店主自身が困惑しております」
「そうですか」
「もう一つ、申し上げます」ハルムは続けた。「町の北側に、商会向けの倉庫街がございます。その一角に、ここ一年ほど、夜間に出入りのある倉庫があると、私の部下が報告しておりました。今までは、街道警備の管轄外として記録するだけでしたが──」
ハルムは少し、間を置いた。
「アモス殿のお話を聞きまして、その倉庫を改めて確認する価値があるかと、思いまして」
俺はハルムを見た。
「自発的に、お調べいただきたい」
「承知いたしました」
ハルムは頷き、応接室を出ていった。
扉が閉まった後、イリアが小声で言った。
「ハルム殿が、動きはじめましたね」
「ああ。それも、彼の判断で」
俺は窓の外を見た。
夜が、深くなりはじめていた。
線が、徐々に集まりつつあった。ヴェルという名の冒険者、三人の偽名商人、町の倉庫街、コーレン家の見えない経路。それぞれが、まだバラバラに見えるが、どこかで繋がるはずだった。
あとは、ジェフールが姿を現すのを待つか、あるいは、こちらから先回りするか。
判断は、まだ早かった。
翌日、俺たちは記録の確認を一旦中断し、ガレダ町を歩くことにした。
帳簿の中の名前と、町の現実を、目で繋げる必要があった。冒険者ギルドの建物、町の買取所、商会向けの倉庫街、宿屋。それぞれが、どのような距離感で配置されているかを、自分の足で確認しておきたかった。
俺は普段着の旅装束。イリアもまた、書記官の装束ではなく、地味な旅装束だった。皇族の印は、宿房に置いてきた。今日は、皇族でも傭兵団員でもなく、ただの旅人として町を見る。
「広場から始めますか」イリアが言った。
「ああ。冒険者ギルドが見えるところから」
昼前のガレダ町は、活気に満ちていた。広場には屋台が並び、武具屋の前で冒険者らしき若者が剣の試し振りをしていた。薬草の匂い、革の匂い、肉を焼く匂いが、混じり合っていた。
冒険者ギルドの建物は、広場の北側にあった。石造りの二階建てで、玄関の扉は開け放たれている。中から、声が聞こえてきた。今日の依頼の確認、パーティ編成の交渉、そういう類の声。
俺はその扉の前を、ゆっくり通り過ぎた。中には入らなかった。今日は、見るだけの日だった。
「冒険者をしていた頃を、思い出すか」俺はイリアに聞いた。
「思い出します」イリアは少し笑った。「ただ、当時の私は、もっとぴりぴりしておりました」
「ぴりぴり、というのは」
「依頼を受けて、稼いで、また次の依頼を受ける。その繰り返しでした。立ち止まって町を歩く、という余裕はありませんでした」
「今は、余裕があるか」
「立場が変わりましたから」
イリアの言葉は、簡潔だった。
俺はその答えを、少し噛みしめた。立場が変われば、見える景色も変わる。それは、俺自身も経験してきたことだった。
俺たちは広場を抜け、町の北側へ向かった。
商会向けの倉庫街は、町の北端にあった。広い区画に、石造りの倉庫が整然と並んでいる。出入口にはそれぞれ商会の印が掲げられ、荷馬車が出入りしていた。
その区画の、最も奥の方に、印のない倉庫があった。
ハルムが言っていた、夜間に出入りのある倉庫だろう、と俺は判断した。
俺たちは、そこに近づきすぎないように、少し離れた位置から観察した。倉庫の扉は閉まっていた。窓は塞がれている。周囲に人気はない。日中は、活動がないようだった。
「夜になれば、何か見えるかもしれませんね」イリアが小声で言った。
「ああ。ただし、こちらから直接見に行くのは、得策ではない」
「なぜですか」
「向こうも、こちらの動きを見ている可能性が高い。皇族の印を持って塔に到着した俺たちを、町の中で気にしていない者の方が珍しい」
イリアは頷いた。
「では、ハルム殿の部下に任せる、ということですね」
「そうだ。彼らは町の住人として動ける。俺たちが直接動くより、はるかに自然だ」
俺たちは、倉庫街から離れた。
町の南側に、買取所が集まる一画があった。冒険者が出土品を売る場所だ。表通り沿いに、五軒ほどの買取所が並んでいた。それぞれの店先に、出土品の見本が飾られていた。古書、武具、魔石、薬草。
俺はその通りを、ゆっくり歩いた。
「伯父上」イリアが言った。「ベフ・コーレンの古書店と、似た雰囲気の店があります」
俺はイリアの示す方向を見た。
通りの中ほどに、古書専門の買取所があった。看板は控えめで、装飾も少ない。サーキニア王都の中央区にあったベフの店と、雰囲気が似ていた。意図的に似せているわけではないだろう。同じ系統の経営方針が、自然に同じ雰囲気を生むのだろう。
「店主の顔を、見てみるか」俺は言った。
「中に入りますか」
「いや、外から窓越しでいい」
俺たちは、その店の前を、自然に通り過ぎた。窓越しに、店内が見えた。中年の男が、卓に向かって書類を整理していた。痩せ型で、目が鋭い印象だった。
俺はその男の顔を、頭の中に焼き付けた。
通り過ぎた後、イリアが小声で言った。
「あの方も、コーレン家の系統でしょうか」
「可能性はある。ただし、確証はない」俺は言った。「ハルムに、買取所の経営者の名前を確認してもらおう」
イリアは頷いた。
俺たちは、町を一周して、塔に戻った。
町の構造と、コーレン家系統と思しき店の位置、倉庫街の距離感。それらが、頭の中で地図として形作られていた。
ジェフールが、この町をどう動いているか、少しずつ見えてきた。




